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2006年10月

国は、もうひとりの「大きな父親」

2006 年 10月号

『国は、もうひとりの「大きな父親」』   

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今日、9ヶ月になる娘のポリオ(2回目)の予防接種に行ってきた。これで、BCG、ポリオ、三種混合×3回、そしてポリオと、計6回の予防接種を受けたことになる。しかも、すべて無料で。この「無料」という事実に、私は「助かる」「うれしい」といった感情を超えて、日本で子育てしていることの幸福に感じいる。そして、たぶんそれは、私が小学・高校時代の7年間を、南米という非常に貧富の差の激しい国で暮らした経験があるからだと思う。

先進国ではない国ほど、貧富の差が激しく、国民全体をカバーする医療・福祉などの根源的な公共サービスがしっかりと整備されていない。小学生当時、私が暮らしていたチリでは、いわゆる「健康(社会)保険」の制度がなかった。なので、子どもを病院や歯医者へ連れてに行くたびに、日常品の値段と比較してあまりにも莫大な医療費の請求に母はびっくりし、たどたどしいスペイン語で聴き返し、まだ信じられずに紙に書いてもらい、青ざめた顔をして渋々お金を払っていた。日本企業からの駐在員家庭といえば、一応は裕福層だったのだろうが、うちは父の主義で、3人の子どもを、学費が会社負担となるアメリカンスクールではなく、現地の私立学校に自腹で行かせていたため、家計が苦しかったのだ。子ども心に、「病院に行くとすごくお金がかかって、ママがかわいそう」と感じていたことを覚えている。

一度、母が父に「こんなに医療費が高いんじゃ、お金持ちの子どもしか病院に行けないじゃない。ほかの子はどうしてるのよ」と言ったことがある。「あぁ、行けないね。よっぽど重病でなければ、この国の庶民以下は子どもを病院に連れていかない。市販の薬でしのぐんだ。国はなにもしてくれないからな。そのいっぽうで、金持ちの子どもは歯列矯正して、金払って健康診断も注射もいっぱい受けて、手術はアメリカでする。政府要人が金持ちばかりだから、結局、自分の子どもが長生きできればそれでよくなっちゃってるんだ」。父の声は怒りに満ちていた。親になった今、当時の両親の、子どもが平等に医療を受けられない国への怒りがわかる。

日本は子どもが被害者の犯罪が多発するなど、決していい子育て環境とは言えない。でも、予防接種だけでなく、税金ですべての母親に無料で支給されているものが少なからずある。母親学級の受講、妊娠中の検診数回分の無料券、出産育児金、乳幼児医療費、児童養育手当、などが支給されるたびに、小さな娘が「国」という「大きな父親」に守られているような気がして幸福になる。明日は、区の保健センターの「ブックスタート」に行って、絵本をもらってくる予定だ。
 

二人は欲しいけど...

2006 年10月号

『二人は欲しいけど...』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、母親学級で知りあったメンバーと集まったところ、そのうちのひとりから、なんと「二人目御懐妊」の発表があった。本人も「年子なんて、予定外でびっくり」だそうで、皆で「おめでとう」と笑いあった。帰宅後、主人とそのことを話しながら、「やっぱり、兄弟はいたほうがいいよね」という流れになり、「女性は30半ばを過ぎると、授かる率もぐんと低くなるそうだし、うちも二人目を急いだほうがいいのかなぁ」と、夫婦で考えこんでしまった。 主人も私も、できれば二人はほしいと思っている。私自身三人兄弟で、子どもの頃はひとりっ子に憧れていたが、大人になるほど「兄弟がいてよかった」と思うようになった。特に、親がもう老人であることを感じるとき、なおさら兄弟の存在が胸にしみる。だから、もうすぐ9ヶ月の娘のためにも、せめてひとりは兄弟をつくっておいてあげたい。夫婦共々フリーランスゆえ、経済的不安は少なからずあるけれど、国が平和でありさえすれば、なんとかなると思っている。

問題は、いつ生むかである。私の年齢を考えると、そうのんびりはしていられない。だが、最近ハイハイがはじまり、片時も目が離せなくなった娘にふりまわされている今は、二人目を持つ心の余裕がない。今でさえ、ときどきヒステリーを起こしているのだから、第2子がやんちゃな男の子だったら、どうなることやら...。私が子どもの頃は、母が週に一度はヒステリーを起こしていたが、あれは本当に嫌だったし、子どもの健全な人格形成にもよろしくない。できれば、いつも穏やかな人間でいたい。

そんな思いを母親に電話で話したら、「そうねぇ。あなたたちが小さかった頃は、毎日毎日、叱って怒っての繰り返しで、怒りじわまでできちゃって、なんで3人も生んじゃったんだろうって、泣けてきたこともあったわねぇ」と、非常にシビアな言葉が返ってきた。「でもね、3人いると3ヶ月に1度は、誰かしらが病気になって、そのたびに『神様、この子の熱を下げてくれたら、どんなことでもガマンします』って真剣に祈るのよ。ようやく熱が下がり始めると、うれしくて涙が出るの。で、治るとまた叱って怒って、『神様、どうか私に自由をください』って祈る(笑)。いつも、その繰り返しだったわ」。

電話のむこうで、懐かしそうに笑う老いた母の声を聴きながら、まだ黒髪の、若かった頃の母の姿が浮かび、少し胸が熱くなった。

子育て相談シリーズ3 "NO"と言われてしまった息子

2006 年 10月号

『 子育て相談シリーズ3  “NO”と言われてしまった息子 』

回答者  中舘  慈子

Q.
3 歳の男の子で、4 月から幼稚園に通うことになっています。先日、近くの公園に行ったところ、同じ年くらいの男の子が遊んでいました。息子はお友達と遊ぼうと何度も何度も働きかけるのですが、その子に「いやだ」と嫌がられていました。せっかく何度もチャレンジしたのに、かわいそうでした。別の日は公園に少し大きな男の子がいました。息子が笑いながら逃げているので、追いかけっこをしてあそんでいるのかと見ていたところ、実は追いかけられて逃
げていたのです。息子が泣き出して初めてわかりました。危ないことをしていたわけではないので止めなかったのですが、止めに入ればよかったのでしょうか。かわいそうでたまりません。

A.
息子さんは、本当に優しくて思いやりがあるお子様なのだと思います。公園では、お友達と仲良く遊びたくて近づいていったのに、お友達はあまり遊びたくなかったのかもしれませんね。お母様としては、仲良く遊ぶことを望んでい
らっしゃったのでしょう。息子さんだったら、優しいので、お友達が「あそぼう」といったら「うん」とあそぶと思います。しかし、だんだん大きくなっていくと自分が遊びたくても相手に「いや」といわれることもあることを息子さんは知っ
ていくことが必要です。お母様から「お友達は遊びたくないみたいだから、ほかのことをしてあそぼう」と声をかけることで、そういうことが学べると思います。

逆に、息子さんも「NO」と言うことを学んでいかなければならないのではないでしょうか。遊んでいると思ったら追いかけられていたこと。ニコニコ笑っていたのが泣き出してしまったこと。とてもかわいそうだと思うお母様の気持は痛いほどよくわかります。けれどもこういうときこそ「いやだ」ということが必要なことを教えてあげる必要があるのではないかと思います。「あそんでいたの?  それともおいかけられていやだったの?」ときいてみて、「いやだった」と答えたら、「そういうときには、いやだよっていうのよ」と、教えてあげたらいかがでしょうか。

子どもはだんだん子どもだけの仲間の中に入っていきます。親はいつまでも守ってあげることはできません。息子さんはきっとだれよりも優しく、すばらしい笑顔のできるお子様なのでしょう。この良い面を大切にしながら、少しずつ、自分で自分を守り、はっきりと「NO」も主張できるお子様になることを期待します。