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2006年1月

とうとう、ママになる

2006 年1月号

『とうとう、ママになる』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

予定日より1週間早い1月5日の早朝、はじめての出産を経験した。漠然と、出産のはじまりは陣痛からと思っていたが、私の場合、前日の夜6時頃、まだ陣痛の気配さえない段階での突然の破水からはじまった。

おろおろしながら病院に電話し、用意してあった入院荷物に母子手帳や保険証などをつめこんでいるうちに、破水の量がどんどん増えていった。夫と病院に向かうタクシーのなかで、不安で涙が止らなかった。診察後、翌日の朝9時まで陣痛を待ってみて、こないようなら陣痛促進剤を使うことになり、夫はひとまず帰宅を促された。多分、朝まで陣痛はこないだろうと感じていたので、心配そうな夫に早く帰って寝るよう言った。

だが、午前12時頃から陣痛がはじまった。午前3時頃、まだ陣痛がそれほどすすんでない段階での検診で、胎児の心音を確認した助産師が突然、緊急のベルを鳴らし、「御主人に連絡をとりたい。携帯と家の電話とどっちがいいか」と私の手を包みながら聞いてきた。「携帯にかけてください」と答えながら、全身が震えるのがわかった。

その後すぐ手術室に運ばれ、先生から「今の時点で、すでに赤ちゃんがかなり苦しがっているので、もう帝王切開したい」と告げられた。一刻も早く赤ちゃんを助け出してほしい一心で、酸素マスクをあてられながら、何度もうなづいた。手術の検査と準備が整ったところで、夫が入ってきて私の手を握り、立会いはできないため、手術室を出ていった。大柄な夫も、泣きそうな顔をしていた。

だが、手術開始直前になって、子宮口が開いて赤ちゃんが下がってきたのだ。もう、帝王切開のつもりでいたので、先生から「自然分娩にもどす」と告げられたときは、一瞬、頭が真っ白になったが、気力でうなずき、それから約30分、無我夢中でいきんだ。

結果、なんとか無事、自然分娩で3220gの女児を出産した。生まれた瞬間、赤ちゃんの泣き声が聞えなかったので、そばの助産師に「赤ちゃん、元気ですか?」と聞いたら、「元気です。へその緒が首にニ重に巻きついた状態で出てきたけど、もう、大丈夫ですよ」と笑顔で言ってくれ、その言葉にほっとして涙がこぼれた。

生まれたての我が子を抱かせてもらったとき、生まれてはじめて、「崇高」ともいうべき感情が自分のなかに湧きあがってくるのを感じた。自分の中のネガティブな(美しくない)感情が、浄化されていくような不思議な感覚だった。「赤ちゃんて、人間の心を美しくする力を持ってるって、なにかの本で読んだけど、こういうことかぁ...」と思った。

これからの育児は想像以上に大変で、ヒステリーを起こしたり、煮詰まることも多々あるだろうけど、このときの「崇高」な感情をずっと忘れずにいたくて、この場をかりて書きとめておくことにした。

身近にジイジ・バアバがいる子育て環境

2006 年 1月号

『身近にジイジ・バアバがいる子育て環境』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)
 

出産予定日が近いこともあって、今年の年末年始はたがいの実家には帰らずに、夫婦ふたりだけの最後のひとときを味わっている。近くに住む夫の両親が、大晦日に手作りのおせち料理やお惣菜を大量に持ってきてくれたので、身重の私は大助かりだ。

昨年の夏までは東京の杉並に住んでいた。当初は出産後もそこに住みつづける予定でいたが、夫婦共に仕事をつづけながらの今後の育児の大変さを思うと、やはりジイジ・バアバが身近な環境のほうがなにかと助かるという考えにたどり着き、9月に思いきって夫の両親が住む埼玉に引っ越したのだ。

正直、夫の実家の近くに住むことには、懸念もあった。これまで、さまざまな友人知人から「ダンナの親とは、なるべく遠く離れていたほうがうまくいく」 「会うのは年数回程度でいい」といった言葉をさんざん聞かされてきたからだ。二世帯住宅を建てて同居をはじめたものの、うまくいかなかった友人や、嫁姑問題が理由で離婚してしまった夫婦もいる。ゆえに、結婚しても義父母とは、ある程度距離を置こうと漠然と考えていた。

だが、これまでのシッター体験をつうじて、私の考えは少しずつ変わっていくことになる。派遣されるシッター先は、ほとんど核家族だが、近くに祖父母が住んでいる家庭も少なくない。そのような家庭でのシッターをつうじて、祖父母が身近な環境での子育ては、子どもの送り迎えを引き受けてもらったり、預かってもらったりといった物理的なメリットだけでなく、子どもの健全な人格形成においても良いのではと、子どもたちを見ていて感じることが多かったのだ。

いちがいには言えないだろうが、祖父母が身近な環境で育っている子どもたちは、総体的に「穏やかで、落ち着いている」子が多かった。自分のことを無条件にいとおしんで、大切にしてくれる大人の存在、忙しい親とは別に、じっくりと自分の話を聞いてくれる大人が日常的に存在する生活環境が、子どもの心を安定させるのかもしれない。

子どもの親と祖父母とでは、育て方や教育方針をめぐって意見がわかれることもあるだろうが、自分のことを心配して、かまってくれる大人が複数いることは、少なくとも子どもにとってはいいことだと思う。
両家の実家が遠く離れている核家族の場合、レギュラーのシッターが、その役割を担っているケースも多いだろう。子どもたちに「自分は大切にされている」「愛されている」という確信を漠然と抱かせてくれる大人の存在は、親だけでいいということはなく、ひとりでも多いにこしたことはない。親以外にも日常的にそういう大人が存在する子どもの生活環境の整備は、この数年、増えつづけている児童虐待や不登校、ひきこもり、「子どもが被害者・加害者の犯罪」の未然防止につながっていくだろうと、私は真剣に思っている。

2006年の課題

2006年 1月号

『2006 年の課題』 中舘 慈子

自分を客観的に見つめ、自分を振り返り、足りないところが自分の成長課題であると気づくことはとても大切なことだと思います。そこで、クラブ  デル  バンビーノのシッターさん全員が「2005 年ふりかえりチェックシート」に記入し、そこから気づいた決意、「私の 2006 年の課題」を書きました。次はその一部です。

「努力!!」
日々変化していく保育の現場。身近なところで言えば、子どもたちが興味を示すおもちゃ、キャラクターもどんどん変わっていき、話題についていくのが精一杯なのが今の現場です。そこで私はお子さまと共通の話題が持てるように努力していきたいと思っています。
また、お子様に限らず、今のお母様方はネットなどでさまざまな知識や情報を持っていらっしゃいます。その情報に遅れないよう努力すると共に、今までの経験を生かし、アドバイスできる立場になれるようにしていきたいと思います。それぞれのご家庭で違う教育方針に戸惑うことなく、柔軟に対応していけるよう、経験や知識を増やしていきたいと思います。

「初心を忘れずに」
いつも子どもたちのたくさんの笑顔やつぶやき、素直な表現、優しさをもらっているのでとても感謝しています。仕事をしながらも勉強、勉強の毎日を今年も大切にしていこうと思います。
出会ったお子様やお母様方に少しでも「自分の存在が残ってくれれば」と感じます。それを意識することで、日々のシッティングに対し、責任やプロ意識を再確認できています。
そして、最近のニュースでは、子どもが犠牲となる悲しい事件や事故が多く、私自身一人の人間として、女性として、保育者として、子どもたちを守る立場として、真剣に取り組む問題だと感じています。他人事では決しては済まされないことであり、日々心に留めておくべきことだと思います。最後に、今年も初心を忘れずに責任感を持ってのシッティングに努めます。

「基本的な生活習慣の見直し」
私は現在主に小学一年生のYちゃん(女児)のシッティングに伺っています。Yちゃんとご両親との出会いは3年前。Yちゃんが保育園の年少さんのときでした。Yちゃんはとても賢く私とも信頼関係が築けて特に問題もなく過ごしております。
ただ、なれてきた分初めは見せなかったYちゃんのお行儀や行動が少し気になってきたのも事実です。たとえば以前は帰宅後まっすぐに洗面所に向かい手洗い、うがいをしていたのが、最近はすぐ日本を読み始めたりピアノを弾き始めたり・・・(もちろんその都度、手洗いのほうを先にと声かけをしていますが・・・・)
また、お食事中足が上がってしまったり、本を読みながら食事をしたり・・・なによりもお食事前の「いただきます」の挨拶ができないのは恥ずかしいこと。来年はYちゃんも 2 年生に進級し成長するわけですから、私も温かい心で初心に帰り、改めてご家庭の方針に添いながら生活習慣を見直すことが課題です。