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2006年4月

子どもの終り

2006 年 4月号

『子どもの終り』 浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

4月の初旬から、3か月の娘を連れてしばらく伊豆の実家に滞在している。娘は両親にとって待望の初孫である。私が生まれたとき以来の「赤ちゃんのいる暮らし」に、もうすぐ70歳になる父も母も、とまどいながらも楽しそうである。
私はと言えば、育児と家事から多少解放され、自分の時間が持てているにもかかわらず、なぜか淋しい。当初は、久しぶりの実家で、気がゆるんだゆえの感情だろうと思っていたが、もう、こっちに来て 2 週間がたつ今も、なぜか淋しい。

なぜ、こんなに淋しくて浮かないのだろうと、あれこれ考えた結果、漠然とある答えにたどりついた。どうやら、母になった私と両親との関係は、これまでとは少し異なるのだ。これまで、独身時代はもちろん、結婚してからも、実家にくると私は一気に娘モードに戻っていた。いろいろと小言を言う親に口をとがらせて言い返したり、ささいなことでブスッとふくれたりと、中学生の頃とたいして変わらない親子関係だったのだ。

だが、今回の帰省では、私はかつてのような「娘モード」になれないでいる。「もう、私も母親になったことだし...」という自覚が多少はあるので、かつてのように親にわがままを言ったりできない。孫娘を胸に幸福そうな両親を眺めなが
ら、私は静かに、私自身の「子どもの終り」をかみしめている。母になったところで、親の娘であることに変わりはないのだが、かつて親が文句を言いつつも受け入れてくれた、末っ子の私の「子どもっぽさ」は、孫のいる親には、もはや不要であり、歓迎されないものなのだ。

昨日の深夜、泣き出した娘に授乳していたら、母が起きてきた。わたしの肩にカーディガンをかけ、布団に寝かせた娘のおでこを、「お~、よしよし」となではじめた。もうずっと前、ベッドに入り、母に絵本を一冊読んでもらい、おでこ
をなでてもらって一日が終わっていた子どもの頃を思いだし、少し泣きそうになった。

お兄さんシッターとの出会い

2006 年4号

『 お兄さんシッターとの出会い 』 森田公子(ベビーシッター)

シッター3年生の私に、ちょっと先輩らしいお仕事が舞い込みました。お兄さんシッターとのグループ保育です。待ち合わせの場所で、すれ違うどの男性より際立った好青年が近づいてきました。シッティング場所に伺うと、三人の娘さんのお母様が「珍しいですね、ファミリーサポートさん  男性の方!」お子様たちに、「お兄さんで  いいわね」。好印象で私も嬉しい思い。5 歳のお姉ちゃんはちょっと意識してか、きゃーと走り回りました。双子の妹ちゃんたちも連鎖反応。本を読んで、絵を描いて、おままごと。初めはパパ以外の男の人にどう接しようかと、様子を見ていた三人ですが、おもちゃを投げる、楽屋の大鏡をぐるぐる走り回る、活発で全身で遊んでよーと、表現してきます。私は母親的な見方で、危ないよ、やめようよ、静かにね、と注意のことばの連発。お兄さんシッターはパパでもママでもない反応。友達みたい  といったらよいでしょうか。
気がつくと部屋の中が関西弁に・・・。お兄さんシッターも順応性ある対応で関西弁に。阿吽(あうん)の呼吸でした。いいぞ!  お兄さんシッター!!

5人は和やかに、あっという間に仲良しになりました。新幹線で眠れなかった妹ちゃんの一人がお兄さんシッターの傍で、コロリと眠ってしまいました。安心している証拠。お兄さんシッターも嬉しかったのではないでしょうか?
 
さてさて、「おしっこ」これも連鎖本能です。三人一緒です。私は眠くてとろんとした子を抱っこしています。
「トイレにお願いします」
そうはいかなかった。お兄さんシッターだったのです。
しがみついている 2 歳児ちゃんを片手に、厚手のタイツを脱がし、ボタンのついたシャツ、オムツを・・・。「もうでちゃうー」と、焦らせる。「こっちの」と和式トイレで立っている妹ちゃん。三人姉妹の世界があり、とても今日初対面とは思えない程、親近感の持てるお子様でした。お兄さんシッターは何を見て、何を感じて帰って行ったのでしょうか。とても興味のあるところです。
お疲れ様でした!    またどこかでお会いできますように。

搾乳に追われた二日間

2006 年4月号

『 搾乳に追われた二日間 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先週、母親になってからはじめて、一泊二日の泊りがけの仕事の依頼がきた。行き先は福井県大野市の九頭竜湖、東京から新幹線をつかっても片道7時間という長旅である。丸二日間、生後3か月の娘とはなれることに不安もあったが、夫婦共々フリーランスで働く我が家の財政も不安だし、幸い主人が家にいる日だったので、思いきって行くことにした。

春休み中だったため、東京駅の新幹線ホームは家族連れがいっぱいで、赤ちゃんを見るたびに娘のことがよぎり、胸が張って母乳が洩れてくるのがわかる。新幹線の中で母乳パッドをとりかえたものの、小一時間もしないうちにすぐにぐっしょりで、仕方がないからトイレの中で搾乳した。走行中の電車の、狭いトイレの中での搾乳は、実に切ない。さらに、コップいっぱいにたまった母乳をトイレに捨てるときの気分は罪悪感に近い。

米原から北陸線で福井駅に出て、越美北線に乗りかえる。午後7時に宿に着くやいなや、搾乳する。水鉄砲のように、勢いよく出る母乳を眺めながら、「あぁ、もったいない」と心底思った。今頃、主人は冷凍保存した母乳を解凍・湯煎して娘に飲ませているんだろう。哺乳瓶があまり好きでない娘は、ちゃんと飲んでいるだろうか。これまで、面倒にもおっくうにも感じていた2~3時間ごとの授乳がたまらなく懐かしかった。

翌日の午後、取材を終えると、お世話になった旧和泉村の社会福祉協議会の方が、帰りの電車までまだ時間があるからと、地元の日帰り温泉に連れていってくれた。温泉の隅っこでコップに搾乳していたら、3歳くらいの元気な男の子を連れた主婦の方が「あらぁ、赤ちゃんはどうしたの?」と土地言葉で声をかけてくれた。温泉につかりながら、東京から仕事で来ていて、娘は置いてきたことなどを話す。「やっぱり、母親と赤ちゃんは、いつもいっしょにいたほうがいいんでしょうね」と言ったら、「でも、ときどきは離れている時もあったほうが、かわいく思えるもんよ~」と笑った。いつもいっしょだと、叱って怒ってばかりで、子どもがいる幸せに気づけないと言う。たしかに、これほど娘が恋しくなったのは、出産以来はじめてだ。

帰りの電車のなか、まだ雪がずっしりと残る山間の景色を眺めながら、温泉で話した主婦の言葉をぼんやりと思い返していた。搾乳に追われつづけた二日間だったが、私自身の母性というものを実感した旅でもあったと思う。

子どもの「とき」 大人の「とき」

2006 年4月号

『 子どもの「とき」  大人の「とき」 』 中舘慈子

桜の花も満開の4月3日  ホームページをリニューアルしました。みなさまに何度も訪れていただける魅力的なホームページになるよう、これからも更新を続けて行きたいと思っています。
4月は新しい季節。小学生のころは新しい教室で新しい香りのする教科書を開いて、これから始まる1年間にわくわくしたものです。同じ1年間でも、小学校時代の1年間と、高校時代の1年間の長さはずいぶん違うような気がします。もちろん、小学校のころのほうが1年を長く感じました。そこにはたくさんの思い出がぎっしりとつまっています。遠足のこと  運動会のこと  何気ない日ごろの休み時間の遊びのこと。

ふと思います。子どもと大人では「とき」の流れ方がちがうのではないだろうか?特に幼児期の子どもにとっては「とき」はゆっくりゆっくり流れている様な気がします。直営子ども施設  カーサ  デル  バンビーノには1歳から3歳対象の2時間のコースがあって、自由遊び  おかたづけ  朝の挨拶  朝の活動  幼児教育タイム(曜日によってアートやリトミック  英会話などを行います)  お茶の時間  自由遊び  帰りの活動  と盛りだくさんのプログラムがぎっしりと組み込まれています。自由遊びの間も遊びはめまぐるしく変わっていきます。集中力がないのではなく、たとえば5分が子どもにとっては大人の30分に感じられるのかもしれません。2時間という「とき」が、ゆっくりゆっくりと流れていきます。子どもにとっての2時間は大人の半日分くらいの重みを持つのかもしれません。

1歳児は、小さな指で指差しながら、大人が言うものの名前を吸い取り紙のように覚えて復唱します。発音はたどたどしくて、ちょっと違うかもしれませんけれども・・・。そして2歳から3歳になると二語文  三語分で自国語を話せるようになるのですからその言語習得能力のすばらしさにびっくりします。その能力がいくつになっても継続すれば、全ての国の言葉を覚えるまでにそれほどかからないはずですが・・・・。いま  私がたった一つの外国語の単語を覚えようとしたら、何日かかるかわかりません・・・。

年齢が低いほど「とき」のもつ重みが重いのですから、乳幼児と関わるとき  その一刻一刻を大切にしたいと思うのです。大人の発する言葉のひとことひとことの持つ重みも自覚しながら話したいと思うのです。