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2003年2月

北国幼稚園開設の記

2003年2月号

『北国幼稚園開設の記』 中舘慈子

これは今から27年前、転勤先の釧路で3人の子どもを育てていたときの手記です。時代は大きく変わり、娘達もこれを書いたときの私の年齢に近くなりました。今見ると、未熟な母親だった自分、子どもの心をすべて受け入れられなかった自分に気づきます。ただ、時代を経ても変わらない子育てへの思いはあるでしょうし、家庭での子育ての何かのヒントにもなるかと思い、古い記録を取り出してみました。少し長文ですが、ご一読いただければ幸いです。

~園まで片道50分、これでは・・・・~

釧路の4月は、桜のない、残雪さえ見られる茶褐色の春である。私たち一家5人は、転勤で前の年の9月に岐阜から引っ越してきた。新しい土地で子ども達のためにまず探したのが病院と幼稚園だった。4月に長女は4歳11カ月、次女は3歳3ヵ月になる。集団の喜びを知り始めた二人を適当な園があればぜひ入園させたいと意気込んでいた私は、大きな団地であるにもかかわらず、近くの子ども達の通っている園が、子どもの足で片道50分、しかも徒歩に頼るしかないということをきいて驚いた。次女の下に1歳になったばかりの三女がいる。冬は雪に埋もれた、凍てついた道を歩くのである。迷った私は園を訪れ、園長先生の「子ども達だけの世界があればそれでよいのではないでしょうか。特に同性で年齢が近いのですから」という言葉に励まされ,通園を1年延ばすことに決めた。夜は零下20度まで、昼も最高気温零下5度という試練の冬が来た。
4歳3歳1歳の幼児が1日中室内にいる。たいくつすればけんかもする。適当な年齢の友達もいない。家事も忙しいので、親のほうもついいらいらする。この状態があと1年半続くとしたら貴重な幼児期に決してプラスとは言えないだろう。どうせ育児に専念するとしたら、なんとか有意義な期間にできないものであろうか。
ここで私は、私設幼稚園開設を思い立った。園舎は自宅。園児は3名。先生は私。月謝は教材費のみ。園の方針は、カリキュラムを軸として、幼稚園で行なうと思われるいろいろな活動をし、特に家庭でなければできない細やかな配慮を一人ずつに与え、自然に触れる機会を多く持ち、豊かな経験を得させたい、ということになった。ちょうど幼児教育に携わっている母のアドバイスもあり、4月開園に向けてカリキュラム作成にとりかかった。まず、年間指導計画が組まれた。3人の年齢に合わせて、保育所保育指針、幼稚園教育要領等を参考にしながら「基本的生活習慣」「運動・安全」「情緒」「社会的生活」「知的生活(言語・自然・社会・音楽・造形)の領域毎に12カ月に分けたものである。

~家庭でなければできない幼稚園に~

長女は5月で5歳になる。5歳は運動能力のおおいに発達する時期であるという。体力作りも兼ねて、好天の日は必ず戸外で、ぞんぶん身体を動かすように計画した。また知的興味も旺盛になり、『小さいモモちゃん』などを黙読でむさぼり読み始めたので、図書館などを利用して多くの本と親しませようと思った。音楽は、1月から私がバイエルを教えていた。この年齢には基礎的な技術と、ピアノを弾く喜びを知ればよいのではないかと思っていたからである。むろん、知的な面は二義的なもので、まず友達や妹達と楽しく遊べる子であって欲しいと願った。いっぽう、次女は3歳という年齢や3姉妹の真中ということもあろうが、どちらかというと、口の重い、すぐ泣く、気難しい面のある子だった。めったに声を出して笑うことがなく、積極的で明るい長女や楽天的で甘えを素直に出せる三女と比べて「あつかいにくい子」というのが、家族の共に感じるところであった。
やってみる前に「できないのォ」、いやになると「つかれたァ」というのが口ぐせで、この言葉のきらいな私は、それを聞くたびに腹を立ててしかった。しかられると萎縮する。それがまた自信のない態度を生む。こんな悪循環をなんとかして絶ち切らなければならない、開園を期になんとか次女に自信をつけてやりたい、と私は決心した。特にケガをしやすい子なので、「運動・安全」に重点をおき、「情緒」を安定させる一方、3歳相応の知的興味をのばしたいと思った。4月で1歳4カ月の三女は、排泄の習慣ができていなかった。冬の訪れる前になんとかオムツを取ることが、第一目標となった。外で歩く機会もほとんどなかったので、歩き方もぎごちない。「基本的生活習慣」と「運動」に重きを置くことになるだろう。そこで、毎月の「指導記録及び子どもの姿」と次の月の「指導計画」が、各領域に沿って組まれた。これは毎月3組コピーして、2組は遠くにいる両方の祖父母の元に送ることにした。岐阜にそのままいたら、桜の中を仲良しの友達10人あまりとおそろいの制服を着て、胸を張って通園していただろう。その姿を想像すると胸が痛んだ。よし!家庭でなければできない幼稚園にしよう。北国の豊かな思い出でいっぱいになる1年間にしよう。こうして、桜のない4月の釧路に「北国幼稚園」が開設されたのである。

~自然の中で―春そして夏~

4月のねらいとしては「生活のリズムを整える」ことがあげられた。これは、私の家事計画も含めて行なわれた。4月末にはいちおうオムツをまめに替えることで、三女はオムツが濡れると「チーデタ」と言いに来るようになった。「音楽」は長女が簡単な歌の旋律を2.3曲弾けるようになった。次女が自分から進んでそれに合わせてタンバリンをたたき、三女も回らぬ舌で、声を張り上げて歌う。「造形」では古ワイシャツを縫い合わせてマジックで色を塗らせ、三姉妹の軒先にこいのぼりを翻させたり、紙で絞り染めをして祖母へのバースデーカードを作ったりした。5月になると、北国にも遅い春が訪れた。それはさまざまな野草の開花によって知らされる。一家で海岸へ、山へ、湿原へとピクニックに出かけた。待ちわびた春だけに、この月は野外保育が中心となった。また、長女の誕生会を開き、そのために紙芝居作りをした。長女は「三匹の子豚」を、次女も二つほど作りあげ、たどたどしいながらもうれしそうに、みんなの前で発表した。6月も山菜採りなどに出かけた。わらびを両手いっぱいに採り、「たのちいなあ」と跳ね回っている次女を、こんな活発な面もあったのかと見なおした。また時の記念日を機会に、時間の概念や数字への興味を持たせた。次女も数字が読めるようになり、親子でババ抜き、一並べなど簡単なトランプを楽しんだ。曜日カード、数字カード、時計も作ってみた。この月は創作紙芝居を作らせた。長女には物語も自分の字で書かせた。次女の「うさこちゃんのハイキング」と共に、画面いっぱいにスズラン、エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメなど描かれているのにびっくりした。
7月は竹がないので手作りの竹らしきものを作り七夕飾りをしたり、プラネタリウムを見に行ったりしたが、ほんとうの星空を見るには夜風がひんやりしていた。この月の第一の収穫は、三女のオムツがとれたことである。6年間、長女の生まれたときから洗いつづけていたオムツから解放された喜びは、たとえようがない。酷使に耐えかねたのか、結婚以来、日に何度も働いてくれた洗濯機がこわれたのもちょうどこのころである。8月に入ると、ようやく夏らしい陽射しになった。それでも最高気温26度ほど。汚れていない海や川があっても、水温が低くて泳げない。しかし、海には数知れぬウミネコ、カモメなどが飛び交い、着水し、魚をついばんでいた。渓流にむかって、いつもママべったりの三女は何十分も無心に石を投げ続けた。すべてが、初めて味わう「本物の自然」だったのではないか。港町・釧路の夏は「港祭り」で最高潮になる。屋台でトウキビやジャガイモやイカを味わい、町内の提灯行列や盆踊りにそろいの浴衣で加わった。長女は自転車にも乗れるようになった。春には三輪車もおぼつかなかった次女も、ブランコを立ってこげるようになり、大いに気をよくしている。また、次女が「びんのふたに"あく""しまる"って書いてあるよォ」などと、ひらがなを拾い読みし始めた。春に親子共に生まれて初めてまいた菜っ葉やエンドウも食べた。

~手作りの教育への自信~

カリキュラムの存在は、私の育児態度にも大いに影響したといえる。開園以来、私は感情的に怒ることがほとんどなくなった。また、細かくカリキュラムをたてることで、毎月の子ども達の成長する姿がよくわかって反省の材料となった。次女も明るい性格に向かっているようだ。年下の子にも、はっとするほどやさしい思いやりを示せるようになってきた。「できないのォ」と言わなくなった。絵や紙芝居を作り上げた喜び、野外活動の楽しさ、自分が認められているのだという自信の反映だろうか。長女と三女が発熱してアイスクリームを欲しがっているのを、「私買ってきてあげる。一人で行けるもン」と自分から買い物かごを下げて出かけたときは、思わず涙ぐんでしまった。むろん、北国幼稚園は欠陥だらけである。保育時間はせいぜい1日2時間。集団というにはあまりに小さすぎるし、年齢も異なる。思いきった活動は不可能だし、私は3人の子どもにとって先生ではなく、まず母親でなければならない。しかし「保育園」「幼稚園」と施設に頼りすぎ、子どもの教育に熱心な母親を"教
育ママ"とさげすむ風潮のある今、私たち平凡な母親がもっと自信を持って、それぞれの環境に応じて、子どものために手作りの教育をしてもよいのではないかと感じた。11月を過ぎると気温はまたぐんぐん下がる。雪が降ると私たち一家の"ボブス
レイコース"を滑る楽しみがある。曲がりくねった急な坂道をプラスティックの小さいそりで滑り降りるのである。そして、4月までのほんとうの入園式までの長い冬ごもりを、なんとか充実したものにしようと、北国幼稚園はたくさんの行事や創作活動を計画して張り切っている。

1976年「幼児と保育5月号」小学館掲載
第2回「おかあさんの教育記録」優秀賞を受賞した手記です。