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子育てエッセイ

小学1年生

2007 年4月号

『小学1年生』 中舘  慈子

今から、半世紀以上昔のこと、今の保護者の皆様のお父さん、お母さんの小学校時代の話です。私は、疎開先の三重県で育ったので、幼児教育を受けることもなく、小学校に入りました。一人っ子だった私には、初めての小学校での体験の印象は強く、こんな出来事を覚えています。

一年A組の担任は谷内先生でした。セピア色になった昔の写真を見ると、若くて目の大きいキリッと美しい先生でしたがごつごつ硬い感じがしました。隣のB組の後藤先生はふわふわとやわらかい感じがして、なんだか優しそうでした。  

ある日「よくできました」「もうすこしがんばりましょう」と桜の花の中に書いてあるはんこが先生の机の上に出しっぱなしになっていたので、休み時間にみんなで手に押して遊んでいました。授業が始まりあわてて席に着くと、先生はいきなり怖い顔をして「はんこをいたずらしていた人は前に出なさい」と言いました。正直に前に出た子もいたし、出ない子もいました。私は手を挙げて前に出ました。  「はんこを押した手を上げなさい」と言われ、ほかの子たちは片手を上げたのに、私ひとり両手を上げました。右にも左にもはんこを押して遊んでいたのです。

先生は一人一人の頭を黒板にぶつけて怒りました。いやな気がしがしました。正直に前に出た子だけが辱められていたからです。しかもそれだけで済まず、あやまりかたが悪いと先生は鬼のような顔になって三人を廊下に追い出しました。京都から来ていたはつこちゃん、せつこちゃん。そして東京から来ていた私でした。  「そうや  なきまねしよ」   せつこちゃんが言いました。廊下にうつぶして泣きまねしているうちに、悔しくて悔しくて涙が出てきて、廊下に黒い染みをつけました。  

「立たされとんのやな」 「この子  ほんまに泣いてはるわ」   上級生が顔を覗いて通り過ぎていきました。  

「そうや  後藤せんせのとこ、いこ」?
「A組やから  ええくみや」と言っていた私たちですが、後藤先生のB組ならどんなによかったかと内心思っていました。私たち三人は後藤先生の教室にすたすた入っていきました。 不条理というものを初めて知った1年生の思い出です。

生殖ビジネスのゆくすえ

2007 年 4月号

『生殖ビジネスのゆくすえ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、タレントのMさんが米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児について、最高裁がMさん夫妻の実子と認めない判決を出した。けれども、「立法による速やかな対応が強く望まれる」と、認める法律の整備を促しているところが興味深い。

代理出産の是非については、ケースごとに理由も異なるので、なんとも言えない。子宮を摘出した女性にとっては、遺伝子をひきつぐ子どもを持つにはこれしか手段がないわけだから、禁止するのも酷である。けれども、米国では「体型をくずしたくないから」、「仕事を中断したくないから」「高齢出産なので、障害児が産まれたら困るから」といった理由で代理出産を依頼する女性のケースもあるというから驚きである。もっとも恐れるのは、米国を中心とする、民間業者が介入しての「生殖ビジネス」が、坂道を転がる勢いで世界に普及していることだ。

多くの人々が米国を嫌う理由のひとつに、生命誕生の神秘や倫理を無視して、どこまでも合理性を追求するお国柄があると思う。その最たるものが精子バンクではないだろうか。実際に見たことがある人の話によると、精子カタログには提供者である男性の最終学歴や、体格、瞳の色、なかには顔写真まで掲載されているそうだ。もちろん、精子を提供した男性はビジネスとして報酬を得ている。シングルマザーが珍しくない米国において、子どもは「夫婦の愛の結晶」ではなく、女性がひとりで「選んで買えるもの」といっても過言ではない。

いっぽうで、代理出産は、女性が「子宮で胎児を育てる機能」を使って多額の報酬を得るというビジネスになっている。経済的に苦しい状況の女性が、お金のために何度も代理出産を引きうける事態にだってなりかねない。もっとも懸念するのは、もし、代理出産で産まれた子どもに障害があった場合、依頼者は「立派に育てよう」という確固たる意志が持てるのだろうか。

最近は韓国や東南アジアなどでも、民間業者が米国よりも遥かに低価格での代理出産をあっせんしているという。このまま、民間業者による生殖ビジネスがエスカレートしつづけたら、10年後には、女性は子どもが欲しいと思ったら、精子カタログで好みの男性の精子を購入し、仕事のブランクをつくりたくないので、自分の卵子を提供してお金さえ払えばOKの民間業者による代理出産で別の女性に産んでもらうということが珍しくなくなっているかもしれない。

人間は簡単に手に入るものほど、その価値を見失うものである。せめて、不妊に悩む夫婦のみを対象にした、政府が管理する「非営利」の生殖補助医療機関ができることを願う。

水辺の光景

2007 年 3 月号

『水辺の光景』   中舘  慈子

蓮の枯れた茎の折れ曲がった直線が、池の面に無数に突き刺さっている。その下をさまざまな種類のかもが、あるものは水面下にもぐり、あるものは仲間同士ふざけあい、春の初めの温かくなってきた水の感触を楽しんでいる。一羽のキンクロハジロが、つと潜ると、長い長い潜水を始めた。潜っている水面には小さな波紋が広がり、隠れているつもりなのかもしれないが、居場所はすぐにわかる。

数分とは経っていなかっただろうが、かなり長い時間の潜水のあと、キンクロハジロは頭をぶるぶるっとふるわせて、果敢に水面に上半身を現した。「うまい  うまい」と手をたたくとこちらを一瞥して、また長い潜水を始めた。なんとなく、人間の視線を意識しているようだ。暫くして水面に顔を出すと、きょろきょろとあたりを見回している様子が、なんとも愛らしかった。

さまざまな鴨の仲間、ユリカモメなどが集まっている一角があった。近づいてみると父親と幼い女の子がパンをちぎって池に投げていた。二人とも言葉を交わすわけでもなく黙々とパンを投げ続けている。女の子の顔は真剣である。パンはあまり遠くに飛ばずに足元の水に落ちることもあるし、うまくちぎれずに大きなまま池の中に落ちて、強そうなユリカモメ1羽がそれをくわえていくこともある。女の子は何を考えていたのだろうか。穏やかな優しい時が流れていた。

また少し歩くと、「・・・しなくちゃだめだよ!  わかってんの?」という金切り声が聞こえてきた。母親が二人の子どもを怒鳴りつけながら歩いているところだった。子どもたちは特に悪いことをしているわけでもなく、黙って母親に従っていた。いらいらした空気があたりを震わせていた。

次は2歳くらいの子どもが大泣きをして、父親に抱かれて歩いている光景と出合った。その横で母親が子どもに怒っている。2歳児は、眠いか、疲れたか、おなかがすいたか、のどが渇いたか・・・いずれかのときに、わけのわからないことを言って大泣きする。そんなときに怒って、ぴりぴりした気持ちにさせても逆効果である。それがわかっていても、母親だって疲れていることもいらいらすることもあり、あとで反省したりするのだろう。

肩車をしている父親と、二人乗りのベビーカーを押している父親の横を談笑しながら歩く二人の母親ともすれちがった。幸せそうだった。

どちらにしても、家族で休日を楽しもう、子どもを喜ばせようと水辺に来た人たちには違いない。親にも子どもにも良い思い出がたくさん残っているようにと祈らずにはいられなかった。 学生時代の友人たちと束の間のおしゃべりの時間を楽しみにきた水辺だったが、どうしても子ども連れの家族の光景に目が行ってしまった。少し気になったのは、いらいらしている家族が日本人の家族だったことである。

在宅ワークママのシッター活用

2007 年3月号

『在宅ワークママのシッター活用』
     
浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

このところ、「教育と愛国心」をテーマにした長編ルポにかかりきりになっている。1歳の娘の相手をしながらの執筆で、なかなか仕事がはかどらずにイライラしがちな私を見かねてか、とうとう夫が「たまにならベビーシッターを頼んだら」と言った。その瞬間は「私が家にいるのに、もったいない」と感じもしたが、「それで仕事の質も効率もあがって、娘と私の精神状態も落ち着くのなら」と、トライしてみることに決めた。

もっとも集中したい日時を決め、クラブ  デル  バンビーノにシッターを依頼する。早速、幼稚園や保育ルームでの勤務経験がある 50 代のシッター、Sさんを紹介された。承諾後、前日の夜、Sさんから確認の電話を頂く。丁寧な話し方と、やさしげな声にほっとし、電話による第一印象ってこんなに大きいんだなぁと実感した。私は、かつてシッターをしていた頃、はじめて伺うシッター先に、こんなに感じよく電話をかけていただろうか。

当日、最寄のバス停までSさんを迎えに行ったら、50代とは思えない上品なマダムが立っていてびっくりした。歩きながら、おしゃべりもはずむ。家に到着すると、Sさんはソックスをはきかえ、エプロンをつけて手を洗うと、早速、娘と遊びはじめた。はじめはもじもじしていた娘だが、5分もしないうちに遊びはじめ、私はお茶をいれて簡単な説明をすませると、即、仕事部屋にこもり、仕事を開始する。ときおり、「さっちゃん、すごぉい!」とほめられて、きゃっきゃと笑う娘の声が聞こえるたびに、「さすがプロだわ~」と、にんまりしてしまう。

だが、1時間を過ぎた頃から、娘が泣き出した。心配で様子を見にいき、授乳する。それでも泣きやまないので、夜の離乳食をちょっと早いけどチンして、Sさんに食べさせてもらうことにする。仕事部屋に戻ってからも何度か泣き声が聞こえたが、ここでまた出ていっては、シッターを頼んでいる意味がない。心を鬼にして耳栓をし、一心不乱に仕事をつづける。たったの3時間でも、集中すれば、こんなに進むものなのだと我ながら驚くほど、はかどった。

終了10分前にリビングに戻り、お茶を飲みながら、最近、受けようか迷っていた水疱瘡の予防接種などについて相談する。育児の先輩でもあり、保育士や幼稚園教諭の免許を持つSさんのアドバイスは、とても心強い。帰りもバス停まで送るという私にSさんは恐縮したが、私がもう少しSさんと話したかったのだ。夜道をおしゃべりしつつ歩きながら、シッターには、育児中の母親の孤独感や閉塞感を癒す要素もあるなぁと思った。まだまだ、日本ではシッターの利用は経済的に余裕のある家庭に限られているけれど、企業だけでなく、自治体からの補助などでシッター利用がもっと普及すれば、母親の育児ノイローゼや虐待も確実に減るだろう。
 
帰宅後、Sさんが記入したサービス実施確認表を読む。私が仕事に没頭している間、娘とどう過ごしたかが詳しく書かれていて、「もうそんなことができるんだ」など、私が知らなかった、または気づかなかった娘の側面も知ることができておもしろい。おむつチェックもまめにしてくれている。娘は久しぶりにじっくりと遊んでもらったせいか、しごくご機嫌でお風呂の後はすぐに寝ついてくれ、久しぶりにゆったりとした夕食後のひとときを過ごした。Sさん、ありがとう。

在宅ワークと育児の両立

2007 年 2月号

『在宅ワークと育児の両立』
 
浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

新年早々、長編ルポを3本執筆することになり、この十日間というもの、一日平均して計8時間は仕事部屋にこもり、パソコンに向かっている。私が仕事部屋でパソコンに向かっている間、娘は隣の和室(出られないよう柵をしてある)で遊ばせるか、または、歩行器に乗せてリビングで遊ばせている。仕事部屋は大切な書類や資料が山積みなので、極力いれないことにしているのだ。でも、当然ながら、娘がごきげんに遊んでいてくれるひとときはそう長くつづかず、しばらくすると、泣くかぐずるかしはじめる。放っておくと大泣きに発展するので、そのたびにあやしにいき、積み木や絵本でしばらく相手をし、機嫌が戻ったところで、また仕事部屋に戻る。これを30分ごとに繰り返しながら、私の原稿はしあがっていく。

相手をしつづけないと、どうしてもダメときは「おんぶ」である。不思議なもので、娘はおんぶされるとおとなしくなる。ママの背中のぬくもりに安心するのだろうか。ぎゃんぎゃん泣かれたり、仕事部屋で遊ばせるリスクを考えたら、たとえ重くても背負っているほうがいい。

9.5 キロの娘をおんぶひもで背中にくくりつけ、私はもくもくと原稿を書く。途中、何度も書棚のファイルや資料を見るために立ちあがるのだが、娘をおんぶしていることを忘れて立とうとして、あまりの重みにバランスをくずし、後ろにひっくりかえりそうになったこともある。月に一度のご褒美で、近所の整骨院にマッサージに行くたびに、「肩も腰も、石みたいに凝ってますよ」と言われ、そのたびに、今後も増え続ける娘の体重を思い、ため息が出てしまう。

夕暮れの西日が差しこむ琥珀色の仕事部屋で、娘を背負いながら本棚の前に立ち、ファイルをめくっていると、窓から夕焼けが見えることがある。しばし手を休めて、ベランダ越しの美しい夕焼けを見つめていると、なんとも言えず感傷的な気持ちになる。正直、保育所の利用を考えたことがないわけではないが、娘のぬくもりを背に感じながら夕焼けを見つめていると、娘と半日離れていることがたまらなく淋しく感じられる。毎月の保育料だってかなりの額である。

昨晩、とうとう夫が「俺がいないときで、本当に仕事が大変なときは、シッターさんに来てもらったら?たまになら、いいよ」と言ってくれた。たぶん、私が仕事がはかどらずに、相当不機嫌だったからだろう。夫の気が変わらないうちに、早速申しこむことにする。次回は、シッター初活用について、元シッターの視点も含めて書こうと思っている。

子どもが学校に行きたくないというとき

2007 年 1月号
 
『子どもが学校に行きたくないというとき』
            
中舘  慈子

お子様はいろいろな形で心のメッセージを伝えようとします。たとえば、小学 1年生が涙をためて「学校に行きたくないの。」と言った時にどう対応されますか?    「何言っているの。早く学校に行きなさい。」「またさぼろうとしているのね。怠けていてはだめよ。」「そんなにいやならやめちゃいなさい。」などとつい言ってしまうことはないでしょうか?  お子様は「ママも自分の気持ちをわかってくれない。」と思って口を閉ざしてしまうかもしれません。
 
「そう。何か行きたくないわけがあるのね。ママに話してみてくれる?」と優しく聞いてみたり「そう。何かいやなことがあるの?」と直接的に聞いてみたりする方法もあるでしょう。そうすれば、お子様は「ママは自分の行きたくない気持ちをわかってくれた。」と感じ、心を開いてくれるのではないでしょうか。「実はいじめっこがいるの。」というかもしれません。あるいは「先生が授業中無視して、手を挙げてもさしてくれないの。」と言うかもしれません。なかなか答えてくれないお子様もいるかもしれませんけれども・・・。  

どんな場合にも、親は子どもの味方で子どもを信じているというメッセージを伝えてください。たった一人でも本当に信じてくれる人、本当の味方がいれば、子どもは自分自身を大切にしようと思うに違いありません。少し時間がかかるにしても・・・。

子育て中の妻と夫

2006 年 12月号

『子育て中の妻と夫』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

これが、今年書く最後のエッセイである。去年の今頃は、臨月の大きなお腹をさすりながら、このエッセイを書いていた。年明け早々に子どもが産まれてからのこの1年、毎月、月半ばと月末に、このエッセイを書きながら、子育てや夫婦の関係など、いろいろなことを考え、自分自身に問うてきた。中でも「夫婦」という、この不思議な関係について、よく考えた気がする。

子どもができる前と後では、夫婦の関係はずいぶんと変わるものだ。それまでは、妻(女)として、夫(男)としての役割だけだったのが、おたがい、母として、父としての役割も担うことになる。夫が私を見る目も、「妻」としてだけでなく、「母」としてどうかが含まれていくのだ。

この1年の私について尋ねたら、「母」としては、かなりの高得点だった。たしかに、はじめての子どもということもあって、ズボラな私にしてはずいぶんマメにいろいろやってきた。毎日、離乳食も凝ったものをつくっているし、家事の合間に、娘と遊ぶひとときも大切にしている。いっぽう、「妻」としては赤点で、私もその判定に反論する気はない。離乳食づくりに追われて、お夕飯は三日に一度は焼き魚だったし、掃除もサボり気味だった。その上、家にいるときは、ひっつめ髪にすっぴん、しかもよだれなどで汚れてもいい部屋着ばかり着まわすといういでたちで、たとえ夫に浮気されても、仕方ないかと思わざるを得ない。

たぶん、私に限らず多くの妻は、子どもという手のかかる(お金もかかる...)存在が新たに登場すると、子どもを育てていく使命が最優先になり、妻として、女としての点数は限りなく低くなっていくと思う。それが原因で、浮気に走る夫も世の中には少なくない。だが、取引先の男性編集者に言わせると、深夜でも、娘の泣き声に飛び起きて授乳したり、だっこして部屋をうろうろする妻の姿に、多くの男性は、これまでとは異なる新しい感情を抱くらしい。言葉で表現するのは難しいが、近い言葉を探すと、「いじらしさ」「健気さ」「慈しみ」「母の崇高さ」らへんが該当し、女として、妻としての魅力はガタ落ちでも、「まぁ、いいか」と思えるのだそうな。

だが、世の夫たちのその感情も、いつまでもつかはわからない。子どもがいても離婚する夫婦は、もはや珍しくない。「せめて週に一度はスカートをはき、お夕飯は夫の食べたいものをつくる」。これが、来年の私の抱負である。

友達夫婦からの変化

2006 年 12月号

『友達夫婦からの変化』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今日は、私の誕生日、そして二度目の結婚記念日である。昨年の今日は、予定日まであとひと月の大きな大きなお腹を抱えて、長野県の上田市にある宅老所(高齢者デイサービス)へ泊りがけの取材に行っていた。夕方、取材を追えて、夜8時頃、駅の改札まで迎えに来てくれた夫の姿を見たとき、柄にもなくホロリとしたことを覚えている。

私は転勤族の子で、ふるさとと呼べるような、帰りたいと懐かしむような場所は、地球上のどこにもない。でも、というか、だからこそなのかもしれないが、改札の向こうで手をふる夫の姿を見たとき、漠然と、この人が私とお腹の子の帰る場所なんだと感じた。私の帰る場所は、地名でも建物でもなく、人なのだと。

翌年の1月に子どもが産まれてから、私の仕事量はガタンと減り、当然、毎月の収入も減った。それまでは、おたがいに生活費を出しあって暮らしていたのだが、当分は私の収入はお小遣い程度である。夫は絵の仕事のかたわら、塾の講師のアルバイトをするようになり、週3~4日は帰宅が夜11時過ぎになった。アルバイトに行くようになってから、絵を描く時間が大幅に減ってしまい、雑誌のイラストの締め切りに追われて、深夜まで絵を描いている夫に、申し訳ないような気持ちになった。

でも、ほとんど夫の収入で生活するようになったこの1年で、私も夫も成長したと思う。夫は大黒柱としての責任感が増したぶん、人間としての深みも増してきたし、私は私で、以前よりも夫に対して優しくなった気がする。共稼ぎだった頃は、夫とは限りなく対等な友達夫婦で、家事はそれなりにやっていたけれども、夫を立てたり、夫に尽くすといった妻らしさがなかった。だが今は、疲れている夫をいたわってあげたいと思えるし、かつてはキツイ口調で言っていた文句も、多少はオブラートに包むようになった。長い夫婦の歳月の中では、ひとときくらい、どちらかの収入だけでやっていく時期があったほうが、関係性にも変化が生じていいのかもしれない。もちろん、私が稼ぎ頭になるケースも含めてである。

数年後、娘の手がかからなくなったら、また、本格的に仕事をしたいとは思う。でもそうなったら、夫に対する今のこの優しい感情を失わずにいられるか、不安でもある。

帰り道 思わず笑う私

2006 年 12 月号

『帰り道  思わず笑う私』

森田公子(クラブ  デル  バンビーノ  チーフサポーター)

先日、NHKでの臨時託児室でのお仕事のときのことです。
スタジオパークも見学させていただき部屋に戻ると、かつお君似の 10 歳くらいの男の子が近づいてきて、
「ねえ、芸能人でしょ?」
私はキョロキョロ辺りを見回して、「誰?」。
その子の指先は私の鼻先へ。「日曜日出てるよね。見たことあるもん。」
「違いますよ。私  シッターだもの。」
「え~~  サイン欲しいよ~~。」

冗談とも本気とも、からかわれているようでも・・・・。妹さんもいっしょに「サインして欲しい♪  ♪」合唱しています。
「廊下にヒゲの人いるでしょ。付き人でね。」
「ア!  本当だ!」
「サインなんか上げると怒られちゃうのよ。」
「やっぱり芸能人だ~~」

小さい子と遊んでいるシッターは、後ろでクックッと肩を揺らして笑っている。もう根負けで(日曜日の番組って  サザエさん?  と思いながら)「磯野公子」とサイン。
「やった~!  ありがとう。あれ?  いつもとぜんぜん違うね。化粧も服も。」
スタジオ収録が終わったお母様に、小躍りして紙をヒラヒラさせて、
「お母さ~ん、サインだよ」。
お叱りでもいただくかとドキドキしながらお母様の前で頭を下げる。
「あら、あなたが磯野公子さん?  お世話になりましたね。」とてもおおらかである。
「私、子どもたちに言っておいたんです。“NHKにいる人はみんな芸能人。サインもらいなさいね”と。」

アハハハハ  高らかな笑い声。一本とられました。明るい家庭はこのようなお母様からと、ほっとしました。帰り道、「私ってサザエさん?」と思いながら、ひとりで笑ってしまいました。

今、学校で苦しんでいる子どもたちへ

2006 年 11月号

『今、学校で苦しんでいる子どもたちへ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

いじめ自殺が全国各地で相次いでいる。私自身、いじめられたことがあるので、連日、いたたまれない思いでいる。これまでいじめに関する記事を何度も書いてきたが、多くは大人や教育関係者を対象とする一般誌・専門誌で書いたもので、今、苦しんでいる子どもへ向けて、直接書いたものではなかった。このエッセイを読む方の多くは、お子さんがいる方々だと思う。だから、この場を借りて、どうしても子どもたちへ向けて最低限つたえたいことを簡潔に書きたい。これは、これまでに現役中学生や教育関係者から聴いた意見をまとめたものである。もし、身近な子どもが学校の人間関係で苦しんでいたら、このメッセージをつたえてほしい。

①ひとりで我慢していては絶対ダメ。家族や塾の先生など、信頼できる大人、友人に打ち明ける。

②「チクッた」と、さらにいじめられることを恐れてガマンし続けない。勇気を出して先生に訴える。担任が信頼できなかったら、ほかの信頼できる先生に訴える。

③その後、学校へ行くのが怖かったら、しばらく学校を休む。被害者が学校を休むことで、学校もようやく事態の深刻さに気づき、より真剣にとりくむ。強気だった加害者側も、弱気になる。

④もし、先生から指導を受けた加害者側が、さらに攻撃してきたら、先生にその旨つたえる。要は、加害者側に「こいつは、やられっぱなしじゃない」と理解させること。

⑤先生に相談後、いじめは終わったけれど、「チクッたから」と、クラスでひとりぼっちになるケースもある。でも、このまま、いじめられつづけるのと、仲間外れと、どちらがよりつらいかを考える。しばらくは仲間外れでも、少しずつ、心ある同級生が声をかけてくることは多い。

⑤もう、その学校へ行くのがどうしても嫌、または無理なら、転校すればいいことである。現在、転校は決して難しいものではないし、決して「逃げ」ではない。新しいスタートである。

⑥もし、学校という場そのものに恐怖や絶望を抱いているなら、学校へ行かなければいい。現在は、学校に代わるフリースクールがあちこちにある。学校へ行かない間はフリースクールに行けば勉強はつづけられるし、友達もできる。出席日数としてカウントもされる。

⑦自殺は最大の親不孝である。親にしてみたら、子どもに死なれてしまうことを考えたら、転校・留学はもちろん、遠くの街へ引越すことさえ、なんでもないことを、つねに自覚する。買った家だから、引っ越せないなんて思わない。引っ越したら、元の家は人に貸せばいい。

⑧転校・留学、不登校、引越しは決して「逃げ」ではない。まずは、自分が安全地帯に入り、加害者側に「自分がどれだけひどいことをしてきたか」を自覚させる手段である。 ⑨もし、お父さんが会社が嫌で自殺したら「会社なんて、他にもいくらでもあるのに」と思うはず。それと同じで、学校なんて他にいくらでもある。

⑩あと3年生きれば、今の何倍も住む世界が広くなる。「あの頃は、学校なんていう超狭い世界の中だけでのことで、なんであそこまで苦しんだんだろう」と、必ず、必ず思えるようになる。