ホーム>子育てエッセイ>2015年1月

2015年1月

連載十年目を迎えて

ときめきエッセイ 第132回 

 

連載十年目を迎えて

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター・詩人)

 

平成27年になった。平成17年から始まった当エッセイも、もうすぐ満十年になる。これまでにも幾つかの雑誌でエッセイや詩の連載の仕事を頂いてきたが、短いものは1年、長くても5年だったので、当エッセイはダントツで最長の連載である。

ここでは、十年前の、まだ母になる前の私が、9歳と6歳の2児の母である現在に至るまでの、日々のさまざまなエピソードや、その時々に抱いた想いをつづってきた。私自身の貴重な「記録」である。

育児は煮詰まることも多い。ギャーギャーうるさい子ども達と狭い家の中にいても、発信する場を与えられていたことで、どれほど精神的に救われたことだろう。当エッセイを読んでくれた方々との、あたたかい出逢いもたくさんあった。改めて、十年もの長い歳月に渡って、この場を与え続けてくれたファミリー・サポートに感謝したい。

残念ながら、当エッセイは今年の3月を持って終了することになった。あと少しだけ、おつきあい頂きたいと思う。

先日、帰省したさい、久しぶりに古いアルバムをめくったら、十歳の私と母が、二人で写っている写真があった。写真の中の黒髪の若い母は、今の私とちょうど同い年である。

十歳の私にとって、専業主婦の母は母以外の何者でもなかった。母は生まれたときから私達の母だったくらいに思っていて、母に子どもの頃があったことすら信じられなかった。でも実際には当時の母は、母であると同時に「一個人」でもあったのだ。今の私がそうだから。私なんて、「一個人」としての「私」が未だに半分以上を占めている気がする。

今、食堂で宿題をしている9歳の長女にとって、私は、どういう存在なんだろうと思う。「ママは、私と妹のママだけじゃない」ことを娘はとっくに感じていて、「一個人」としての「私」の存在にも、とっくに気づいているのかもしれない。それが子どもにとって、いいことなのかどうかの答えは、人によって違ってくるだろう。いずれにしても、子どもに淋しい思いをさせたくないのは、すべての母親共通の願いだと思う。

私も。