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2005年10月

シッターVS女中さん

2005 年10 月

『シッターVS女中さん 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

子ども時代をふりかえったときに、懐かしさで胸がいっぱいになる人に「ルーガ」という女性がいる。彼女は、私が父の仕事の都合で南米のチリ・サンチャゴに住んでいた1970年代後半、住みこみで働いていた女中さんだった。女中さんがいたなどと言うと、家庭が裕福だったと誤解されかねないが、当時(多分、今も)の南米では、日本人の駐在員家庭は、しょっちゅう自宅に来客があり、奥さんは台所にこもっていてはいけないので、必ず女中さんを雇わねばならなかったのだ。あの頃、小学校低学年だった私にとって、ルーガは大人の女性としてうつっていたが、今、思えば、彼女はまだ二十歳前後の娘さんだった。貧富の差が激しい南米では、住みこみの女中さんというのは、貧しい家庭の女性にとって、もっともオーソドックスな仕事である。ルーガの家も貧しく、週末だけ家に帰っていた。三人兄弟の末っ子だった私は、ルーガに大層なついていて、台所や裏庭で、彼女の仕事を手つだうのが好きだった。

あの頃、まだ40歳前後だった母は、言葉のつうじない国で、父の仕事関係の方々を招いてのホームパーティーなどの接待、私立の現地校に通う三人の子どもたちの勉強や学校行事、節約したくても、できない環境でのお金のやりくりなどで、かなり疲れていた。イライラやヒステリーはしばしばで、「日本に帰りたい」と泣いていたこともあった。なので、あの頃、母に遊んでもらった記憶は、残念ながらほとんどない。にもかかわらず、特に淋しいと感じなかったのは、ルーガがいつも私たち兄弟の相手をしてくれたからだろう。

当時、お菓子づくりが大好きだった中学生の姉を手伝い、わんぱくで宿題から逃げ回る兄を箒を持って追いかけまわし、裏庭で大量の洗濯をしながら、甘ったれの私のなぞなぞの相手をしてくれたルーガ。両親がそろって外出して、帰りが遅い夜などは、自室に戻って寝ようとする彼女を、いつまでも子ども部屋にひきとめていた。

日本でシッターをしていて、私はルーガのことを、ときどきふっと思い出す。南米の住みこみの女中さんと、日本のシッターは、置かれた立場も、勤務形態も、報酬も役割もまったく異なる。けれど、家という子どもの日常空間の住人となり、親だけではカバーできない部分を埋めて、子どもの安全や笑顔を守る存在という部分は、共通していると思う。そして、そういう存在がいるということは、やはり子どもにとって、幸せなことだと感じている。