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2005年8月

産褥ヘルパー大盛況!!

2005年8月第3号

『産褥ヘルパー大盛況!!』 中舘慈子

在宅保育という分野の重要性がようやく公的にも認められてきました。各地方自治体で策定された「次世代育成支援行動計画」にも「産褥期ヘルパー」「訪問型一時保育」「派遣型病後児保育」などのメニューが組み込まれています。すでに行われている横浜市産後支援ヘルパー事業、10月から行なわれる世田谷区さんさんサポート事業などの産褥ヘルパー事業提供者には家事支援を行う事業者だけでなく、育児支援のプロであるベビーシッター事業者も組み込まれました。さらに10月から始まる川崎市の「川崎市産後家庭支援ヘルパー派遣事業」の認定事業者は育児支援の研修を行っていることが必須条件になっています。

出産までは病院で手厚くケアされます。たいへんなのが退院してから。赤ちゃんは夜2・3時間おきに泣くし、体が回復しないお母さまがひとりで赤ちゃんのお世話と家事をするとなると大変!!母親にとって心身両面のサポートが必要な産褥期に対する第三者によるサポートは今までほとんど行われていませんでした。「おばあちゃん」がいたからです。けれども核家族化が進み、働くおばあちゃんの社会進出も進む今、産褥期のサポートは真に必要なものとなりました。

産褥期のサポートは、産後の母親の心理や生理、赤ちゃんの沐浴や調乳・おむつ交換などのケアなどを学んだ専門スタッフが行います。サービスの内容は「赤ちゃんの沐浴とお世話」「家事援助(そうじ洗濯買い物食事作りなど)」「上のお子様の保育」など。さらに、お母さまの心のサポートをすることができます。出産後のホルモンの急激な変化によるマタニティブルー、産後うつなど心がデリケートになりがちな新米ママにとって身近な助っ人がいるということはどんなにか心強いことでしょう

産後の体が十分回復しないまま、誰の支援もなく無理をしながらこの時期を過ごすと「子育ては大変」「育児はつらい」という気持ちになりがちです。このまま進むと「育児不安」「虐待」になりかねません。一方、十分な支援を受けることで体が休まり、心も安定し、「赤ちゃんがかわいい」「子育てが楽しい」という母性が育っていきます。豊かな母性の元で育った赤ちゃんは心身ともにすくすくと育ちます。さらにお母さんは子育てには第三者のサポートが必要なのだということを実感します。少し赤ちゃんが大きくなったときにも在宅保育サービスを利用しながら上手にリフレッシュタイムを持ったり、育児に関する知恵を得たりすることができるようになるでしょう。

産休中のお母さん対象に社団法人全国ベビーシッター協会の「産前産後育児支援事業」の助成制度があります。さらに多くの自治体が助成金を支給することによって「産褥ヘルパー」を手軽に利用できるようになるでしょう。すべての子育て家庭が産後のサポートを利用してみることができたらいいなあという夢に大きく近づいたような気がします。

FS産後サポートメニュー
ABA産前産後育児支援事業
☆川崎市産後家庭支援ヘルパー派遣事業
☆世田谷区さんさんサポート事業

シッター先の子どもからの電話

2005年8月第2号

『シッター先の子どもからの電話』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

数年前の秋、それまでに何度かシッティングに伺ったことがある家庭の子どもから、胸が痛む電話をもらったことがある。「パパとママが、とうとう別々に暮らすことになった」というような内容の言葉をつぶやいたきり、電話の向こうで黙りこんでいた。

彼女の両親の不和については、何度かシッターに伺ううちに漠然と気づいていた。夫婦共働きで、ゴージャスなマンションに住む家族にも、いろいろあるんだなぁと思ったものだ。シッター中のある夜、ふだんは無口で無愛想な彼女が、「パパとママに、仲良くしてほしい」と言ったことがあった。シッター先の家庭の事情には極力口を出さないというシッターとしての立場と、なんとかしてあげたいという思いとの狭間で悩んだが、結局、私から両親に働きかけることはいっさい無いまま、その日以降シッターに行くこともなく、約ひと月が過ぎた頃の電話だった。

「…よかったら、来週、Aちゃんのお家のそばまで行くから、どこかで会って話そうか。駅前のマクドナルドまで、ひとりで来れる?」沈黙に耐えきれず、そう言ったら「いいよ、べつに」と、そっけない返事が返ってきた。それでも、私に電話をかけてきた彼女の孤独を思い、半ば強引に誘った。

ひと月ぶりに会う彼女は、思っていたより元気そうだった。母親と二人で、おばあちゃんの住む家のそばに引っ越すことになり、これからは学校が終わったら、おばあちゃんの家でお夕飯を食べるという。「…そうなんだ。おばあちゃんが近くにいれば、Aちゃんも淋しくないね」そう言ったら、少し怒ったような顔で、「まぁね」と言った。その少し後で、「ママは、これからはもっと、バリバリ仕事に打ちこむって感じ。家政婦さんも頼むらしいし」と言った。その言葉に、私は、いろんなことを思った。母子家庭が増えつづけている今、このような「母親が稼ぎ手になり、祖母やシッターが子の世話をし、家事は外注」というケースは、今後も増えつづけていくだろう。そして、それがいいのか悪いのか、私にはわからない。

以前、仕事で会った学者が、「多くの日本人が日常の中で宗教を必要としないのは、母親という神にかわる精神的支柱があるからだ。それほど、日本人にとって母親の存在は強い」と言っていた。この定義が、果たして20年後の日本に、まだあてはまるのだろうかと思うこともある。

ひとりっこの良いところ

2005年8月第1号

『ひとりっこの良いところ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

私は3人兄弟の末っ子である。洋服、かばん、お習字セットまで、なにもかもが「おさがり」がつねであった私にとって、「ひとりっこの生活」は憧れであった。小学生の頃、ひとりっこの友達、レイちゃんの家に遊びにいくたびに「なんて優雅なんだろう…」と、切実に感じたものである。おもちゃやおやつなどの物理的な豊かさはもちろん、家の静けさ、レイちゃんのお母さんの、ゆったりとした雰囲気にも感動した。

当時は超少数派だったぶん、ひとりっこにたいして「親に甘やかされてワガママ」「兄弟がいなくて、かわいそう」といった多少ネガティブなイメージが、漠然とあった気がする。でも、わたしはおっとりとしたレイちゃんと遊ぶのが好きだったし、かわいそうに感じたこともなかった。そして、今、ひとりっこのシッターをするたびに、私はレイちゃんのことを懐かしく思い出すのだ。

ひとりっこといっても人それぞれ、いろんなタイプがある。だが、これまでに出逢ってきたひとりっこたちを平均すると、多くは、親の愛情と関心をひとり占めしているぶん、ひねくれたり、いじけたところが少なかった。親も人間、子どもたちを常に平等に愛することは難しい。親の愛情の偏りや、無意識に兄弟に優劣をつけた言葉が原因で屈折してしまう子も少なくない。でも、ひとりっこに限り、そういった危険とは無縁である。

そして、兄弟げんかをすることがないぶん、意地悪さや攻撃性もあまり育っていない気がする。私自身の子ども時代をふりかえっても、シッター先での兄弟げんかを見ていても、人間の意地悪な部分の多くは、兄弟げんかによって育っていくのではと真剣に思ってしまうほど、兄弟のけんかは意地悪さ剥き出しである。もちろん、けんかもひとつのコミュニケーションだが、はたしてこの日々の兄弟げんかがその後の人格形成にプラスかどうかは、正直、疑問である。ニュースを見ていても、兄弟間の確執を報じたものも多く、兄弟がいる=幸せとは、いちがいには言えないと思う。

これから、ひとりっこは更に増えていくと予測されている。そのことを悲観的に語る教育・福祉関係者も少なくないが、ステレオタイプな「ひとりっこ=ワガママ」といった決めつけには断固反対である。親の愛情をたっぷりとそそがれて、穏やかな家庭環境で育った子どもの割合が増えるという見方も大切ではないかと思っている。