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子育てエッセイ

『署名という一歩』~児童虐待防止に向けて~

2010年9月号

『署名という一歩』~児童虐待防止に向けて~

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

このひと月というもの、精神的にやや不安定な状態が続いている。大阪の2児遺棄事件の報道を聞いて以降、ゴミためと化した狭くムシ暑い部屋の中で、飢えと渇きで苦しんでいる幼子二人の様子が、弟の世話をしながら必死で助けを求めて泣き叫ぶ3歳の姉の姿が、四六時中、脳裏に浮かんでくるようになってしまったのだ。そのたびに胸が潰れそうになり、「こうしていたら、ああしていれば、救えたのでは」という「たられば論」を、頭の中でぐるぐるぐるぐる、何度も何度も考えつづけて夜も眠れず、しまいには自分の子どもの世話しかしていないことへの罪悪感に苦しむようになってしまった。突然、泣きだす私に、子ども達までが動揺して、夫からは心療内科の受診を勧められた。

だが、最近になって、ただ加害者や行政を非難、罵倒したり、精神のバランスをくずしたり、「もし自分が隣に住んでいたら、後に不法侵入で訴えられてもいいから、ベランダから侵入したのに…」と悔しがりつづけているだけでは、何の意味もないことをようやく理解した。そして、虐待の事件が報道されるたびに、自身の精神状態が乱れるのを恐れて、即テレビを消し、極力目と耳を塞いで過ごしてきた、これまでの自分の無責任さにも気づかされた。虐待問題を改善するための具体的な行動を何ひとつしてこなかった私も、加害者のひとりなのだ。

自分になにができるか調べたところ、先日、神戸市灘区在住の60代の主婦、藤原八重子さんが発起人の署名活動を知った。藤原さんは、相次ぐ虐待報道にじっとしていられず、ただ胸を痛めているだけではだめだと請願書を作成、今年5月から地域で草の根的に署名活動をはじめたところ、4カ月弱で53000人を突破した。現在、個人、団体、メディア等の賛同と協力の中、全国的な運動へと発展しており、集まった署名は、請願書とともに次期通常国会に提出される。

請願書では(1)行政が通報に対して迅速に対応できる体制づくり(2)健診を受けない児童への家庭訪問の完全実施(3)児童相談所の増設、増員(4)子どもが安全に保護される体制の整備(5)体制が充実されるための財源の確保、の5項目を求めている。

悲惨な虐待報道のたびに、怒りと哀しみで胸が苦しくなり、「なんとかしたい」「でも、自分になにができるだろう」という切実な想いを抱く人は大勢いる。でも、私を含め大半の人は、結局、何もせずに終わってしまう。そんな現状を変える一歩に、この署名活動への参加があると思う。少しでも関心のある方は、下記のURLをぜひご覧いただきたい。

「児童虐待の防止に向けた体制強化を求める署名」
http://www.shomei.tv/project-1545.html

 

 

『たんぼという芸術』

2010年8月号

『たんぼという芸術』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

私が住む地域は、もう、ずいぶんと家が建てこんでいるが、かなり幅の広い用水路が流れ、車で10分も走ると広大な「見沼たんぼ」が一面に広がる。家から、徒歩15分ほどの距離には、広大とまではいかないがテニスコート10面くらいのたんぼがまだ残っていて、今は照りつく太陽の下、稲の緑が目に痛いほどまぶしい。夕方、自転車の前と後ろに娘二人を乗せて保育園から家に帰る道中、約3分間、このたんぼのわき道を走る。住宅地の中を通る別の近道があるのだが、遠回りでもこのたんぼ沿いの道を走る。そして、ときどき、自転車をこぐのをやめて、しばらくたんぼを見つめている。

この道を毎日のように通るようになって1年、季節ごとに見事に姿を変えていく「たんぼ」の美しさに、私は完全にはまっている。たんぼはまぎれもない「芸術」だと思う。初夏、一面に水を張って、鏡のように空をうつす水田、まるで幾何学模様のように整然と並んで、水田から顔をのぞかせる苗の列、かわいい苗がたくましい緑の稲へと日々成長し、水田のすきまがどんどんなくなっていく様子、風がふくと稲が波のようにそよぐさま、そして秋の収穫時のわらぼっち、どれをとっても言葉にできない美しさだ。

日中の太陽の下で輝くさまもいいけれど、夕方の、茜や薄紫、オレンジ色の空の下に広がる少し哀しげなたんぼも、なんとも抒情的でたまらなく好きだ。私が自転車をこぐのをやめて、しばらくたんぼに見とれていると、以前は、「ママ、どうしたの?」と聞いてきた長女も、最近はなにも言わずに後ろの椅子に座ったまま、いっしょにたんぼを見つめている。前椅子に座った次女は、「あっ、あっ」とかわいい人差し指でたんぼを指さして、いつも、なにか言いたげである。子ども達が大人になる頃には、日本の農業はいったいどうなっているだろう。たぶん、このたんぼはもう無い。農家の苦労をなにも知らない立場でえらそうなことは言えないが、将来、大都市の高層オフィスで働くようになっても、どうかこのひとときを覚えていてほしい。

 

『教習所通いをつうじて』

2010年7月号

『教習所通いをつうじて』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

いい歳をして、車の運転免許を持っていない。私の世代で、この年になるまで免許を持たない人は、ごく少数派なようで、持ってないことを告げると「なんで?」と驚かれたりする。その理由のひとつが、子供時代の、父親の運転する車での2度の事故体験だ。無傷で済んだものの、車が横転した時の恐怖は30年たった今でも覚えており、「運転=怖い」という思いはずっと消えない。しかも私は、なにか考え事や想像をしたり、過去のふりかえりをはじめると、すぐにぼんやりして視線も意識も遠くに行ってしまうという、非常に運転に適さない性質なので、たぶん、このまま、車の運転とは縁がないだろうと思っていた。

だが、とうとう運転せざるを得ない状況になってきた。理由はひとつ、主人が留守のさい、天候が非常に悪い時の子ども達を連れての外出が、あまりにも大変だからだ。自分だけなら、どうなろうとへっちゃらだが、子どもが雨でずぶぬれになったり、身体が冷え切ってしまうのは耐えられない。しかも、我が家の娘達はやたらと風邪をひきやすい体質ときている。約1年悩んだ末、一大決心をして免許をとることになった。

教習所に通いはじめて早2ヶ月、育児と仕事の合間をぬっての受講なので、かなりのゆっくりペースだが、ようやく仮免検定まで来た。実は、教習を受けるたびに実感していることがある。車の運転には「周囲にたえず気を配り、状況を把握して、自分がどう動くべきかをすぐに判断する力」や、「つねに相手の身になって考え、動く力」が必要不可欠である。ということは、人間関係において、もっとも重要な能力(スキル)を養う効果も多いにあるのではないだろうか。

私はこれまで、その能力がかなり欠落していたがゆえに、いわゆるKY(空気読めない人)として、人間関係で損をしてきたと思う。免許取得後の「車を運転する生活」が、物理的な利便性だけにとどまらず、私の人間性を少しでも向上させてくれるものであれば、こんなにうれしいことはない。

 

『保育参加をつうじて』

2010年6月号

『保育参加をつうじて』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

昨日は夫と二人、保育園の「保育参加」に行った。保護者が都合のよい日を園に申請し、「一日保育士」として、園児と遊んだり、いっしょに給食を食べたりして、園児や保育士との交流を深めるものだ。子ども達はもちろん、私達夫婦も楽しみで、毎年、時期がくるたびに必ず申し込んでいる。

保育参加のときは、①我が子以外の子ども達と積極的に関わる(遊ぶ)、②ときどき、離れた位置から集団における娘の様子をそっと観察する、をモットーにしている。夫はさっそく年長の男の子達と、園庭で「こおりおに」で盛りあがっている。小・中・高と野球三昧だった夫は、娘達のおままごとの相手はつとまらないが、運動系の遊びはOKなのだ。

私は普段のバタバタした送り迎えの際には、なかなかふれあう機会のない園児達をかわるがわるだっこしては、名前や年齢を聞いたりして、おしゃべりしながら、そのぬくもりを味わうのが好きだ。同じ組の園児でも重たさに差はあるけれど、どの子もみんな、あったかい。また、離れた位置から娘をそっと見つめていると、娘が家で話す保育園でのさまざまな出来事が、子どもならではの自分本位な視点によるものでもあることを実感する。

娘は、「保育園でパズル(ブロック)をしてたら、○○ちゃんが邪魔した」といった趣旨のことをよく口にする。けれど、実際にはお友達は特に邪魔をしているわけではなく、いっしょにやりたいのである。けれど、娘は「ひとりで作品を完成させたい」願望がやたらと強い子なので、「ひとりでやりたいのっ!」と怒り、結局、けんかになってしまうという、親からすると、「あなたが悪いんでしょ…」とため息をつきたくなるような状況も多々あるようだ。

また、しょっちゅう、「○○ちゃんとけんかした」と娘が口にするお友達と、けっこう楽しそうに遊んでいるときもあり、安心する。○○ちゃんをだっこしたら、私の首に両手をまわして、いろいろおしゃべりしてくれた。子どもって、やっぱりいいなと思った。

 

『八日目の蝉』

2010年5月号

『八日目の蝉』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

先週、NHKの連ドラ「八日目の蝉」(全6回)が最終回を迎えた。これほど私の胸の奥深くをついてくる連ドラは、この十年なかった。

あらすじはいたってシンプルである。不倫相手の説得により不本意に中絶させられ、それが原因で子どもが産めなくなった女性、希和子が、不倫相手とその妻の子ども(生後6カ月の赤ちゃん)を、突発的に自宅から連れ去る。すぐに指名手配されるが、その後、逮捕されるまでの約5年間、希和子は子どもを抱えて逃げ続けながら、母としての人生を全力で生きるという話だ。謎かけやミステリーが全くないのに、これほど惹きつけられるのは、ドラマ全体の質の高さゆえだろう。

希和子は『誘拐犯』である。だが、人生のすべてをひきかえにして、偽りの親子の時間を少しでも長引かせるために、子どもを抱きかかえて必死で逃げ続ける希和子の姿はどこまでも哀れで切なく、視聴者は希和子に味方せざるを得ない。その幸福が長くは続かないことを知っているからこそ、希和子は娘とのひとときを、その1分1秒を噛みしめて生きる。その母娘の切なく、やさしい情景に何度も涙しながら、どうして私は、こんなふうに子どもとの日常をいとおしむことなく、イライラしてばかりいるのだろうと、自分へのやるせなさで胸が痛くなった。

「子どもと1秒でも長くいっしょにいたい」どころか、「1時間でいいから、ひとりになりたい」願望を、私は慢性的に抱いている。全然言うことを聞かないとき、ご飯を食べないとき、兄弟げんかをいつまでも続けているとき、まとわりついて家事や仕事の邪魔をしつづけるとき、とにかくうるさいとき、鬼のような形相で子ども達を叱りつけ、怒鳴ってしまう。そして、そんな自分に、そんな毎日にうんざりして、「子どもがいなければ、どれほど楽だろう」と思ってしまう。このドラマは、育児に疲れている多くの母親に、「ママ」「お母さん」と、全身で求めてくる存在がいる幸せ、抱き上げて、そのずっしりとした重みとぬくもりをいくらでも味わえる幸福を再認識させたと思う。逃げる必要もなく、全国の小児科を無料で受診でき、子どもとの未来を夢みる幸福も。毎週、見終わった夜は布団のなかで、眠る子ども達の小さな手を握って、少し泣いた。「ごめんね、ママ、いつも怒ってばかりで。本当は、すごく幸せなのにね」。

 

『パパとママの成長』

『パパとママの成長』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

夫はすこぶる穏やかな人柄なので、これまで、怒鳴りあうような深刻な夫婦げんかは一度もしたことがない。でも、1分以内で終わるプチ口論はちょくちょくやっている。たいてい、私が頼んでおいたことを、夫がやってくれていなかったときに。

たとえば、「7時までには帰るから、子ども達お風呂にいれておいてね」と仕事部屋で絵を描く夫に言い、「はいよ~」という返事をしっかり聞いて出かける。

夜、帰宅すると、子ども達は未入浴で遊んでいる。当然私は、「なんでお風呂入ってないの」と怒る。すると夫は「入れようと思ったら、下の子が寝ちゃってた」とか、「アヒルが見つからなかった」とかなんとか下手な言い訳をする。本当は仕事を中断するのが嫌だっただけなのだ。「できないこと、簡単に引き受けないでよ」「だって、俺が『やだ~』って言ったら怒るでしょ」と、まぁ、こんな感じである。

先日も、早朝、仕事に出かける前に、頂きものの和菓子を同じマンションに住むおばあさんに、子ども達の帽子を編んでくれたお礼に届けておいてと頼んでおいたのに、帰宅したら、届けているどころか、包装が開いているではないかっ!「なにこれ」と、ひきつった顔で聞きながら、内心、夫の口から出るであろう言い訳を考えていた。きっと、「テーブルに出しっぱなしでいくから、ちょっと目をはなしたすきに、子どもが開けちゃったんだよ」とかなんとか、結局、私のせいにするんだろう。

「ごめん。子ども達が帰ってくる前に持っていけばよかったんだけど、気づいたら、もう開けててさ。明日、俺、ほかのもの買ってくるから」。

夫の口から出た言葉は、意外にも、謝罪であり、反省だった。少し拍子抜けした後で、夫も少しは成長しているんだなと思った。ならば、私も少しは成長しなければならない。「和菓子にしてね」とだけいって、それ以上、怒るのはやめにした。子育て家庭において、日々、成長していくのは子ども達だけじゃない。パパとママも、もう身長は伸びないけど、中身は成長を続けるのである。

 

『私 ベビーシッターなんです』

2010年4月号

『私 ベビーシッターなんです』

森田 公子

 

私の住むマンションに神戸ナンバーの車が停まるようになり、2~3歳の男の子2人を連れたご家族4人が引っ越してきました。私がミニチュアダックスを散歩させていると、声をかけたいようなかけたくないような。「怖いよ」と弟君。「平気だよ」とおにいちゃんも手を出したり引っ込めたりしていました。朝、7時半、決まった時間に2台の自転車で4人がご出勤です。忙しそうですが窓下にそんな姿を見ると、私も元気が出ました。

・・・

今日こそお伝えしよう!「私ベビーシッターなんです。困ったときはいつでも言って下さい!」でも、なかなかお会いできないままでした。

先日私が帰宅すると、そのご家族とバッタリお会いしました。お父様がお子さんを前に出し、

「さあ、言いなさい。」

「明日引っ越すんだよ。」

「・・・おばちゃんね。ベビーシッターなの。困ったときは言ってね・・・っていつも言いたかったの。仲良くしたかったの。」

するとお母様が

「え~~こんなそばにいらしたの?私、この子が病気のとき、明け方まで預ける方を探したこともあったんです。もっと早く知っていればよかった。」ふと見ると、いつの間にか犬に2人の男の子が手を出して仲良くなっていました。

次の日、神戸に向かう大型トラックが来ていました。夢じゃなかった・・・。自転車置き場から2台の大きい自転車も消えていました。

 

 

『友と成長』

2010年3月号

『友と成長』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

今日、20年来の友人から、無事、第一子を出産したメールが届いた。うれしかった。メールを見つめながら、さまざまな感情や思い出が押し寄せて、しばらくの間、ぼんやりしてしまった。

異なる大学に通う彼女と私は、サークルの同期として出逢った。才色兼備な上、誰にたいしても丁寧で親切な彼女は、みんなから好かれると同時に、一目置かれていた。当時の私はと言えば、対人沈黙恐怖症を自ら疑うほど、常にしゃべりまくっては周囲をうんざりさせ、思ったことをそのまま口にしては顰蹙を買うという、実に救い難い存在だったが、そんな私とも彼女は1対1で親しくつきあうほど、寛容だった。

今、思えば、小学生の頃からずばぬけて勉強ができるがゆえに、周囲から浮かないよう、人の何倍も「いい人」でいる努力をしてきたのかもしれない。卒業後は宝くじ的倍率を突破してアナウンサーになり、女子アナタレント全盛の時代に、知性派として異彩をはなってきた。

かつて、10~20代の頃、彼女と接する中で、自分の知識の無さ、深みの無さ、そしてなにより人間性の低さを噛みしめた瞬間が幾度かあった。「あたしって本当にダメ…」と、打ちひしがれたことがあった。

だけど今、この年になって思う。自発的に、心の底から深く、自己を省みたときこそ、人間が真に成長するときでもあるのだ。だから、そのようなチャンスを授けてくれる友に青春時代に出逢えたことは、実は大変な幸運なのである。反省し、改心する機会に恵まれず、物事がうまくいかないたびに周囲や社会のせいにしていたら、私は決してライターとして生計をたてられるようになるまでにはいたらなかっただろうし、夫と心が通いあうこともなく、子ども達にも出逢えず、親しい友人もなく、孤独に押しつぶされていたかもしれない。それを思うと、怖い。

いつか、彼女の息子が言葉がわかるようになったら、伝えたいことがある。あなたのお母さんに出逢えて、おばさんは運がよかったと。

 

『ご近所づきあい』

2010年2月号

『ご近所づきあい』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

昨年の4月から、我が家は(正確には夫が)自治会長をしている。正直、当初はあまりの雑務と集会の多さに、夫も私も不平たらたらであった。だが、この自治会活動をつうじて、近くに住む今年の役員9世帯と知りあいになった。独身の頃からずっと、「地域」に全く知り合いを持たずにきた私にとって、いわば人生ではじめての「ご近所づきあい」がはじまったわけである。

会長になって3ヶ月ほどたった頃、長女がウイルス性胃腸炎にかかり、嘔吐と下痢が止まらなくなった。小児科の受付終了時間まで、あと30分しかない。だが、病院の待合室で1歳の次女をだっこしながら、長女をケアするのは到底無理である。あいにく夫は出張中だし、今からシッターを頼んでも遅すぎる。途方にくれながら宙をあおいだら、壁に貼られた自治会役員の連絡網が目に入った。藁にもすがる思いで、おそるおそる副会長宅に電話をかけて、次女を一時間ほど預かってくれないか聞いたら、あっさりと引き受けてくれた。

次の集会のさいに、このことが少し話題にのぼると、他の役員の方々まで「困った時は、うちも預かるわよ」と言ってくれた。ここで、その言葉を「単なる社交辞令」としないところが私の性格であり、近くに親がいない環境で、赤ちゃんと幼児を育てる母親の切実さである。真剣な表情で、「どうぞよろしくお願いします」と頭を下げた。

もちろん、これは緊急の、または突発的な事態に限っての話で、そうでなく、予め外出の予定がわかっている場合は、やはりシッターを依頼すべきだと思う。なにより「安全度が高い」からだ。

だが、シッターは原則、完全予約制であり「今から30分~1時間以内に来て!」といった要望にはなかなか対応できない。そういうときのためにも、ご近所とのつながりを日頃からある程度は築いておくことがいかに大切か、今回の件で身にしみた。やはり子育てには、地域の手助けが必要なのである。

 

『話さなくっても楽しいよ』

2010年1月号

『話さなくっても楽しいよ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

年末年始の今回の帰省で、今月4歳になった長女が、私の父と少し仲良くなった。きっかけは、岳(実家のシバ犬)の散歩である。これまでは、長女は私の母と二人で岳の散歩に行くのを楽しみにしていたが、年末に母がひざを痛め、朝夕2回の散歩を父がするようになったのだ。

72歳の父は無愛想な本の虫で、孫との遊び方を知らず、好かれる努力もしない。いつも新聞や本を読みながら、時々、じろりとメガネ越しに孫達を観察している。娘がなつくわけもなく、いつも「おじいちゃん、怖い」と半径2m以内には近づかない状態だった。

なので、行くわけないと思いながら、「これから、おじいちゃんが岳の散歩に行くけど、いっしょに行く?」と聞いたら、神妙な顔をして、「…うん。さっちゃんが綱持つ」と答えるではないか。よっぽど散歩に行きたいのだろうが、すぐに父と二人でいるのが怖くなり、「もう、帰る~」とぐずりだすのではと、甚だ不安を感じながら見送った。

2時間後、「ただいまぁ」と長女が笑顔で戻ってきた。そして、それから1週間、長女は毎日、父と二人で夕方の岳の散歩に出かけたのである。「散歩中、なに話してるの?」と父に聞いたら、「なんにも」と苦笑いで答える。夜、娘を寝かしつけながら、「お散歩のとき、なんでおじいちゃんとお話しないの?」と聞いたら、「わかんない」と笑い、そして、ぽつりと言った。「話さなくっても、楽しいよ」。

その言葉に、私はしばし、感じいってしまう。いつからか、私にとって、「人と過ごす=会話をする」ことになり、10代~20代の頃などは「対人沈黙恐怖症」を自ら疑うほどになった。「黙っていては相手に失礼」「なにか、しゃべらなければ」という思いにとらわれ、かえってうるさがられたりして、「こっちは気を使って、懸命に話題を探していたのに…」と傷つくことも多々あった。そして、人に会うのが億劫になっていった。

でも、対人関係は娘が言うように、話さなくたって、楽しければそれでいいのだ。ふりかえれば、私も小学生の頃、無口なレイちゃんとよく遊んでいた。話さなくても、いっしょにいるのが楽しかったからだ。そして、きっとそれが本当の「誰かといっしょに過ごす楽しさ」なんだろう。娘の寝顔を見つめながら、そんなことを思ったりした。