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子育てエッセイ

友達夫婦からの変化

2006 年 12月号

『友達夫婦からの変化』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今日は、私の誕生日、そして二度目の結婚記念日である。昨年の今日は、予定日まであとひと月の大きな大きなお腹を抱えて、長野県の上田市にある宅老所(高齢者デイサービス)へ泊りがけの取材に行っていた。夕方、取材を追えて、夜8時頃、駅の改札まで迎えに来てくれた夫の姿を見たとき、柄にもなくホロリとしたことを覚えている。

私は転勤族の子で、ふるさとと呼べるような、帰りたいと懐かしむような場所は、地球上のどこにもない。でも、というか、だからこそなのかもしれないが、改札の向こうで手をふる夫の姿を見たとき、漠然と、この人が私とお腹の子の帰る場所なんだと感じた。私の帰る場所は、地名でも建物でもなく、人なのだと。

翌年の1月に子どもが産まれてから、私の仕事量はガタンと減り、当然、毎月の収入も減った。それまでは、おたがいに生活費を出しあって暮らしていたのだが、当分は私の収入はお小遣い程度である。夫は絵の仕事のかたわら、塾の講師のアルバイトをするようになり、週3~4日は帰宅が夜11時過ぎになった。アルバイトに行くようになってから、絵を描く時間が大幅に減ってしまい、雑誌のイラストの締め切りに追われて、深夜まで絵を描いている夫に、申し訳ないような気持ちになった。

でも、ほとんど夫の収入で生活するようになったこの1年で、私も夫も成長したと思う。夫は大黒柱としての責任感が増したぶん、人間としての深みも増してきたし、私は私で、以前よりも夫に対して優しくなった気がする。共稼ぎだった頃は、夫とは限りなく対等な友達夫婦で、家事はそれなりにやっていたけれども、夫を立てたり、夫に尽くすといった妻らしさがなかった。だが今は、疲れている夫をいたわってあげたいと思えるし、かつてはキツイ口調で言っていた文句も、多少はオブラートに包むようになった。長い夫婦の歳月の中では、ひとときくらい、どちらかの収入だけでやっていく時期があったほうが、関係性にも変化が生じていいのかもしれない。もちろん、私が稼ぎ頭になるケースも含めてである。

数年後、娘の手がかからなくなったら、また、本格的に仕事をしたいとは思う。でもそうなったら、夫に対する今のこの優しい感情を失わずにいられるか、不安でもある。

帰り道 思わず笑う私

2006 年 12 月号

『帰り道  思わず笑う私』

森田公子(クラブ  デル  バンビーノ  チーフサポーター)

先日、NHKでの臨時託児室でのお仕事のときのことです。
スタジオパークも見学させていただき部屋に戻ると、かつお君似の 10 歳くらいの男の子が近づいてきて、
「ねえ、芸能人でしょ?」
私はキョロキョロ辺りを見回して、「誰?」。
その子の指先は私の鼻先へ。「日曜日出てるよね。見たことあるもん。」
「違いますよ。私  シッターだもの。」
「え~~  サイン欲しいよ~~。」

冗談とも本気とも、からかわれているようでも・・・・。妹さんもいっしょに「サインして欲しい♪  ♪」合唱しています。
「廊下にヒゲの人いるでしょ。付き人でね。」
「ア!  本当だ!」
「サインなんか上げると怒られちゃうのよ。」
「やっぱり芸能人だ~~」

小さい子と遊んでいるシッターは、後ろでクックッと肩を揺らして笑っている。もう根負けで(日曜日の番組って  サザエさん?  と思いながら)「磯野公子」とサイン。
「やった~!  ありがとう。あれ?  いつもとぜんぜん違うね。化粧も服も。」
スタジオ収録が終わったお母様に、小躍りして紙をヒラヒラさせて、
「お母さ~ん、サインだよ」。
お叱りでもいただくかとドキドキしながらお母様の前で頭を下げる。
「あら、あなたが磯野公子さん?  お世話になりましたね。」とてもおおらかである。
「私、子どもたちに言っておいたんです。“NHKにいる人はみんな芸能人。サインもらいなさいね”と。」

アハハハハ  高らかな笑い声。一本とられました。明るい家庭はこのようなお母様からと、ほっとしました。帰り道、「私ってサザエさん?」と思いながら、ひとりで笑ってしまいました。

今、学校で苦しんでいる子どもたちへ

2006 年 11月号

『今、学校で苦しんでいる子どもたちへ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

いじめ自殺が全国各地で相次いでいる。私自身、いじめられたことがあるので、連日、いたたまれない思いでいる。これまでいじめに関する記事を何度も書いてきたが、多くは大人や教育関係者を対象とする一般誌・専門誌で書いたもので、今、苦しんでいる子どもへ向けて、直接書いたものではなかった。このエッセイを読む方の多くは、お子さんがいる方々だと思う。だから、この場を借りて、どうしても子どもたちへ向けて最低限つたえたいことを簡潔に書きたい。これは、これまでに現役中学生や教育関係者から聴いた意見をまとめたものである。もし、身近な子どもが学校の人間関係で苦しんでいたら、このメッセージをつたえてほしい。

①ひとりで我慢していては絶対ダメ。家族や塾の先生など、信頼できる大人、友人に打ち明ける。

②「チクッた」と、さらにいじめられることを恐れてガマンし続けない。勇気を出して先生に訴える。担任が信頼できなかったら、ほかの信頼できる先生に訴える。

③その後、学校へ行くのが怖かったら、しばらく学校を休む。被害者が学校を休むことで、学校もようやく事態の深刻さに気づき、より真剣にとりくむ。強気だった加害者側も、弱気になる。

④もし、先生から指導を受けた加害者側が、さらに攻撃してきたら、先生にその旨つたえる。要は、加害者側に「こいつは、やられっぱなしじゃない」と理解させること。

⑤先生に相談後、いじめは終わったけれど、「チクッたから」と、クラスでひとりぼっちになるケースもある。でも、このまま、いじめられつづけるのと、仲間外れと、どちらがよりつらいかを考える。しばらくは仲間外れでも、少しずつ、心ある同級生が声をかけてくることは多い。

⑤もう、その学校へ行くのがどうしても嫌、または無理なら、転校すればいいことである。現在、転校は決して難しいものではないし、決して「逃げ」ではない。新しいスタートである。

⑥もし、学校という場そのものに恐怖や絶望を抱いているなら、学校へ行かなければいい。現在は、学校に代わるフリースクールがあちこちにある。学校へ行かない間はフリースクールに行けば勉強はつづけられるし、友達もできる。出席日数としてカウントもされる。

⑦自殺は最大の親不孝である。親にしてみたら、子どもに死なれてしまうことを考えたら、転校・留学はもちろん、遠くの街へ引越すことさえ、なんでもないことを、つねに自覚する。買った家だから、引っ越せないなんて思わない。引っ越したら、元の家は人に貸せばいい。

⑧転校・留学、不登校、引越しは決して「逃げ」ではない。まずは、自分が安全地帯に入り、加害者側に「自分がどれだけひどいことをしてきたか」を自覚させる手段である。 ⑨もし、お父さんが会社が嫌で自殺したら「会社なんて、他にもいくらでもあるのに」と思うはず。それと同じで、学校なんて他にいくらでもある。

⑩あと3年生きれば、今の何倍も住む世界が広くなる。「あの頃は、学校なんていう超狭い世界の中だけでのことで、なんであそこまで苦しんだんだろう」と、必ず、必ず思えるようになる。

履歴書

2006 年11月号

『履歴書』 中舘  慈子

びっくりした。電車の中でまつげを塗っている姿にはなれているけれども、今朝の電車で、履歴書を電車のドアにくっつけてどうどうと書いている女性がいたのである。氏名  生年月日  住所  電話番号  学歴など、ほかの乗客から丸見えである。びっくりしてみている若い男性の目も気にせずに、揺れる電車の中で履歴書はできていく。ここまで個人情報を公開して大丈夫なのだろうか・・・?  ちなみに 22 歳。

毎日、シッターの応募者の履歴書を見る。1 通から多い日には 10 通くらい目を通していく。中には、近くのスターバックスあたりで書いたようななぐり書きのもの、他の会社に持って行こうとしたものを持ってきたもの(志望理由が他の業種のものとはっきりわかる)もある。真っ先にお断りしたい。

シッターは子どもの命を預かる仕事である。たとえ、一日 2~3 時間の仕事であっても、バイト感覚、ボランティア感覚でしてはならないと、研修で繰り返し伝えている。シッターになるには、保育サービスの仕事にプロとして取り組む真剣さ、ご利用者の皆さまのニーズに応えようとする受容の精神、子どもに対する温かい愛情などさまざまな条件を満たしていることが必要である。

履歴書 1 枚。学歴や職歴・資格を見るだけではない。1 枚の紙にその人の人柄がそのまま入っている。
今朝の女性。もちろん不合格である。どんな職場の面接に行ったのだろうか?

バンビーノ子育て相談シリーズ 4 吃音

2006 年 11月号

『バンビーノ子育て相談シリーズ 4    吃音』

回答者  中舘  慈子

Q.
もうすぐ 3 歳になる男の子です。最近少しどもることがあります。幼稚園に入る前に矯正したほうが良いでしょうか?  どのようにしたら直すことができますか?

A.
様子を見せていただきました。あわてると少しどもることもありますが、いつもどもるわけではありませんし、ゆっくり話すときには、全く問題ありませんね。
言いたいことが山のようにあって、それをあわてて伝えようとするときに、ことばがスムーズに出ないことがあるのだと思います。今の様子ですと、気にしなくても良いレベルのものだと思われます。
「幼稚園に行くから、どもるのをやめなさい。」「もう一度言い直してごらんなさい。」というようなことを強く言うと、かえって緊張してなおりにくくなります。ご家庭で、ゆっくりとお話を聞いてあげてください。ときどきどもっても直す必
要はありません。

お母様が心配されるお気持はよくわかりますが、あまり気になさらずに、楽しい時間をたくさん持つようにしてください。いつか自然に消えていきます。

赤ちゃん連れの外食

2006 年 11月号

『赤ちゃん連れの外食』   

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

友人から河口湖のリゾートホテルの割引券をもらったので、先週、思いきって行ってきた。ベビーカーを押しながら湖のまわりを半周し、美しい自然とおいしい空気を堪能する。芝生の上に転がって、ごきげんな娘の笑顔を見ていると、「やはり子どもには、自然が一番」という気がする。ステレオタイプだが、「子どもを自然の中でのびのび遊ばせる」ことが、「子どもの健全なる心身の成長」を促す気がして、親も自己満足感にひたれ、幸福な気持ちになる。

湖畔の観光客用のお店は混んでいたので、帰り道に、どこかで遅いお昼を食べていくことにした。赤ちゃん連れの外食は、かなり店が限定される。まず、①子どもが多少ぐずったり、泣きだしても許されるくらい、ある程度にぎやかな雰囲気と客層であること。そしてできれば、②ベビーカーを椅子がわりに持ちこめること(娘はまだ、おすわりがしっかりできないので)、③禁煙、もしくは分煙されていること、などがあり、これらをすべて満たすのは、たいていファミレスである。だが、せっかくの旅行中の食事がファミレスでは味気ない。良さそうな店を探しながら車を走らせるうちに、午後3時を過ぎてしまった。

空腹を抱え、結局、ビストロ風のお洒落な外観からして、「ここは、赤ちゃん連れは迷惑だろう」と最初にパスした洋食屋までひきかえした。幸い、営業中である。9キロの娘をだっこし、勇気を出して店の重たいドアを開ける。店内に入るやいなや、店の40代くらいの女性が「いらっしゃいませ~。あらぁ、かわいい~」と笑顔で迎えてくれ、ほっとした。すいていたので、ベビーカーを持ちこんでもよいか訪ねたら、「いいですよ。だっこしながらじゃ、お母さんも落ち着いて食べれないでしょう」と言って、椅子をどけてくれた。注文後、早速保冷パックから昨夜つくった離乳食をとりだしたら、まだ冷たい。両手でつつんで少しでもあたためていたら、その女性が「よかったら、あたためますよ」と言ってくれ、カウンターの厨房で小鍋にうつして温めてくれた。夫と私が食事している間、その方が娘をあやしてくれ、おかげでおいしい料理をゆっくりと味わうことができた。ちょうど、すいている時間帯だったこともあるが、この女性のおかげで、いつもは食べた気がしない赤ちゃん連れの外食を、はじめて楽しく感じた。

湖散策も美術館巡りも楽しかったが、この優しく、あたたかく、おいしかったひとときが、今回の旅行の、なによりの思い出だ。

国は、もうひとりの「大きな父親」

2006 年 10月号

『国は、もうひとりの「大きな父親」』   

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今日、9ヶ月になる娘のポリオ(2回目)の予防接種に行ってきた。これで、BCG、ポリオ、三種混合×3回、そしてポリオと、計6回の予防接種を受けたことになる。しかも、すべて無料で。この「無料」という事実に、私は「助かる」「うれしい」といった感情を超えて、日本で子育てしていることの幸福に感じいる。そして、たぶんそれは、私が小学・高校時代の7年間を、南米という非常に貧富の差の激しい国で暮らした経験があるからだと思う。

先進国ではない国ほど、貧富の差が激しく、国民全体をカバーする医療・福祉などの根源的な公共サービスがしっかりと整備されていない。小学生当時、私が暮らしていたチリでは、いわゆる「健康(社会)保険」の制度がなかった。なので、子どもを病院や歯医者へ連れてに行くたびに、日常品の値段と比較してあまりにも莫大な医療費の請求に母はびっくりし、たどたどしいスペイン語で聴き返し、まだ信じられずに紙に書いてもらい、青ざめた顔をして渋々お金を払っていた。日本企業からの駐在員家庭といえば、一応は裕福層だったのだろうが、うちは父の主義で、3人の子どもを、学費が会社負担となるアメリカンスクールではなく、現地の私立学校に自腹で行かせていたため、家計が苦しかったのだ。子ども心に、「病院に行くとすごくお金がかかって、ママがかわいそう」と感じていたことを覚えている。

一度、母が父に「こんなに医療費が高いんじゃ、お金持ちの子どもしか病院に行けないじゃない。ほかの子はどうしてるのよ」と言ったことがある。「あぁ、行けないね。よっぽど重病でなければ、この国の庶民以下は子どもを病院に連れていかない。市販の薬でしのぐんだ。国はなにもしてくれないからな。そのいっぽうで、金持ちの子どもは歯列矯正して、金払って健康診断も注射もいっぱい受けて、手術はアメリカでする。政府要人が金持ちばかりだから、結局、自分の子どもが長生きできればそれでよくなっちゃってるんだ」。父の声は怒りに満ちていた。親になった今、当時の両親の、子どもが平等に医療を受けられない国への怒りがわかる。

日本は子どもが被害者の犯罪が多発するなど、決していい子育て環境とは言えない。でも、予防接種だけでなく、税金ですべての母親に無料で支給されているものが少なからずある。母親学級の受講、妊娠中の検診数回分の無料券、出産育児金、乳幼児医療費、児童養育手当、などが支給されるたびに、小さな娘が「国」という「大きな父親」に守られているような気がして幸福になる。明日は、区の保健センターの「ブックスタート」に行って、絵本をもらってくる予定だ。
 

二人は欲しいけど...

2006 年10月号

『二人は欲しいけど...』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、母親学級で知りあったメンバーと集まったところ、そのうちのひとりから、なんと「二人目御懐妊」の発表があった。本人も「年子なんて、予定外でびっくり」だそうで、皆で「おめでとう」と笑いあった。帰宅後、主人とそのことを話しながら、「やっぱり、兄弟はいたほうがいいよね」という流れになり、「女性は30半ばを過ぎると、授かる率もぐんと低くなるそうだし、うちも二人目を急いだほうがいいのかなぁ」と、夫婦で考えこんでしまった。 主人も私も、できれば二人はほしいと思っている。私自身三人兄弟で、子どもの頃はひとりっ子に憧れていたが、大人になるほど「兄弟がいてよかった」と思うようになった。特に、親がもう老人であることを感じるとき、なおさら兄弟の存在が胸にしみる。だから、もうすぐ9ヶ月の娘のためにも、せめてひとりは兄弟をつくっておいてあげたい。夫婦共々フリーランスゆえ、経済的不安は少なからずあるけれど、国が平和でありさえすれば、なんとかなると思っている。

問題は、いつ生むかである。私の年齢を考えると、そうのんびりはしていられない。だが、最近ハイハイがはじまり、片時も目が離せなくなった娘にふりまわされている今は、二人目を持つ心の余裕がない。今でさえ、ときどきヒステリーを起こしているのだから、第2子がやんちゃな男の子だったら、どうなることやら...。私が子どもの頃は、母が週に一度はヒステリーを起こしていたが、あれは本当に嫌だったし、子どもの健全な人格形成にもよろしくない。できれば、いつも穏やかな人間でいたい。

そんな思いを母親に電話で話したら、「そうねぇ。あなたたちが小さかった頃は、毎日毎日、叱って怒っての繰り返しで、怒りじわまでできちゃって、なんで3人も生んじゃったんだろうって、泣けてきたこともあったわねぇ」と、非常にシビアな言葉が返ってきた。「でもね、3人いると3ヶ月に1度は、誰かしらが病気になって、そのたびに『神様、この子の熱を下げてくれたら、どんなことでもガマンします』って真剣に祈るのよ。ようやく熱が下がり始めると、うれしくて涙が出るの。で、治るとまた叱って怒って、『神様、どうか私に自由をください』って祈る(笑)。いつも、その繰り返しだったわ」。

電話のむこうで、懐かしそうに笑う老いた母の声を聴きながら、まだ黒髪の、若かった頃の母の姿が浮かび、少し胸が熱くなった。

子育て相談シリーズ3 "NO"と言われてしまった息子

2006 年 10月号

『 子育て相談シリーズ3  “NO”と言われてしまった息子 』

回答者  中舘  慈子

Q.
3 歳の男の子で、4 月から幼稚園に通うことになっています。先日、近くの公園に行ったところ、同じ年くらいの男の子が遊んでいました。息子はお友達と遊ぼうと何度も何度も働きかけるのですが、その子に「いやだ」と嫌がられていました。せっかく何度もチャレンジしたのに、かわいそうでした。別の日は公園に少し大きな男の子がいました。息子が笑いながら逃げているので、追いかけっこをしてあそんでいるのかと見ていたところ、実は追いかけられて逃
げていたのです。息子が泣き出して初めてわかりました。危ないことをしていたわけではないので止めなかったのですが、止めに入ればよかったのでしょうか。かわいそうでたまりません。

A.
息子さんは、本当に優しくて思いやりがあるお子様なのだと思います。公園では、お友達と仲良く遊びたくて近づいていったのに、お友達はあまり遊びたくなかったのかもしれませんね。お母様としては、仲良く遊ぶことを望んでい
らっしゃったのでしょう。息子さんだったら、優しいので、お友達が「あそぼう」といったら「うん」とあそぶと思います。しかし、だんだん大きくなっていくと自分が遊びたくても相手に「いや」といわれることもあることを息子さんは知っ
ていくことが必要です。お母様から「お友達は遊びたくないみたいだから、ほかのことをしてあそぼう」と声をかけることで、そういうことが学べると思います。

逆に、息子さんも「NO」と言うことを学んでいかなければならないのではないでしょうか。遊んでいると思ったら追いかけられていたこと。ニコニコ笑っていたのが泣き出してしまったこと。とてもかわいそうだと思うお母様の気持は痛いほどよくわかります。けれどもこういうときこそ「いやだ」ということが必要なことを教えてあげる必要があるのではないかと思います。「あそんでいたの?  それともおいかけられていやだったの?」ときいてみて、「いやだった」と答えたら、「そういうときには、いやだよっていうのよ」と、教えてあげたらいかがでしょうか。

子どもはだんだん子どもだけの仲間の中に入っていきます。親はいつまでも守ってあげることはできません。息子さんはきっとだれよりも優しく、すばらしい笑顔のできるお子様なのでしょう。この良い面を大切にしながら、少しずつ、自分で自分を守り、はっきりと「NO」も主張できるお子様になることを期待します。

娘に怒鳴ってしまった日

2006 年 9月号

『娘に怒鳴ってしまった日』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

9月に入っても厳しい残暑がつづいている。8か月の娘には、冷房つけっぱなしはあまり良くないので、暑さが最高潮の午後の数時間のみ冷房をつけ、後は窓を開け放して扇風機をフル活用している。蒸し暑いときは、娘のごきげんもすこぶる悪い。かわいい我が子といえども、暑い季節に大声で泣きわめかれるというのは、実に不快極まるものだ。特に、お夕飯の支度をしている時間帯の黄昏泣きがひどい。あまりの大泣きぶりに料理を中断して、しばらくだっこすることもしばしばだ。(おんぶしながらの料理は、熱いものに娘が手を出して危険なので、しないことにしている)それでも、いっこうに泣きやまないときなどは、こっちが泣きたくなってくる。とうとう先日、なにをしても泣き止まない娘に、イライラが頂点に達して「うるさい、うるさい、うるさぁ~い!!」と、本気で怒鳴ってしまった。

娘は一瞬、びっくりした顔をして泣き止んだが、数秒後、全身エビぞり状態で、さらに激しく泣き叫び始めた。怒鳴ってしまった罪悪感と、やりきれなさで胸がいっぱいになり、つつつと涙をこぼしてしまった。「あぁ、これが積もり積もっ
ていくと、育児ノイローゼや虐待にエスカレートしていくんだなぁ...」と哀しく思った。
布団に寝かせた娘の背中をポンポンすること1時間、ようやく泣きやみ、さぁ、お夕飯づくりを再開しようと台所にたったとき、ピンポ~ンとチャイムが鳴った。出たら、隣の奥さん(たぶん、50代)が「田舎から、さつま芋がいっぱい送ら
れてきたから」と紙袋をくださる。ありがたくちょうだいしながら、「いつも娘の泣き声がうるさくてすみません...」と言ったら、「そんなに聞こえないわよ」と笑って言ってくれた。充分、聞こえているはずだが...。

夜、お夕飯を食べながら、もしかしたら、というかたぶん、隣の奥さんは、私の本気の怒鳴り声を聞いて、心配になって様子をみにきたのかもしれないと思った。だとしたら、素直にうれしい。娘に怒鳴ってしまった後、私は深い孤独感を噛みしめていた。でも、実はそんな私と娘を心配してくれる隣人がいたのだ。子育てや介護が大変そうな家には、隣人がおすそわけの品を手に、さりげなく様子を見にいくことが慣習化していくような、そんな地域社会を築いていくことが日本の少子高齢化を支える一歩だと思う。