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子育てエッセイ

0.98ショック!!

2005年6月第1号

『0.98ショック!!』 中舘慈子

0.98。これは2005年の東京都合計特殊出生率である。単純に見れば、東京都の女性が生涯に産む子どもの数がついに1人を割ったことになる。全国平均は1.25。もちろん、過去最低である。

「厳しい数字ですね。」
「今年になって出生率の回復のきざしがあるとの報告を受けていたんですけれど、今後、少子化対策は最重要課題になってくると思いますね。」

6月1日に小泉首相が記者団に漏らしたという。
エンゼルプランから始まり、さまざまな少子化対策が講じられているが、出生率の低下はとどまるところを知らない。社会保障が危ぶまれるといったところで、今まで「子どもは女性の問題」という意識を持っていたお役人たちも、やっと自分自身の問題として腰を上げざるを得ないのではないかと思う。

在宅保育サービスの仕事に関わって16年、自分の会社を創って12年になる。もちろん保育所などの施設型保育の充実は必要であるが、「家庭での子育ての支援」の必要性を説き続け、サービスを行い、大学での「在宅保育論」を立ち上げたりしてきた。しかし、国や自治体の在宅保育サービスに対する施策は遅々として進まず、ようやく自治体(川崎市世田谷区渋谷区)による産後ヘルパー事業の委託を受け始めたところである。

次は世界の出生率の推移のグラフである。フランスでは1994年ごろから出生率が上がり、現在は1.9である。フランスの子育て支援政策にはベビーシッター料金の助成も含まれている。少子化対策にかける費用も、フランスではGDP(国内総生産)の2.8%であるのに対して、日本は0.6%に過ぎない。最重要課題といわれる日本の少子化対策が、従来の発想で行われたとしても出生率の上昇は望めない。今こそ、在宅保育サービスも含めたトータルな子育て支援が必要である。

グラフ

お姉さんの出勤簿

2005年4月号

『お姉さんの出勤簿』 中舘慈子

ファミリー・サポートではフォローアップ研修を行っています。ベテランシッターさんでも、基本の基本から勉強しなおしてみる研修です。
シッターさんの仕事は1対1でお子さまと向かい合う仕事。ひとりで考えて悩んでしまうこともあるでしょう。うれしかったことがあっても、なかなか一緒に喜び合う仲間もいません。こんな機会に、普段思っていることを話し合い、共感しあい、お互いに高めあう研修でもあります。
「最近のシッティングでうれしかったことを1分以内で話してください」と、呼びかけてみました。シッターさんのうれしかったことは、お子さまと心が通じ合ったことなのだなあとつくづく感じました。

・小学校1年生の女の子が「お姉さんの出席簿」を作って、シッターの行く日に○をつけて待っていること
・1年ぶりに伺ったお宅でお子様が飛びついてきて、帰りは「帰っちゃダメ」と言ってくれて、しかもとても成長していたこと
・少し遠慮していたお子様が6ヶ月たって「バスで帰りたい」と、ママに言うのと同じわがままを言って甘えてくれたこと
・小学生になったお子様からお手紙をいただいたこと
・テレビを見て「○さん(シッターさん)にそっくり」といわれたこと

そのほか、お子さまと連弾を弾いたこと、作文の苦手だったお子様が(シッターさんの指導で)市の教育賞をもらい、全校生徒の前で読んだことなどもありました。シッターさんそれぞれの持つ特技を生かして、お子様の力を引き出し、伸ばせることも大きな喜びですね。
また、お子様と一緒に桜の花びらを集めていたりすると忘れていた子ども時代の気持ちをふっと思い出すという感想もありました。忘れていた新鮮な感動が甦る仕事なのですね。童心に返って歌を歌ったり、踊ったりできるのもこの仕事の喜びです。
ベテランシッターさんからは、10ヶ月のときから小学校1年生までシッティングをしてレギュラーが終了し、涙涙のお別れをした話があり、聴いているシッターさんも思わずもらい泣きをしていました。お子様も悲しくてシッターさんの顔を見ることができなかったそうです。こんな深い人間関係が築けるのも、そのシッターさんの温かい人間性によるものなのでしょう。
実は「お姉さんの出席簿」をつけてもらっているシッターさんは、40歳代半ば。でもお子様にとって「お姉さん」のように親しめる楽しい存在なのでしょう。安全を守るために決して気を抜くことはできませんが、お子様の笑顔をもらう喜びの多い仕事、それがベビーシッターの仕事なのかもしれませんね。

幸せは私のほう

2005年3月号

『幸せは私のほう』

森田公子(株式会社ファミリー・サポートチーフサポーター)

いつもお世話になっています。事務所の慌しさお察しします。私にも思いがけないほどたくさんの仕事が舞い込んでびっくりしています。ミスのないよう緊張して、飛び回っています。ありがとうございます。

さて今日は、I様でのお仕事でした。
H君がお喋りできるようになって、「森田さんに会いたいのに」と言ってくれたおかげでレギュラーの契約になって約一年経ちました。電車に乗ってのお出かけは大好きで、お散歩感覚で仲良く楽しんでいます。

今日、電車に向かい合わせに乗って、まねっこ遊び。お昼時の空いた電車ですが、隣に素敵なご婦人が乗っていらっしゃいました。
「お孫さんですか?」「ベビーシッターなんです」
「失礼、そんなお年ではないと思ったのですが、お幸せですね」「私ですか?」
「いいシッターさんに出会えて。お母さんは安心でしょうね」上品なその方は、
ニコニコ。
「いいわね。楽しいでしょう?」とH君に声をかけた
「・・・」
「いいえ幸せはわたしのほうなんですよ」

片目をつぶったり、眉をしかめたり、唇をゆがめたり、ケラケラ笑いながら真似するH君。
ただ単に、私の顔が変てこだったかもしれませんが、こんな風に人に声をかけて貰えたのも、やっぱりH君のおかげ。
明日も頑張れる大きな大きな力を頂きました。
この仕事は、私にも感動をたくさん与えてくれます。

子どもと絵本

2005年1月号

『子どもと絵本』

川合玲子(大学講師、(株)ファミリー・サポートチーフサポーター)

子どもによい絵本を与えたい、絵本を読むことで活字に興味を覚えてほしい、そしていずれは本好きになってほしい。親も保育者も、誰もがそう願うものだと思います。

子どもの教育にはお金がかかります。教育費には高額なお金を投資しても、なかなか絵本をじっくり選んでよいものを惜しみなく与えることはできません。そうすると図書館などへしげしげと通うことになりますが、それも手間のかかることです。図書館は第一に静かにする場所ですから、子どもを連れていくには面倒も感じられます。手遊びや伝承遊びを子どもと楽しんだりすることも、実は子どもとのコミュニケーションに大切な体験であるとわかっていても、なかなか多くの時間子どもと向き合うことは難しい。手間をかけることは大切ですが、手厚い育児をすべきとなるとお母さん達にストレスがかかってきます。なぜなら、自分を含む今の母達は、妊娠出産で中断した自分の楽しみも育児と共に引き継ぎたいからです。

それがわかっていてなお、望みたいことがあります。それは、子どもに絵本を読んで聞かせてあげてほしいということ。子どもは絵本を味わうものだと思います。口に入れてかんだりもぐもぐしたり、一度入れたものをもう一度引っ張り出してながめてみたり・・。いえいえ、本当にそうする子もいますが、そういう意味ではないのです。聞いた言葉をゆっくりかんで味わい、目に飛び込んだ挿絵をジュースのように飲みこんでみたり、そうして心の引き出しにためこんでいくのです。そしていつか刺激ある体験が訪れた時、大人に注いでもらった言葉や色彩のイメージが、その体験をいろどってくれることでしょう。ですから、読んであげる言葉は大切に、いつかたまっていた言葉がかたちとなって表れる日のために、美しい響きとして心の中に折りたたんであげたいのです。おいしい味のもの、面白い食感のものは、何度でも味わいたくなります。繰り返しせがまれたらそれはおいしかった証拠。成功したらしめしめと、大人はひそかに喜んでさらにおいしいものをからだの中に注ぎ込んであげましょう。

怪物が出てきた時のどきどき感、虹に乗ってお空をビューンと飛んだ時のわくわく感、みんなでごちそうをお腹いっぱい食べた時の幸福感…みんな心の中に栄養となって吸収されていきます。栄養満点になったら、お散歩のとき素敵なことが起きるかもしれません。なにげない水たまりをありさんのプールにみたてて話しかけたり、風さん強く吹いたらだめよ、とお空に呼びかけるかもしれません。その時子どもの心からは、かつてからだにためてあった言葉の響きや、美しい色彩のイメージがほとばしりでてくることでしょう。読んで聞かせてもらったことで、自分が主人公になった経験が初めて生きてくるのです。

多くの先生方が唱える説と、同じことを私も思っています。それは子どもが自分で絵本を読むようになっても、すぐに読み聞かせをやめてしまわないこと。子どもは4,5才を過ぎればなんとか絵本の文字を追えるようになってきます。そこで手放してしまってはなんとも惜しいものです。せめて小学校1,2年までは、望まれればいつでも大人が関わって読む作業をやめないことです。もう読めるものを、読んでと言って持ってくる時、それは読んでほしいというより自分と関わる時間をもってほしい時です。この信号を逃してはもったいないことです。そのうちに、読んでやろうかと言ってもいいよ、と言われてしまう日が来ます。自立してきて、自分で読むと言ってくる日は必ずやってきますし、ここまでくれば中学年からは本に親しむことが容易にできるでしょう。もう栄養は充分ですし、ためてあったものを自分で引き出すノウハウをつかんでいるからです。集団の読み聞かせを上手にすれば、実は中学生でも耳を傾けるのです。子どもは皆、言葉(うたや音楽のようにリズムに乗った響き)や絵の刺激をからだの中に受け入れたい欲求を持ちつづけています。しかもそれは、自分に手間や時間をかけてくれる人が運んでくれることで、初めて満たされるもののように思います。(大人だって、美術館や演奏会に時々行きたくなりますよね。実はそれは心が栄養を欲しがっている時なのです)

絵本はゲームのように、与えておけば自分の力で楽しめるおもちゃではありません。子守りを勝手にしてくれるTVなどとも違い、大人が介在して初めて生きてくるアイテムなのです。せっかく買った絵本がほとんど使われずに本棚に眠ってしまうか、手垢ですりきれるようにして大切に飾られるか、それは大人の関わり方しだい、ということになります。

関わり方ひとつで将来、取り上げても禁止しても布団の中で隠れて読むほどの本好きになるかもしれません。

口に入れる食材と同じくらい気を使って、質のよい絵本を用意することができたらさらに素敵なことです。子どもは必ずリクエストしてくることでしょう。その時忙しくてもほんの少し、時間をかけてあげることを忘れないでいただけたらと思います。

上海のベビーシッター

2004年12月号

『上海のベビーシッター』 中舘慈子

上海空港からの高速道路からぐらぐらするほど大きな真紅の夕日が見えた。ここは大陸なのだ、という感動が身内から湧き出した。1時間ほど車の警笛の鳴り響く高速道路を疾走すると最新のデザインのマンションがきらびやかに林立する上海の街に入った。スケールが違う!と感じた。

新旧混在の街、貧富混在の町、不協和音が鳴り響いている町であった。しかも、すべてが東京の10倍くらいのスケールで。
上海におけるベビーシッター事情はどうなのだろうか?絵描きでもあるガイドのAさんは、ベビーシッターには6つの条件について次のように話してくれた。

  1. 健康であること
  2. 子育て経験または保育経験があること
  3. 性格が明るいこと
  4. よい生活習慣ができていること
  5. 標準語を話すこと
  6. 35歳くらいがいちばん望まれる

一人っ子政策が進んで一人っ子同士の結婚もこのごろでは多く、そのときには子どもを2人まで産んでよいことになったそうだ。Aさんには、女の子が1人あり、小さいときから音楽を学ばせており、そのことが高く評価されるという話も聞いた。

上海のベビーシッター会社を訪れた。ビルの1フロアーにあるこぎれいなオフィスにはパソコンが整然と並んでいて、10人あまりのスタッフがパソコンに向かったり仕事に専念したりしていた。そのときの様子を簡単にレポートしてみた。この会社は1994年に赤ちゃんの産毛で筆を作る会社として発足したが、2000年にベビーシッター部門を開始した。上海には現在ベビーシッター会社が10社ほどあるそうだ。

メンバー制になっていて、1時間12~15元。1ヶ月24時間の契約だと2000~2500元になる。シッターのレベルによって料金は異なり、シッターには60%をバック。事故の責任は会社がもつ。シッターの年齢は30~50歳が中心。(注1元は約13円)

研修は30日間。内15日は理論であり、15日は病院における実習。上海市として「枦理員従業証」の資格を出しており、この資格取得には350元くらいかかるという。8ヶ月までの産褥ベビーシッターおよびベビーシッターをするにはこの資格が必要であるが、8ヶ月より大きい子どもは家政婦資格でもよいそうだ。この会社には有資格のベビーシッターが200人ほど登録しているという。利用者は核家族が多く、3ヶ月から復職して1歳半まではベビーシッターによる保育を行う。1歳半ごろからは保育所に預けるそうだ。乳児期は家庭で個別保育、2歳近くなってからは、集団保育という子どもの発達に沿った保育が行われている。また、産褥期のケアの必要性とケアに関する専門性が必要であることを的確に捉えているのだと思った。

日曜日であったが、ベビーシッターの面接が行われており、面接室には7~8人の30~50歳くらいの優しそうな女性が順番を待っていた。履歴・稼働時間・地域などを聞いている様子は、私たちが日ごろ行っている面接風景となんら異ならなかった。

驚くほどの騒音と活気に満ち溢れた街、上海。古今東西、各国の文化が交錯しスパークする国際都市上海。しかし一歩裏町に入るとタイムマシーンでさかのぼったかと思われるような貧困の光景があった。急激な変化が日本の第二次世界大
戦以後の変化の10倍の速度で起こっている。急激な変化によるひずみも日本の10倍の大きさで起こるのかもしれないが、上海の子どもたちは、さまざまな子育てサポートシステムや教育施設を通じて元気に育っていくのかもしれない。帰途、空港に向かう高速道路から、今度は特大の真紅の太陽がゆらりゆらりと昇っていくのを見た。

家族と保育者のコラボレーションを目指して

2004年9月号

『家族と保育者のコラボレーションを目指して』 中舘慈子

ひと言子育てをめぐるさまざまな問題が起きている今だからこそ、保育士・幼稚園教諭・ベビーシッターなどと保護者がコミュニケーションをとり信頼関係に結ばれ、共に子どもを育む姿勢が必要だと思います。在宅保育サービスや民間保育サービスについても会員の皆さまにご理解をいただきたいと思っています。

1 在宅保育サービス

「単に子どもを一時的に預かるベビーシッター会社ではなく、子育てを行う親や家族を支援したい」という熱い思いで株式会社ファミリー・サポートを設立したのは1994年のことだった。子どもに対しては良質な保育、教育を提供し、働く両親はもちろん、家庭で子育てに専念する母親も心理的物理的にサポートしたいと考えた。この場合最も大切なことは「保育者」と「保護者」がよりよい連携を取り、信頼しあって「子どもの育ち」を共に援助していくことである。

弊社の在宅保育サービスには産後サポート(産褥期の母親の心と生活のサポート、新生児の沐浴を含むケア)育児サポート(0歳から未就学児を対象とした在宅送迎病後児保育など)学童サポート(小学生を対象とし、心と生活の支援のほか学習指導なども含む保育)ポーテージサポート(障害を持つ子どものケア)などの分野がある。選考を経て採用された子育て経験者、保育士や幼稚園教諭、音楽大学や美術大学出身者などはカウンセリングマインドを重視した研修を受講した後、各家庭を訪れて子どもに個別保育を行い親をサポートする。日本の保育は保育所を中心とした施設型保育が主流となっている。しかし0歳児保育は母性的養育環境である家庭で行われるのが望ましい。病児、深夜保育は子どもがくつろぐことのできる在宅保育が適していると思う。産後のサポートは出産後の女性が母性を形成する重要な時期の在宅のサポートである。在宅保育サービスには、1時間1500円前後という料金の壁があるし、自宅に保育者が入ることに抵抗を感じる場合もあるだろう。しかし、すべての子育て家庭に対する支援が必要な今、さまざまな保育サービスのひとつの選択肢として「在宅保育サービス」はさらにニーズが高まると思われる。弊社のサービスの90%はこの在宅保育サービスの分野である。

2 複合型幼児教育施設運営事業

2歳前後になると子どもたちは集団で過ごす時間を楽しむようになる。2000年「カーサデルバンビーノ」(イタリア語で「子どもの家」)という複合型幼児教育施設を創った。幼稚園に入る前の幼児対象に社会性・コミュニケーションの力を養うと共に造形・音楽・体操・英会話・ことばなどの「幼児教育タイム」を設けたプレスクール、月極保育臨時託児教室なども併設している。2004年には商業施設内に施設利用者の臨時託児も含めた2つ目の園を開設した。働く両親ばかりでなく、家庭で子育てをしている女性にとって、たとえ週1回2時間この施設に子どもを託すことであっても、保育者と話すことが心の支えとなり、保護者同士のかかわりもでき、自分自身を見つめる大切な時間となる。

3 その他の企業・大学内の臨時託児室の企画運営、幼稚園・保育所などの教諭・保育士・補助職員の業務請負などを行っている。また、大学、文化センターなどで「子育て講座」「キッズアート講座」「読み聞かせ講座」などの企画運営を行っている。

4 研究事業

2002年より東京大学大学院博士課程のスタッフを中心に「保育と家庭とのよりよい連携」をテーマとして、保育所・幼稚園・ベビーシッターとその利用者を対象とした研究を行っている。日本発達心理学会では2002年に「こどもの育ちをめぐる保育と家庭のコラボレーション」、2003年には「保育と家庭の『信頼関係』」に関する研究発表を行い、今後もさらにこのテーマを掘り下げた研究を続けたいと考えている。

研究事業の成果を生かし、子育て家庭を支えるという信念の元に、弊社は今後も公的な保育制度ではカバーしきれない保育サービス事業をさらに展開していきたい。

2004年発達心理学会ニューズレター掲載記事

赤ちゃんがやってきた

2004年7月号

『赤ちゃんがやってきた』 中舘慈子

いよいよ陣痛が始まったという娘からの電話を受けた。明日香医院の大野先生の指示通り臨月になっても毎日2・3時間の散歩を続けており、体重も数キロしか増えていないとはいえ、出産は命がけのこと。大きな期待とかすかな不安を抱きながら時の経つのを待った。アジサイの花の色鮮やかな初夏の日のことである。熟睡できぬまま白々とした明け方を迎えたころ、娘から元気な声で「産まれたよ!」という電話がかかってきた。「いつ?赤ちゃん元気なの?」「10分前。」まさか、本人からこんなに元気な電話があるとは思っても見なかった。男の子で2780グラムだったということを聞いたのは、安産の喜びに浸ったあとだった。男女の別については事前に知らせることなく出産後両親が直接確認するというのもいかにも大野先生らしい。

病院の分娩台ではなく翠の木漏れ日の入る部屋で、先生や助産婦さん、夫の援助の中で赤ちゃんは「自分の生まれたいときに自分の力で」自然に生まれてきた。会陰切開をすることもなく、出産後十数時間の新米ママはにこにこと元気な赤ちゃんを抱いてリビングに歩いてきた。病室というよりもふつうの家の一部屋での「母子同室」で、4日目には自宅に帰った。

「母乳が出すぎる!!」と新米ママは悲鳴を上げている。赤ちゃんがアレルギーにならないために母親の食事制限は厳しい。「たまご」「牛乳」「小麦粉」「肉」を含む一切の食べ物を排除することとなった。しかし、これらを除いたメニューがなんと豊かにあること!!ご飯魚野菜を中心とした食事は、さらさらの質の良い豊かな母乳に変化するようだ。

「粉ミルク」が普及する前、自宅でお産婆さんが赤ちゃんを取り上げてきた時代にふつうに行われてきた子育てをしているのかもしれない。おむつだけは紙おむつにして、ただし赤ちゃんが不愉快そうな顔をして「取り替えてちょうだい」と泣いたときには即替えるようにしている。

人生の最初の時期、生後1~2ヶ月は、赤ちゃんにとっても画期的な時期だと思う。快適な胎内から光音やざわめきにおいいろいろな人の顔や声・・・の聞こえる世界にきて、自分で呼吸をして自分でお乳を飲まなければならず、服を着
せられるのだから。この時期は思い切り抱きしめ、限りない愛情を注いであげたい。「ようこそ!赤ちゃん」という感謝の気持ちをこめて。感動した瞬間があった。赤ちゃんが「知ってるよ!!」という顔をしたのである。それは、胎内で聞いていた音楽を聞かせたときのことである。自然な出産とあふれるような母乳のおかげかもしれない。赤ちゃんは機嫌がよく、よく眠りよくのみ、よくおむつを汚してくれ、ときどきかわいらしく微笑んでいる。

「お産の家」明日香医院

わすれたうた(童謡)を思い出す

2004年5月第2号

『わすれたうた(童謡)を思い出す』 中舘慈子

5月の連休にウィーン少年合唱団の演奏を聴きました。23人と小編成でしたが、天使の歌声に癒されました。特に印象に残ったのはアンコールで歌われた「赤とんぼ」(作詞三木露風作曲山田耕筰)。ソロはあくまでも透き通っていて、日本人の忘れ去った童心を抒情的に歌い上げ、思わず涙ぐむ聴衆もいました。

その数日後に、テレビで「うたをわすれたカナリア」のうたが、西条八十によって日本で最初の童謡として作られたことが放映されました。『現在世間に流行している俗悪な子どもの読み物と貧弱低劣なる子どもの謡と音楽を排除して、彼らの真純な感情を保全開発するために、現代第一流の作家詩人、作曲家の誠実な努力を集める』ことをモットーに「赤い鳥」を発刊した鈴木三重
吉の依頼によるものです。90過ぎた方たちがこの唄を初めて歌ったことを懐かしそうに語っていました。

『赤い鳥の謡は、いづれもわれわれの第一流の作家が、最近の詩壇に一境地を区劃した傑作のみで、そのあるものの如きは直ちに、優れたる古典として永久の生命に輝くべき絶唱とさへいはれている。その作曲も悉く、1人の年若き天才の代表的作篇として推服された名作である』

と、三重吉は当時の広告文で述べています。国境を越えた童謡が戻ってきて、日本人の心に「わすれたうた」を思い出させてくれたような気がします。北原白秋・西条八十・三木露風などによって、古典としての永久の命を吹き込まれた優れた童謡を歌っていると、自然や動物がそーっと心に忍び込んで優しい気持ちになれるような気がします。お子様を抱いて、静かにゆったりとした気持ちでわすれていたうた(童謡)を歌ってみませんか?

「ゆりかごの唄」

1 ゆりかごのうたをカナリアがうたうよねんねこねんねこねんねこよ

2 ゆりかごのうえにびわの実がゆれるよねんねこねんねこねんねこよ

3 ゆりかごのつなを木ねずみがゆするよねんねこねんねこねんねこよ

4 ゆりかごの夢に黄色い月がかかるよねんねこねんねこねんねこよ

大正10年8月(1921年)『小学女生』作詞北原白秋作曲草川信
(著作権切れの作品)

本当の自由って?

2004年5月第1号

『本当の自由って?』 中舘慈子

こんなことがありました。

シッティングにうかがっていたときのことです。小学生の妹さんがお手伝いをしてお味噌汁を運んでいたところ、お兄さんが突然ふりかえりぶつかってしまい、妹さんの手にお味噌汁がかかってやけどをしてしまったのです。シッターはあわてて妹さんの手を冷やし、幸い痕は残りませんでした。シッターから緊急連絡を受けたので、お母様にお詫びの電話をしました。するとお母様は「これは子どもたちの問題です。前後を通る時には必ず声をかけるように話していたのを守らなかったからです。以前兄が遊具で大怪我をしたときにも、誘った友達の責任や先生の責任ではなく、乗った本人の責任だとしかりました。それが我が家のルールです。」ときっぱりおっしゃいました。もちろんシッティング中の事故はお子様の安全をお預かりしているシッターと会社の責任です。しかし、お子様にこのような自己責任の教育をしているご家庭の姿勢に感動しました。またこのような教育を通じて危機管理能力も培われていくのだと思います。危機管理能力は人に本能としてあるものではありません。特に親や大人の庇護の元にある時期にしっかりと子どもたちに植え付けていきたい力です。

日本の高校生は、米国、中国、韓国の高校生に比べて、自分中心に物事を考える一方で、責任を負うことには消極的な傾向が著しいことが、文部科学省所管の財団法人、日本青少年研究所と一ツ橋文芸教育振興会が、日米中韓の四カ国の高校生に行った生活・意識調査で分かりました。

たとえば、「親に反抗すること」は「本人の自由」(55%)。「悪いことではない」(22%)
とともに突出して高く、逆に「良くないこと」は5人に1人のみで、四カ国で唯一、過半数を割り込みました。「偉くなると責任が大きくなるからいやだ」という問いに、「そう思う」と答えたのは日本が55.6%で、唯一、過半数を上回りました。「スーパーやコンビニでの万引」「覚醒剤や麻薬の使用」「売春など性の売り買い」といった設問も、「本人の自由」としたのは米国に続き、他の二カ国を大きく引き離しました。

反抗はするけれど責任は負わない、自由に行動するけれども責任転嫁する、大切な自分の体を守る危機管理能力のない日本の高校生を育ててしまったのは、その親や社会による教育の結果ではないでしょうか。

ご家庭と連携しながら、年齢の低いころからお子様に対して「自由」には必ず自己責任が伴うことを教え、自分を守る危機管理能力を養うことが、私たち保育や教育に関わる大人の責任であるような気がします。

代表取締役中舘慈子(教育心理学会会員)

はじめて出会う「育児の百科」小学館

2004年4月号

『はじめて出会う「育児の百科」小学館』 中舘慈子

二冊の育児書の間で悩みながら子育てをした経験がある。初めての出産と子育てをした夫の赴任地の小さな町には、親しい知人も育児のアドバイスをしてくれる人もなく、頼れるのは育児書だけだった。二冊の育児書には対照的な育児の手法が書かれていて母親初心者の私は、授乳の間隔、抱くタイミングにすら戸惑っていた。目の前の赤ちゃんの要求を読み取るのではなくて、「正しい育児の手法」に従わなければならないと思い込んでいたのだ。三十年ほど前のことである。今でも、育児書のマニュアルどおりに子育てができないと悩み、かえって育児不安に陥る母親も多い。

「はじめて出会う育児の百科」を手に取ったとき、心が躍った。常に新しい視点で現代の子育て支援の研究を続けてこられた教育研究家、汐見稔幸先生、多数の病気の子どもと健康な子どもを実際に温かく診ておられる小児科医の榊原洋一先生、そして幼児の言葉の相談・指導を通じて熱心に子どもの発達に関わる活動を続けていらっしゃる言語聴覚士の中川信子先生、この三人の執筆、監修による「育児書」だったからである。

「からだ」「ことば」「こころ」三つの分野の専門家が最新のデータをもとに執筆した初めての育児書、と帯に謳ってある。従来の育児書が身体の発達に目を向けがちだったのと大きく異なる点である。開いてみると、豊富なイラストがあり、読みやすい印象を受ける。しかし、内容は非常に充実している。各月齢、年齢の発達が「からだ」「ことば」「こころ」の三つの視点から関連性を持って述べられ、発達を総合的に把握できる。

何よりも親にとってうれしいことは、子育てに自信の出る言葉が随所にちりばめられていることである。たとえば「自分のなかにある子育ての力を信じて」という文字が目に飛び込む。

次に感動することは赤ちゃんからのメッセージが直接響いてくることである。「赤ちゃんのこころ」が赤ちゃん自身のことばで分かりやすく語られている。さらに心強いことは、育児サポートシステムにも言及されていることである。また、具体的な遊び方、ことばのかけ方なども楽しいイラストと共に学べる。

この本は、マニュアル書ではなく子育てを力強く応援してくれる読む育児書である。妊娠を知ったすべてのご両親にこの一冊の育児書をぜひお薦めしたい。*社団法人日本家族計画協会発行「家族と健康」の新刊紹介に寄稿した文です。