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2011年12月

師走が来るたびに

2011年12月号

師走が来るたびに

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

早いもので、今年も残すところ、あと十日ちょっとだ。子どもの頃はあれほど長かった一年という歳月が、今は怖いほど早く過ぎる。学生時代、中学、高校生活の3年間が、あれほど長く感じられたのは、それだけ自分自身のなかに蓄積されていた歳月が少なかったからだ。まだ15年間しか生きていない者には、3年間はこれまでの人生の5分の1に値するから、あんなに長く感じるのだろう。

この季節になると、ポストを開けるたびに届くものがある。喪中を知らせる葉書である。10年前までは、同世代の友人知人から来る喪中葉書は、圧倒的に「祖父母」の永眠によるものだった。だが、5年ほど前から、祖父母ではなく「父母」であるケースも増え、そのたびに驚き、そして沈んでしまう。私は3人兄弟の末っ子なので、同世代の友人の親は、たいてい私の親よりも相当若いからだ。

先日も、友人から御父上の永眠を知らせる葉書が届いた。お悔みの手紙を書きながら、私も、もう親がいなくても、おかしくない年になったのだと思う。高校卒業と同時に親と離れて暮らすようになって、もう20年以上たつ。実家は遠く離れているため、会うのは年に2、3回程度だ。独身時代とは異なり、今は夫と子ども達との、自分の「家族」を持っているぶん、実家から埼玉に戻るさいの淋しさもない。「結婚しても親とべったり」な娘は多いらしいが、私と親はそうではなく、実家に帰省している約1週間中、確実に一回はけんかするので、同居も二世帯住宅も、たがいにノーサンキューである。

けれど、それでも私は、親がこの世からいなくなるのが、いい歳をして怖い。

そのときの空虚感を思うと、はたしてそれに耐えられるのだろうかと不安になる。それなら、もう少し親に対する態度をどうにかすればいいのにと自分でも思うが、なかなかできない。先週も、もう10年ほど前に私が東京で購入して、実家に設置したファックスの使い方を、未だによく理解していない老親に、電話でつい怒鳴ってしまった。