ホーム>子育てエッセイ>2005年12月

2005年12月

子どもが健康に育つ社会

2005年12月第3号

『子どもが健康に育つ社会』 中舘慈子

2006年は「次世代育成支援行動計画」の取り組みが、国・地方自治体・事業主によって本格的に実施された年である。また、「子ども子育て応援プラン」(少子化社会対策大綱に基づく重点施策の実施計画について)の施策が開始された年である。これは10年後の「目指すべき社会の姿」の展望を示し、「子どもが健康に育つ社会」「子どもを産み、育てることに喜びを感じることのできる社会」に向かって進めていくプランである。この中に「在宅保育」が組み込まれていたことは、今までの保育所中心の施策から画期的な転換であったと思っている。

弊社においては、川崎市の「産後家庭支援ヘルパー事業」、世田谷区の「さんさんサポート事業」の指定事業者になり、産後の母子共に大切な時期に産褥期のサポートを利用すると自治体から助成が出ることになった。「在宅保育」が公的な子育て支援制度に浸透していくきっかけとなったのではないかと思う。

しかし、日本全体を見渡したときに「子どもが健康に育つ社会」「子どもを産み、育てることに喜びを感じることのできる社会」に向かって一歩でも進んでいるのだろうか?

むしろ子ども受難の年だった印象がぬぐえない。小学生が酷い事件の被害者になった。
「子どもが健康に育つ」どころか、かけがえのない命が奪われたり、いつまでもぬぐうことのできない深い心の傷を負ったりしている。このようなときにまず考えられていることは、被害者にならないための自衛手段である。スクールバスによる送迎、地域ボランティアによる巡回、集団登下校、非常ブザーなどの携帯・・・。もちろん弊社の学童サポーターによる送迎も含ま
れる。もう、日本は安心して登下校できる国ではなくなってしまったのだろうか?物騒な世の中、保護者は「子どもを産み、育てること」に「喜び」ばかり感じていられない。

次に考えなければならないのは、加害者を作らないことである。気質、家庭での生育歴、さまざまな社会的環境などの要素が複雑に重なり、犯罪者を生んでいるのだと思う。さらに、更生も含めた犯罪者の処遇や事件のマスコミ報道についても真剣に考えなければならない。犯罪者がスター気取りになるなど決して許されないことである。しかし、このような犯罪者はどんな子ども時代を送ったのだろうか・・・?ふと思う。

子どものときに認められ、肯定的に受け入れられた幸せな思い出がたくさんあれば、自分を認めて自分自身に自信を持つことができる人になる。そのような人は他者を認めて傷つけることはないだろう。こうして健康な人が育つ。逆の場合は悪循環になる。犯罪者のような不健康な人を生む。

「子どもが健康に育つ社会」に一歩近づくためには「心が健康に育った大人」の力が必要である。そして、そのためには親ばかりでなく、多くの健康な大人の力が必要なのだと思う。

弊社でも、心身ともに健康な保育者の育成に努め、一人ひとりのお子様が健康に
育つための支援を行いたいと気持ちを新たにしている。

小学生による「詩のボクシング」

2005年12月第4号

『小学生による「詩のボクシング」』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、都内の某私立小学校が、国語の授業の一環として行っている詩の朗読イベント「詩のボクシング」に招いて頂いた。とてもおもしろく、得るものの多い体験だったので、今回はそのことを書こうと思う。

「詩のボクシング」は別名、「言葉の格闘技」とも呼ばれ、青・赤コーナーにわかれた詩人(朗読ボクサー)がリング上で順番に自作の詩を朗読しあい、会場の審査員や観客の多数決によって、勝敗を決めるものである。現在、日本各地で大会が行われ、全国大会は数年前からNHK‐BSでも放映されている。勝ち負けを競うところが、賛否両論わかれるところだが、だからこそおもしろい、盛りあがる、という面もあるようだ。

当日は、5年生の児童10名が、青、赤にわかれての朗読ボクサーになり、教室の前にセッティングされたリング上で自作の詩を朗読した。両コーナーのボクサーが読み終わると、観客である他の児童たちがそれぞれの詩についての感想を発表しあい、プリントに感想を記入する。判定タイムになると、青か赤、より自分の心に響いたほうのプレートを掲げ、先生がその数をカウントし、勝者の手をとってボクシングの試合のように高だかと掲げる。大拍手の中、勝った児童は照れくさそうな笑みを浮かべながらも、うれしそうだ。

当日は、まずなにより、児童による自作の詩の内容に驚かされた。文学的にどうこうということではなく、聴いていて「こんなことを、まだ11歳の子どもが考えているのか」「私が思っているより、11歳ってずっと大人なんだなぁ…」と感じいってしまうことの連続であった。作文とはちがう「詩」だからこそ書ける、表現できる部分が、子どもの世界にも存在するのだろう。これをきっかけに、それまでは知らなかった級友の一面を知ったり、他者と心が響きあう喜びを知る児童もいるだろうなと思う。

そして、それ以上に驚かされたのが、児童たちの、級友による自作の詩の朗読を、真剣に聴く力である。後で先生に指名されて感想を聞かれるということもあり、皆、しっかりと耳を傾け、感想をプリントに書きこんでいる。後半になってくると、数名の児童から「疲れた」「しんどい」といった声があがる。「他者の心の言葉を真剣に聴く」「そこから、なにかを感じとろうとする」という行為が、実はとても労力を必要とするものなのだということに、改めて気づかされる。

ITが普及して以降、誰でも全世界に向けての自己表現、自己発信が可能になった。もちろん、自己表現はいいことだが、いっぽうで、他者と「生」のやりとりをする、他者の言葉に耳を澄ますといった行為が、どんどん失われていっている気もする。自己表現力だけでなく、「聴く力」「他者の感情、言葉、世界を受けとめる力」を養う教育という意味でも、これは非常に意義深いとりくみだと思った。また、ぜひ参加したい。

誰かに、心底必要とされる

2005年12月第2号

『誰かに、心底必要とされる』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

早いもので、もう12月。この一年もずいぶんいろんなことがあった。世界各地での大規模な自然災害、IT長者による企業買収、小泉圧勝の衆院選、外交問題…。この国と日本人が向かう方向性が大きく変化していることを実感するなか、私自身にとっての今年最大の出来事は、はじめての懐妊であった。現在9ヶ月で、来年の1月中旬頃、生まれてくる予定だ。
正直なところ、私は20代の頃から「いったい、この世の中は、人間が生まれてきたいと積極的に思えるものなのだろうか」「生きるに値するものなのだろうか」といった思いを漠然と抱いている。現代の、この複雑で混沌として、先の見えない時代に、私自身、心の底から生まれてきたいとは思えない。自ら命をたってしまう人々の多さ、そして連日報道される、子どもが被害者・加害者の事件を見るたびに、それまで必死で育ててきた親御さんの無念さ、哀しみ、絶望を思って胸がキリキリと痛み、子どもを持つのが怖くなることもあった。
なので懐妊を知ったときは、手放しで喜ぶといった心境ではなく、ぼんやりと考えこんでしまった。数日後、2児の母である女性編集者とランチを食べながら、「子どもって、やはりいいですか?」と尋ねたところ、心理学専攻だった彼女らしい返事が返ってきた。「…まぁね。大変だけど手がかかるぶん、少なくとも自分が生きる具体的な理由には、なってるわよね」。
「生きる具体的な理由?」
「そう。私に限らず、人間て誰でも漠然と、自分が生きる必要性、存在意義が欲しいと思うの。自分が死んでも特に世の中変わらないし、誰も切実に困らないって思うのって、やっぱり哀しいじゃない。子どもは、たぶん多くの人間にとってはじめての『自分がいなくなったら切実に困る』存在で、それって責任重大だけど、背負うものがあったほうが、実はずっと生きやすいと思う。子どもっていう、すごく手がかかる存在をあえてつくることで、多くの人は無意識に自分自身を支えているんじゃないかなぁ」。

彼女の言葉を聞きながら、私は自分が時々シッターをしている理由を考えていた。たぶん私も、地震のさいに全身でしがみついてきたり、私の姿が見えなくなると泣き出したり、保育園に迎えにきた私に走って飛びついてくる子どもたちのぬくもりに、「誰かに、心底必要とされること」の意義深さをほんの一瞬でも感じて、癒されていたのだと思う。

懐妊してから、それまで月に数回していたシッターを休業して7か月になる。ライター業だけの日々は、なにか物足りない。「出産後は、またシッターをつうじて、いろんな子どもたちと出逢いたい」という私に、主人は「当分は我が子の子育てだけで、いっぱいいっぱいに決まってるだろう」と、あきれながら笑っている。

プーさんの鼻

2005年12月第1号

『プーさんの鼻』 中舘慈子

俵万智さんの最新歌集を手にしました。
子育てをしている人、子育てをしたことのある人ならだれでも共感できる思いが見事に詠われています。344首の中から20首を選ばせていただきました。

プーさんの鼻

腹を蹴られなぜかわいいと思うのかよっこらしょっと水をやる朝夕飯はカレイの煮つけ前ぶれを待ちつつ過ごす時のやさしさ
秋はもういい匂いだよ早く出ておいで八つ手の花も咲いたよ母となる俵さんのやさしさが胸の奥底までじーんと伝わってきます。どこまでも歩けそうな皮の靴いるけどいないパパから届くバンザイの姿勢で眠りいる吾子よそうだバンザイ生まれてバンザイ泣くという音楽があるみどりごをギターのように今日も抱えて生きるとは手を伸ばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり
生まれたばかりの幼子はみずみずしい感動を与えてくれます。生きるとは手を伸ばすこと・・・大人になっても人はまだ手を伸ばし続けているのでしょうか。我よりも年若きベビーシッターに子は生き生きと抱かれており子を真似て私も本を噛んでみる確かに本の味がするなりろうそくの炎初めて見せやれば「ほう」と原始の声をあげたり夏の子ども夜泣きするおまえを抱けば私しかいないんだよと月に言われる舟になろういや波になろう海になろう腕にこの子を揺らし眠らしもじょもじょぷつり初めてのもじょもじょぷつり今朝吾子はエノコログサの感触を知るママとのみ呼ばれて終わる離乳食講習会のテキスト軽し

木馬の時間

初対面の新聞記者に聞かれおりあなたは父性をおぎなえるかと揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間
靴を履く日など来るかと思いいしに今日卒業すファーストシューズ半年で買い換えてゆく子の靴にわが感慨も薄れてゆかん
「靴」は俵さんにとって特別な感慨を思い起こさせるものなのでしょう・・・。月まで行って
着ぶくれて石拾う子よ人類は月まで行って拾ってきたよ
リセットのできぬ命をはぐくめば確かに我は地球を愛す