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2006年5月

バスのなかでの優しい時間

2006 年 5月号

『 バスのなかでの優しい時間 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今日は娘の4ヶ月健診に出かけたついでに、久しぶりに隣町で買い物をすることにして、普段はあまり使わないバス停に向かった。娘をだっこしてバスに乗りこんだとき、一瞬、バスの中の雰囲気がなんとなく不自然に感じた。ひとりがけの空席を見つけて座ったら、突然、最後尾の席に座っていた高校生くらいの男の子がやってきて、後ろの席を指でさした。より広い席をゆずってくれたのだ。お礼を言って後ろの席に移動したら、だっこしていた娘がぐずりはじめた。あやしながら、私が「暑いのかな...」とつぶやいたら、隣に座っていた若者が、壁についているエアコンの噴出し口の向きを変えて、娘のほうに冷風がいくようにしてくれた。お礼を言うと、何度もおじぎした。いよいよギャンギャン泣き出した娘をあたふたしながらあやしていたら、前の席の男の子がじぃ~っと娘の顔をのぞきこみ、「しょうがない!しょうがない!」と叫んだ。

ようやく、私はこのバスの乗客である高校生くらいの若者達数名が、軽い知的障害を持っている方たちだと理解した。市内にある学園の生徒さんたちかもしれない。「しょうがない!」と叫んだ若者がバスを降りるさい、突然、「ない!ない!」と叫んで、定期を探し始めると、近くの若者が鞄の中をいっしょに探し始め、運転手はよくあることなのか「大丈夫ですよ~」とのんびり言った。定期が見つかって降りた若者に、バスの中の若者たちが、バイバイと手を振り、降りた子も笑顔で手を振って、バス停で待っていた母親らしき人と歩いていった。

健常者、若者や子ども達が、精神を病み、人を傷つけ、殺める事件が後を立たない。そのいっぽうで、知的障害のある彼らは、見ず知らずの他人をいたわり、友を思い、社会のルールを守って暮らしている。彼らは、こんなにまっとうで、おだやかな世界をつくりあげているのに、なぜ、健常者の生きる社会は、こんなにゆがんでしまったのだろう。

私はできることなら、バスを降りて、バス停で息子を待っていたあの母親らしき人を追いかけてつたえたかった。「あなたの息子さんと、息子さんの友達は、今日、赤ちゃんを連れた私をいたわってくれました。そういう存在が、育児中の多くの母親の心を和ませ、それは少子化とか虐待とか、さまざまな社会問題の改善につながっていくと思います」。

キレる子をつくらない方法

 2006 年5月号

『 キレる子をつくらない方法 』 中舘  慈子

5月10日、たまたまつけたテレビで、「脳科学で防ぐ“キレる子”」(NHK 総合「クローズアップ現代」)が放映されていました。文部科学省が脳科学の立場から「キレる子」の調査に取り組み始めたという番組で、思わず食い入るように見ました。

まず、感情を司る扁桃体の発達を促すためには、身近な親や友達などの笑顔、喜ぶ声、楽しい様子などのコミュニケーションが必要であるということが実証されていました。この実験から、キレない脳にするためには、まず保護者や保育者が笑顔で子どもと接すること、楽しく子どもと接することが必要だといえます。逆にテレビに任せっきりにしていたり、いつも怒った顔や悲しい顔で子どもと接したりしていると、キレる脳になりやすいと言えます。
それらの感情の表出をコントロールするのが前頭前野の46野であり、その様子が光トポグラフィで記録できるということ。たとえばオセロゲームを1人でパソコンに向かってしても46野は働きませんが、友達と対戦するとたちまち赤く光って、大いに活動している様子がわかります。同じゲームでどうしてこのようにちがうかというと、人と対戦するときには「相手の表情を読む」「相手と言葉を交わす」といった脳の働きがあるからだそうです。
この実験から、キレない脳にするためには、家族や友達と直接接することが必要であるということが出来、逆にパソコンなどだけを相手にしていると、キレる脳になりやすいと言えます。

これらの両方を実践する活動として、宇都宮の幼稚園で行われている「じゃれつき遊び」が紹介されました。朝の30分、親  先生  子どもが大声を出しながらスキンシップを取って思い切りじゃれついて遊ぶのです。子どもたちの表情の生き生きとしていたこと!!    「じゃれつき遊び」をしている間は、笑顔での強い感情の表出があり扁桃体が活性化されます。大切なことは終わり方で、「おしまい」の合図でじゃれつきあそびを一斉にやめます。これが感情の激しい表出を抑える前頭前野の46野の働きを高め、「興奮」を「抑制」するブレーキの力を育むということです。
ともかくこの幼稚園では、「じゃれつき遊び」を続けていることで荒れた行動がなくなったということです。

人は人の間で育って、人間になると昔から言われています。しかし、きょうだいもなく、テレビやパソコンなどと向かい合って幼児期を過ごす子供たちも増えてきているのではないでしょうか。
「キレる子」を作らないために、せめて小学校低学年くらいまでは、親子での素朴なスキンシップ遊びを楽しくする時間を作って欲しいと思います。家族でおなかをかかえて笑いあうような時間を作って欲しいと思います。

子どもの英語教育

2006 年 5月号

『 子どもの英語教育 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

現在、公立小学校における英語教育の是非が検討されているが、私は中立派である。心から賛成できない理由には、やはり現在の小・中学生たちの「国語力の低さ」がある。小学校4年で海外から日本に帰国したときの私の国語もかなりひどかったが、親が日本から取り寄せる児童書をよく読んでいたので、主な問題は漢字の読み書きだった。だが、現在の小・中学生と話していると、もっと根本的な「てにおは」や、助詞、動詞の活用などが、かなり危ういと思う。

さらに、子どもたちからの手紙やメールを読んでいると、言わんとしていることはわかるけれども、そのどこかおかしい文章に首をかしげ、それをはっきりと文法的に指摘できない私自身の国語力に落ちこんでしまう。ひとつ例をあげてみる。

「浅田さんの詩『ぶっきらぼう』は、「わたしとお母さんとおんなじだ」と思いました」という文。これを正しく書きなおすと、「~は」ではなく「~を読んで」が適切だろうか。前半をそのまま活かすなら、最後を「~と思いました」ではなく、「~と思わせる詩でした」とするべきか。こうして考えながら、きちんとした日本語の文章を書くというのは、非常に難しいことなのだと実感する。

反対派の有識者が唱える「まずは母国語をきっちり」という意見には、私も同感である。数カ国語が多少できたところで、中途半端な言語力では中途半端な思考しか育たない。だが、私自身の子ども時代を振りかえったときに、外国語との比較のなかで、日本語にたいする理解を促した面もあったと思う。外国語を学んだことで、日本語にしかない言いまわしや表現、「しとしと」といった擬態語の響きの美しさに気づいたり、ひらがな、カタカナ、漢字という3種類の文字をつかう日本語そのもののおもしろさ、奥深さに打たれることもあった。なので、そういう深い視点での語学教育なら、あってもいい気もする。

ちなみに、以前英語のチューターシッティングをしたさい、10歳の子どもに「なんで英語を勉強するの?」と聞かれ、「世界じゅうの人と仲良くなるためよ」と答えたら、「でも、同じ日本語を話す日本人同士が、あまり仲良くないじゃん」とつぶやいた。胸にささるひとことだった。