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子育てエッセイ

履歴書

2006 年11月号

『履歴書』 中舘  慈子

びっくりした。電車の中でまつげを塗っている姿にはなれているけれども、今朝の電車で、履歴書を電車のドアにくっつけてどうどうと書いている女性がいたのである。氏名  生年月日  住所  電話番号  学歴など、ほかの乗客から丸見えである。びっくりしてみている若い男性の目も気にせずに、揺れる電車の中で履歴書はできていく。ここまで個人情報を公開して大丈夫なのだろうか・・・?  ちなみに 22 歳。

毎日、シッターの応募者の履歴書を見る。1 通から多い日には 10 通くらい目を通していく。中には、近くのスターバックスあたりで書いたようななぐり書きのもの、他の会社に持って行こうとしたものを持ってきたもの(志望理由が他の業種のものとはっきりわかる)もある。真っ先にお断りしたい。

シッターは子どもの命を預かる仕事である。たとえ、一日 2~3 時間の仕事であっても、バイト感覚、ボランティア感覚でしてはならないと、研修で繰り返し伝えている。シッターになるには、保育サービスの仕事にプロとして取り組む真剣さ、ご利用者の皆さまのニーズに応えようとする受容の精神、子どもに対する温かい愛情などさまざまな条件を満たしていることが必要である。

履歴書 1 枚。学歴や職歴・資格を見るだけではない。1 枚の紙にその人の人柄がそのまま入っている。
今朝の女性。もちろん不合格である。どんな職場の面接に行ったのだろうか?

バンビーノ子育て相談シリーズ 4 吃音

2006 年 11月号

『バンビーノ子育て相談シリーズ 4    吃音』

回答者  中舘  慈子

Q.
もうすぐ 3 歳になる男の子です。最近少しどもることがあります。幼稚園に入る前に矯正したほうが良いでしょうか?  どのようにしたら直すことができますか?

A.
様子を見せていただきました。あわてると少しどもることもありますが、いつもどもるわけではありませんし、ゆっくり話すときには、全く問題ありませんね。
言いたいことが山のようにあって、それをあわてて伝えようとするときに、ことばがスムーズに出ないことがあるのだと思います。今の様子ですと、気にしなくても良いレベルのものだと思われます。
「幼稚園に行くから、どもるのをやめなさい。」「もう一度言い直してごらんなさい。」というようなことを強く言うと、かえって緊張してなおりにくくなります。ご家庭で、ゆっくりとお話を聞いてあげてください。ときどきどもっても直す必
要はありません。

お母様が心配されるお気持はよくわかりますが、あまり気になさらずに、楽しい時間をたくさん持つようにしてください。いつか自然に消えていきます。

赤ちゃん連れの外食

2006 年 11月号

『赤ちゃん連れの外食』   

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

友人から河口湖のリゾートホテルの割引券をもらったので、先週、思いきって行ってきた。ベビーカーを押しながら湖のまわりを半周し、美しい自然とおいしい空気を堪能する。芝生の上に転がって、ごきげんな娘の笑顔を見ていると、「やはり子どもには、自然が一番」という気がする。ステレオタイプだが、「子どもを自然の中でのびのび遊ばせる」ことが、「子どもの健全なる心身の成長」を促す気がして、親も自己満足感にひたれ、幸福な気持ちになる。

湖畔の観光客用のお店は混んでいたので、帰り道に、どこかで遅いお昼を食べていくことにした。赤ちゃん連れの外食は、かなり店が限定される。まず、①子どもが多少ぐずったり、泣きだしても許されるくらい、ある程度にぎやかな雰囲気と客層であること。そしてできれば、②ベビーカーを椅子がわりに持ちこめること(娘はまだ、おすわりがしっかりできないので)、③禁煙、もしくは分煙されていること、などがあり、これらをすべて満たすのは、たいていファミレスである。だが、せっかくの旅行中の食事がファミレスでは味気ない。良さそうな店を探しながら車を走らせるうちに、午後3時を過ぎてしまった。

空腹を抱え、結局、ビストロ風のお洒落な外観からして、「ここは、赤ちゃん連れは迷惑だろう」と最初にパスした洋食屋までひきかえした。幸い、営業中である。9キロの娘をだっこし、勇気を出して店の重たいドアを開ける。店内に入るやいなや、店の40代くらいの女性が「いらっしゃいませ~。あらぁ、かわいい~」と笑顔で迎えてくれ、ほっとした。すいていたので、ベビーカーを持ちこんでもよいか訪ねたら、「いいですよ。だっこしながらじゃ、お母さんも落ち着いて食べれないでしょう」と言って、椅子をどけてくれた。注文後、早速保冷パックから昨夜つくった離乳食をとりだしたら、まだ冷たい。両手でつつんで少しでもあたためていたら、その女性が「よかったら、あたためますよ」と言ってくれ、カウンターの厨房で小鍋にうつして温めてくれた。夫と私が食事している間、その方が娘をあやしてくれ、おかげでおいしい料理をゆっくりと味わうことができた。ちょうど、すいている時間帯だったこともあるが、この女性のおかげで、いつもは食べた気がしない赤ちゃん連れの外食を、はじめて楽しく感じた。

湖散策も美術館巡りも楽しかったが、この優しく、あたたかく、おいしかったひとときが、今回の旅行の、なによりの思い出だ。

国は、もうひとりの「大きな父親」

2006 年 10月号

『国は、もうひとりの「大きな父親」』   

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今日、9ヶ月になる娘のポリオ(2回目)の予防接種に行ってきた。これで、BCG、ポリオ、三種混合×3回、そしてポリオと、計6回の予防接種を受けたことになる。しかも、すべて無料で。この「無料」という事実に、私は「助かる」「うれしい」といった感情を超えて、日本で子育てしていることの幸福に感じいる。そして、たぶんそれは、私が小学・高校時代の7年間を、南米という非常に貧富の差の激しい国で暮らした経験があるからだと思う。

先進国ではない国ほど、貧富の差が激しく、国民全体をカバーする医療・福祉などの根源的な公共サービスがしっかりと整備されていない。小学生当時、私が暮らしていたチリでは、いわゆる「健康(社会)保険」の制度がなかった。なので、子どもを病院や歯医者へ連れてに行くたびに、日常品の値段と比較してあまりにも莫大な医療費の請求に母はびっくりし、たどたどしいスペイン語で聴き返し、まだ信じられずに紙に書いてもらい、青ざめた顔をして渋々お金を払っていた。日本企業からの駐在員家庭といえば、一応は裕福層だったのだろうが、うちは父の主義で、3人の子どもを、学費が会社負担となるアメリカンスクールではなく、現地の私立学校に自腹で行かせていたため、家計が苦しかったのだ。子ども心に、「病院に行くとすごくお金がかかって、ママがかわいそう」と感じていたことを覚えている。

一度、母が父に「こんなに医療費が高いんじゃ、お金持ちの子どもしか病院に行けないじゃない。ほかの子はどうしてるのよ」と言ったことがある。「あぁ、行けないね。よっぽど重病でなければ、この国の庶民以下は子どもを病院に連れていかない。市販の薬でしのぐんだ。国はなにもしてくれないからな。そのいっぽうで、金持ちの子どもは歯列矯正して、金払って健康診断も注射もいっぱい受けて、手術はアメリカでする。政府要人が金持ちばかりだから、結局、自分の子どもが長生きできればそれでよくなっちゃってるんだ」。父の声は怒りに満ちていた。親になった今、当時の両親の、子どもが平等に医療を受けられない国への怒りがわかる。

日本は子どもが被害者の犯罪が多発するなど、決していい子育て環境とは言えない。でも、予防接種だけでなく、税金ですべての母親に無料で支給されているものが少なからずある。母親学級の受講、妊娠中の検診数回分の無料券、出産育児金、乳幼児医療費、児童養育手当、などが支給されるたびに、小さな娘が「国」という「大きな父親」に守られているような気がして幸福になる。明日は、区の保健センターの「ブックスタート」に行って、絵本をもらってくる予定だ。
 

二人は欲しいけど...

2006 年10月号

『二人は欲しいけど...』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、母親学級で知りあったメンバーと集まったところ、そのうちのひとりから、なんと「二人目御懐妊」の発表があった。本人も「年子なんて、予定外でびっくり」だそうで、皆で「おめでとう」と笑いあった。帰宅後、主人とそのことを話しながら、「やっぱり、兄弟はいたほうがいいよね」という流れになり、「女性は30半ばを過ぎると、授かる率もぐんと低くなるそうだし、うちも二人目を急いだほうがいいのかなぁ」と、夫婦で考えこんでしまった。 主人も私も、できれば二人はほしいと思っている。私自身三人兄弟で、子どもの頃はひとりっ子に憧れていたが、大人になるほど「兄弟がいてよかった」と思うようになった。特に、親がもう老人であることを感じるとき、なおさら兄弟の存在が胸にしみる。だから、もうすぐ9ヶ月の娘のためにも、せめてひとりは兄弟をつくっておいてあげたい。夫婦共々フリーランスゆえ、経済的不安は少なからずあるけれど、国が平和でありさえすれば、なんとかなると思っている。

問題は、いつ生むかである。私の年齢を考えると、そうのんびりはしていられない。だが、最近ハイハイがはじまり、片時も目が離せなくなった娘にふりまわされている今は、二人目を持つ心の余裕がない。今でさえ、ときどきヒステリーを起こしているのだから、第2子がやんちゃな男の子だったら、どうなることやら...。私が子どもの頃は、母が週に一度はヒステリーを起こしていたが、あれは本当に嫌だったし、子どもの健全な人格形成にもよろしくない。できれば、いつも穏やかな人間でいたい。

そんな思いを母親に電話で話したら、「そうねぇ。あなたたちが小さかった頃は、毎日毎日、叱って怒っての繰り返しで、怒りじわまでできちゃって、なんで3人も生んじゃったんだろうって、泣けてきたこともあったわねぇ」と、非常にシビアな言葉が返ってきた。「でもね、3人いると3ヶ月に1度は、誰かしらが病気になって、そのたびに『神様、この子の熱を下げてくれたら、どんなことでもガマンします』って真剣に祈るのよ。ようやく熱が下がり始めると、うれしくて涙が出るの。で、治るとまた叱って怒って、『神様、どうか私に自由をください』って祈る(笑)。いつも、その繰り返しだったわ」。

電話のむこうで、懐かしそうに笑う老いた母の声を聴きながら、まだ黒髪の、若かった頃の母の姿が浮かび、少し胸が熱くなった。

子育て相談シリーズ3 "NO"と言われてしまった息子

2006 年 10月号

『 子育て相談シリーズ3  “NO”と言われてしまった息子 』

回答者  中舘  慈子

Q.
3 歳の男の子で、4 月から幼稚園に通うことになっています。先日、近くの公園に行ったところ、同じ年くらいの男の子が遊んでいました。息子はお友達と遊ぼうと何度も何度も働きかけるのですが、その子に「いやだ」と嫌がられていました。せっかく何度もチャレンジしたのに、かわいそうでした。別の日は公園に少し大きな男の子がいました。息子が笑いながら逃げているので、追いかけっこをしてあそんでいるのかと見ていたところ、実は追いかけられて逃
げていたのです。息子が泣き出して初めてわかりました。危ないことをしていたわけではないので止めなかったのですが、止めに入ればよかったのでしょうか。かわいそうでたまりません。

A.
息子さんは、本当に優しくて思いやりがあるお子様なのだと思います。公園では、お友達と仲良く遊びたくて近づいていったのに、お友達はあまり遊びたくなかったのかもしれませんね。お母様としては、仲良く遊ぶことを望んでい
らっしゃったのでしょう。息子さんだったら、優しいので、お友達が「あそぼう」といったら「うん」とあそぶと思います。しかし、だんだん大きくなっていくと自分が遊びたくても相手に「いや」といわれることもあることを息子さんは知っ
ていくことが必要です。お母様から「お友達は遊びたくないみたいだから、ほかのことをしてあそぼう」と声をかけることで、そういうことが学べると思います。

逆に、息子さんも「NO」と言うことを学んでいかなければならないのではないでしょうか。遊んでいると思ったら追いかけられていたこと。ニコニコ笑っていたのが泣き出してしまったこと。とてもかわいそうだと思うお母様の気持は痛いほどよくわかります。けれどもこういうときこそ「いやだ」ということが必要なことを教えてあげる必要があるのではないかと思います。「あそんでいたの?  それともおいかけられていやだったの?」ときいてみて、「いやだった」と答えたら、「そういうときには、いやだよっていうのよ」と、教えてあげたらいかがでしょうか。

子どもはだんだん子どもだけの仲間の中に入っていきます。親はいつまでも守ってあげることはできません。息子さんはきっとだれよりも優しく、すばらしい笑顔のできるお子様なのでしょう。この良い面を大切にしながら、少しずつ、自分で自分を守り、はっきりと「NO」も主張できるお子様になることを期待します。

娘に怒鳴ってしまった日

2006 年 9月号

『娘に怒鳴ってしまった日』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

9月に入っても厳しい残暑がつづいている。8か月の娘には、冷房つけっぱなしはあまり良くないので、暑さが最高潮の午後の数時間のみ冷房をつけ、後は窓を開け放して扇風機をフル活用している。蒸し暑いときは、娘のごきげんもすこぶる悪い。かわいい我が子といえども、暑い季節に大声で泣きわめかれるというのは、実に不快極まるものだ。特に、お夕飯の支度をしている時間帯の黄昏泣きがひどい。あまりの大泣きぶりに料理を中断して、しばらくだっこすることもしばしばだ。(おんぶしながらの料理は、熱いものに娘が手を出して危険なので、しないことにしている)それでも、いっこうに泣きやまないときなどは、こっちが泣きたくなってくる。とうとう先日、なにをしても泣き止まない娘に、イライラが頂点に達して「うるさい、うるさい、うるさぁ~い!!」と、本気で怒鳴ってしまった。

娘は一瞬、びっくりした顔をして泣き止んだが、数秒後、全身エビぞり状態で、さらに激しく泣き叫び始めた。怒鳴ってしまった罪悪感と、やりきれなさで胸がいっぱいになり、つつつと涙をこぼしてしまった。「あぁ、これが積もり積もっ
ていくと、育児ノイローゼや虐待にエスカレートしていくんだなぁ...」と哀しく思った。
布団に寝かせた娘の背中をポンポンすること1時間、ようやく泣きやみ、さぁ、お夕飯づくりを再開しようと台所にたったとき、ピンポ~ンとチャイムが鳴った。出たら、隣の奥さん(たぶん、50代)が「田舎から、さつま芋がいっぱい送ら
れてきたから」と紙袋をくださる。ありがたくちょうだいしながら、「いつも娘の泣き声がうるさくてすみません...」と言ったら、「そんなに聞こえないわよ」と笑って言ってくれた。充分、聞こえているはずだが...。

夜、お夕飯を食べながら、もしかしたら、というかたぶん、隣の奥さんは、私の本気の怒鳴り声を聞いて、心配になって様子をみにきたのかもしれないと思った。だとしたら、素直にうれしい。娘に怒鳴ってしまった後、私は深い孤独感を噛みしめていた。でも、実はそんな私と娘を心配してくれる隣人がいたのだ。子育てや介護が大変そうな家には、隣人がおすそわけの品を手に、さりげなく様子を見にいくことが慣習化していくような、そんな地域社会を築いていくことが日本の少子高齢化を支える一歩だと思う。

イマドキの若者

2006 年9月号

『イマドキの若者』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今年の夏の甲子園は見ごたえがあった。安易かもしれないが、今年の甲子園全体をつうじて、「これほど素晴らしい高校生達がいるんだから、そして、これだけ多くの国民が純粋に心打たれているんだから、日本もまだまだ大丈夫」と感じいってしまった。実際、多くのニュース解説者たちも同じ趣旨のことを口にしていて、そのたびに「皆、同じ気持ちなんだ」とニヤリとしてしまう。「イマドキの若者」は「捨てたもんじゃない」どころか、「スバラシイ」ケースもあるのだ。

甲子園の余韻がまだ冷めない中、先週、伊豆の実家から埼玉まで、ベビーカーに娘を乗せてひとり電車で戻ってきたのだが、このとき出会った「イマドキの若者」についても、ぜひ書きとめておきたい。彼も、私に「日本も、まだまだ大丈夫」と感じさせてくれたひとりである。

熱海で伊豆急行から東海道線に乗り換え、ベビーカーを押しながら車内にのりこんだ。隅の席に二十歳くらいの若い男性が、ヘッドフォンステレオを聴きながら、眼を閉じて座っている。長い足を大きく開き、音も多少洩れていて、くちゃくちゃとガムを噛み、いわゆる「周囲の迷惑を考えないイマドキの若者」に見えなくもなかった。次の駅に電車が止まったら、その若者はブスッとした仕草でたちあがり、私とまったく眼をあわさずに下車した。「やった、席があいた」と、私はいそいそとベビーカーを押し、その席に座った。それからしばらくして、娘がむずがりはじめたので膝にだっこしながら、なにげなく隣の車両をガラスごしに見たら、なんと先ほどの若者が奥のほうに座っているではないか。下車したふりをして、隣の車両に乗り換えていたのだ。たぶん、赤ちゃん連れの私に席を譲るために。

彼が降りたのは、私と同じ終点の東京駅だった。ホームに下りたとき、前方5メートくらいの位置を彼が歩いていた。お礼を言いたかったが、言われたくないだろうと思い、彼の背に向かって心でお礼した。黒い無地のTシャツの背に白いロゴで「ほっといてください」と書いてあるのが、おかしかった。どこで販売しているTシャツだろう。これがこの夏最後の、いい思い出だ。

バンビーノ子育て相談シリーズ 2 「おむつはずれ」

2006 年 9月号

『バンビーノ子育て相談シリーズ  2  「おむつはずれ」』

回答者  中舘  慈子

Q.
3歳5ヶ月の男の子です。2歳のときにおむつをうまくはずすことができませんでした。夫婦でおむつをはずすことに一生懸命なのですが、言えば言うほど反抗的になります。失敗するとついいらいらして、強い言葉で怒ったりしてしまう自分自身にも罪悪感を持ってしまいます。来年からは幼稚園に入れたいのですが、このままではとても心配です。

A.
一般的に、排泄の自立というのは  おしっこがたまったことがわかる⇒いまおしっこをしてはいけないと我慢できる⇒トイレに行っておしっこをする  という流れができることですが、発達には個人差があります。  おしっこの感覚が 2 時間くらいになってきたらそろそろおむつはずしの時期かもしれません。家では床が汚れず、濡れた感覚がわかるトレーニングパンツを使うのも良いと思います。床が汚れてもあまりいらいらしないお母さんなら、いきなりおむつからパンツでもいいかもしれません。紙おむつにも子どもに濡れた感じがわかるものなどいろいろありますので、お店の人に確認してみて下さい。  お昼寝の後などおむつに出ていないときトイレに連れて行き、もし出たときにはうんとほめてあげましょう。出た後に教えたときも、叱らずにほめてあげてください。  

さて、ご質問のお母様ですが、失敗するといらいらする気持はとてもよくわかります。幼稚園に行けるのかしら?  と心配される気持もよくわかります。
しかし、みんなおむつはずしに悩んでいるのです。私も子育てをしていたころ、タイミングがずれて一日中おもらしになっていらいらすることがよくありました。しかしいつの間にか、ちゃんとトイレでできるようになりました。  今は「子どもがトイレに行きたいという気持ちが育てば自然に外れる」ということで「おむつはずれ」ということばもあるくらいです。「いつか必ずおむつが外れるときが来る」わけですから、おむつばかりに気持をとらわれることなく、お子様とのふれあいを楽しんでいただければと思います。おむつが早くはずれるよりもお子様が日々楽しく過ごすことのほうが大切なのです。意外とお母様の気持がおむつ以外のことに向いたときに、すんなり外れるものです。  お子様と幼稚園を見に行って、幼稚園に入ったら、楽しいことが待っているというようなわくわくするようなお話をしてみたらいかがでしょうか。

現代の忙しいおばあちゃん

2006 年 8月号

『現代の忙しいおばあちゃん』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先週から、7か月になる娘を連れて、伊豆の実家に帰省している。出産前は、実家に帰省した時は娘の世話は親(母)に押しつけて、私は観劇やエステに行ったり、こころゆくまで惰眠をむさぼるつもりだったのだが、現実はそうもいかない。親も、けっこう忙しいのだ。仕事をしているわけでもないのに、である。父の定年後、両親は伊豆の山奥に引っ越し、念願の田舎暮らしをはじめた。畑仕事と、やたらと広い庭の植物の手入れで、父も母も、日中は家の外にいる時間が多い。だから、結局、私と娘が家に二人きりで、のんびり昼寝もできない。その上、陶芸やコーラス、ハーブ栽培など、趣味の活動でしょっちゅう外出する。孫が来ているときくらい、趣味の活動を少しは休んでもよさそうなものだが、「今月は窯炊き当番だから」とか、「発表会前で練習を休めないから」とか言いながら、出かけていく。...まぁ、食事の支度だけは母がしてくれるので、ありがたいと思うことにしているが、当初は少し不満であった。

もちろん、両親は孫である娘のことを大層いとおしみ、かわいがっている。娘をだっこしてあやしているときの親の表情は、「慈愛」という文字を絵にしたようで写真に撮りたくなるほどだ。けれど、親にとっては孫のいとおしさと、自分の生活を変えてまで孫の世話をするのとは、まったく別次元のことなのだと、最近になって思えるようになった。親には親の日常があり、すべきことや、やりたいことがいっぱいある。それらをすべて後回しにして、孫の相手を優先することを親に期待するのは私のワガママなのだろう。実際、「期待していたほど、親が子どもを預かってくれない」と友人もこぼしている。私の親に限らず、現代のおばあちゃんは皆、忙しいのだ。

昨日は、昼過ぎにぐずる娘の添い寝をしながら、いつのまにか寝てしまった。
夕方、起きて窓を見たら、コーラスから帰宅した母が、夕暮れの庭の水まきをしている姿が見えた。庭の木々も、畑の作物も、背景の山々も夕焼けで光っている。こんなに美しい、自然豊かな「田舎」を私と娘にあたえてくれただけでも、親に感謝すべきなのだろう。