ホーム>子育てエッセイ>2010年8月

2010年8月

『たんぼという芸術』

2010年8月号

『たんぼという芸術』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

私が住む地域は、もう、ずいぶんと家が建てこんでいるが、かなり幅の広い用水路が流れ、車で10分も走ると広大な「見沼たんぼ」が一面に広がる。家から、徒歩15分ほどの距離には、広大とまではいかないがテニスコート10面くらいのたんぼがまだ残っていて、今は照りつく太陽の下、稲の緑が目に痛いほどまぶしい。夕方、自転車の前と後ろに娘二人を乗せて保育園から家に帰る道中、約3分間、このたんぼのわき道を走る。住宅地の中を通る別の近道があるのだが、遠回りでもこのたんぼ沿いの道を走る。そして、ときどき、自転車をこぐのをやめて、しばらくたんぼを見つめている。

この道を毎日のように通るようになって1年、季節ごとに見事に姿を変えていく「たんぼ」の美しさに、私は完全にはまっている。たんぼはまぎれもない「芸術」だと思う。初夏、一面に水を張って、鏡のように空をうつす水田、まるで幾何学模様のように整然と並んで、水田から顔をのぞかせる苗の列、かわいい苗がたくましい緑の稲へと日々成長し、水田のすきまがどんどんなくなっていく様子、風がふくと稲が波のようにそよぐさま、そして秋の収穫時のわらぼっち、どれをとっても言葉にできない美しさだ。

日中の太陽の下で輝くさまもいいけれど、夕方の、茜や薄紫、オレンジ色の空の下に広がる少し哀しげなたんぼも、なんとも抒情的でたまらなく好きだ。私が自転車をこぐのをやめて、しばらくたんぼに見とれていると、以前は、「ママ、どうしたの?」と聞いてきた長女も、最近はなにも言わずに後ろの椅子に座ったまま、いっしょにたんぼを見つめている。前椅子に座った次女は、「あっ、あっ」とかわいい人差し指でたんぼを指さして、いつも、なにか言いたげである。子ども達が大人になる頃には、日本の農業はいったいどうなっているだろう。たぶん、このたんぼはもう無い。農家の苦労をなにも知らない立場でえらそうなことは言えないが、将来、大都市の高層オフィスで働くようになっても、どうかこのひとときを覚えていてほしい。