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2009年8月

『ことばのはじめ』

2009年8月号

『ことばのはじめ』

中舘慈子

 

お子さんが初めて話したことばは何でしたか?「ママ」だろうか?「パパ」だろうか?と楽しみにしていたご両親、意外とママでもパパでもなくて、10ヶ月くらいのときに「コレッ!」「ワンワン!」「キンギョ!」「デンチャ!」など思いがけないことばを初めて言ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

大好きな人とコミュニケーションをとりたいという意欲からことばが生まれます。ママが携帯メールに夢中になっていると、赤ちゃんはママにお話しても無駄だということを感じて、あきらめてしまうかもしれません。

小さな指で指差しをしては大きな声で「ア!!」「ア!!」という我が家の1歳1ヶ月の女の子。「ドージョ」「ハァーイ!」「ジョーチャン」などいくつかのことばは言えますし、お兄ちゃんと戦いごっこをするときには「タァ~ッ!」「エイエイ!」などとは叫びますが、まだ発音がはっきりしません。「ア!!」「ア!!」「ア!!」はそれぞれ「お花を見つけた!」「パンが食べたい!」「お外に行きたい!」と言っているのでしょう。「そうね、お花きれいね」「そうなの、パンが食べたいのね。あげましょうねえ」「お外に行きたいのね。いっしょに遊びに行きましょうね」というように彼女の思いをできるだけことばにして言うようにしています。

「わかっていること」「言いたいこと」が溢れるほどあるのに、まだまだことばに出して言えない時期。手で払いのけるのは「イヤ」、ママのほうに手を伸ばすのは「ママのところに行きたい」、本を指差すのは「ご本、読んで」。ことばにならないことばですが、こんなジェスチャーを「ことばのはじめ」としてしっかり受け止めたいと思っています。

 

『あとどれくらい』

2009年8月号

『あとどれくらい』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

毎年、夏は子連れで伊豆の実家に帰省する。特急の「踊り子」を使えば、埼玉の大宮から伊豆の下田まで、乗り換えなしで3時間ちょっとで着くのだが、我が家はいつも約5時間かけて、在来線を乗り継いでいく。浮かせた特急代で、親へのお土産とお弁当とお菓子を買う(飲み物は持参)。東海道線と伊豆急行線のボックス席を陣取り、のんびりと車窓を味わいながらいくのだ。車窓から海が見える熱海あたりから、ママとして生きる日頃の自分が少しずつ遠ざかり、娘の顔になって、遠い日の情景を思い出す。小学生の頃の私は、長い髪を三つ編みにして、母が縫うワンピースを着た、海沿いの町に住む、日に焼けた少女だった。あの頃は商店街がまだまだ元気で、百円の御駄賃がうれしくて、しょっちゅう肉屋や八百屋にお使いに行った。そして、お店のおじちゃん、おばちゃんも、子どもひとりのお客には、「お使い、えらいねぇ」と飴やキャラメルをくれた。

実家に着くと、母が満開の笑顔で迎えてくれる。七十を過ぎてから、母はずいぶんと老けてしまった。太っていた50代の頃より10キロ近く痩せたこともあり、なんだか年々、小さくなっているような気がする。ひざベルトや虫眼鏡を愛用する母は、元気だけれど、もう、完全に老人なんだと思う。

お茶を飲んだあと、私は二階に上がって少し休む。夕寝から覚めて下に降りていくと、縁側で、母と娘が笑いながら、野菜の皮をむいている。

二人の背を見つめながら、母が孫娘と過ごす夕暮れは、あとどれくらいあるだろうと思う。わたしがこうして、ママから娘に戻れるひとときは、あとどれくらいあるのだろうと、思いながら母の背を見ている。

「あぁ、お腹すいた。お夕飯なぁに」

三つ編みの頃と変わらない口調で、縁側の母の背に声をかける。

「しづちゃんが好きなグラタンよ」

母が、皮をむきながら言う。