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2000年4月

「父性」が必要な時代

2000年4月号

『「父性」が必要な時代』  中舘 慈子

すべてを包み込み受け入れる「母性」は、子どもが自分自身を受け入れ、自信を持って生きる上でとても大切なことです。日本人の心の中では「母なるもの」に、信仰にも似たあこがれ、絶対的なものがあるような気もします。

一方、「父性」とは何でしょうか?あの厚生省の『子育てをしない男を父親とは呼ばない』というポスターの効果なのか、田園都市線などで、本当にスマートに子どもを抱いた「父親」の姿を多く目にするようになったのは、とてもほほえましい情景です。子どもを抱いて、ぬくもりや重みを感じることから、「父親」になっていくのでしょう。

しかし、臨床心理学者の河合隼雄氏は「父親だから『父性』があるとは言い切れない。女性が『父性』を持つ場合もある」と、述べています。河合氏の言う「父性」とは、「包み込む『母性』」と対峙する「切り捨てる『父性』」です。

『現代』5月号「日本人よ、いまこそ『父性』を創造せよ」の中で、河合氏は父親が家庭で「絶対にやらなければならないこと」「絶対にやってはいけないこと」を厳しく教えて、守らないときは怒ることが必要だと述べています。
子どもを育てる上で、なんでも自由はよくない。『我が家ではこれは絶対にダメ』というルールが必要で、そのルールはちょっとくらい変なほうがよい、そのほうが、ある年齢に達したときに子どもが反発できて、親子の関係が昇華されていく、というのです。

そして次の例が挙げられていました。吉本ばななさんの家では、なにをしても自由だったが、夜、寝るときに雨戸を閉める、ということに関しては父親が怖いほど厳格だったそうです。高校生になって、ふとこのことに疑問をもったばななさんが、疑問を口にすると父親は激怒して、毎晩、親子の間で激論が戦わされたということです。

お父様が3歳の男の子に「テレビは30分しか見てはいけない。音楽はクラシックしか聴いてはいけない」というルールを決めていらっしゃるご家庭があったそうです。そのときシッターは「3歳児には少し無理かもしれないな」と思いながら、母性を発揮して子どもの心を受け入れ、ほかに楽しいことを見つけて遊び、ルールは守るようにしたそうです。

とはいうものの、急にどの家でも父親が少し変なルールを決めて、守らなければ怒鳴り散らせばよいということではありません。父親が心から守ってほしいと信じているからこそ怒れるのです。守ってほしいことがたまたま少し変だったというだけのことです。

何でも受け入れる「母性」が独走するあまり、家庭でのしつけの厳しさに欠けた子どもや、電車の中で平気でお化粧をするような社会のルールを守らない中高生を生み出しているような気がします。先に述べたように、母親でも「父性」を発揮できます。「父性」を通して、「世の中には絶対に守らなければならないことがある」ということを、子どもが小さいときに潜在意識の中に植え付けることは、やはりとても大切なことなのかもしれません。

「母性」と「父性」が自然に奏でるハーモニーの中で、子どもたちは自信を持ち、かつ社会性を持って育っていくのではないでしょうか。