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2011年2月

「話す」という奇跡

2011年2月号

「話す」という奇跡

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

おすわりもあんよも、すべてが平均よりずっと遅かった次女だが、言葉の発達もすこぶる遅い。もう2歳4カ月になるというのに、未だに「わんわん」「ぐーぬー(牛乳)」などの日常の単語を、赤ちゃん的発音で20個ほど言える程度だ。言葉で自分の思いをしっかり伝えられないもどかしさゆえか、最近の次女はすぐに高音でぎゃぁぎゃぁ泣き叫ぶ。なにを求めているのか、さっぱりわからないときは、こっちもイライラしてしまうし、いつまでも機嫌が悪いと具合が悪いのではと不安になってくる。

「…おりちゃん(次女)、早くおしゃべりできるようになるといいねぇ」。

先日、ため息まじりにつぶやいたときのことだ。

「ちがうよ、ママ。おりちゃん、おしゃべりいっぱいできるよ」

すぐそばで、お絵描きしていた5歳の長女が、あっさりと言った。

「そうなの?」驚いて聞きかえすと、こっくりとうなづく。

「さっちゃん、きのう、おりちゃんといっぱいおしゃべりしたよ。

でもぉ、目が覚めたら、おりちゃんはくうくう寝てた」。

…なんだ、夢のなかの話だったのか。がっくりしつつ、笑ってしまう。毎日あんなにけんかしているくせに、夢のなかでもいっしょに遊んでいるんだから、姉妹って本当におもしろい。もしかしたら、その時間、次女も同じ夢を見ていたのかもしれない。夢のなかで、二人はどんな話をしたのだろう。長女に聞くと「わすれちゃった」と笑っている。次女が流暢に話すさまなんて、奇跡のようで想像できない、と思ったところで、ふと思い出したことがある。

長女が赤ちゃんだったときも、数年後、この子が普通に話していることが信じられず、まるで奇跡のように感じていたのだ。それが2歳になる頃からごにょごにょ話し始め、今ではうんざりするほどの「おしゃべり~な」である。「お願いだから、少し静かにしてよ」と口に出してしまうこともしょっちゅうだ。かつては奇跡のように思えたことが、めでたく現実になったというのに、親なんて、つくづく勝手なものだと思う。

来年の今頃は、次女もぺらぺらしゃべっていて、私はそれにも辟易しているのだろうか。今の私にとって、それは想像すらできないほど、奇跡に近いことなのに。