ホーム>子育てエッセイ>2007年11月

2007年11月

お古はあったかい!

2007 年 11月号

『お古はあったかい!』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今朝、友人から宅急便が届いた。娘より9カ月ほど年上のお嬢さんの、もう小さくなった洋服を、まとめて十着ほど送ってくれたのだ。お古とは言え、どれもこれもきれいで、さっそくお礼状に図書カードを添えて出したら、「みんな思い出のある服だから、捨てるのはもちろん、リサイクルショップに二束三文で売る気にもなれない。着てもらえるのがなによりうれしい」という返事がきて、心がぽっとあったかくなった。

哀しいことだが、現実にはお古やリサイクル品をまったく受けつけないママもいる。理由は「気持ち悪い」「貧乏くさい」などさまざまだ。だから、差し上げたくても「迷惑かな」「気を悪くしないかな」と躊躇してしまうのは私だけではないだろう。でも、あえて言わせて頂くと、リサイクル文化は決して貧しさから来たものではない。「いいものを大切に長く使う」をコンセプトにした、知的かつエコロジーな文化であり、「新品だけど、長持ちしない安物を使い捨てる」文化よりも、遥かにモダンで崇高なのである。

田舎の母いわく、昔は年に数回しか着ないよそゆきの子ども服が、必ず近所の年下の子にゆずられ、その家がまたほかの子にゆずったりしたから、知らない子どもが我が子の思い出の服を着ていることもよくあったという。そういえば、私が5年生のときに作文の表彰式で来た服は、お手製のベルベットの紺のワンピースだった。近所の洋裁が上手なおばさんが、娘に縫ったものを譲ってくれたのだが、おでぶちゃんな私が着てみたら、ウエストまわりが少しきつかった。そうしたら、その場でウエストのダーツをほどき、ちょうどいい具合にダーツをしつけして持って帰り、わざわざ縫い直してくれた。

ビジネスライクなリサイクルショップもいいけど、やはりこうした、人と人との直接のやりとりはあったかい。「3丁目の夕陽」じゃないけど、いい時代だったんだなと思う。 夜、さっそく娘の「お古ファッションショー」をした。親バカだが、あまりのかわいさに写真もいっぱい撮った。明日、お古を贈ってくれた友人にメールで送ってあげよう。

親になること

2007 年 11月号
『親になること』 中舘  慈子

天文学的な確率で生命は誕生します。こうして子どもが胎内に宿り成長する過程を実感しながら、人はだんだん親であるという意識を持ち始めます。もともと親だった人はありません。初めて親になったとき、人は今までとは違う自分を見出すことでしょう。わが子はかつての自分の投影であったりします。母親に抱かれて満足そうに乳を飲む姿は、赤ちゃんだったころの幸せな自分かもしれません。

子どもを持つことで、子ども時代が思い返され、親の思いに気づいたりします。 親になったことで「育てる営み」が始まります。しかし前述のような親子の一体感はいつまでも続くわけではありません。2歳ぐらいになると子どもには自我が芽生え、親とは違う意思を持つ一個の主体であることを自覚します。

子どもは親の願いや夢を実現するためにあるのではありません。親が子どものために良いだろうと思うことを押し付けているだけでは子どもは主体として育つことができません。また、完璧な子育てを目指すあまり、完璧でないことで育児不安に陥るケースもあります。果たして完璧な子育てというのがあるのか、完璧な親というものがあるのか?  実は親が自分の物差しで完璧であることを目指すこと自体が、子どもの主体性を押しつぶしているような気がします。

親と子どもは共に生きていく存在です。しかし、親は子どもの人生をいつまでも見届けることはできません。子どもの気持ちを受け入れ、理解していることを示し、しかし自分や他者を傷つけたり社会規範から外れたりすることをいさめながら、子どもの主体性を育む柔軟な営みが親になることだと思います。 様々なかたちの親子、家族がこれからの日本には生まれてくることでしょう。どのような形の親子、家族であれ、親になることとは、子どもを一個の主体として受け止め、子ども自身の人生を主体的に生き抜いていく環境や力を与える営みだと思います。
          
(株式会社  ファミリー・サポート代表取締役  目白大学・上智社会福祉専門学校  講師)