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2002年2月

ひとりっこ

2002年2月号

『ひとりっこ』  中舘 慈子

私は、ひとりっこです。4,5人きょうだいも珍しくない時代。ひとりっこはそれだけで問題児であると面と向かって言われたこともありました。「ひとりっこ」のイメージはどんなものでしょうか? きょうだいがいないので、物を分けることを知らない、わがまま、社会性がない・・・ 親に甘やかされるので、過保護、依頼心が強い・・・ など、良くないイメージがつきまとっているような気がします。
そんなところがないわけではありません。けれども、周りをちょっと見渡してみると、ひとりっこで独立心が強くて社会的に価値や責任のある仕事を続けている人もたくさんいます。生まれてから半世紀も経てば、むしろ友人や仕事を通じて触れ合う人間関係が、ひよわなひとりっこを強く変貌させてくれるのかもしれません。
小さいときに体験したかったことはきょうだいげんかです。思っている限りの言葉を投げつけ合い、時には手が出て足が出て泣きわめくこともあるけれども、いつか仲直りをして仲良く遊んでいる。「人は意見が違うことがあり、主張をぶつけ合っても、人間関係を修復することができるのだ」という体験です。けんかをしたらもう二度となかよくできないのではないだろうか、絶対的な力を持つ大人に反抗したらこの世で生きていけないのではないだろうか、幼い心はそんなことを感じていました。
今、出生率は1.39! 数字から見れば、「ついにひとりっこが市民権を得た!」と言えるのではないでしょうか? ということは、ひとりっこの持つ個性がこれからの社会を動かしていくと言えるのかもしれません。

次の文は、シッターさんから見た「ひとりっこ」です。等身大の自分でいられるように 八島 悠子少子化の核家族で,一人っ子も多い今の世の中,子ども達は家庭の中でも,幼稚園・学校でも自分の気持ちの表し方,友達とのかかわり方などに心を痛め,ストレスを感じている子が多いのではないでしょうか。一人っ子を長くみてきましたが,赤ちゃんから年中さん位までは親にペットのように可愛がられ,自己が芽生えてくると可愛げないと言われ,もっと大きくなれば年齢不相応の大人扱い。随分と背伸びをしながら親の要求に応じようと懸命になっているように,感じられます。子どもはパパにも,ママにも喜んでもらいたい,認めてもらいたいと思っているからでしょう。
こうした子ども達とシッターが過ごす時,等身大の自分のままにのびのびとした心で過ごしてもらいたいと思います。親と違って向き合える時間がたっぷりありますから,ゆったりと笑みをたやさず,何でも受けとめる心もちで接してゆくようにしています。それには,まず,お子様の興味を持っていることに私も入ってゆくようにします。
N 君は小さい時から絵を書くこと,虫のことについては虫博士といわれる位よく知っていました。東京育ちの私には虫採りの経験もあまりないのですが,自然の中を植物をみながら歩くのが大好きでしたから,たちまち,虫博士の話のとりこになってしまい,教わりながら畑でみつけてわけてもらった蛾や蝶・カブト虫の幼虫を持ち帰っては育てN 君に質問したり変化を報告したりと楽しみを共有しています。今はあげはのさなぎが部屋の壁で越冬しています。弟や妹のいないN 君には教えるのがちょっとばかりうれしいようです。虫採りから帰ると図鑑で調べること,ひろった葉や木の実・種を使った工作と,家でも工夫したり遊んだりと広がってゆき,思わぬ時に心のうちをみせてくれたりなんといってもこの人大丈夫なんだと認めてくれていると感じる時があり,心がほっかりする程うれしくなります。
レギュラーですとこんな積み重ねは大きくなると言葉で表すこともあれば,黙って身体を寄せてくることであったりします。何だかシッターって側にいてくれるだけで安心出来るオアシスみたいだなと思い,こんな存在になることも大切なことだと思います。
「ひとりっこ」はご両親にとってかけがえのないたった1人のお子さま。大切に、願いや期待を込めて育てるのは当然ですね。さらにご両親にとって子育てはいつまでも「初めて」の経験ばかりになります。小学生になり、中学生になり・・・おとなになるまで。
そんな中でお子様の「等身大」の姿、年齢相応のありのままの姿を見出していくことはなかなか難しいことかもしれません。<
ここでシッターさんのような第三者の目が必要になります。少し離れて温かく見守る目。ここからは「等身大」のお子様が見えるのです。
ひとりっこが多くの人との関わりを通じて、心豊かにたくましく育っていくことが、これからの社会にますます必要になっていくことでしょう。