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子育てエッセイ

原発という戦場

2011年4月号

原発という戦場

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

先日の夜、友人から涙声で電話があった。どうしたのか訊ねると、ご主人が3日前から、仕事で福島第一原発の現場にいるという。その行き先を聞いた瞬間、砂を食べたような胸苦しさが押し寄せた。「そうなんだ…」それ以上、何も言えず、重苦しい沈黙がしばらく流れる。

彼女のご主人には結婚式も含めて何度か会ったことがある。「素朴」という言葉がよく似合う、メーカーに勤務する理系エリートだ。こんな身近な人が、あの恐怖の現場にいるなんて、信じられない思いだった。

「…行かないでくれって言ったのよ」沈黙を破ったのは彼女だった。「でも、俺だって行きたくないよって怒鳴って、一週間分の着替えの荷物つくってくれって言われて、嫌だって言ったら、自分で荷物まとめて、出てっちゃったのよ」彼女の泣き声を聞きながら、その情景がありありと浮かんで、やるせない気持ちになった。

「子どもは?」ふと心配になって聞いた。彼女には10歳の息子がいる。「実家。私が泣いてたら、なんでって思うでしょ。でも、パパはあそこにいるなんて言えないし、言いたくない」「…うん」それしか言えず、仕事の邪魔をしてごめんと詫びる彼女に、いくらでも聞くから気持ちを話してくれと促した。内心、自分の夫が原発に関連した仕事じゃなくてよかったと、心底思っている罪悪感もあった。

「一度、夫から電話があって、けんかになったら、現場には独身の若い男も大勢いるんだよって言われたわ。これから子どもをつくる奴らは、被ばくが何倍も怖いんだよって…」。彼女の話はリアルで、その分怖い。電話を切った後、ひんやりと感じた。「なんだか戦争みたいだ…」。

今、原発の現場にいる人達はまぎれもなく、国を守るために命がけで戦う戦士なのだ。職場からの電話一本で現場に向かわざるを得ない会社員達は、かつて召集令状1枚で戦場にかりだされた兵士に似ている。

安全地帯にいる私が、彼らに対してできることなどなにもない。ただただ、無事を祈ることと、心が欲しくてやっているからの感謝と深い敬意を表することしか。そんなもの彼らは求めていないし、何かのではないことくらい、わかってはいるが。

 

 

大震災で学んだこと

2011年4月号

大震災で学んだこと

古島直子(バンビーノ・クラブチーフサポーター)

 

先日東北関東大震災のとき、4歳のお子様のシッティング中でした。エレベーター前、10階で地震発生!地震の揺れにお子様は「キャツキャツ」と笑い、地震の怖さを知らず楽しんでいる様子でした。その時、お子様の命を守ることと同時に地震後のお子様の後遺症の心配が頭をよぎりました。

お子様には「絶対手を離さないこと」「非常階段でおりて外に出ること」を伝え、階段を下りて無事避難することができました。お母様に連絡をしましたところ「地震がおさまったら自宅へ戻ってください。後はお任せします。」と、言われました。マンションロビーで待機中もロビーのシャンデリアがゆれていることを何度も確認しながら、お子様に紙とボールペンを渡しました。「ママとパパにお手紙を書くね!」と集中して書き始めました。

ママには「ママだいすきだよ。そとにいるときじしんこわかったよ。」

パパには「した(ロビー)にいるよ。パパだいすき。」

と、それぞれ似顔絵付きで描かれていました。お父様とは連絡がつかなかったため、自分の居場所を手紙で伝えていたのかもしれません。

少しでもリラックスして休ませてあげようと「何があっても絶対に私は側にいるし離れないから安心してね!」と言って一緒に座っているソファーに横になったお子様に私の上着をかけました。「あったかい。」と、とても気持ちよさそうに上着の中にもぐったり顔を出したりと無邪気な笑顔を見せてくれました。「今日はソファーがおうちだね。ずいぶん小さなおうちだね。」と声をかけ、密着しながらお子様がリラックスできていることを感じました。

余震が続く中、お子様に「なんでおうちにかえらないの?」と聞かれ「大きな地震はもう来ないけれど小さな地震はまた来るかもしれないからまだロビーにいたほうがよいと思うよ。私の言うことは間違っていないから信じてね。」と答えました。お子様はパニックになることも泣くこともなく私をただ信じて頑張ってくれました。

後日お母様から「地震後、何も後遺症もなくよかったです。ありがとうございました。」とお言葉を頂き、心配していたことにならず本当に良かったと思いました。よそのお子様は泣いたあと吐く、一人でトイレに行けなくなることなどあるようでした。

大震災を通じて、ベビーシッターの仕事をするうえで大切なことを改めて考えさせられました。子どもの気持ちを感じ取る、子どもに安心と安らぎを与える、一人の人間として人格尊重する、信頼関係を築く、冷静に判断し対応することだと思いました。

日常生活の中でもお子様の情緒が乱れてしまうことがあると思います。年齢に関係なくお子様は言葉に出さなくても何かを相手に伝えようとする能力を持っています。それを感じ取り受け止めて不安を取り除いてあげることで健やかに成長されていく手助けとなることが一番大切なことのように思います。

今回の地震でお子様との絆がさらに強まりました。お子様の命を守るということがどういうことなのか、気づくことができました。さらに忘れてはいけないことは使命感だと強く思いました。

 

大震災のなかで

2011年3月号

大震災のなかで

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

先日の昼すぎ、自宅で確定申告の書類作成を主人としていたら、グラッグラッと強い揺れを感じた。「うわっ、地震だ」「けっこう大きいよ」言いあっているうちに、立っていられないほどの激しい揺れが押し寄せる。ガタピシとガラスがきしみ、棚からさまざまな物が落ちる音に、思わず悲鳴をあげた。二人で桟につかまりながら、子ども達はより耐震性の高い、安全な保育園で良かったと思った。

激しい揺れはおさまったものの、余震がつづくなか、ひとまず外に出る。昨年度、自治会長をしていたので把握している、同じマンションに住む高齢者宅の安否確認を主人と手分けして行う。

地震で急遽、全校帰宅になったのか、すぐ近くの中学校に通う生徒達がぞろぞろと帰ってきていた。一階のドアの前で女子中学生が不安げにたたずんでいる。「どうしたの?」声をかけると、ぽろぽろと涙をこぼして、「中でネコが死んでるかもしれない」と言う。親は働いているので、夜まで帰ってこないそうだ。少女を励ましてドアを開けさせる。幸い、ネコは無事だった。いっきに表情が明るくなった彼女に、私達の部屋番号を告げ、怖くなったら来るよう言って、ひとまず自宅に戻る。

約10分後、強い余震があり、さっきの少女が青ざめた顔でやってきた。すぐに家にあげ、いっしょにおやつを食べる。こんなに余震があいつぐ状況にも関わらず、全校帰宅させる学校の判断に疑問を感じた。今は共働き家庭も、ひとり親家庭も多いので、「帰宅しても、ひとり」の子どもは少なくないだろうに…。電話がつながらない中、親も子どもが家にひとりでは不安で気が気ではないだろう。

夕方には娘達も保育園から戻り、テレビの地震報道に釘付けになりながら、余震のたびに5人で肩を寄せ合って過ごした。娘二人は、はじめは照れていたくせに、いつのまにか少女になついている。これまで、同じマンションとはいえ全く関わりのなかった少女と、我が家のリビングでこんなに親しく過ごしていることが、不謹慎だが、少しうれしかった。

夜7時頃、少女の母親が迎えにきて、涙をこぼしながら何度もお礼の言葉を口にする。笑顔で応対しながら、30年以上前、私が見知らぬ大人に助けられ、夜遅く家に送り届けてもらったときの、泣きながら何度もお礼を言っていた母の姿を思いだしていた。「連鎖」という単語が頭をよぎる。いつかこの少女も、人の子を守ったり助けたりすることがあるだろう。そのときはやはり、泣きながらお礼を言っていた、かつての母の姿を思い出すのだろうか。

 

「話す」という奇跡

2011年2月号

「話す」という奇跡

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

おすわりもあんよも、すべてが平均よりずっと遅かった次女だが、言葉の発達もすこぶる遅い。もう2歳4カ月になるというのに、未だに「わんわん」「ぐーぬー(牛乳)」などの日常の単語を、赤ちゃん的発音で20個ほど言える程度だ。言葉で自分の思いをしっかり伝えられないもどかしさゆえか、最近の次女はすぐに高音でぎゃぁぎゃぁ泣き叫ぶ。なにを求めているのか、さっぱりわからないときは、こっちもイライラしてしまうし、いつまでも機嫌が悪いと具合が悪いのではと不安になってくる。

「…おりちゃん(次女)、早くおしゃべりできるようになるといいねぇ」。

先日、ため息まじりにつぶやいたときのことだ。

「ちがうよ、ママ。おりちゃん、おしゃべりいっぱいできるよ」

すぐそばで、お絵描きしていた5歳の長女が、あっさりと言った。

「そうなの?」驚いて聞きかえすと、こっくりとうなづく。

「さっちゃん、きのう、おりちゃんといっぱいおしゃべりしたよ。

でもぉ、目が覚めたら、おりちゃんはくうくう寝てた」。

…なんだ、夢のなかの話だったのか。がっくりしつつ、笑ってしまう。毎日あんなにけんかしているくせに、夢のなかでもいっしょに遊んでいるんだから、姉妹って本当におもしろい。もしかしたら、その時間、次女も同じ夢を見ていたのかもしれない。夢のなかで、二人はどんな話をしたのだろう。長女に聞くと「わすれちゃった」と笑っている。次女が流暢に話すさまなんて、奇跡のようで想像できない、と思ったところで、ふと思い出したことがある。

長女が赤ちゃんだったときも、数年後、この子が普通に話していることが信じられず、まるで奇跡のように感じていたのだ。それが2歳になる頃からごにょごにょ話し始め、今ではうんざりするほどの「おしゃべり~な」である。「お願いだから、少し静かにしてよ」と口に出してしまうこともしょっちゅうだ。かつては奇跡のように思えたことが、めでたく現実になったというのに、親なんて、つくづく勝手なものだと思う。

来年の今頃は、次女もぺらぺらしゃべっていて、私はそれにも辟易しているのだろうか。今の私にとって、それは想像すらできないほど、奇跡に近いことなのに。

 

 

 

お昼寝中が「勝負」

2011年1月号

お昼寝中が「勝負」

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

年末年始の一週間、主人が地方の仕事で留守することになった。その間、伊豆の実家に帰省しようかと母に電話したら、姉夫妻と兄夫妻がそろって来るので布団が足りないと言われ、淋しく電話を切った。

保育園も休みの1週間、ひとりで5歳と2歳の子の世話と相手を一日中し続けるのは、実にしんどい。特に次女は、今がもっとも聞き分けの悪い時期で、すぐに泣き喚いて自分の主張を通そうとする。そのうるささといったら、耳がどうにかなりそうで、結局、折れてしまう。

家の中では兄弟げんかが絶えず、私も発狂しそうになるので、毎日、朝食、洗濯、掃除を済ませると、どんなに寒くても、とにかく外に出た。公園、お弁当、買い物で約4時間を費やし、帰宅後、昼寝へと直行させる。ポイントは外でお昼を済ませることだ。これによって、帰宅後すぐに、しかも長く寝てくれる。

添い寝しながら左右の子ども達の寝息が安定すると、私はむっくりと起き上がり、「さぁ、勝負」とばかりに原稿を書き始める。和室で次女がむずがる声がすると、すかさず飛んでいって添い乳をし、少しでも眠りをひきのばす。2時間がたつ頃には、長女がむっくり起きてきて、いつも妹が独占しているママのひざに乗っかってくる。

ムギュムギュチュウを5分ほどしたあと、仕事机の隣にちゃぶ台と折り紙とお絵かきセットを用意して、「おりちゃん(次女)が起きるまで、静かに遊んでね」と懇願し、もう1時間ほど稼ぐ。合間にしょっちゅう、長女の絵を見てはしっかりとほめ、意見を述べるのも忘れない。

そして5時になる頃には、とうとう太っちょ怪獣がドシン、ドシンと起きてきて、私に体当たりしてくる。コンセントを引きぬかれる危険があるので、私はすぐに仕事をあきらめ、PCを消す。続きは、深夜だ…。ため息と共に、怪獣を抱

きあげて授乳する。保育園が始まるのが待ち遠しい自分に、深い罪悪感を感じながら。

 

『娘の夢』

2010年12月号

『娘の夢』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

来月、長女は5歳になる。誕生日を心待ちにする娘に、「おおきくなったら、なにになりたい?」と聞いてみた。昨年は「めろんやさん」で、その子どもらしさが微笑ましかったが、今年は、なんと「ほいくえんのせんせい」だった。その一気に大人びた返答に驚き、思わず「なんで?」と聞いたら、「だって、ほいくえんのせんせいが大好きなんだもん」とすまして答える。その単純明快な理由に笑いながら、「さっちゃんは、どんな先生になるの?」と聞いたら、娘はたらたらと話し始めた。

「あのねぇ、泣いてる子がいたら、しゃがんで『どうしたの?』ってだっこしてぇ、けんかしてるお友達がいたら、『そおかぁ、そおかぁ』ってふたりのお話聴いてぇ、『じゃぁ、ごめんねしよっかぁ』って言ってぇ、ひとりぼっちの子がいたらぁ、『いっしょにあ~そ~ぼ』って言ってぇ…」

その言葉を聴きながら、なんだか目の奥がツーンとしてきた。娘が言うことは、きっとすべて、先生達が毎日園児に、そして娘にしてくれてきたことなんだろう。今年の春から夏にかけて、「仲間はずれにされるから」「意地悪されるから」と、通園したがらない時期があった。娘にも悪いところはあるのだろうし、子どもの話をどこまで信じていいものやら不安もあったが、送り迎えのさいに、時々、娘の話を先生に伝えていた。

先生が対処してくれたのだろう、秋になる頃には状況も改善したようで、笑顔で通園するようになった。もし、ひとりぼっちのままほったらかされていたら、保育園の先生になりたいとは思わなかっただろう。

近い将来、娘が学校の人間関係に悩むこともあると思う。そんなときは、保育園の先生になりたいと思った幼い頃の自分を思い出してほしい。そして「自分が被害を受けないよう、うまく立ち回る」のではなく、保育園の先生が日々、園児に降りそそいだ優しさを、少しでも他者に降りそそげる子になってほしい。

 

『私学VS公立』

2010年11月号

『私学VS公立』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

この2カ月間、関東の私立中学校の入試説明会をいくつも取材し、リポートを書く仕事をしている。私は小・中・高とも公立に通っていたし、子ども達も、そのつもりだ。本音を言うと、子ども達本人より母親達のほうがヒートアップしがちな小・中学校の「お受験」には、あまりいいイメージを持っていない。だからこの仕事は気が進まなかったが、名門私立校の校舎を一度見学してみたいというミーハーな動機で引き受けた。

かれこれ10校近くの入試説明会に行ってきたが、私学がこれほどお金がかかるとは知らなかった。学校によって多少の差はあるが、特に初年度は、入学金、制服関係、授業料、施設(維持)費、旅行積立費、鞄・教材費、その他諸費用などで100~130万近く支払うのである。特に施設(維持)費と海外研修費が高く、正直、こんなに立派な造りのホールも、2週間の海外研修もいらないのに、と思ってしまう。

だが、今回の仕事をつうじて、私学ならではの良さも少なからず実感した。最大の長所は、「いじめ」や「不登校」などの、生徒達の人間関係の問題への対応姿勢である。「いじめは『ある』という前提で対応する」という教員の言葉が心強い。私学においては、生徒が自殺なんてしたら学園存続の危機に関わるため、必然的に真剣に取り組むのだろう。

実際、「絶対私学派」の保護者には、この点を第一理由とする者も非常に多いという。学費捻出のためにパートに出る母親も少なくないそうで、「私学=裕福な家庭の子弟」とは限らないことも、今回はじめて知った。生活指導の徹底、塾に頼らない密度の高い授業、充実した補習カリキュラムなども、私学の魅力のひとつだと思う。

かくして、我が家の教育計画は、「高校までは基本公立。だが、もし、子どもが切実に転校を希望したら、私立への編入もやむを得ない。そのためにも、今からお金は貯めておかねば」となっている。

 

『病児・病後児の保育』~ベビーシッターの役割第2回~

2010年10月号

『病児・病後児の保育』~ベビーシッターの役割第2回~

中舘慈子

 

「子どもが風邪で熱を出した!」

「水疱瘡がもうかなり回復しているのに、感染の恐れがあるというのでまだ医師の許可が出ず、保育所に行かせられない。」

保育所に子どもを預けながら働いているご両親は、子どもが病気になったとき、急に休んだり、長期にわたって休んだりすることが出来ず、とても困ります。今までの行政の施策は、「箱物」すなわち、病児保育所を増設するという発想でした。保育施設の建設費や維持費、医師や看護師などの専門職の配置などにどれほど高額な税金が使われているのでしょうか?感染症も含む病児に対応するためには個々の病気ごとに保育室が必要でしょうし、保育士もそれに伴って配置する必要があります。

そもそも、病児の保育に施設型保育が必要なのでしょうか?病気の子どもにとって、過ごす場が施設である必然性があるのでしょうか?

病児に関する研修を受けたベビーシッターが自宅に伺うという訪問型保育であれば、巨額な施設整備費はかかりません。また、病気が急変した場合などはお子様の日常をよく知っている主治医またはベビーシッター会社の提携している病院と連携することで、専門職が常駐している必要はありません。

何よりも子どもにとって、家庭は最もリラックスできる場、安心できる場です。病気のときだからこそ、自宅でくつろいで過ごすことが必要なのではないでしょうか?

病気は子どもの「疲れた」というメッセージだと思います。ウィルスや細菌が体内に入って発病するときは、子どもの体調そのものが優れないときだと思います。

訪問型保育であるベビーシッターに行政からの助成があり、利用料金の負担が軽くなれば、もっと手軽に利用できる制度です。必要とされる人件費のみ助成するということで行政の負担も大幅に軽減されるはずです。

2010年6月に作成された「子ども・子育て新システム」には「病児・病後児保育サービス」に「訪問型保育」の新設が検討されています。ぜひ、多くの行政がここに目を向けて、真の意味の「社会全体で子育てを支える仕組みづくり」を目指してほしいと切に思います。

 

『母子家庭とシッター』

2010年10月号

『母子家庭とシッター』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

前回のエッセイで、児童虐待防止に向けた署名活動について紹介したところ、驚くほどの反響があった。読んだ方から、「署名後、友達にあのエッセイがUPされているページのアドレスをコピーしてメールしたら、『即、署名して、自分も友達に送ったから』と返事が来ました」と言われたとき、大阪の事件以来、ずっと心にたまっていたずっしりと重たい砂が、ようやく少し取り除かれたような気がした。「子ども達を救わなければ」という切実な思いが、まるで終わらないリレーのたすきのように、次へ次へとつながって、枝葉のように広がって、社会が変わっていくような感覚を味わい、久しぶりに本当にうれしかった。勇気を出して、書いてよかったと思った。掲載してくれたことを、心から感謝している。

さまざまな意見交換をつうじて、現在、強く感じていることがある。それは、日本も今後、欧米のように、母子家庭が増え続けていく流れは避けられない現実であり、母子家庭支援のさらなる整備が、さしせまって求められているということだ。日本の母子家庭は、同居、もしくは近くに住む母親の実家が、子育てや経済面など、あらゆる面で支えているケースが非常に多い。だが、親を頼れずに、子どもを抱えてひとりで苦しんでいる母親も大勢いるわけで、そういう母親に「恋人(男)」としてではなく、「母親」のような立場で接し、支えてくれる存在が、各地域に必要だと思う。そのためにも、母子家庭を対象にしたベビーシッター(おばあちゃん世代が好ましい)の利用料金の助成事業が実現すればと思う。

子育てにおいて後ろめたい思いを抱えている母親の多くは、指導されたり、責められるのを恐れて、児童相談所などの行政職員との関わりを拒絶し、訪問されると居留守を使う。だが、シッターは、お金を払う側である母親のほうが、いわば「上」の立場で、しかも「いち民間人」なので、母親も身構えず、友人関係や信頼関係も築きやすいだろう。

シッターは、子育て中の家庭に上がりこんで、子どもと数時間過ごすという、もっとも、子どもの生活環境を把握しやすい職業であり、虐待の未然防止や早期発見のカギを握る存在だと感じている。

 

『虐待を防ぐ』~ベビーシッターの役割第1回~

2010年9月号

『虐待を防ぐ』~ベビーシッターの役割第1回~

中舘慈子

 

浅田さんのエッセイを見て、書かなくてはならない気持ちになりました。ベビーシッター事業を行っている立場から、何回かにわたってベビーシッターの役割について思いを綴ってみます。

自治体が産前産後のお母様のベビーシッター料金を助成する制度があるのをご存知ですか?世田谷区の「さんさんサポート事業」、川崎市の「産後家庭支援ヘルパー事業」、渋谷区の「にこにこママ」などの産前産後のサポート事業です。自治体によって利用期間、自治体からの委託費(利用者の負担額)はさまざまですが、誰でも気軽にベビーシッターを利用出来る制度です。

たとえば、世田谷区の場合は産前1ヶ月から産後7ヶ月まで。1回2時間のサービスを3回まで無料で受けられるものです。これは「子どもたちの健やかな成長を願い、子育て家庭の産前・産後の負担を軽くすること」を目的とした事業です。しかし、実はもう一つの目的があります。それは、「児童虐待防止」という目的です。

出産後の家庭に入り、サポートをしながら母親や家庭の実態を知る、ということは虐待防止のための一つの有効な手段だと思います。「家庭」という世界はいわば密室であり、なかなか入り込むことが出来ません。また、日本では家庭に第三者が入り保育を依頼する文化、ベビーシッターサービス利用に対する根強い抵抗感がまだまだ残っています。

しかし、自治体が行う事業だから、そしてベビーシッターサービス料金の一部または全額を自治体が負担するから、「利用して見よう」という気持ちにつながるのではないかと思います。産後は心身ともにだれかの助けを得ないと乗り切れないときです。このとき心身ともに余裕を持てることが、「子どもがかわいい」という気持ちにつながります。ベビーシッターは赤ちゃんの沐浴やお世話、家事支援などを通じてお母様を応援します。

子育てに不安を持たないお母様はいないといってよいと思います。身近な子育て支援者(ベビーシッター)が、「大丈夫ですよ」「それでいいんですよ」と、ありのままのお母様を受け止めることで、子育てに自信を持つことが出来るでしょう。

また、「赤ちゃんにどう接してよいかわからない」というような場合、実際にベビーシッターが赤ちゃんと関わっている様子を見ながら、「こうやってあやせばいいのだ」「赤ちゃんが泣いたときはこうすればよいのだ」ということを学ぶことが出来ます。

お母様に心の余裕ができること、そして第三者の目があるということが、虐待を未然に防ぐのではないでしょうか。

虐待は、家庭という密室の中で行われます。虐待を防止するには、家庭の子育てに信頼できる第三者を入れて、子育ての社会化を図る必要があります。

まず、産後間もないときからベビーシッターを気軽に利用できる制度があらゆる自治体でできること、いずれ、すべての家庭のドアが開かれ、良質なベビーシッターが訪問保育を定期的に行う制度が出来ることを心から待ち望んでいます。