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子育てエッセイ

『はじめての七五三をへて』

2009年12月号

『はじめての七五三をへて』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

先月、もうすぐ4歳になる長女の、はじめての七五三を祝った。まず、私は朝8時に予約してある近所の美容院に行き、着物の着付けとヘアメイクをしてもらう。その後、車で迎えにきてくれた主人、娘達、夫の両親と共に、写真スタジオへ向かった。

まず、衣装室に入って長女に着せるお着物を選ぶ。はじめての着物を着て、髪もアップにして着替え室から出てきた娘は、親バカながら、やはり愛らしい。姑ときたら、目を細め過ぎて顔全体がとろけてしまいそうだ。はじめに、主役である長女ひとりの写真を何ポーズか撮ることになる。ごきげんに撮影スタッフの指示に従う娘を見守りながら、「おおきくなったなぁ」と、親として万感の思いが押し寄せる。

次は全員での撮影だ。長女を真中に立たせて、左右の椅子に舅、姑が座り、後列に私、そして次女をだっこした夫が立った。次女もドレスを着せてもらっているのだが、なかなか髪が伸びず、よく男の子と間違えられる容姿なので、かわいそうだが全然似あってない(笑)。撮影中、前に座る姑と舅の白髪まじりの頭を見ながら、長女が特に大きな病気もケガもせずに、ここまで大きくなるのに、ずいぶん二人に世話になってきたなぁと思った。

撮影終了後、パソコンの画面で写真を見て、希望する写真を購入する。全員の写真を見つめながら、「私もすっかり『松本家の嫁』って感じだな」と思う。伊豆の親に会うのは年に1、2回だが、隣り町に住む夫の両親には月に4,5回は会い、子どもを預かってもらい、そのうえ、姑の手作りのお惣菜までもらっている。

 

写真のなかで、よそゆきの服を着た舅と姑は、着物姿の長女をはさんで、なんとも幸せそうに笑っている。日頃の感謝をこめて、焼き増しを頼む。(焼き増し代1枚4000円×4枚で16000円なり…)。あちこちに見せては孫自慢する姑のうれしそうな顔が、今から目に浮かぶ。

 

『次女、1歳になる』

2009年11月号

『次女、1歳になる』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

今日、11月11日、次女は生まれてはじめての誕生日を迎えた。夕方には夫の両親が来て、我が家でお誕生会をするため、大雨のなか、次女をだっこひもでだっこし、傘をさしてスーパーに向かう。10.5kgもある次女の、そのずっしりとした重みとぬくもりを感じながら、この1年をふりかえりつつ歩いた。

3歳まで、病気知らずで育った長女とは異なり、次女はしょっちゅう病気になってきた。まず、生後2ヶ月半頃からお通じが非常に悪くなった。下剤も効かず、1週間出ないと浣腸をして出すということの繰り返しで、精密検査をすべきか悩んだものだ。幸い、成長と共に少しずつ改善していき、今では基本、毎日出るようになっている。

生後5ヶ月頃からは、しょっちゅう咳を伴う風邪をひくようになる。8ヶ月頃までは、咳こんだ拍子に大量に吐いてしまうことも多く、本当に大変だった。深夜、激しく咳こんで、苦しそうにゼロゼロと喉をならす次女の背中をさすりつづけながら、不安で泣いたこともある。

そのほか、卵へのアレルギー反応や、一時的なひどい便秘など、次女には本当に手がかかり、「ようやく」1歳になった感がある。でも、そのせいか、次女に対しては「元気でいてくれるだけで親孝行」と思える。でも、そこではたと気づいた。なぜ、丈夫な長女に対しては、今まで、一度もそう思わずにきたのだろう?

次女が生まれてからのこの1年、私は毎日毎日、長女を叱りつづけてきた。やきもちを焼いて、次女が遊ぶおもちゃを取り上げたり、物を投げたりする長女の頭を、バシンとぶったことも一度や二度ではない。そのたびに泣き叫ぶ長女にイラだち、次女をだっこしながら「うるさいっ」と叫んだ。でも、今になって思う。長女だって次女と同じく、「元気でいてくれるだけで親孝行」なのである。けれど病気知らずゆえに、元気でいることが当然のことになってしまっていた。

だから今日は、二つの気持ちを記したい。次女には「1歳のお誕生日、おめでとう」。そして長女には「いつも元気でいてくれて、ありがとう」。

 

『キッザニア初体験』

2009年10月号

『キッザニア初体験』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

先週、はじめて家族でキッザニアに出かけた。子どもが好きな仕事を選んで働き、お給料(キッゾ)をもらい、そのキッゾで買い物や習い事を楽しむ屋内施設である。午後4時、豊洲のららぽーと内にあるキッザニアに到着。全日空、ヤクルト、森永、出光などなど、約50の企業によるユニークなパビリオンが商店街のように並んでいる。ここは「子どもが主役」なので、パビリオン内には子どもしか入れない。親はガラス張りのパビリオンの外側から、我が子が働く姿をじっと、ときにはハラハラしながら見守るのだ。

まず、娘にどの仕事を体験したいか聞くと「パン屋さん!」と即答。調理服に着替え、帽子をかぶり、パン屋のお姉さんの説明を聞いた後で、実際にパンづくり開始となる。神妙な顔をして真剣にパン生地をこねたり、まるめたりする娘をガラス越しに見つめながら、ついつい、「ほら、ちがうでしょ」と手を出したくなってしまう。隣のママもおんなじで、ガラス越しに息子に怒鳴っている(笑)。

試行錯誤しつつも、なんとか自力で作業を進めていく娘を見ながら、日頃、自分が必要以上に娘のすることに口や手を出しすぎていることを実感する。子育てにおいては、世話を焼くより、「待つ」「見守る」ことのほうが、実は何倍も難しいのだ。

そして、はじめての「仕事」を終えた娘が、焼きたてのパン3個と初任給5キッゾを手に、満面の笑顔でお店から出てきた。「さっちゃんが焼いたんだよ!お金ももらったよ!」と得意げである。夫と私にもひとつずつくれ、みんなで食べた。おいしかった。

その後も、ピザ屋、花屋などで働くうちに、あっという間に9時の閉館となる。帰りの電車の中、本日の稼ぎ、計20キッゾを手に握りしめたまま、娘はすぐに眠ってしまった。その寝顔を見つめながら、いつか娘が本当に社会で働く日のことを思う。現実の仕事は、そう甘くないけれど、それを知るのは、まだ先でいい。子どもの頃に働くことを「楽しいこと」としてイメージできるということは、大人になることに「希望」を感じられるということだから。

 

『たくさんの不思議』

2009年9月号

『たくさんの不思議』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

先子連れで十日間、伊豆の実家に帰省し、無事に戻ってきた。帰省中は、子ども達は親に押しつけて、ひとりの時間を満喫しようという野望もあったが、そうもいかず…。父も母も、趣味の活動やボランティアで忙しく、ほとんど毎日、外出してしまうのである。

かつては、そんな両親に不満を感じることもあった。でも、親が70を過ぎた頃から、「親もあと何年生きられるかわからない。元気なうちにしたいことをして、余生を存分に満喫してほしい」と思えるようになった。子どもだけでなく、私も少しは成長しているのである。

それでも、父は陶芸教室を、母はコーラスを休んで、帰省中に2回、みんなで海に行った。昨年は波を怖がって、「もう帰る~」と泣いていた3歳半の長女が、今年は自発的に波に近づいていくからびっくりだ。

繰り返し、繰り返し、よせてはかえす波の動きがたまらなく不思議なようで、「なんで、波がまた帰ってくるのぉ?」「どうして、また行っちゃうのぉ?」と、幾度も聴いてくる。「そんなこと、ママに聞かれても…」と思いつつ、「なんでだろうねぇ、不思議だねぇ」と答えながら、しみじみと噛みしめる思いがある。

そうなのだ。娘の言うとおり、海の波に限らず、この自然界は、たくさんの不思議で満ちているのだ。幼児の頃だけ、それを「不思議」と感じることができる。けれど、もう5歳くらいになると、「そういうものだ」という分別ができてしまい、当然のこととして受け止めるようになる。

長女が「不思議」を感じられる時間は、もう残りわずかだ。せめて、それまでの間に少しでも多くの不思議に出逢わせたい。なぜ、雨上がりに美しい虹がかかるのか、なぜ、秋になると葉っぱの色が変わるのか、どうして手のひらに落ちた雪がすぐに溶けて消えてしまうのか。その理由を科学的に理解するのは、大人になってからでいい。

 

『赤ちゃんの日光浴』

2009年9月号

『赤ちゃんの日光浴』

中舘慈子

 

こんな話を聞きました。イタリア在住のそのお母さんは、生後2週間の赤ちゃんに新生児黄疸が出たとき、かかりつけの医師に「海辺の太陽の光線を積極的に浴びさせてください。」と言われたというのです。新生児に海辺の日光浴?あまりにも無茶なのではないかと思いました。

日本でも光線療法と言って、赤ちゃんに人工的な光線を当てることにより、血液中のビリルビンを変化させて、体から排出する治療があると聞いています。しかし、海辺の紫外線は赤ちゃんにはあまりにも刺激が強すぎるのではないでしょうか・・・・?

6月のイタリアの海辺はまだ閑散としていましたが、海の家の管理人は陽気にベビーカーの赤ちゃんに笑いかけると、そのお母さんに言ったそうです。「赤ちゃんに海辺の光を当てることはとてもよいことです。今日も何人も小さい赤ちゃんが来ていますよ。」

パラソル越しの6月の優しい太陽を浴びて、赤ちゃんの肌はどんどん白くなっていったそうです。天然の光線がビリルビンを体から排出させるのを助けてくれたのでしょう。波の音、抜けるような青空も赤ちゃんとお母さんの心を癒したことでしょう。

とはいうものの、日本で新生児を海に連れて行くことがよいとは言い切れません。たとえば夏の湘南の海の紫外線はとても強く、大人でも火ぶくれができるほどです。赤ちゃんの海水浴は早くても1歳過ぎからにした方がよいと思います。それも万全の日焼け対策を忘れずに、短時間から・・・。

9月に入って、日差しがやわらかくなってきました。赤ちゃんをベビーカーに乗せて、外気浴をするのによい季節になってきました。日焼け止めや虫除けも忘れずにお出かけ下さい。木漏れ日、木々のそよぐ音や鳥のさえずり、澄んだ空気を感じながら、そして少し色づいてきた木の葉が揺れるのを見つめながら、赤ちゃんは自分が自然の一部であることを感じ、のびやかに育つ力を養われることでしょう。

 

『ことばのはじめ』

2009年8月号

『ことばのはじめ』

中舘慈子

 

お子さんが初めて話したことばは何でしたか?「ママ」だろうか?「パパ」だろうか?と楽しみにしていたご両親、意外とママでもパパでもなくて、10ヶ月くらいのときに「コレッ!」「ワンワン!」「キンギョ!」「デンチャ!」など思いがけないことばを初めて言ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

大好きな人とコミュニケーションをとりたいという意欲からことばが生まれます。ママが携帯メールに夢中になっていると、赤ちゃんはママにお話しても無駄だということを感じて、あきらめてしまうかもしれません。

小さな指で指差しをしては大きな声で「ア!!」「ア!!」という我が家の1歳1ヶ月の女の子。「ドージョ」「ハァーイ!」「ジョーチャン」などいくつかのことばは言えますし、お兄ちゃんと戦いごっこをするときには「タァ~ッ!」「エイエイ!」などとは叫びますが、まだ発音がはっきりしません。「ア!!」「ア!!」「ア!!」はそれぞれ「お花を見つけた!」「パンが食べたい!」「お外に行きたい!」と言っているのでしょう。「そうね、お花きれいね」「そうなの、パンが食べたいのね。あげましょうねえ」「お外に行きたいのね。いっしょに遊びに行きましょうね」というように彼女の思いをできるだけことばにして言うようにしています。

「わかっていること」「言いたいこと」が溢れるほどあるのに、まだまだことばに出して言えない時期。手で払いのけるのは「イヤ」、ママのほうに手を伸ばすのは「ママのところに行きたい」、本を指差すのは「ご本、読んで」。ことばにならないことばですが、こんなジェスチャーを「ことばのはじめ」としてしっかり受け止めたいと思っています。

 

『あとどれくらい』

2009年8月号

『あとどれくらい』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

毎年、夏は子連れで伊豆の実家に帰省する。特急の「踊り子」を使えば、埼玉の大宮から伊豆の下田まで、乗り換えなしで3時間ちょっとで着くのだが、我が家はいつも約5時間かけて、在来線を乗り継いでいく。浮かせた特急代で、親へのお土産とお弁当とお菓子を買う(飲み物は持参)。東海道線と伊豆急行線のボックス席を陣取り、のんびりと車窓を味わいながらいくのだ。車窓から海が見える熱海あたりから、ママとして生きる日頃の自分が少しずつ遠ざかり、娘の顔になって、遠い日の情景を思い出す。小学生の頃の私は、長い髪を三つ編みにして、母が縫うワンピースを着た、海沿いの町に住む、日に焼けた少女だった。あの頃は商店街がまだまだ元気で、百円の御駄賃がうれしくて、しょっちゅう肉屋や八百屋にお使いに行った。そして、お店のおじちゃん、おばちゃんも、子どもひとりのお客には、「お使い、えらいねぇ」と飴やキャラメルをくれた。

実家に着くと、母が満開の笑顔で迎えてくれる。七十を過ぎてから、母はずいぶんと老けてしまった。太っていた50代の頃より10キロ近く痩せたこともあり、なんだか年々、小さくなっているような気がする。ひざベルトや虫眼鏡を愛用する母は、元気だけれど、もう、完全に老人なんだと思う。

お茶を飲んだあと、私は二階に上がって少し休む。夕寝から覚めて下に降りていくと、縁側で、母と娘が笑いながら、野菜の皮をむいている。

二人の背を見つめながら、母が孫娘と過ごす夕暮れは、あとどれくらいあるだろうと思う。わたしがこうして、ママから娘に戻れるひとときは、あとどれくらいあるのだろうと、思いながら母の背を見ている。

「あぁ、お腹すいた。お夕飯なぁに」

三つ編みの頃と変わらない口調で、縁側の母の背に声をかける。

「しづちゃんが好きなグラタンよ」

母が、皮をむきながら言う。

 

『小学校時代の宝物』

2009年7月号

『小学校時代の宝物』

中舘慈子

 

7月の週末、小学校のクラス会がありました。2年おきに延々と続けられてきたのは、超几帳面な幹事が、計画を立て、案内の往復はがきを出し、その返信の内容と住所録をパソコンで打ち、クラス会の写真を数枚同封し、クラス全員に配布するという涙ぐましい努力を続けているおかげです。60人以上いたクラスメイトの中で住所不明者は数名しかいません。

もうひとつ忘れてならないのは、先生の魅力です。給食の時間に「ビルマの竪琴」を読んでくださったときに、「オレ泣いちゃうから後ろで読むよ」とおっしゃったことを私が話すと「覚えているよ。後ろ向いたら、読むのやめちゃうよ」と言ったよね、と先生。秋になると先生の家の庭にみんなで柿を取りに行ったこともありました。小学4年から6年の担任でしたが、生徒に本気で向かい合ってくださったことをしっかりと覚えています。今回は深夜まで話が弾み、先生自身が胸に秘めていたいろいろな経験談、授業についていけない生徒を放課後に残して個人指導をしたら上司に叱られた話など・・・、をうかがうことができました。傘寿の先生と還暦を過ぎた生徒。大人同士として共感しあうことができました。

今はクラス替えも多いとのこと。それはそれで多くの出会いが経験できるでしょうが、持ち上がりのクラスの先生と生徒の親密なふれあいは、かけがえのない宝物のように思えます。

 

『姉妹というもの』

2009年7月号

『姉妹というもの』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

3歳半の長女と8か月の次女が、いっしょにたわむれて遊ぶようになってきた。といっても、次女はおでぶちゃんすぎて、まだお座りもできないので、長女が次女のむっちり手足をもって揺らしたりしている。次女がきゃっきゃっと笑うと、「ママ~、おりちゃん、笑ってるよ」と、長女もはしゃぐ。そんな姉妹の情景に家事をする手を休めて、しばし見とれてしまう。そして、私と姉にもこんな時があったのだろうかと思う。

姉とは5歳離れていて、しかも間には私と年子の兄がいる。子どもの頃は、いつも兄と遊んでいて、姉とは少し遠かった。6年生頃から姉と同じ部屋になり、親しくなったかというとそうでもない。末っ子の私に両親が甘かったのが気にいらなかったのだろうか、当時の姉は、今、思いだしても、ずいぶん露骨に私を疎んじていたと思う。「うるさいから、あっちいってよ」と、何百回言われたことか…。私も私で、そんな姉にたいして憎まれ口ばかり聞いていた。

そんな、決して仲がいいとは言えない姉妹だったのに、大人になった今、姉とときどき会うとけっこう楽しい。友人とはちがい、どこまでもリラックスしている自分がいる。姉も、かつては子ども扱いしてバカにしていた私に愚痴をこぼしたり、相談してくる。ご飯を食べながら、しゃべりまくっているうちに、あっという間に数時間が過ぎてしまう。

かつては同じ家の同じ部屋に帰っていた姉と私だが、今は電車で4時間の離れた場所に住み、それぞれの家族が待つ家へと帰る。新宿駅で「じゃぁね、バイバイ」とあっさり言って、異なるホームへと歩きはじめ、階段付近で姉の行ったほうをなにげなく見ると、姉も雑踏のなかで、私のほうを見ていたりする。そんなときは、姉へのいとおしさがこみあげて、一瞬、視界がぼやけたりする。「今、私は妻でも母でもなく、妹の顔をしている」と思いながら手をふる。そして手をふる姉も、姉の顔をしている。

 

『子どもの友達』

2009年6月号

『子どもの友達』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

長女が保育園に通い始めてからのこの2か月は、咳がなかなか完治しなかったり、突然、発熱したりで、結局、月の半分は休んだ。「集団生活がはじまったら、最初の1年はウイルスとの戦い」とは聞いていたが、これほどとは思わず、病気以外にもストレスなどの精神的な負担が強いのではと、私もずいぶん悩んだ。思い切って、ひと月ほど休園させようかとも思ったが、長女は保育園を嫌がっておらず、むしろ行きたがっているので、もうしばらく、様子を見ることにしている。

帰宅後、「今日は保育園でなにしたの?」と娘に聞くと、「おすなば~」「おもちゃ~」、「ちゅべりだい」など、うれしそうに答える。マイペースかつ家の外では内弁慶な娘なので、ひとり遊びの時間が多いようだ。早く、お友達の名前が出ないかなぁと思っていたら、ようやく先月末、「○○ちゃんと遊んだ~」という言葉が、ぽろりと娘の小さな口から出た。そのときの私のうれしさといったら…。娘の送り迎えは主人がしているので、○○ちゃんがどんな子かわからないけれど、きっと面倒見のいい子なんだろうなぁと思った。

それからも、その○○ちゃんの名前が、しょっちゅう娘の口から出るようになり、「○○ちゃん、だいしゅき~かわいい~やさし~」と、のろけている。先日、主人に代わってお迎えにいったときに、「○○ちゃん、どこ?」と娘に聞いたら、娘が私の手をもって、○○ちゃんのところに連れていってくれた。そして、はじめて、○○ちゃんがダウン症であることを知った。

「○○ちゃん、いつもさっちゃんと遊んでくれてありがとうね。さっちゃんはね、○○ちゃんのことが大好きだって」ひざをついて、ゆっくりとそうつたえたら、メガネの奥から、なんともいえない優しいまなざしで見つめられ、思わず両手で抱きしめてしまった。こんなにも強く、人の子を愛おしく感じたのは初めてで、娘をつうじて、私も成長していくんだなぁと思った。