ホーム>子育てエッセイ>2010年1月

2010年1月

『話さなくっても楽しいよ』

2010年1月号

『話さなくっても楽しいよ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

年末年始の今回の帰省で、今月4歳になった長女が、私の父と少し仲良くなった。きっかけは、岳(実家のシバ犬)の散歩である。これまでは、長女は私の母と二人で岳の散歩に行くのを楽しみにしていたが、年末に母がひざを痛め、朝夕2回の散歩を父がするようになったのだ。

72歳の父は無愛想な本の虫で、孫との遊び方を知らず、好かれる努力もしない。いつも新聞や本を読みながら、時々、じろりとメガネ越しに孫達を観察している。娘がなつくわけもなく、いつも「おじいちゃん、怖い」と半径2m以内には近づかない状態だった。

なので、行くわけないと思いながら、「これから、おじいちゃんが岳の散歩に行くけど、いっしょに行く?」と聞いたら、神妙な顔をして、「…うん。さっちゃんが綱持つ」と答えるではないか。よっぽど散歩に行きたいのだろうが、すぐに父と二人でいるのが怖くなり、「もう、帰る~」とぐずりだすのではと、甚だ不安を感じながら見送った。

2時間後、「ただいまぁ」と長女が笑顔で戻ってきた。そして、それから1週間、長女は毎日、父と二人で夕方の岳の散歩に出かけたのである。「散歩中、なに話してるの?」と父に聞いたら、「なんにも」と苦笑いで答える。夜、娘を寝かしつけながら、「お散歩のとき、なんでおじいちゃんとお話しないの?」と聞いたら、「わかんない」と笑い、そして、ぽつりと言った。「話さなくっても、楽しいよ」。

その言葉に、私はしばし、感じいってしまう。いつからか、私にとって、「人と過ごす=会話をする」ことになり、10代~20代の頃などは「対人沈黙恐怖症」を自ら疑うほどになった。「黙っていては相手に失礼」「なにか、しゃべらなければ」という思いにとらわれ、かえってうるさがられたりして、「こっちは気を使って、懸命に話題を探していたのに…」と傷つくことも多々あった。そして、人に会うのが億劫になっていった。

でも、対人関係は娘が言うように、話さなくたって、楽しければそれでいいのだ。ふりかえれば、私も小学生の頃、無口なレイちゃんとよく遊んでいた。話さなくても、いっしょにいるのが楽しかったからだ。そして、きっとそれが本当の「誰かといっしょに過ごす楽しさ」なんだろう。娘の寝顔を見つめながら、そんなことを思ったりした。