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2004年3月

げんちゃん

2004年3月号
『げんちゃん』 中舘慈子

爽やかな少年に育っていた。涼しい目元、すっとした鼻筋、手足もすらりと伸びて背はママを追い抜いていた。雨のディズニーランドにママと二人で行ってきたという。ある日、ディスニーランドのちらしをげんちゃんが自分で家に持ち帰ってきた。「行ってくれば」というパパの熱心な応援で、春休みを利用しての北海道からの二人旅となった。電車が大好きで、喜んで乗りこんだのに、東京駅で降りたがらず、鶯谷に着いて、初めて見たことのないあたりの様子に「降りたい」という気持ちを示した。このままだとまた東京駅を過ぎてしまうかもしれないと危惧したママは、ディズニーランドのちらしに「東京」という文字を書いて、「ディズニーランド」を指差し、「げんちゃんはここいきたいのでしょう?それなら、東京というところで降りるのよ。」と「東京」という文字を指差した。今度は駅の「東京」という文字を見てすっと降りたという。

久しぶりの再開に、ちょっと照れてそれでもうれしそうな顔をして出迎えてくれた。私たちの尽きることのない話を聞きながら、いつかげんちゃんはすやすや寝息を立てて眠っていた。私の存在を気にせず心穏やかに受け容れてくれたのだと胸がいっぱいになった。

げんちゃんは12歳の自閉症の少年である。4月から養護学校の中学に進む。いよいよ思春期の入り口から大人へと育っていく。これからの6年間が正念場、ただ技能訓練をするばかりでなくて、社会の中で生きる力を学校教育の中で培ってもらいたいと、ママは熱く語った。

ママとは30年前、北海道の病室で初めて出会った。お母さんを毎日見舞いに来る制服姿のかわいい高校生だった。そのとき私は凍った坂道で転倒して骨折、同じ部屋に入院していたのである。その後互いに本当にさまざまなことがあったが、交流はずっと続いていた。げんちゃんが2歳になったころ、ママから電話があった。それはげんちゃんが自閉症ではないかという電話だった。十分にその可能性のある特徴だった。

ママは早速専門家を捜し求め、げんちゃんの発達に必要なさまざまな試みを実践した。私もなんどかげんちゃんと会った。げんちゃんを連れて電車に乗っていると「しつけが悪い!」と怒鳴られた話もきいた。初めて訪れた我が家に入れずに近所をぐるぐる散歩したこともあった。私の娘の個展会場に家族4人でにぎやかに訪れてくれたこともあった・・・。

げんちゃんはこれから自立への道を歩んでいく。ママやパパや本当に心豊かに育った1歳違いのおねえちゃんの温かい愛情に包まれた家庭から、社会に参加していくことになる。ノーマライゼーションとひとことで言うことはできるが、実際には乗り越えなければならない壁がこれからもたくさん出てくるだろう。

「でも、大丈夫。ママは運がよいから、そんなときには必ずすっと助けてくれる手が差し伸べられるから。」

いつもいつも前向きなママの明るい笑顔にそう話しかけて、げんちゃんの穏やかな寝顔にエールを送り、深夜に近いホテルを出た。三分咲きの桜の花が外灯に照らされて淡く揺れていた。