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2012年2月

姉の教え その②

ときめきエッセイ 第97回

姉の教え その②

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

今日は姉の四十九日の法要だった。姉の義兄夫妻が1歳3カ月になる赤ちゃんを連れてきていた。そのかわいらしい仕草を見つめながら、母になることなく逝った姉のことを思った。

姉は法廷通訳の仕事に明け暮れ、結婚も遅かった。子どもを欲しがっていたけれど授からないまま仕事を続け、40歳で病気が発覚した。それからは治療に専念するため、仕事も辞め、子どももあきらめることになった。その時からずっと、思ってきたことがある。

「姉が子どもを産んでいれば…」。

妊婦が受けるさまざまな検査がきっかけで、病気が発見されるケースも多いので、姉の乳がんも早期発見され、完治したかもしれない。たとえ完治はせず、抗がん剤治療を続けることになっても、子どもがいれば、母として、子どものために少しでも長く生きなければという使命感にひっぱられ、もっと長生きできたかもしれない。

働く女性のほとんどは、いずれは母になるつもりでいる。だが、出産のために生じる仕事のブランクや、その後の育児の大変さを考えると躊躇して、つい先延ばしにしたくなる。でも、本当に欲しいのなら、いつまでも先延ばしにしないほうがいい。「さぁ、産もう」と思っても、すぐに授かるとは限らないし、女性の40歳前後は、さまざまな病気が寄ってくる時期だ。病気になったら、不妊治療よりも病気の治療を優先することになる。

昨年の春、子連れで伊豆の実家に帰省中、ちょうど姉も来ることになり、久しぶりに姉妹で実家で過ごした。夕方、犬の散歩に行こうと思い、2階の娘を呼びにいったら、窓際の椅子に座った姉が、眠る2歳の次女をだっこして、静かに揺れていた。娘の頭に頬をあてて、揺れながら目を閉じていた。窓からさしこむ西日がスポットライトのように姉を照らし、なんだか聖母マリア像みたいだった。

階段をのぼる途中でその光景が目にはいり、一瞬、見とれた後で、私はそっと階段を降りて、ひとりで犬の散歩に行った。母になれず、病気を抱えて生きる姉に、せめて、あのぬくもりを、あのやわらかさを、静かに心ゆくまで、味わわせてあげたかった。