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2005年7月

孫をシッターに預けるとき

2005年7月第3号

『孫をシッターに預けるとき』 中舘慈子

1歳の孫をシッターに預けることになった。前日朝急に40度の発熱、保育所では預かってもらえないので1日は母親が会社を休んで自宅で世話をしたが、2日続けて休むわけにはいかない。あいにく父親も海外出張中である。

朝大慌てで作ったお惣菜を持って娘の家を訪れた。ささやかなお見舞いの気持ちである。ドアを開けると孫の半泣きの顔にかすかな笑顔が浮かび、小さい手を精一杯伸ばしてきた。誰かに甘えたい、誰かにすがりたいという思いが痛いほど伝わってくる。小さな熱い体を思わず力いっぱい抱きしめた。「元気になるのよ!優しいシッターさんが来てくれるからね。」と。

・・・仕事も何もかも休んで熱い小さな体を一日中抱っこしていたい。しかし私には仕事がある。・・・駅に急ぎながら、「後ろ髪引かれる」とはこんな思いなのだろうと思った。

”おばあちゃんだから孫を見るのが当たり前”は“母親が子どもを見るのが当たり前”と共通する発想である。おばあちゃんで仕事を続けている人もいるだろうし、子育てに専念してきた人はやっと獲得した自分自身の時間を再び子育てに費やすのは・・・・と思うかもしれない。自分の親世代の介護に忙しい人たちもいるだろう。シッターは働くおばあちゃんや介護に忙しいおばあちゃんをサポートし、おばあちゃんにリフレッシュタイムを提供する役割もあるのかもしれない。こんなことを考えながらも「おばあちゃんなのに熱のある孫の世話をすることができない」ことにちくりちくりと罪悪感めいたものを感じた。

ある調査で首都圏30キロ圏に住む60歳前後の人を対象に「孫がいますか?」とたずねたところ、孫を持っている人はわずか16%に過ぎなかったという。団塊世代を主とした60歳前後の人が6人集まると内5人は孫がいないということになる。周りを見渡すと確かにそうかもしれない。おばあちゃんが孫を預かれないことと子ども世代の出生率の低いことと関連があるのだろうか?

夕方娘からメールが来た。孫はシッターさんとご機嫌で遊び、食事も良く食べた。「シッターさんがきて本当に助かった!」という。それほど悩むこともなかった。孫はシッターさんの温かいケアを受けて順調に回復し、自宅で一日を楽しく過ごすことができたようだ。在宅保育サービス、おじいちゃんおばあちゃん世代にもなくてはならないサービスだとつくづく思う。

シッターVS子どものわがまま

2005年7月第2号

『シッターVS子どものわがまま』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

「シッターとしょっちゅう過ごしている子どもは、わがままに育つのでは…」という声をよく聞く。いちがいには言えないが、これまで出逢ってきた子どもたちの中には、多少わがままな子も少なからずいた。でも、その子たちの多くは、シッターである私にたいしてはわがままだが、保育園・幼稚園の先生や友達にたいしてはそうでもなく、どちらかといえば「いい子」だった。言いかえれば、その子たちにとってシッターは、多少のわがままは許してもらえる貴重な存在なのだ。その理由のひとつに、子ども心に「シッターは、親がお金を払っている、自分専用の大人」という確信と安心があるからだと思う。

そして私を含め、多くのシッターは、やはり、よくも悪くも子どもに甘くなりがちだろう。なにより子ども好きだし、「お金をもらって預かっている」という思いもある。本来なら、その子のために本気で叱らなければならない状況でも、なかなか人の子を強くは叱れない。なので、子どもが多少わがままになってしまうのもいたしかたない面がある。中には、対等な関係の友達と遊ぶより、シッターと遊ぶほうが好きな子も多く、これはどうかなぁ…と考えこむこともあった。だが、それでも私は、シッターと過ごすひとときが子どもにあたえるメリットも実感している。親はどうしても、家事をしながら、なにか考え事をしながらと、「ながら的」に子どもの相手をしがちだと思う。また、保育園などの集団社会では、先生をひとり占めできない。その点、シッターというのは2時間なら2時間、1対1で自分と遊ぶことに集中してくれ、「見て見て」と言わなくとも、つねに自分のことを見ていてくれ、自分の話を全身を耳にして「うんうん」と聞いてくれる夢のような大人なのだ。そういう存在をときどきでも与えられることで、日頃、蓄積されている欲求不満やストレスが、どれほど解消されるだろう。特に、下にまだ手のかかる弟や妹がいて、あまり親にかまってもらえない上の子にとって、シッターの存在は大きい。実際、「シッターさんに来てもらうようになってから、子どもが落ち着いてきた」「下の子をいじめなくなった」と、たくさんの親に言われてきた。そんなとき、私はこんなしょーもない自分でも、他人の健全な精神の育成に少しでも貢献できる喜び、人に感謝される幸せをかみしめる。過去の、人間関係で悩んだり、挫折したときの心の傷が薄まって、私自身がなんだか救われた気持ちになるのだ。

ライター、シッターに目覚める

2005年7月

『ライター、シッターに目覚める』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

ベビーシッターをはじめたのは4年前、取引先の女性編集者から、「新しいシッターが決まるまでの間だけでいいから!深夜までOKのシッターってなかなかいないのよ」と頼まれたのがきっかけだった。シッターをすることになったと告げたときの、周囲の反応はかなりシビアであった。「三十にもなって、人の子どもお世話してる場合じゃないでしょっ!早く結婚して自分の子産みなさい!」と田舎の母。「学歴もあるし語学もできるのに、なんでシッター?」と怪訝そうな友人たち。私はと言えば、子どもと過ごすほのぼのとした時間の中で、失ったものを取り戻せたら…などと、優雅なことを考えていた。

だが、5歳と3歳の子どもふたりのシッターは、ほのぼのどころか嵐であった。「シッターは怒らない」という確信があるのか、二人ともご飯は食べずに勝手にお菓子を出してくる、テーブルから飛び降りる、すぐに兄弟げんか、お風呂ではシャワーを持って大暴れ、なかなか寝ない、と手がかかることこの上なく、本気で怒ることもしばしばだった。シッターをした翌日は、前日のにぎやかさが耳鳴りのように残っていたほどだ。

ある夜、騒ぐ子どもたちをなんとか寝かしつけ、恐ろしく散らかったリビングを片づけていたら、グラリと揺れを感じた。「地震…」慌てて子どもたちの寝室にかけていき、ドアを空けた瞬間にグラグラッと強い揺れがきた。「キャーッ!!」まだ、眠ってなかった子どもたちが、布団から飛びだしてしがみついてきた。守らなければいけない存在がいる状況での地震ははじめてで、私も心底怖く、暗闇のなか、3人できつく抱きあいながら、揺れがおさまるのを待った。親でもない私に痛いほど全身でしがみついてくる子どもたちが、無性にいとおしかった。

3カ月後、ようやく新しいシッターが決まり、晴れてお役御免となったが、ひと月もしないうちに、また、シッターがしたくなってファミリーサポートに登録した。それから今まで、さまざまな子どもたちとたくさんの「日常」を共に過ごしてきた。そのなかで、感じたこと、考えさせられたことを、これから、ときどきこの場を借りて紹介したいと思っている。