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2013年1月

ささやかな野望

ときめきエッセイ 第108回 

ささやかな野望

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター・詩人)

 

年が明け、新しい一年が始まった。昨年の今は、まだ、姉がいなくなってしまったことへの実感が持てず、ただただ、ぼんやりと過ごしていたことを思いだす。テレビで姉の好きそうな番組をやっていると、姉に電話で教えてあげようとして、そのたびに「あぁ、そうか。もう、いないんだった」と思い出し、しばらくの間、電池が切れた人形のようにその場に立っていた。 

あの頃、しょっちゅうぼんやりしていた私に、幼い娘達が、「ママ、どうしたの」と不安げに聞いてきた。その声に我にかえり、「なんでもないよ」と言って、床に膝をついて子どもを胸に抱きしめた。そのぬくもりにすがっていた。抱きしめる存在は、人間を強くする。子どもがいてよかったと、あれほど切実に感じたことはない。

子ども達の存在が、私に最低限の家事と育児をさせ、動かしていた。そうしていく中で時間は流れ、生まれてはじめて対峙する「姉のいない世界」に、私は少しずつ適応していった。もし、子ども達がいなかったら…。そう思うと、怖い。

ふりかえれば10年前、東京の片隅で独りで生きていた頃も、シッター先の子ども達にずいぶん救われていた。独立当初は仕事において嫌な思いをしたり、惨めさを噛みしめることも多々あった。それでも夕暮れのなか、走ってシッター先へと向かい、子ども達と過ごすうちに、沈んでいた気分も晴れていった。甘えてじゃれついてくる子ども達を、抱きしめてムギュムギュしていると、自然と優しい気持ちになれた。 

そういう、あったかくてほっとする種類のスキンシップは、大人同士の人間関係には存在しない。相手が子どもだからこそ生じるものだ。そして、それは確実に人の心を癒し、精神的な安らぎをもたらすと思う。だから、今年もさまざまな場で、シッターという仕事の意義深さを発信していくつもりだ。そしていつか、この国のすべての女性が、数年間、徴兵制度ならぬ「シッター制度」によって、半ば自動的に子どもと関わる社会にしていくのが、私のささやかな野望である。