ホーム>子育てエッセイ>2011年11月

2011年11月

政治家と医者

2011年11月号

政治家と医者

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

もう四半世紀前、南米で暮らしていた高校生の頃、家族で朝食を食べていたら、現地の新聞を読んでいた父がため息まじりに言った。「こりゃ、鈴木善幸じゃないか…」見ると、当時の日本の首相、宇野氏の顔写真として、数代前の鈴木氏の顔写真が掲載されていた。その後に開催されたサミットの一面記事では、参加国の首相達が笑いあう写真のなかで日本の竹下首相はなんとも淋しい写り具合で、私は高校生ながら、ひどくくやしかった。海外生活の中で「東洋人」というだけで見下され、嫌な思いをすることも多かった分、せめて母国の首相は世界中から敬意を表される存在であってほしかったのだ。

あれから25年、この国の首相はコロコロ変わり過ぎて、もはや海外どころか国民にさえ敬意を表されない存在になった。福島の避難所を訪れた管元首相が、自分達の前を素通りしたことに憤る避難民夫妻に平身低頭するさまをテレビで見ながら、つくづくそう感じた。私自身、この国の首相という立場に特に威厳を感じない。それより「誰でもいいから形だけでも長くいてよ」と切実に思う。総理や大臣が頻繁に変わるのは、なにより効率が悪いし、国際的に恥ずかしい。

病人は誰しも、いい医者にかかりたい。金、女、酒にだらしがなく、失言が多くても、高額でも、名医を希望する。政治家は、国というさまざまな疾病を抱えた生き物を治す医者と同じで、この国も、切実に名医を求めつづけている。時間をかけて、じっくりと治療に専念してくれる名医を。

たとえ、不正が発覚しても、「この政治家なら、時間をかけてこの病を治せる。

降ろしたら、確実に病状は悪化するから降ろせない」。メディアや世間にそう思わせるほどの政治家は、今、この国に存在するのだろうか。テレビを主とするメディアへの露出に頼らずとも、政治家としての能力で勝負できる、国民が心からの敬意を表する政治家は、はたして存在するのだろうか。