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子育てエッセイ

子どもの英語教育

2006 年 5月号

『 子どもの英語教育 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

現在、公立小学校における英語教育の是非が検討されているが、私は中立派である。心から賛成できない理由には、やはり現在の小・中学生たちの「国語力の低さ」がある。小学校4年で海外から日本に帰国したときの私の国語もかなりひどかったが、親が日本から取り寄せる児童書をよく読んでいたので、主な問題は漢字の読み書きだった。だが、現在の小・中学生と話していると、もっと根本的な「てにおは」や、助詞、動詞の活用などが、かなり危ういと思う。

さらに、子どもたちからの手紙やメールを読んでいると、言わんとしていることはわかるけれども、そのどこかおかしい文章に首をかしげ、それをはっきりと文法的に指摘できない私自身の国語力に落ちこんでしまう。ひとつ例をあげてみる。

「浅田さんの詩『ぶっきらぼう』は、「わたしとお母さんとおんなじだ」と思いました」という文。これを正しく書きなおすと、「~は」ではなく「~を読んで」が適切だろうか。前半をそのまま活かすなら、最後を「~と思いました」ではなく、「~と思わせる詩でした」とするべきか。こうして考えながら、きちんとした日本語の文章を書くというのは、非常に難しいことなのだと実感する。

反対派の有識者が唱える「まずは母国語をきっちり」という意見には、私も同感である。数カ国語が多少できたところで、中途半端な言語力では中途半端な思考しか育たない。だが、私自身の子ども時代を振りかえったときに、外国語との比較のなかで、日本語にたいする理解を促した面もあったと思う。外国語を学んだことで、日本語にしかない言いまわしや表現、「しとしと」といった擬態語の響きの美しさに気づいたり、ひらがな、カタカナ、漢字という3種類の文字をつかう日本語そのもののおもしろさ、奥深さに打たれることもあった。なので、そういう深い視点での語学教育なら、あってもいい気もする。

ちなみに、以前英語のチューターシッティングをしたさい、10歳の子どもに「なんで英語を勉強するの?」と聞かれ、「世界じゅうの人と仲良くなるためよ」と答えたら、「でも、同じ日本語を話す日本人同士が、あまり仲良くないじゃん」とつぶやいた。胸にささるひとことだった。

子どもの終り

2006 年 4月号

『子どもの終り』 浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

4月の初旬から、3か月の娘を連れてしばらく伊豆の実家に滞在している。娘は両親にとって待望の初孫である。私が生まれたとき以来の「赤ちゃんのいる暮らし」に、もうすぐ70歳になる父も母も、とまどいながらも楽しそうである。
私はと言えば、育児と家事から多少解放され、自分の時間が持てているにもかかわらず、なぜか淋しい。当初は、久しぶりの実家で、気がゆるんだゆえの感情だろうと思っていたが、もう、こっちに来て 2 週間がたつ今も、なぜか淋しい。

なぜ、こんなに淋しくて浮かないのだろうと、あれこれ考えた結果、漠然とある答えにたどりついた。どうやら、母になった私と両親との関係は、これまでとは少し異なるのだ。これまで、独身時代はもちろん、結婚してからも、実家にくると私は一気に娘モードに戻っていた。いろいろと小言を言う親に口をとがらせて言い返したり、ささいなことでブスッとふくれたりと、中学生の頃とたいして変わらない親子関係だったのだ。

だが、今回の帰省では、私はかつてのような「娘モード」になれないでいる。「もう、私も母親になったことだし...」という自覚が多少はあるので、かつてのように親にわがままを言ったりできない。孫娘を胸に幸福そうな両親を眺めなが
ら、私は静かに、私自身の「子どもの終り」をかみしめている。母になったところで、親の娘であることに変わりはないのだが、かつて親が文句を言いつつも受け入れてくれた、末っ子の私の「子どもっぽさ」は、孫のいる親には、もはや不要であり、歓迎されないものなのだ。

昨日の深夜、泣き出した娘に授乳していたら、母が起きてきた。わたしの肩にカーディガンをかけ、布団に寝かせた娘のおでこを、「お~、よしよし」となではじめた。もうずっと前、ベッドに入り、母に絵本を一冊読んでもらい、おでこ
をなでてもらって一日が終わっていた子どもの頃を思いだし、少し泣きそうになった。

お兄さんシッターとの出会い

2006 年4号

『 お兄さんシッターとの出会い 』 森田公子(ベビーシッター)

シッター3年生の私に、ちょっと先輩らしいお仕事が舞い込みました。お兄さんシッターとのグループ保育です。待ち合わせの場所で、すれ違うどの男性より際立った好青年が近づいてきました。シッティング場所に伺うと、三人の娘さんのお母様が「珍しいですね、ファミリーサポートさん  男性の方!」お子様たちに、「お兄さんで  いいわね」。好印象で私も嬉しい思い。5 歳のお姉ちゃんはちょっと意識してか、きゃーと走り回りました。双子の妹ちゃんたちも連鎖反応。本を読んで、絵を描いて、おままごと。初めはパパ以外の男の人にどう接しようかと、様子を見ていた三人ですが、おもちゃを投げる、楽屋の大鏡をぐるぐる走り回る、活発で全身で遊んでよーと、表現してきます。私は母親的な見方で、危ないよ、やめようよ、静かにね、と注意のことばの連発。お兄さんシッターはパパでもママでもない反応。友達みたい  といったらよいでしょうか。
気がつくと部屋の中が関西弁に・・・。お兄さんシッターも順応性ある対応で関西弁に。阿吽(あうん)の呼吸でした。いいぞ!  お兄さんシッター!!

5人は和やかに、あっという間に仲良しになりました。新幹線で眠れなかった妹ちゃんの一人がお兄さんシッターの傍で、コロリと眠ってしまいました。安心している証拠。お兄さんシッターも嬉しかったのではないでしょうか?
 
さてさて、「おしっこ」これも連鎖本能です。三人一緒です。私は眠くてとろんとした子を抱っこしています。
「トイレにお願いします」
そうはいかなかった。お兄さんシッターだったのです。
しがみついている 2 歳児ちゃんを片手に、厚手のタイツを脱がし、ボタンのついたシャツ、オムツを・・・。「もうでちゃうー」と、焦らせる。「こっちの」と和式トイレで立っている妹ちゃん。三人姉妹の世界があり、とても今日初対面とは思えない程、親近感の持てるお子様でした。お兄さんシッターは何を見て、何を感じて帰って行ったのでしょうか。とても興味のあるところです。
お疲れ様でした!    またどこかでお会いできますように。

搾乳に追われた二日間

2006 年4月号

『 搾乳に追われた二日間 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先週、母親になってからはじめて、一泊二日の泊りがけの仕事の依頼がきた。行き先は福井県大野市の九頭竜湖、東京から新幹線をつかっても片道7時間という長旅である。丸二日間、生後3か月の娘とはなれることに不安もあったが、夫婦共々フリーランスで働く我が家の財政も不安だし、幸い主人が家にいる日だったので、思いきって行くことにした。

春休み中だったため、東京駅の新幹線ホームは家族連れがいっぱいで、赤ちゃんを見るたびに娘のことがよぎり、胸が張って母乳が洩れてくるのがわかる。新幹線の中で母乳パッドをとりかえたものの、小一時間もしないうちにすぐにぐっしょりで、仕方がないからトイレの中で搾乳した。走行中の電車の、狭いトイレの中での搾乳は、実に切ない。さらに、コップいっぱいにたまった母乳をトイレに捨てるときの気分は罪悪感に近い。

米原から北陸線で福井駅に出て、越美北線に乗りかえる。午後7時に宿に着くやいなや、搾乳する。水鉄砲のように、勢いよく出る母乳を眺めながら、「あぁ、もったいない」と心底思った。今頃、主人は冷凍保存した母乳を解凍・湯煎して娘に飲ませているんだろう。哺乳瓶があまり好きでない娘は、ちゃんと飲んでいるだろうか。これまで、面倒にもおっくうにも感じていた2~3時間ごとの授乳がたまらなく懐かしかった。

翌日の午後、取材を終えると、お世話になった旧和泉村の社会福祉協議会の方が、帰りの電車までまだ時間があるからと、地元の日帰り温泉に連れていってくれた。温泉の隅っこでコップに搾乳していたら、3歳くらいの元気な男の子を連れた主婦の方が「あらぁ、赤ちゃんはどうしたの?」と土地言葉で声をかけてくれた。温泉につかりながら、東京から仕事で来ていて、娘は置いてきたことなどを話す。「やっぱり、母親と赤ちゃんは、いつもいっしょにいたほうがいいんでしょうね」と言ったら、「でも、ときどきは離れている時もあったほうが、かわいく思えるもんよ~」と笑った。いつもいっしょだと、叱って怒ってばかりで、子どもがいる幸せに気づけないと言う。たしかに、これほど娘が恋しくなったのは、出産以来はじめてだ。

帰りの電車のなか、まだ雪がずっしりと残る山間の景色を眺めながら、温泉で話した主婦の言葉をぼんやりと思い返していた。搾乳に追われつづけた二日間だったが、私自身の母性というものを実感した旅でもあったと思う。

子どもの「とき」 大人の「とき」

2006 年4月号

『 子どもの「とき」  大人の「とき」 』 中舘慈子

桜の花も満開の4月3日  ホームページをリニューアルしました。みなさまに何度も訪れていただける魅力的なホームページになるよう、これからも更新を続けて行きたいと思っています。
4月は新しい季節。小学生のころは新しい教室で新しい香りのする教科書を開いて、これから始まる1年間にわくわくしたものです。同じ1年間でも、小学校時代の1年間と、高校時代の1年間の長さはずいぶん違うような気がします。もちろん、小学校のころのほうが1年を長く感じました。そこにはたくさんの思い出がぎっしりとつまっています。遠足のこと  運動会のこと  何気ない日ごろの休み時間の遊びのこと。

ふと思います。子どもと大人では「とき」の流れ方がちがうのではないだろうか?特に幼児期の子どもにとっては「とき」はゆっくりゆっくり流れている様な気がします。直営子ども施設  カーサ  デル  バンビーノには1歳から3歳対象の2時間のコースがあって、自由遊び  おかたづけ  朝の挨拶  朝の活動  幼児教育タイム(曜日によってアートやリトミック  英会話などを行います)  お茶の時間  自由遊び  帰りの活動  と盛りだくさんのプログラムがぎっしりと組み込まれています。自由遊びの間も遊びはめまぐるしく変わっていきます。集中力がないのではなく、たとえば5分が子どもにとっては大人の30分に感じられるのかもしれません。2時間という「とき」が、ゆっくりゆっくりと流れていきます。子どもにとっての2時間は大人の半日分くらいの重みを持つのかもしれません。

1歳児は、小さな指で指差しながら、大人が言うものの名前を吸い取り紙のように覚えて復唱します。発音はたどたどしくて、ちょっと違うかもしれませんけれども・・・。そして2歳から3歳になると二語文  三語分で自国語を話せるようになるのですからその言語習得能力のすばらしさにびっくりします。その能力がいくつになっても継続すれば、全ての国の言葉を覚えるまでにそれほどかからないはずですが・・・・。いま  私がたった一つの外国語の単語を覚えようとしたら、何日かかるかわかりません・・・。

年齢が低いほど「とき」のもつ重みが重いのですから、乳幼児と関わるとき  その一刻一刻を大切にしたいと思うのです。大人の発する言葉のひとことひとことの持つ重みも自覚しながら話したいと思うのです。

子どもへの、安全教育

2006 年 3月号

『子どもへの、安全教育』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

この3か月、ほとんど外出せずに家のなかで過ごしているためか、最近の私はかなりのテレビっ子(子ではなく、正確にはおばさんだが...)になっている。もともとは活字派で、テレビはほとんど見ない生活だったが、昨年、懐妊をきっかけに仕事を減らし、パソコンに向かっている時間がぐっと短くなったこともあって、テレビを見る気持ちが芽生えていったのだ。

とは言え、育児の合間の「ながら見」がほとんどで、集中していない分、CM もけっこう見る。そんな私が、最近気になっているのが「公共広告機構」の CM である。深刻な社会問題を少しでも改善すべく政府が放映する CM で、これまでに「エイズ」「児童虐待」「家庭における父親不在」「いじめ」「悪徳商法」「うつ病」など、さまざまな問題をテーマにしている。そしてこの数ヶ月間、頻繁に放映されているのが「子どもの連れ去り」をテーマにしたものだ。夜の住宅地で、子どものシマウマに怪しい影が近づいて「子どもをひとり歩きさせない」という字幕が出る CM と言えば、「あぁ、あれか」とわかる人も多いだろう。

最近は、子どもたちが覚えやすいよう、唱歌を替え歌にした、「知らない人にはついていかない♪」という歌詞ではじまる CM が頻繁に流れている。明るいノリで、親しみやすい手法で子どもに直接訴えているのが斬新だが、歌詞で気になるところがある。「知ってる人にも~」という部分だ。ここ最近の、子どもが被害者である事件の加害者が、子どもにとって「知らない人」どころか、すごく身近な存在だったことを考えれば、この歌詞は子どもの安全上、適切なのだろう。だが、この歌を聞くたびになんだか哀しくなってくる。「人はみんな疑ってかかれ」と幼い子どもに教えているような気になってしまうのは私だけだろうか。

先日、買い物の帰り道、小学生の女の子ふたりが、学校の図工でつくったのだろう、風車を手に持って、くるくるまわして遊びながら歩いていた。子ども好きゆえ、「きれいねぇ」と声をかけたら、二人は顔を見あわせたのち、ダーッと走っていってしまった。本当に私を怖く感じたのか、面白半分だったのかはわからないが、私がかなり傷ついたのは事実である。同時に、彼女たちの行動はまちがっていないこともわかる。夜、晩御飯を食べながら、「むやみに子供に声をかけると怪しまれるから、もうよすわ」と言う私に、主人は「哀しい時代になったよな」とつぶやいた。ほんのひと握りの犯罪者のせいで、すべての大人が子どもにとって危険な存在とされる現状は、実に哀しい。

家にいながら、広がる世界

2006 年 3月号

『 家にいながら、広がる世界 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

母親になって、早2ヶ月が過ぎた。現在、約 4.6 キロのプクプク娘を見ていると、こんなに大きなものがちょっと前まで私のお腹の中にいたことが、心の底から信じられない。複雑な形をした耳や手足の指を見つめながら、よくもまぁ、こんなに精巧なものが(しかも、かわいい)狭いお腹のなかできちんとつくられたものだと、自身の体の機能に自我自賛したくなってしまう。たぶん、多くの母親がそうなのではないだろうか。

退院してからの二ヶ月、ほとんど外出せずに家のなかで過ごしてきた。当初は多少の閉塞感&煮詰まり感があったが、どうせならこういうときこそ、家でしかできないことにチャレンジしようと、木目込み人形のお雛様キットをユザワヤで購入し、育児と家事の合間に、リビングを作業場にしてせっせとつくっている。初心者&不器用ゆえにかなり難しく、深夜まで悪戦苦闘してきたが、結局、3日の雛まつりまでには完成しなかった。本日 5 日になっても、まだ制作中である...。たぶん今日も深夜までがんばるだろう。

独身時代はもちろん、結婚しても、手づくりへのこだわりはほとんどなかった。それに費やす時間がもったいなく思えたものだ。それがいざ、子どもが産まれると、ただの自己満足とわかっていながら「ママの手づくり」にこだわるのだから、「人間て変わるものだなぁ」と我ながら、びっくりしている。料理にしてもそうで、親戚や友人が赤ちゃんを見がてら遊びにくる日は、ケーキを買うのではなく「焼く」ようになった。娘に手づくりのおやつを食べさせたくて、今から練習しているのだ。そうこうしているうちに、最近、手づくりというのは、作り手が完成までの「過程」こそを楽しむものであることに気づいた。そして、喜んでくれる特定の相手がいる状況で、なにかを作るひとときの「静かな幸福」も知った。

これまで「子どもが産まれると、これまでみたいに身軽にあちこち出かけられなくなるし、行動・活動範囲も狭まるから、必然的に世界が狭くなる」という言葉をよく耳にしてきたし、実際、そうだろうなぁと思っていた。けれど、こうい
った家の中でのささやかな、けれど意義深い発見や気づきによって、私の精神世界はむしろ広がっているように思う。

育児における「前向きなあきらめ

2006 年 2月号

『育児における「前向きなあきらめ」』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、母親学級で知りあったママ友達数人と久しぶりに集まり、育児話に花が咲いた。そして、ほかのお母さんたちの話を聞いていて、内心「私はシッターをやっていてよかったなぁ」としみじみ感じたので、そのことを書こうと思う。母親になる前から赤ちゃんに関する初知識を多少は持っているということ以上に、育児における精神的なかまえかたがちがうのだ。

まず、皆が口をそろえて「なかなか泣きやまないと、本当にイライラする」「精神的にまいる」「こっちが泣きたくなる」とこぼしていたが、私はシッティングで子どもの泣き声には慣れているので、娘が泣いていても、そう耳障りでもない
しイライラもしない。5歳くらいの幼児の全身をジタバタさせての大泣きにくらべたら、かわいいもんだ。あまり抱き癖がついても困るので、「泣くのも運動」と割りきって、だっこはせずにそばで雑務をしていることも多い。

また、赤ちゃんのペースにふりまわされ、「なかなか物事がスムーズに運ばない」「自分の時間が全然持てない」といったお母さんたちの不満も、「今はまだ、赤ちゃんなんだから楽なもんよ~」と思いながら聞いた。

つまるところ、「育児においては、ある程度のあきらめが大切である」ことを、私はこれまでのシッター経験をつうじて学んできたと思う。子どもというものは、さぁ、出かけるぞというときになって、突然ぐずりはじめたり、「公園に行く」
と騒ぐので親に電話して許可をとり、いざ公園に着くと「うちに帰る」とだだをこねたり、お腹がすいたと言うので早めに夕飯の支度をするとあまり食べず、夜遅くなってお腹がすいたと泣き始めたりと、とにかく気まぐれ&マイペースである。シッターをはじめた当初は私も多少イライラしたが、半年もするうちに「子どもというのは、そういうものなのだろう...」とあきらめるようになった。「何事も効率よくいかなくて当然」ぐらいに思っていたほうが、こっちも楽なのだ。

あきらめるという言葉には、マイナスの響きが強いけれど、育児においては「前向きなあきらめ」もあると思う。

今朝、おむつを変えている最中、おむつをはずしたその一瞬に、娘がロケット噴射のように大量のゆるゆるうんちをして、朝とりかえたばかりのシーツだけでなく、敷き布団まで激しく汚してくれた。そのあまりにも最悪のタイミングに思わず叫びそうになったが、子どもというのはそういうものである(涙)...。大きなため息をついたのち、汚れた敷き布団を風呂場でゴシゴシ洗ったのであった。
 

母と娘、その真中にいる私

2006 年 2月号

『 母と娘、その真中にいる私 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先月、はじめての出産をした。現在、1ヶ月の娘の世話に追われ、その合間に最低限の家事と仕事をしている。退院後のひと月は田舎に住む母が上京して家事全般をやってくれたので助かった。私は高校卒業のさいに親元をはなれているので、母とひと月もの間、生活を共にするのは、実に十数年ぶりだった。

滞在中、母は毎日のように買物に出かけ、帰宅すると「○○を買ってきたよ」と言って、慣れない母乳育児と連日の娘の夜泣きで心身共に疲れている私におやつを出してくれた。○○は果物だったり、ピザだったり、甘栗だったり、とにか
く私の好きなものだ。おやつを食べながら、台所で夕飯の下ごしらえをする母の後ろ姿を見ていると、いつも食堂や居間で宿題をしていた子どもの頃に戻ったような気持ちになった。

寝る前の夜のひととき、母は日課のようにまだ目の見えない娘を小一時間ほどだっこして、話しかけたり、あやしたりしていた。待望の初孫を胸に抱いた68歳の母は、まぎれもなく幸福そうで、母の笑顔を見ながら「私はこれまで、あまりいい娘ではなかったけれど、これでかなりの親孝行ができた」と思え、私も幸福だった。

そのいっぽうで、ときどき、夕暮れどきの西陽がさしこむ和室に正座して、娘をだっこしながら舟をこいでいる母の背中や髪の色を見つめながら、母がもう七十近い老人であること、こうして頼れる存在でいてくれるのは、もうあと十年もないことを思い、無性に哀しくなった。
娘と私の一ヶ月健診を見届けて、母は田舎に帰ることになった。バス停まで母を送った帰り道、歩きながら、いい年をしてぽろぽろと涙がこぼれた。「母親」になったのにもかかわらず、このひと月の母との生活で、私はすっかり「娘モード」になっていて、母のいない生活に戻ることがたまらなく淋しかった。

帰宅して娘が眠る和室にぺたんと座り、しばらくぼんやりしていたら、気配に気づいたのか、まもなく娘が目を覚まして泣き出した。おむつを変えて授乳しながら、その元気な手足の動きと飲みっぷりに、私も少しずつ元気になっていった。こんなに小さな、寝て泣いて、おっぱいを飲むことしかできない娘に元気づけられていることに驚き、「実際は、親のほうが手のかかる幼子の存在に支えられている」という育児書の言葉をはじめて理解した。

今はまだ、遥か遠い、ずっと先のことにしか感じられないけれど、いつか母が本当にいなくなる時は必ずやってくる。人が子どもを産み育てるのは、最終的な心のよりどころである親を失ったときの哀しみや絶望、孤独を少しでも和らげるためかもしれない。小さな娘をだっこしながら、ぼんやりと思った。

とうとう、ママになる

2006 年1月号

『とうとう、ママになる』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

予定日より1週間早い1月5日の早朝、はじめての出産を経験した。漠然と、出産のはじまりは陣痛からと思っていたが、私の場合、前日の夜6時頃、まだ陣痛の気配さえない段階での突然の破水からはじまった。

おろおろしながら病院に電話し、用意してあった入院荷物に母子手帳や保険証などをつめこんでいるうちに、破水の量がどんどん増えていった。夫と病院に向かうタクシーのなかで、不安で涙が止らなかった。診察後、翌日の朝9時まで陣痛を待ってみて、こないようなら陣痛促進剤を使うことになり、夫はひとまず帰宅を促された。多分、朝まで陣痛はこないだろうと感じていたので、心配そうな夫に早く帰って寝るよう言った。

だが、午前12時頃から陣痛がはじまった。午前3時頃、まだ陣痛がそれほどすすんでない段階での検診で、胎児の心音を確認した助産師が突然、緊急のベルを鳴らし、「御主人に連絡をとりたい。携帯と家の電話とどっちがいいか」と私の手を包みながら聞いてきた。「携帯にかけてください」と答えながら、全身が震えるのがわかった。

その後すぐ手術室に運ばれ、先生から「今の時点で、すでに赤ちゃんがかなり苦しがっているので、もう帝王切開したい」と告げられた。一刻も早く赤ちゃんを助け出してほしい一心で、酸素マスクをあてられながら、何度もうなづいた。手術の検査と準備が整ったところで、夫が入ってきて私の手を握り、立会いはできないため、手術室を出ていった。大柄な夫も、泣きそうな顔をしていた。

だが、手術開始直前になって、子宮口が開いて赤ちゃんが下がってきたのだ。もう、帝王切開のつもりでいたので、先生から「自然分娩にもどす」と告げられたときは、一瞬、頭が真っ白になったが、気力でうなずき、それから約30分、無我夢中でいきんだ。

結果、なんとか無事、自然分娩で3220gの女児を出産した。生まれた瞬間、赤ちゃんの泣き声が聞えなかったので、そばの助産師に「赤ちゃん、元気ですか?」と聞いたら、「元気です。へその緒が首にニ重に巻きついた状態で出てきたけど、もう、大丈夫ですよ」と笑顔で言ってくれ、その言葉にほっとして涙がこぼれた。

生まれたての我が子を抱かせてもらったとき、生まれてはじめて、「崇高」ともいうべき感情が自分のなかに湧きあがってくるのを感じた。自分の中のネガティブな(美しくない)感情が、浄化されていくような不思議な感覚だった。「赤ちゃんて、人間の心を美しくする力を持ってるって、なにかの本で読んだけど、こういうことかぁ...」と思った。

これからの育児は想像以上に大変で、ヒステリーを起こしたり、煮詰まることも多々あるだろうけど、このときの「崇高」な感情をずっと忘れずにいたくて、この場をかりて書きとめておくことにした。