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「ベビーシッター」を利用して 白川優子

ベビーシッターさんを卒業する時。 ~「ベビーシッター」を利用して(6)~

ベビーシッターさんを卒業する時。

~ベビーシッターを利用して(6)~

白川 優子(ライター)

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長年ベビーシッターさんに見守られて育ってきた子どもたちですが、いつしか大きくなり留守番できる時間が伸び、ママやシッターさんと遊ぶよりお友だちと遊ぶ方が楽しくなってくる。

そんな時期がいつかやってきます。

 

下の娘が小学校にあがり、保育園の送迎もなくなると、ワーキングママ生活もぐっと楽になりました。高学年になった息子は友だちと遊んだり、一人で習い事に出かけることが多くなり、一年生になった娘は「どうしてまだ『ベビー』シッターさんなの?学童にも行けるよ!お友達もいるし」と度々言うようになりました。

とはいえ子どもたちはそろって、まだまだシッターさんが来れば楽しく遊んでいましたし、しばらく様子をみていましたが、子どもたちもほとんど体調を崩さなくなり、学童も活用できているのを見て、「そろそろベビーシッターさんも卒業かな?」ということになったのです。

 

ところでどの家もそういうわけではないかもしれませんが、我が家の子どもたちはシッターさんが帰ってしまう時は毎回不満げでした。

特に下の娘は、私が帰宅すると、「ママが帰ってきてうれしい」気持ちと「シッターさんが帰ってしまう」という気持ちをどのように処理したらよいか混乱してしまうのか、とても機嫌悪くサヨナラすることがほとんどでした。時には「なんで終わりなの!遊んでくれないの?バイバイ!!」とプンプン怒ったまま目もあわせずお別れすることも。

けれども、「今日で○○さんは最後なんだよ」と言う日、

とても聞き分けよくサヨナラをした後、シッターさんが家の門を出てしばらく見送ってから部屋へ戻ると、娘はとても静かに、シッターさんが残していってくれた折り紙のおもちゃを眺めて言いました。「もう、○○さんは来ないんだね。いっぱい遊んでくれて、楽しかったのに。でも、もう私『ベビー』じゃないからベビーシッターさんは来ないんだね」

 

ベビーシッターというのは本当に不思議な存在だと思います。先生でもなく、友達でもなく、親戚に預けるのとも違う。まったくの他人であるのに、子どもの成長を一緒に見守り、共有してくれた人。そして間違いなく子どもたちの記憶に、「時々遊んでくれたシッターの○○さん」と記憶に残る存在であるということ。

子どもたちはシッターさんが、来なくなってからも、「○○さんと遊びたいな」とふと言うことがあります。

小さな胸に刻まれた、シッターさんとの思い出を、いつまでも大事にしていってほしいと感じます。

 

※ベビーシッターさんとの関わりを綴ったテーマのエッセイは今回で終了となります。次回からはテーマを改めて掲載いたします。

 

ベビーシッターさんの記録は宝物。 ~「ベビーシッター」を利用して(5)~

ベビーシッターさんの記録は宝物。

~ベビーシッターを利用して(5)~

白川 優子(ライター)

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前回、ベビーシッターさんが書いてくれる記録は大切だということを書きました。この話をシッターさんにすると、「そんなに楽しみにされていると、もっと頑張って書かなければと思います」「本当は文章があまり得意でないので・・・」などとおっしゃる方もいます。シッターさんによって、かなり力作を書いてくださる方もいれば、簡潔に、短い内容の方もいました。けれども、文章の長い短い、得手不得手に関係なく、行間からはあふれんばかりの愛情を感じ取ることができました。

 

例えば幼い頃から、自分の通知表で楽しみにしていたのは、3だの5だのという評価ではなく、先生が一人一人の様子を書いてくれるコメントだったのではないでしょうか。それは、他の人が自分のことをどう見ているのか、確かに見ていてくれるのだ、という安心感、肯定感だったのかもしれません。

同じことが自分の子どもにも言えて、オムツを何時にかえたとか、ご飯をどれくらい食べたかということも大切だけれど、「~をして○○と言っていました」「~という反応でした」と様子を書いていてくださるのは、確かにわが子を見ていてくれたという安心材料であると共に、母親以外の目にわが子がどう映るのか時に新鮮で、時に、子どもの隠れた気持ちを教えてくれるものでもありました。

 

下の子が生まれたばかりの時にみてくれたシッターさんは、いつも枠からあふれるほどに細かく子どもたちの様子を記録してくれ、「お二人の反応が楽しくて、つい長くなってしまうんです。」とおっしゃってくださいました。4歳だった上の子はともかく、下の子に関してはまだ動き出さない、お話もしない赤ちゃんですから、そんなに毎回今日はこうでした、ああでした、と、書くネタがあるのかな?とも思っていましたが、感心するほど毎回違うご報告をしてくれます。それは、24時間同じことの繰り返し-オムツ、おっぱい、オムツ、おっぱい、の循環をしているようにみえて、実は赤ちゃんは様々な反応をしてくれていて、そして日々わずかではあるけど何かできるようになっていることが増えている・・・ということを客観的に私におしえてくれたのです。

 

上の子に関しては、まさにネタの宝庫といった感じで、様々書いてくださっていたのですが、ある日の記録でとても心に残る報告をくださいました。

私が、しばらく下の子にかかりっきりになっていた時のことです。上の子はシッターさんと遊んでいました。下の子に「○○ちゃーん、オムツかえようね」とお世話をしていると、「アーアー、ンーン」と喃語が返ってくるので、「○○ちゃーん、気持ちいいね」とたくさん話しかけていました。するとキャッキャとよく笑うので、楽しくなってかなり長い時間相手をしてしまい、その時もしかしたら上の子はちょっとさみしかったかな・・・と後から思ったのですが、シッターさんの記録を読んで、ハッとしました。

記録にはこう書かれていました。「お母様と○○ちゃんが会話を楽しんでいるのをじーっと聞いていた△△くん。『ママと○○ちゃん、すごく楽しそうだね!』と笑顔で話してくれます。うらやましいとか、さみしいという表情ではありません。△△くんのおおらかさと優しさを感じました。」

 

何枚もたまってきた手書きの報告書は、もう10年以上たっているものは色も変わり、子どもの落書きやこぼしたコーヒーで読めなくなっているものもありますが、私の心には永久保存される宝物になっています。

個性の違う子どもたちを同時にみるということ。 ~「ベビーシッター」を利用して(4)~

個性の違う子どもたちを同時にみるということ。

~ベビーシッターを利用して(4)~

白川 優子(ライター)

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第一子(息子)が3歳の頃、お腹に新しい命が宿りました。息子はまだまだ甘えたい盛りでしたが、小さいながらも、妹か弟の誕生を心待ちにしていました。

生まれたのは妹でした。心配していた赤ちゃん返りもなく、息子は妹をかわいがってくれ、はたから見ていて微笑ましく感じたものです。

ところで子どもの「個性」というのは本当におもしろいものだとこの頃不思議でたまりませんでした。同じ親から生まれ、同じ環境で育っていても、息子と娘は赤ちゃんの頃から、興味の対象や性格が、まったく違っており、一人目で培った(?)はずの経験や対応が空振りに終わったり、新しい発見が次々とありました。息子にせがまれ何度も読み聞かせたボロボロの本に娘は無反応であったり、息子が抱いて寝るほど好きだった電車のおもちゃは娘に見向きもされず、息子を泣き止ませたおもちゃは時に、娘を泣かせるおもちゃとなりました。

 

年齢があがっていくにつれ、改めて、個性の違う子どもたちを、同時に遊ばせる、楽しませるにはどうしたらよいか考えることが多くなりました。仕事をしているからこそ、子どもたちといる時は、一人一人ちゃんと向き合いたい。と思っていたのですが、私はその頃、「△△くんの遊びは、○○ちゃんにご本を読んでからね」「△△くんは公園で遊びたいから、○○ちゃんもついてきてね」と、どちらかに合わせて一人をがまんさせてしまうような、本当に不器用な母親で、4人も5人もきょうだいのいるお母様方は、どうしているのか。20人、30人を一緒に遊ばせる保育士さん、幼稚園の先生などは、どんな工夫をしているのか、非常に興味がありました。

その頃も、ベビーシッターにお世話になっていたのですが、子どもたちから「シッターさんは○○とばかり遊んでいて、つまらなかった」といった不満は一度も聞いたことがありません。どうやって遊んでいるんだろう??と、シッターさんからいただく記録を読んでみると・・・

 

「すみません、私、適当かもしれません」と恐縮しながらおしえてくださったのは、折り紙やブロックなど、二人で共通して使えるアイテムを媒体(?)に、息子とは戦いストーリー、娘にはお姫様ストーリーで相手をしており、別々の「ごっこ遊び」を同時進行しているというものでした。時々お互いのストーリーに乱入したりもしながら、実に上手に相手をしているのに関心したものです。

なるほど、同じ遊びで二人を満足させようとしていたから難しかったんだ・・・シッターさんの記録を読むと、基本的に別の遊びをしている方が多いようでした。それからは深く考えず、それぞれの希望の違う遊びを同時にやってみることに。娘と塗り絵をしながら、時々息子の粘土怪獣に攻撃を加える。適当に流しながら、相手をするだけでも、子どもたちはどちらかの遊びに付き合わされることがないので、楽しいようでした。

 

様々な個性を持ったお子さまをたくさんみているプロのベビーシッターさんは、知らず知らずのうちに、その子に合わせた遊びを自然にできるようになっているのかもしれません。時には、母親でもわからなかったような、その子の興味を引き出してくれるような遊びをしてくれることもあります。

シッターさんの記録を読むと、個性の違うきょうだいが、どのように過ごし、遊んでいたのか、客観的にとてもよくわかります。時には大きなヒントが隠されていることもあるので、今後も、記録は大切に読ませていただこうと思っています。

子どもの傷、親の傷。 ~「ベビーシッター」を利用して(3)~

子どもの傷、親の傷。

~ベビーシッターを利用して(3)~

白川 優子(ライター)

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熱ばかり出していた子どもも一歳を迎えると、だいぶ体力がついてきたのか、保育園からの「お呼び出しコール」も減っていきました。成長はうれしいものの、ヨチヨチと危なっかしく歩き、好奇心旺盛な目の離せない時期になり、特に朝の支度時はいつもバタバタ。朝ごはんを食べる間もなく、メイクも中途半端なまま出かける、ゴミ出しの日なのに出せなかった・・・そんな余裕のない朝に、起こるべくして事件が起こってしまいました。

 

「ギャアアーーー!!」突然子どもの激しい叫び声。私も夫も、一瞬眼を放した瞬間でした。子どもの元へ駆けつけると、側にはアイロン。何が起こったのか瞬時にわかりました。子どもの手の届かない、奥まった場所に置いてあったはずのアイロン。赤ちゃんを卒業し、自由に動けるようになったわが子はいつの間にか、「手の届かないはずだった」場所にも行けるようになっていたのです。

指の付け根を2cmくらいの火傷でした。真っ青になりながら流水で冷やし、救急病院へ。「指だけで救急に来られても・・・」と、軽く軟膏を塗られただけで帰されました。冷静さに欠けていたのは確かですが、一歩間違えば大惨事だったかもしれない恐怖でガタガタと震えが止まりませんでした。例え小さな傷でも、自分が見ていなかったせいで熱く、痛い思いをさせてしまったことで、情けなく申し訳なく、子どもを抱きながら声を上げて泣きました。その後、近所にある皮膚科を数件訪ねたのですが、面積は小さいものの真皮まで達する火傷。返って来る言葉はどれも「少し痕は残るかもしれないけど、場所も目立たないしこれくらいですんでよかったですね。今度から気をつけてね」と、治療もそこそこ親の不注意を指摘されることが多く、落ち込むばかりでした。

 

「私が仕事していたせいで、こんなことになってしまった。」胸が痛くて、そんな自分より痛い思いをしている子どもがかわいそうで、「これくらいですんでよかった」などとは思えませんでした。どんなに小さい痕でも残したくない・・・インターネットで病院を調べていると、新しい方法で傷あとを残さないように治療してくれる病院を見つけました。家からは遠いですが、思いきって訪ねてみると、「痕を残さないように治しましょう。大丈夫、治るから、お母さんがんばりましょう」とそれまでとは違う言葉で励ます素晴らしいお医者さまでした。全国からも火傷の患者さんがたくさん来ているようでした。ただし、最初の2週間が肝心で、毎日通院する必要があるということで、ワーキングママである私には大きなハードルのように思えました。

家から病院まで片道1時間・・・仕事が終わってから家に戻り、通院するのは時間的に無理でした。

 

しかしそこからが、またもや頼もしいベビーシッターさんの出番でした。病院は、ちょうど家と職場の中間くらいのところにあったのですが、シッターさんは保育園に子どもを迎えに行き、そのまま電車に乗って病院の最寄り駅へ。そこで仕事帰りの私と待ち合わせをするという方法をとってくれたのです。

そのころは、電車の中でもグズったり騒いだりすることもあったのですが、シッターさんが上手に連れてきてくれるのか、改札口で待っているわが子はいつもご機嫌でした。私を見つけると、ニコっとして包帯を巻いた手を振ってくれました。その笑顔に会うたび、ホッとして泣きそうになりました。

 

この時のシッターさんには心から感謝しています。なぜなら、小さな手に巻かれた包帯、毎日の通院について、色々なことを私に聞かなかったからです。「痛そうですね」「かわいそうですね」「どれくらい深い火傷なんですか」等々、一言でも聞かれていたら、私はその場で泣き崩れてしまったでしょう。ただただ、「保育園のお迎え→病院最寄り駅まで送る」という役目をこなしてくださいました。「保育園ではこうだったようですよ」「電車の中ではこうでしたよ」等、たくさんの楽しいお話は、罪悪感と疲労感でいっぱいだった私の心にひと時の安らぎをくれました。

 

初期段階の毎日の通院のおかげで治療は順調に進みました。小さな子どものケガは、親の責任を問われることが多いですが、周囲の心ない一言で、親も胸をえぐられるように傷つきます。

会社の指導によるプロ意識なのか、シッターさん達の良識が素晴らしかったのかわかりませんが、この時の、子どもの傷も私の傷も、最小限にとどめてくださったことを、本当にありがたく思っています。

 

 

次回へ続く

37.4℃の罪悪感。 ~「ベビーシッター」を利用して(2)~

37.4℃の罪悪感。

~ベビーシッターを利用して(2)~

白川 優子(ライター)

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職場復帰したばかりの頃、それまで熱一つ出さず、「丈夫な子」だと思っていたわが子は、保育園に行き始めてから、「発熱コール」「お迎えコール」の連続で、一週間まともに登園できることがなくなってしまいました。特に、疲れのでてくる木曜日か金曜日頃になると必ず発熱をし、そのまま土日は必死に看病、やっと月曜日に出社し溜まった仕事からかたづける…というサイクルは、意気揚々と復帰した私のやる気をカラまわりさせるように、しばらく続きました。

 

しだいに、仕事が思うようにできないあまり、だんだんと子供のことが一番に考えられないような、嫌な自分にハッとすることが多くなりました。
ご存知のようにお熱に関しては「37.5℃」というのが登園できるかできないかの1つの基準で、朝、体温計の数値を見ながら「37.2…37.3…」とじわじわ上がっていき、「37.4℃」で止まると「よしっ!!」と思ってしまう自分。携帯の着信に「○○保育園」と表示されると溜息をつき、いやいや出てしまう自分。
「子供と仕事とどっちが大事なの?」という究極のセリフがいつも、頭の中でまわっていました。大事なものが何かなんて、決まっているのに。

 

そもそもここまで悩んでしまったのは、指定の「病児保育所」が少々利用しづらかったことがありました。私の住んでいる町から電車の駅で5つ離れており、しかも駅からも遠いのに車利用は不可という立地、当日予約は基本無理なこと、冬場はいつも定員いっぱいで、2日前くらいからすでにキャンセル待ちなこと。一番気になったのは、「具合の悪い時に、慣れない場所で知らない保育士さんや、風邪っぴきのお友達に囲まれ、病状が回復するのか?」という点でした。もちろん上手に活用して、問題のないお子さんもいたと思うのですが、いろいろ悩んだ末シッターさんにお世話になることにしました。

 
 
病気の時でもシッターさんに自宅でみてもらえることというのは、様々な利点がありました。
まず第一に、一番落ち着く場所である自分のベッドで休めるという事。
お弁当でなく、あたたかい食事を、臨機応変に出してもらえるという事。特に具合が悪いといつも好きなものでも受け付けないこともあるので、様々なものを準備しておけば、シッターさんがいろいろ試してくれました。投薬に関しては、医師の処方があったものを預けてサインをすれば、それもシッターさんが確実にしてくださいました。

 

具合の悪い時に、「一緒にいてあげられなくてごめんね」と思う気持ちと、やらなければならない仕事との間で、母親はいつも葛藤しています。
けれど、子供は、慣れた場所で、慣れたおもちゃで、好きな時間にお昼寝をし、好きな時間に好きなものを食べてくれている、と思うだけで、私の罪悪感は最小限にとどまることができました。
「お迎えコール」が来るかもしれない…とドキドキしながら保育園に預けるよりも、母子ともに安心して一日が過ごせる環境がありがたく、何度も利用させていただきました。
シッターさんによる自宅での病児保育によって、子供は充分に休息が取れ、回復し、おのずと母親の心も一緒に回復させてくれたのでした。

 

次回へ続く

週に一度の残業DAY。 ~「ベビーシッター」を利用して (1)~

週に一度の残業DAY。

~「ベビーシッター」を利用して (1)~

白川 優子(ライター)

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産休中は、産褥シッターさんのおかげで時々リフレッシュさせてもらいながらのんびり過ごした私も、保育園入所申し込みが始まるころから、本気で仕事復帰後のことを考え始めました。繁忙期の残業、夜遅くまでの外部会議等、保育園だけでは対応しきれないだろうと思い、引き続きシッターさんの手を借りなければ続けていくことができないだろうと思ったからです。

 

ベビーシッターさんを頼むのには必要なときだけの「スポット」と毎週決まった曜日に来てもらえる「レギュラー」というシステムがありましたが、スポットの場合はいつも同じシッターさんになるとは限らないということでしたので、週に一度のレギュラーという依頼でお願いをしました。時短勤務で、毎日が「ノー残業DAY」な私。まわりに「すみません、お先に失礼します」とペコペコしながら仕事を持ち帰り、電車にかけこみ保育園に滑り込む。夕食にお風呂と慌しくすませ、子どもが寝た後に眠い目をこすりこすり仕事をこなす日々でしたが、シッターさんが来てくれる日だけは、安心して残業することができました。週にたった一日でも、必ず残業できる日があるというのは、とてもありがたいことでした。独身の頃や出産前は、残業なんて嫌で嫌でしかたなかったのに、「あれ、今日は残って大丈夫なの?」と聞かれるたびに「そう、大丈夫なの!」とうれしそうに答える自分にびっくりしたものです。

 

シッターさんが来てくれる週に一度の日、繁忙期でない時は、残業ではなく自分のために時間を使うこともできました。ぶらぶらとショッピングをしたり、カフェに入ってボーっとしたり。職場と家庭の間にある、何にも属さない空間と自分。そのひと時は限りなく贅沢な時間に思えました。

                         

私の場合は同じシッターさんにかなり長くレギュラーをお願いすることができたので、週に一度の保育園のお迎えをする「シッターの○○さん」は、保育園でも有名人になっていました。

先生だけでなく子どもたちも、「○○さんきたよー」とうちの子どもにおしえてくれたり、すっかり人気者になっていたようです。先生の信頼もあるので保育園での様子を私が迎えに行くときのように事細かに伝えてくれたり、保育園からの連絡も、連絡ボードをつい見逃しがちな私よりもしっかりと見てきてくださったり、本当によくやってくださいました。

 

子どもがまだ1歳くらいの頃は、母親でもなく保育園の先生でもないシッターさんという存在はどういうものなか、はっきりとはわからなかったのですが、帰宅するといつも機嫌よく遊んでおり、「○○さん帰るよ」というと「ヤダ」と別れを嫌がったり泣いたりすることもあり、子どもは心地よく過ごしているということがわかりました。

少し大きくなると、保育園や母親の前では言わない多少のワガママをシッターさんにぶつけることがあり、申し訳なく思ったのですが、「保育園の集団保育では言えなかったり疲れてしまったりすることがありますし、ママは仕事をしてきて疲れているということがわかっているから、言えない時もあるんです。発散する相手も必要ですし、甘えてくれているんだなぁと、私はうれしいですよ」とおっしゃってくださいました。

 

週に一度の「余裕が持てる日」のおかげで、ワーキングママ生活は順当に滑り出し・・・と言いたい所ですが、復帰直後に、レギュラー以外のシッターさんにもたくさんお世話になるできごとが次々と起きることになるのです。

次回へ続く