ホーム>子育てエッセイ

子育てエッセイ

「認定ベビーシッター」の卵たち

2005年11月第2号

『「認定ベビーシッター」の卵たち』 中舘慈子

「今と昔では家族を取り巻く環境が全く変わった。子育てをするとき、昔は身近な人が助言をしてくれ、サポートをしてくれた。現代ではそれを補うために家庭をサポートする子育て支援の制度ができ、ベビーシッターはその中の一つであることがわかった。

今日の講義では母親が子育てから離れてリフレッシュをすることでより子どもを大切なものとして捉え、子どもと向き合うことができるということに気付いた。また、いろいろな大人とのかかわりの時間、環境が少なくなった現代の子どもたちにとっても、ベビーシッターの存在は新鮮であり良い刺激となることがあるということがわかった。」「今日の講義でベビーシッターの重要性が少しわかったような気がしました。既存している施設型保育では対応しきれない部分をサポートする(リフレッシュタイムを作ってあげるなど)ことで、家庭状態や夫婦関係、子育ての仕方が良好になったというお話を聴き、やりがいのある大切な仕事だと思うと同時に、とても感動し、興味がさらに湧きました。」

9月から目白短期大学で「在宅保育論」の講義を始めた。約50名の学生たちは保育士資格と「在宅保育論」2単位が取れると「認定ベビーシッター」の資格を取得できることになっている。授業が終わると、講義の重要なポイントと、感想を書いて提出してもらっている。上記は「本日の講義で特に心に残った事柄を書きなさい」という私の問いかけに対する学生の答えである。学園の木々は美しく紅葉し始め、子ども学科のある校舎にはハムスターせきせいいんこ亀などの小動物も飼われている。豊かな環境で学ぶ学生たちは少しおしゃべり好きでときどき私に怒られたりしているが、「子ども」に関する仕事を目指すだけあって明るく優しい。

短大や大学における「在宅保育論」開設は長い夢だった。施設型保育とは異なった専門性を必要とする保育、施設型保育だけではカバーしきれない子育て支援を行う保育である在宅保育について学ぶことは学生たちの視野を広くするに違いない。「ひとりひとりの子どもの心を受容し、共感する」ことは、施設型保育に従事するようになったとしても、将来子育てをするようになったとしても役立つと信じている。できれば、より多くの学生に「ベビーシッター」として、子どもたちの優しいお姉さん役として活躍して欲しい。

少子化VS子どもが欲しい独身女性

2005年11月第1号

『少子化VS子どもが欲しい独身女性』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、会社勤めをしていた頃の先輩と久しぶりに飲んだ。2年半前、結婚相談所に入会した彼女は、週末、会員男性に会うたびに、翌日、興味津々な後輩たちにその様子を実況中継してくれた。姉御肌で気さくな彼女が、私は大好きだった。

そんな彼女が、結婚相談所をつうじて出会い、結婚を申し込まれたけど、その気になれず、それっきりだった男性と1年ぶりにまた会い、結婚することになったのだ。居酒屋で鍋をつつきながら、彼女は淡々とその過程を話してくれた。「正直、全然タイプじゃないし、去年出会ったときは、勢いで結婚しても長くつづかないかもって思ってやめたんだけど…。でも、私ももう37だし、このまま、どんどん年をとっていって、子どもがいない人生を送るよりは、たとえ離婚することになっても、子どもは産めるうちに産んでおいたほうがいいと思ってね。彼は子ども好きで、すぐに子どもをつくることに同意してくれてるし…」真面目にそう語る彼女の横顔を見ながら、私は、数日前の「少子化」をテーマにした取材での、有識者たちの「現代の女性は、自分自身の人生を優先したい欲求が強くて、なかなか子どもを産みたがらない」といった見解とのギャップを感じていた。

もちろん、そういう女性もいるだろうが、現実には、子どもを産みたい、持ちたいと切実に思っている独身女性もいっぱいいる。でも、結婚相手に巡り逢えなかったり、恋人はいても、相手が結婚を考えてなかったりと、なかなか子どもを持てる環境にない。なかには、「主人があまり子どもを欲しがってくれない」「なかなか子どもを授からない」のを理由に、離婚する既

シッターVS女中さん

2005 年10 月

『シッターVS女中さん 』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

子ども時代をふりかえったときに、懐かしさで胸がいっぱいになる人に「ルーガ」という女性がいる。彼女は、私が父の仕事の都合で南米のチリ・サンチャゴに住んでいた1970年代後半、住みこみで働いていた女中さんだった。女中さんがいたなどと言うと、家庭が裕福だったと誤解されかねないが、当時(多分、今も)の南米では、日本人の駐在員家庭は、しょっちゅう自宅に来客があり、奥さんは台所にこもっていてはいけないので、必ず女中さんを雇わねばならなかったのだ。あの頃、小学校低学年だった私にとって、ルーガは大人の女性としてうつっていたが、今、思えば、彼女はまだ二十歳前後の娘さんだった。貧富の差が激しい南米では、住みこみの女中さんというのは、貧しい家庭の女性にとって、もっともオーソドックスな仕事である。ルーガの家も貧しく、週末だけ家に帰っていた。三人兄弟の末っ子だった私は、ルーガに大層なついていて、台所や裏庭で、彼女の仕事を手つだうのが好きだった。

あの頃、まだ40歳前後だった母は、言葉のつうじない国で、父の仕事関係の方々を招いてのホームパーティーなどの接待、私立の現地校に通う三人の子どもたちの勉強や学校行事、節約したくても、できない環境でのお金のやりくりなどで、かなり疲れていた。イライラやヒステリーはしばしばで、「日本に帰りたい」と泣いていたこともあった。なので、あの頃、母に遊んでもらった記憶は、残念ながらほとんどない。にもかかわらず、特に淋しいと感じなかったのは、ルーガがいつも私たち兄弟の相手をしてくれたからだろう。

当時、お菓子づくりが大好きだった中学生の姉を手伝い、わんぱくで宿題から逃げ回る兄を箒を持って追いかけまわし、裏庭で大量の洗濯をしながら、甘ったれの私のなぞなぞの相手をしてくれたルーガ。両親がそろって外出して、帰りが遅い夜などは、自室に戻って寝ようとする彼女を、いつまでも子ども部屋にひきとめていた。

日本でシッターをしていて、私はルーガのことを、ときどきふっと思い出す。南米の住みこみの女中さんと、日本のシッターは、置かれた立場も、勤務形態も、報酬も役割もまったく異なる。けれど、家という子どもの日常空間の住人となり、親だけではカバーできない部分を埋めて、子どもの安全や笑顔を守る存在という部分は、共通していると思う。そして、そういう存在がいるということは、やはり子どもにとって、幸せなことだと感じている。

シッターVS子どもの生活習慣

2005年9月第2号

『シッターVS子どもの生活習慣』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

シッターをしていると、それぞれの家庭の親御さんがいかにがんばっているかにふれ、胸打たれることも多い。働くお母さんが朝、用意していったお夕飯を、夜、私があたためて子どもに食べさせ、朝、お母さんがベランダに干していった洗濯物をとりこみながら、「いったい、ここのお母さんの平均睡眠時間はどれくらいなんだろう…」と思ったりする。

いっぽうで、シッター先の子どもの生活習慣に不安を感じることも少なくない。もっとも不安に感じるのが、テレビとビデオ、テレビゲームが、なによりの趣味になってしまっている子どもの多さである。まぁ、子どもがテレビの前でおとなしく座っている間は事故の心配もないし、親も自分の時間ができて楽なぶん、ついつい見せてしまうのだろう。親御さんからのメモに「ポケモンのビデオはリビングに、ディズニーのDVDは和室にあります。リモコンの操作法は子どもが知ってます」などと書かれていることもあるが、安くないお金を払ってシッターに来てもらっているのだから、その時間帯はテレビもビデオもゲームも禁止にしてしまえばいいのにと思うこともある。シッターは、子どもにウケル遊びをけっこう知っているものだ。

次が子どもの食生活で、ポテトチップスなどの塩分、油分の多いスナック菓子や、カップ麺に代表されるインスタント食品が大好きな子どものなんと多いことか…。ひと昔前、そういった食品は多くの親が有害視していたが、現在は多くの家庭で常備されているから、時代も変わったものである。

そして、子どもたちの平均的な就寝時刻も、各段に遅くなっている。小学生以下の子どもで、午後11時頃まで起きているケースは全く珍しくなく、そのぶん朝が弱い子どもが増えている。不登校の理由が「朝、起きれない」という子どもたちが増えてきているのも事実で、「夜、早く寝なくちゃ」というと「眠れない」と言う。ようするに体内時計がくるってしまっているのだ。

一般的に、シッターに派遣先の子どもの生活習慣の改善までは求められていないと思うが、内心、私は、シッターこそ、その任務に積極的にかかわるべきだと思っている。学校や保育園がどんなに「テレビ・ビデオは時間を制限しましょう」「好き嫌いをなくしましょう」「早く寝かせましょう」と保護者にいったところで、限界がある。共働きの子育て家庭の場合、多くの親は、日々の生活をまわしてゆくための物理的な業務だけでいっぱいいっぱいなのだ。その親にかわって、ひとりひとりのシッターが根気よく、時間をかけて子どもと向き合い、少しでも改善していく努力や工夫をはかることで、現代の子どもの生活習慣は大きく改善してゆくだろう。

学校教育におけるボランティア体験のススメ

2005年9月第1号

『学校教育におけるボランティア体験のススメ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、育児雑誌の仕事で静岡県の某中学校の体験学習を取材した。この学校では、毎週、月曜の午後4時から6時までの2時間、中学2年生の生徒が、ふたり一組になって地域の子育て家庭を訪問し、ボランティアで子どもの世話をしているのだ。我が子が中学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんと楽しく遊んでもらっている間、親は夕飯の支度や、たまっている家事をする。
学校と、地域の民生委員や児童委員、地域の子育て家庭が連携し、授業の一環としてスタートしたこの活動、スタート当初は「中学生じゃ、ちょっと心配…」「事故があったら、どうするの」と利用を躊躇していた子育て家庭も少なくなかったが、じょじょに利用希望が増えてきたそうだ。
この活動の関係者に話を聞きながら、「これは、一石二鳥ならぬ、一石三鳥にも五鳥にもなる取組かもしれない」と、心ふるえる想いであった。「たとえ2時間でも、ボランティアで子どもを見てくれて、どんなに助かるか」と、乳幼児を抱えたお母さんたち。中学生ボランティアが帰るときには、「また、来てね~」と笑顔の子や、「帰らないで~」と泣き出す子も。
そして特筆すべきは、中学生たちがアンケートに記した生の声である。「弟や妹ができたみたいでうれしい」「学校の人間関係での疲れが、このボランティア活動で癒される」「ふだんはギスギスした気持ちで過ごしていることが多いけど、小さい子といると、少しやさしい気持ちになる」「子どもって、かわいいけど大変だと思った」「自分を慕って抱きついてくる存在って、すごくうれしい」「子どもの言うことに、はっとさせられることがある」などなど、読んでいて中学生にとって、この活動がいかに得るものが多いかを実感した。
中高生が地域の子どもを傷つけたり、殺めてしまう事件が少なくない今、この活動をスタートするにあたっては、反対の声も少なからずあったろうと思う。でも、つきつめて考えていくと、青少年が乳幼児について理解し、接し方を学び、いとおしめるようになるには、やはり乳幼児と接する時間を定期的に設ける以外に方法はない。たとえ、週に2時間だけでも、青少年の頃に乳幼児と過ごした経験を持っている子とそうでない子とでは、将来、親になったときにも必ず違いが出てくるだろうし、それが結果的に育児不安や児童虐待の予防にもつながっているのではないだろうか。
いち教育・福祉関係のライターとして、この取組が全国的に普及していくよう、微力ながら役に立ちたいと思っている。

産褥ヘルパー大盛況!!

2005年8月第3号

『産褥ヘルパー大盛況!!』 中舘慈子

在宅保育という分野の重要性がようやく公的にも認められてきました。各地方自治体で策定された「次世代育成支援行動計画」にも「産褥期ヘルパー」「訪問型一時保育」「派遣型病後児保育」などのメニューが組み込まれています。すでに行われている横浜市産後支援ヘルパー事業、10月から行なわれる世田谷区さんさんサポート事業などの産褥ヘルパー事業提供者には家事支援を行う事業者だけでなく、育児支援のプロであるベビーシッター事業者も組み込まれました。さらに10月から始まる川崎市の「川崎市産後家庭支援ヘルパー派遣事業」の認定事業者は育児支援の研修を行っていることが必須条件になっています。

出産までは病院で手厚くケアされます。たいへんなのが退院してから。赤ちゃんは夜2・3時間おきに泣くし、体が回復しないお母さまがひとりで赤ちゃんのお世話と家事をするとなると大変!!母親にとって心身両面のサポートが必要な産褥期に対する第三者によるサポートは今までほとんど行われていませんでした。「おばあちゃん」がいたからです。けれども核家族化が進み、働くおばあちゃんの社会進出も進む今、産褥期のサポートは真に必要なものとなりました。

産褥期のサポートは、産後の母親の心理や生理、赤ちゃんの沐浴や調乳・おむつ交換などのケアなどを学んだ専門スタッフが行います。サービスの内容は「赤ちゃんの沐浴とお世話」「家事援助(そうじ洗濯買い物食事作りなど)」「上のお子様の保育」など。さらに、お母さまの心のサポートをすることができます。出産後のホルモンの急激な変化によるマタニティブルー、産後うつなど心がデリケートになりがちな新米ママにとって身近な助っ人がいるということはどんなにか心強いことでしょう

産後の体が十分回復しないまま、誰の支援もなく無理をしながらこの時期を過ごすと「子育ては大変」「育児はつらい」という気持ちになりがちです。このまま進むと「育児不安」「虐待」になりかねません。一方、十分な支援を受けることで体が休まり、心も安定し、「赤ちゃんがかわいい」「子育てが楽しい」という母性が育っていきます。豊かな母性の元で育った赤ちゃんは心身ともにすくすくと育ちます。さらにお母さんは子育てには第三者のサポートが必要なのだということを実感します。少し赤ちゃんが大きくなったときにも在宅保育サービスを利用しながら上手にリフレッシュタイムを持ったり、育児に関する知恵を得たりすることができるようになるでしょう。

産休中のお母さん対象に社団法人全国ベビーシッター協会の「産前産後育児支援事業」の助成制度があります。さらに多くの自治体が助成金を支給することによって「産褥ヘルパー」を手軽に利用できるようになるでしょう。すべての子育て家庭が産後のサポートを利用してみることができたらいいなあという夢に大きく近づいたような気がします。

FS産後サポートメニュー
ABA産前産後育児支援事業
☆川崎市産後家庭支援ヘルパー派遣事業
☆世田谷区さんさんサポート事業

シッター先の子どもからの電話

2005年8月第2号

『シッター先の子どもからの電話』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

数年前の秋、それまでに何度かシッティングに伺ったことがある家庭の子どもから、胸が痛む電話をもらったことがある。「パパとママが、とうとう別々に暮らすことになった」というような内容の言葉をつぶやいたきり、電話の向こうで黙りこんでいた。

彼女の両親の不和については、何度かシッターに伺ううちに漠然と気づいていた。夫婦共働きで、ゴージャスなマンションに住む家族にも、いろいろあるんだなぁと思ったものだ。シッター中のある夜、ふだんは無口で無愛想な彼女が、「パパとママに、仲良くしてほしい」と言ったことがあった。シッター先の家庭の事情には極力口を出さないというシッターとしての立場と、なんとかしてあげたいという思いとの狭間で悩んだが、結局、私から両親に働きかけることはいっさい無いまま、その日以降シッターに行くこともなく、約ひと月が過ぎた頃の電話だった。

「…よかったら、来週、Aちゃんのお家のそばまで行くから、どこかで会って話そうか。駅前のマクドナルドまで、ひとりで来れる?」沈黙に耐えきれず、そう言ったら「いいよ、べつに」と、そっけない返事が返ってきた。それでも、私に電話をかけてきた彼女の孤独を思い、半ば強引に誘った。

ひと月ぶりに会う彼女は、思っていたより元気そうだった。母親と二人で、おばあちゃんの住む家のそばに引っ越すことになり、これからは学校が終わったら、おばあちゃんの家でお夕飯を食べるという。「…そうなんだ。おばあちゃんが近くにいれば、Aちゃんも淋しくないね」そう言ったら、少し怒ったような顔で、「まぁね」と言った。その少し後で、「ママは、これからはもっと、バリバリ仕事に打ちこむって感じ。家政婦さんも頼むらしいし」と言った。その言葉に、私は、いろんなことを思った。母子家庭が増えつづけている今、このような「母親が稼ぎ手になり、祖母やシッターが子の世話をし、家事は外注」というケースは、今後も増えつづけていくだろう。そして、それがいいのか悪いのか、私にはわからない。

以前、仕事で会った学者が、「多くの日本人が日常の中で宗教を必要としないのは、母親という神にかわる精神的支柱があるからだ。それほど、日本人にとって母親の存在は強い」と言っていた。この定義が、果たして20年後の日本に、まだあてはまるのだろうかと思うこともある。

ひとりっこの良いところ

2005年8月第1号

『ひとりっこの良いところ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

私は3人兄弟の末っ子である。洋服、かばん、お習字セットまで、なにもかもが「おさがり」がつねであった私にとって、「ひとりっこの生活」は憧れであった。小学生の頃、ひとりっこの友達、レイちゃんの家に遊びにいくたびに「なんて優雅なんだろう…」と、切実に感じたものである。おもちゃやおやつなどの物理的な豊かさはもちろん、家の静けさ、レイちゃんのお母さんの、ゆったりとした雰囲気にも感動した。

当時は超少数派だったぶん、ひとりっこにたいして「親に甘やかされてワガママ」「兄弟がいなくて、かわいそう」といった多少ネガティブなイメージが、漠然とあった気がする。でも、わたしはおっとりとしたレイちゃんと遊ぶのが好きだったし、かわいそうに感じたこともなかった。そして、今、ひとりっこのシッターをするたびに、私はレイちゃんのことを懐かしく思い出すのだ。

ひとりっこといっても人それぞれ、いろんなタイプがある。だが、これまでに出逢ってきたひとりっこたちを平均すると、多くは、親の愛情と関心をひとり占めしているぶん、ひねくれたり、いじけたところが少なかった。親も人間、子どもたちを常に平等に愛することは難しい。親の愛情の偏りや、無意識に兄弟に優劣をつけた言葉が原因で屈折してしまう子も少なくない。でも、ひとりっこに限り、そういった危険とは無縁である。

そして、兄弟げんかをすることがないぶん、意地悪さや攻撃性もあまり育っていない気がする。私自身の子ども時代をふりかえっても、シッター先での兄弟げんかを見ていても、人間の意地悪な部分の多くは、兄弟げんかによって育っていくのではと真剣に思ってしまうほど、兄弟のけんかは意地悪さ剥き出しである。もちろん、けんかもひとつのコミュニケーションだが、はたしてこの日々の兄弟げんかがその後の人格形成にプラスかどうかは、正直、疑問である。ニュースを見ていても、兄弟間の確執を報じたものも多く、兄弟がいる=幸せとは、いちがいには言えないと思う。

これから、ひとりっこは更に増えていくと予測されている。そのことを悲観的に語る教育・福祉関係者も少なくないが、ステレオタイプな「ひとりっこ=ワガママ」といった決めつけには断固反対である。親の愛情をたっぷりとそそがれて、穏やかな家庭環境で育った子どもの割合が増えるという見方も大切ではないかと思っている。

孫をシッターに預けるとき

2005年7月第3号

『孫をシッターに預けるとき』 中舘慈子

1歳の孫をシッターに預けることになった。前日朝急に40度の発熱、保育所では預かってもらえないので1日は母親が会社を休んで自宅で世話をしたが、2日続けて休むわけにはいかない。あいにく父親も海外出張中である。

朝大慌てで作ったお惣菜を持って娘の家を訪れた。ささやかなお見舞いの気持ちである。ドアを開けると孫の半泣きの顔にかすかな笑顔が浮かび、小さい手を精一杯伸ばしてきた。誰かに甘えたい、誰かにすがりたいという思いが痛いほど伝わってくる。小さな熱い体を思わず力いっぱい抱きしめた。「元気になるのよ!優しいシッターさんが来てくれるからね。」と。

・・・仕事も何もかも休んで熱い小さな体を一日中抱っこしていたい。しかし私には仕事がある。・・・駅に急ぎながら、「後ろ髪引かれる」とはこんな思いなのだろうと思った。

”おばあちゃんだから孫を見るのが当たり前”は“母親が子どもを見るのが当たり前”と共通する発想である。おばあちゃんで仕事を続けている人もいるだろうし、子育てに専念してきた人はやっと獲得した自分自身の時間を再び子育てに費やすのは・・・・と思うかもしれない。自分の親世代の介護に忙しい人たちもいるだろう。シッターは働くおばあちゃんや介護に忙しいおばあちゃんをサポートし、おばあちゃんにリフレッシュタイムを提供する役割もあるのかもしれない。こんなことを考えながらも「おばあちゃんなのに熱のある孫の世話をすることができない」ことにちくりちくりと罪悪感めいたものを感じた。

ある調査で首都圏30キロ圏に住む60歳前後の人を対象に「孫がいますか?」とたずねたところ、孫を持っている人はわずか16%に過ぎなかったという。団塊世代を主とした60歳前後の人が6人集まると内5人は孫がいないということになる。周りを見渡すと確かにそうかもしれない。おばあちゃんが孫を預かれないことと子ども世代の出生率の低いことと関連があるのだろうか?

夕方娘からメールが来た。孫はシッターさんとご機嫌で遊び、食事も良く食べた。「シッターさんがきて本当に助かった!」という。それほど悩むこともなかった。孫はシッターさんの温かいケアを受けて順調に回復し、自宅で一日を楽しく過ごすことができたようだ。在宅保育サービス、おじいちゃんおばあちゃん世代にもなくてはならないサービスだとつくづく思う。

シッターVS子どものわがまま

2005年7月第2号

『シッターVS子どものわがまま』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

「シッターとしょっちゅう過ごしている子どもは、わがままに育つのでは…」という声をよく聞く。いちがいには言えないが、これまで出逢ってきた子どもたちの中には、多少わがままな子も少なからずいた。でも、その子たちの多くは、シッターである私にたいしてはわがままだが、保育園・幼稚園の先生や友達にたいしてはそうでもなく、どちらかといえば「いい子」だった。言いかえれば、その子たちにとってシッターは、多少のわがままは許してもらえる貴重な存在なのだ。その理由のひとつに、子ども心に「シッターは、親がお金を払っている、自分専用の大人」という確信と安心があるからだと思う。

そして私を含め、多くのシッターは、やはり、よくも悪くも子どもに甘くなりがちだろう。なにより子ども好きだし、「お金をもらって預かっている」という思いもある。本来なら、その子のために本気で叱らなければならない状況でも、なかなか人の子を強くは叱れない。なので、子どもが多少わがままになってしまうのもいたしかたない面がある。中には、対等な関係の友達と遊ぶより、シッターと遊ぶほうが好きな子も多く、これはどうかなぁ…と考えこむこともあった。だが、それでも私は、シッターと過ごすひとときが子どもにあたえるメリットも実感している。親はどうしても、家事をしながら、なにか考え事をしながらと、「ながら的」に子どもの相手をしがちだと思う。また、保育園などの集団社会では、先生をひとり占めできない。その点、シッターというのは2時間なら2時間、1対1で自分と遊ぶことに集中してくれ、「見て見て」と言わなくとも、つねに自分のことを見ていてくれ、自分の話を全身を耳にして「うんうん」と聞いてくれる夢のような大人なのだ。そういう存在をときどきでも与えられることで、日頃、蓄積されている欲求不満やストレスが、どれほど解消されるだろう。特に、下にまだ手のかかる弟や妹がいて、あまり親にかまってもらえない上の子にとって、シッターの存在は大きい。実際、「シッターさんに来てもらうようになってから、子どもが落ち着いてきた」「下の子をいじめなくなった」と、たくさんの親に言われてきた。そんなとき、私はこんなしょーもない自分でも、他人の健全な精神の育成に少しでも貢献できる喜び、人に感謝される幸せをかみしめる。過去の、人間関係で悩んだり、挫折したときの心の傷が薄まって、私自身がなんだか救われた気持ちになるのだ。