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子育てエッセイ

ライター、シッターに目覚める

2005年7月

『ライター、シッターに目覚める』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

ベビーシッターをはじめたのは4年前、取引先の女性編集者から、「新しいシッターが決まるまでの間だけでいいから!深夜までOKのシッターってなかなかいないのよ」と頼まれたのがきっかけだった。シッターをすることになったと告げたときの、周囲の反応はかなりシビアであった。「三十にもなって、人の子どもお世話してる場合じゃないでしょっ!早く結婚して自分の子産みなさい!」と田舎の母。「学歴もあるし語学もできるのに、なんでシッター?」と怪訝そうな友人たち。私はと言えば、子どもと過ごすほのぼのとした時間の中で、失ったものを取り戻せたら…などと、優雅なことを考えていた。

だが、5歳と3歳の子どもふたりのシッターは、ほのぼのどころか嵐であった。「シッターは怒らない」という確信があるのか、二人ともご飯は食べずに勝手にお菓子を出してくる、テーブルから飛び降りる、すぐに兄弟げんか、お風呂ではシャワーを持って大暴れ、なかなか寝ない、と手がかかることこの上なく、本気で怒ることもしばしばだった。シッターをした翌日は、前日のにぎやかさが耳鳴りのように残っていたほどだ。

ある夜、騒ぐ子どもたちをなんとか寝かしつけ、恐ろしく散らかったリビングを片づけていたら、グラリと揺れを感じた。「地震…」慌てて子どもたちの寝室にかけていき、ドアを空けた瞬間にグラグラッと強い揺れがきた。「キャーッ!!」まだ、眠ってなかった子どもたちが、布団から飛びだしてしがみついてきた。守らなければいけない存在がいる状況での地震ははじめてで、私も心底怖く、暗闇のなか、3人できつく抱きあいながら、揺れがおさまるのを待った。親でもない私に痛いほど全身でしがみついてくる子どもたちが、無性にいとおしかった。

3カ月後、ようやく新しいシッターが決まり、晴れてお役御免となったが、ひと月もしないうちに、また、シッターがしたくなってファミリーサポートに登録した。それから今まで、さまざまな子どもたちとたくさんの「日常」を共に過ごしてきた。そのなかで、感じたこと、考えさせられたことを、これから、ときどきこの場を借りて紹介したいと思っている。

授乳の喜び

2006年6月第3号

『授乳の喜び』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

早いもので、娘も丸5ヶ月になった。そろそろ離乳食を開始しなくてはと市の離乳食教室に参加したり、離乳食のレシピ本を買ったりしている。昨日はデパートで赤ちゃん用の食器やスプーン、マグなどを物色しながら、これからはどんどん授乳回数が減っていくんだなぁと思ったら、なんだか少し淋しくなった。

生後3か月くらいまでは、24時間営業での2~3時間ごとの授乳に喜びを感じるゆとりはなく、娘がうまく乳首に吸いつけずに大泣きするわ、あちこちに母乳がこぼれるわで大変だった。特に深夜の授乳は眠いし寒いしで、「粉ミルクのほうがずっと楽だなぁ…」と思ったものだ。だが、母乳育児の良さを病院や友人からたっぷりと聞いていたため、慢性的寝不足と戦いながら、ほとんど母乳のみでがんばり、そのかいあってか、これまで病気ひとつせずに順調に成長している。この太りっぷりを見れば、母乳だけでも栄養は足りているのが一目瞭然である。

最近は育児にもゆとりがでてきて、授乳のひとときを味わえるようになった。フンギャフンギャ泣きだした娘をすっぽりと胸に抱く。とたんに娘は泣きやんで、小ちゃなお口をひらき、唇と歯茎を上手につかって、ウックンウックンおっぱいを吸い始める。どんどん母乳が出て、それまで張っていた乳房がみるみる軟らかくなっていくいっぽう、娘の体が重たくなっていく。気のせいか、娘の体温もあがっているようだ。ときどき、娘は吸う口を休めて、つぶらな瞳でじぃ~っと私を見つめる。にっこり笑い返すと、娘はまたチュッチュクチュッチュクおっぱいを吸い出す。その感覚とぬくもりを味わいながら、私は女に生まれてよかったと思い、母になった幸せを静かにかみしめる。男性には決して、味わえない喜びである。

おむつ変えやお風呂のたびに、娘のムチムチの腕や太ももをさわりながら、「おっぱいだけで、よくぞここまで肥えたもんだ」と満足気ににんまりするのも、母乳育児における大きな楽しみだ。しかし、毎日これだけ大量の母乳を出しているのに、期待していた母乳ダイエットの効果がさっぱりなのは、なぜだろう。

週に一度のギタークラブ

2005年6月第2号

『週に一度のギタークラブ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

昨年の秋、妊娠を機に都内からさいたまに引越したさい、それまで所属していた趣味のクラシックギターアンサンブルも、遠くなって通うのが大変だからと退会した。今後、再開するにしても、これからは子どもを抱えての生活になるため、出産後、ひと段落したら、練習場所が近いアンサンブルを改めて探そうと思ったのだ。

出産してから数ヶ月、ようやく赤ちゃんのいる生活にも慣れた頃、近くの公民館をいくつか当たってみた。すると、なんと家から徒歩10分の最寄の公民館にギタークラブがあったのだ。代表者の連絡先を教えてもらい、それから数日後、思いきって電話をかけてみた。「うちはメンバーの平均年齢がかなり高いですが、よかったら一度練習を見学にきてください」と言ってくださり、翌月、娘は主人に見ていてもらい、見学に行った。

階段をあがってつきあたりの部屋に向かう途中、ギターの音色が聞こえてきた。久しぶりに聴く、生のギターアンサンブルの音色はせつなく心に響いて、「一個人」としての感覚が自分のなかにわきあがってくるのがわかった。扉を開けると、50~70代くらいの男女7、8人が練習していて、見学に来たという私を笑顔で迎えてくれた。最高齢の方は87歳と知って驚いたが、「83歳からギターをはじめて、今はギターが楽しくてしょうがない。生きているかぎり、つづける」という言葉に、「これぞ生涯青春だなぁ…」と思った。

あの日から3ヶ月、毎週1回、娘をベビーカーに乗せてギターの練習に行くのが、現在の私のなによりのリフレッシュである。幸い、娘にとってギターの音色は子守唄に近いらしく、練習中は私の隣で、ほとんどぐずりもせずに、驚くほどぐぅぐぅ寝ている。なによりありがたいのは、子育て経験豊富なメンバーの方々に育児におけるさまざまな疑問や不安をあれこれ聞けることだ。実家が遠いぶん、私には同世代のママ友達以上に、母世代の頼れる存在にほっとする。

「毎週、ここに来て、さっちゃん(娘のこと)をだっこするのが楽しみよ」と言ってくれるメンバーの方々の言葉に、「我が子をいとおしんでくれる人々が地域にいるということは、母親にとってなんて深い安心感と幸福感をもたらすのだろう」と感じいってしまう。ギターをつうじて、私はリフレッシュするだけでなく、最高の「子育て支援」にめぐりあえたのだと思っている。

0.98ショック!!

2005年6月第1号

『0.98ショック!!』 中舘慈子

0.98。これは2005年の東京都合計特殊出生率である。単純に見れば、東京都の女性が生涯に産む子どもの数がついに1人を割ったことになる。全国平均は1.25。もちろん、過去最低である。

「厳しい数字ですね。」
「今年になって出生率の回復のきざしがあるとの報告を受けていたんですけれど、今後、少子化対策は最重要課題になってくると思いますね。」

6月1日に小泉首相が記者団に漏らしたという。
エンゼルプランから始まり、さまざまな少子化対策が講じられているが、出生率の低下はとどまるところを知らない。社会保障が危ぶまれるといったところで、今まで「子どもは女性の問題」という意識を持っていたお役人たちも、やっと自分自身の問題として腰を上げざるを得ないのではないかと思う。

在宅保育サービスの仕事に関わって16年、自分の会社を創って12年になる。もちろん保育所などの施設型保育の充実は必要であるが、「家庭での子育ての支援」の必要性を説き続け、サービスを行い、大学での「在宅保育論」を立ち上げたりしてきた。しかし、国や自治体の在宅保育サービスに対する施策は遅々として進まず、ようやく自治体(川崎市世田谷区渋谷区)による産後ヘルパー事業の委託を受け始めたところである。

次は世界の出生率の推移のグラフである。フランスでは1994年ごろから出生率が上がり、現在は1.9である。フランスの子育て支援政策にはベビーシッター料金の助成も含まれている。少子化対策にかける費用も、フランスではGDP(国内総生産)の2.8%であるのに対して、日本は0.6%に過ぎない。最重要課題といわれる日本の少子化対策が、従来の発想で行われたとしても出生率の上昇は望めない。今こそ、在宅保育サービスも含めたトータルな子育て支援が必要である。

グラフ

お姉さんの出勤簿

2005年4月号

『お姉さんの出勤簿』 中舘慈子

ファミリー・サポートではフォローアップ研修を行っています。ベテランシッターさんでも、基本の基本から勉強しなおしてみる研修です。
シッターさんの仕事は1対1でお子さまと向かい合う仕事。ひとりで考えて悩んでしまうこともあるでしょう。うれしかったことがあっても、なかなか一緒に喜び合う仲間もいません。こんな機会に、普段思っていることを話し合い、共感しあい、お互いに高めあう研修でもあります。
「最近のシッティングでうれしかったことを1分以内で話してください」と、呼びかけてみました。シッターさんのうれしかったことは、お子さまと心が通じ合ったことなのだなあとつくづく感じました。

・小学校1年生の女の子が「お姉さんの出席簿」を作って、シッターの行く日に○をつけて待っていること
・1年ぶりに伺ったお宅でお子様が飛びついてきて、帰りは「帰っちゃダメ」と言ってくれて、しかもとても成長していたこと
・少し遠慮していたお子様が6ヶ月たって「バスで帰りたい」と、ママに言うのと同じわがままを言って甘えてくれたこと
・小学生になったお子様からお手紙をいただいたこと
・テレビを見て「○さん(シッターさん)にそっくり」といわれたこと

そのほか、お子さまと連弾を弾いたこと、作文の苦手だったお子様が(シッターさんの指導で)市の教育賞をもらい、全校生徒の前で読んだことなどもありました。シッターさんそれぞれの持つ特技を生かして、お子様の力を引き出し、伸ばせることも大きな喜びですね。
また、お子様と一緒に桜の花びらを集めていたりすると忘れていた子ども時代の気持ちをふっと思い出すという感想もありました。忘れていた新鮮な感動が甦る仕事なのですね。童心に返って歌を歌ったり、踊ったりできるのもこの仕事の喜びです。
ベテランシッターさんからは、10ヶ月のときから小学校1年生までシッティングをしてレギュラーが終了し、涙涙のお別れをした話があり、聴いているシッターさんも思わずもらい泣きをしていました。お子様も悲しくてシッターさんの顔を見ることができなかったそうです。こんな深い人間関係が築けるのも、そのシッターさんの温かい人間性によるものなのでしょう。
実は「お姉さんの出席簿」をつけてもらっているシッターさんは、40歳代半ば。でもお子様にとって「お姉さん」のように親しめる楽しい存在なのでしょう。安全を守るために決して気を抜くことはできませんが、お子様の笑顔をもらう喜びの多い仕事、それがベビーシッターの仕事なのかもしれませんね。

幸せは私のほう

2005年3月号

『幸せは私のほう』

森田公子(株式会社ファミリー・サポートチーフサポーター)

いつもお世話になっています。事務所の慌しさお察しします。私にも思いがけないほどたくさんの仕事が舞い込んでびっくりしています。ミスのないよう緊張して、飛び回っています。ありがとうございます。

さて今日は、I様でのお仕事でした。
H君がお喋りできるようになって、「森田さんに会いたいのに」と言ってくれたおかげでレギュラーの契約になって約一年経ちました。電車に乗ってのお出かけは大好きで、お散歩感覚で仲良く楽しんでいます。

今日、電車に向かい合わせに乗って、まねっこ遊び。お昼時の空いた電車ですが、隣に素敵なご婦人が乗っていらっしゃいました。
「お孫さんですか?」「ベビーシッターなんです」
「失礼、そんなお年ではないと思ったのですが、お幸せですね」「私ですか?」
「いいシッターさんに出会えて。お母さんは安心でしょうね」上品なその方は、
ニコニコ。
「いいわね。楽しいでしょう?」とH君に声をかけた
「・・・」
「いいえ幸せはわたしのほうなんですよ」

片目をつぶったり、眉をしかめたり、唇をゆがめたり、ケラケラ笑いながら真似するH君。
ただ単に、私の顔が変てこだったかもしれませんが、こんな風に人に声をかけて貰えたのも、やっぱりH君のおかげ。
明日も頑張れる大きな大きな力を頂きました。
この仕事は、私にも感動をたくさん与えてくれます。

子どもと絵本

2005年1月号

『子どもと絵本』

川合玲子(大学講師、(株)ファミリー・サポートチーフサポーター)

子どもによい絵本を与えたい、絵本を読むことで活字に興味を覚えてほしい、そしていずれは本好きになってほしい。親も保育者も、誰もがそう願うものだと思います。

子どもの教育にはお金がかかります。教育費には高額なお金を投資しても、なかなか絵本をじっくり選んでよいものを惜しみなく与えることはできません。そうすると図書館などへしげしげと通うことになりますが、それも手間のかかることです。図書館は第一に静かにする場所ですから、子どもを連れていくには面倒も感じられます。手遊びや伝承遊びを子どもと楽しんだりすることも、実は子どもとのコミュニケーションに大切な体験であるとわかっていても、なかなか多くの時間子どもと向き合うことは難しい。手間をかけることは大切ですが、手厚い育児をすべきとなるとお母さん達にストレスがかかってきます。なぜなら、自分を含む今の母達は、妊娠出産で中断した自分の楽しみも育児と共に引き継ぎたいからです。

それがわかっていてなお、望みたいことがあります。それは、子どもに絵本を読んで聞かせてあげてほしいということ。子どもは絵本を味わうものだと思います。口に入れてかんだりもぐもぐしたり、一度入れたものをもう一度引っ張り出してながめてみたり・・。いえいえ、本当にそうする子もいますが、そういう意味ではないのです。聞いた言葉をゆっくりかんで味わい、目に飛び込んだ挿絵をジュースのように飲みこんでみたり、そうして心の引き出しにためこんでいくのです。そしていつか刺激ある体験が訪れた時、大人に注いでもらった言葉や色彩のイメージが、その体験をいろどってくれることでしょう。ですから、読んであげる言葉は大切に、いつかたまっていた言葉がかたちとなって表れる日のために、美しい響きとして心の中に折りたたんであげたいのです。おいしい味のもの、面白い食感のものは、何度でも味わいたくなります。繰り返しせがまれたらそれはおいしかった証拠。成功したらしめしめと、大人はひそかに喜んでさらにおいしいものをからだの中に注ぎ込んであげましょう。

怪物が出てきた時のどきどき感、虹に乗ってお空をビューンと飛んだ時のわくわく感、みんなでごちそうをお腹いっぱい食べた時の幸福感…みんな心の中に栄養となって吸収されていきます。栄養満点になったら、お散歩のとき素敵なことが起きるかもしれません。なにげない水たまりをありさんのプールにみたてて話しかけたり、風さん強く吹いたらだめよ、とお空に呼びかけるかもしれません。その時子どもの心からは、かつてからだにためてあった言葉の響きや、美しい色彩のイメージがほとばしりでてくることでしょう。読んで聞かせてもらったことで、自分が主人公になった経験が初めて生きてくるのです。

多くの先生方が唱える説と、同じことを私も思っています。それは子どもが自分で絵本を読むようになっても、すぐに読み聞かせをやめてしまわないこと。子どもは4,5才を過ぎればなんとか絵本の文字を追えるようになってきます。そこで手放してしまってはなんとも惜しいものです。せめて小学校1,2年までは、望まれればいつでも大人が関わって読む作業をやめないことです。もう読めるものを、読んでと言って持ってくる時、それは読んでほしいというより自分と関わる時間をもってほしい時です。この信号を逃してはもったいないことです。そのうちに、読んでやろうかと言ってもいいよ、と言われてしまう日が来ます。自立してきて、自分で読むと言ってくる日は必ずやってきますし、ここまでくれば中学年からは本に親しむことが容易にできるでしょう。もう栄養は充分ですし、ためてあったものを自分で引き出すノウハウをつかんでいるからです。集団の読み聞かせを上手にすれば、実は中学生でも耳を傾けるのです。子どもは皆、言葉(うたや音楽のようにリズムに乗った響き)や絵の刺激をからだの中に受け入れたい欲求を持ちつづけています。しかもそれは、自分に手間や時間をかけてくれる人が運んでくれることで、初めて満たされるもののように思います。(大人だって、美術館や演奏会に時々行きたくなりますよね。実はそれは心が栄養を欲しがっている時なのです)

絵本はゲームのように、与えておけば自分の力で楽しめるおもちゃではありません。子守りを勝手にしてくれるTVなどとも違い、大人が介在して初めて生きてくるアイテムなのです。せっかく買った絵本がほとんど使われずに本棚に眠ってしまうか、手垢ですりきれるようにして大切に飾られるか、それは大人の関わり方しだい、ということになります。

関わり方ひとつで将来、取り上げても禁止しても布団の中で隠れて読むほどの本好きになるかもしれません。

口に入れる食材と同じくらい気を使って、質のよい絵本を用意することができたらさらに素敵なことです。子どもは必ずリクエストしてくることでしょう。その時忙しくてもほんの少し、時間をかけてあげることを忘れないでいただけたらと思います。

上海のベビーシッター

2004年12月号

『上海のベビーシッター』 中舘慈子

上海空港からの高速道路からぐらぐらするほど大きな真紅の夕日が見えた。ここは大陸なのだ、という感動が身内から湧き出した。1時間ほど車の警笛の鳴り響く高速道路を疾走すると最新のデザインのマンションがきらびやかに林立する上海の街に入った。スケールが違う!と感じた。

新旧混在の街、貧富混在の町、不協和音が鳴り響いている町であった。しかも、すべてが東京の10倍くらいのスケールで。
上海におけるベビーシッター事情はどうなのだろうか?絵描きでもあるガイドのAさんは、ベビーシッターには6つの条件について次のように話してくれた。

  1. 健康であること
  2. 子育て経験または保育経験があること
  3. 性格が明るいこと
  4. よい生活習慣ができていること
  5. 標準語を話すこと
  6. 35歳くらいがいちばん望まれる

一人っ子政策が進んで一人っ子同士の結婚もこのごろでは多く、そのときには子どもを2人まで産んでよいことになったそうだ。Aさんには、女の子が1人あり、小さいときから音楽を学ばせており、そのことが高く評価されるという話も聞いた。

上海のベビーシッター会社を訪れた。ビルの1フロアーにあるこぎれいなオフィスにはパソコンが整然と並んでいて、10人あまりのスタッフがパソコンに向かったり仕事に専念したりしていた。そのときの様子を簡単にレポートしてみた。この会社は1994年に赤ちゃんの産毛で筆を作る会社として発足したが、2000年にベビーシッター部門を開始した。上海には現在ベビーシッター会社が10社ほどあるそうだ。

メンバー制になっていて、1時間12~15元。1ヶ月24時間の契約だと2000~2500元になる。シッターのレベルによって料金は異なり、シッターには60%をバック。事故の責任は会社がもつ。シッターの年齢は30~50歳が中心。(注1元は約13円)

研修は30日間。内15日は理論であり、15日は病院における実習。上海市として「枦理員従業証」の資格を出しており、この資格取得には350元くらいかかるという。8ヶ月までの産褥ベビーシッターおよびベビーシッターをするにはこの資格が必要であるが、8ヶ月より大きい子どもは家政婦資格でもよいそうだ。この会社には有資格のベビーシッターが200人ほど登録しているという。利用者は核家族が多く、3ヶ月から復職して1歳半まではベビーシッターによる保育を行う。1歳半ごろからは保育所に預けるそうだ。乳児期は家庭で個別保育、2歳近くなってからは、集団保育という子どもの発達に沿った保育が行われている。また、産褥期のケアの必要性とケアに関する専門性が必要であることを的確に捉えているのだと思った。

日曜日であったが、ベビーシッターの面接が行われており、面接室には7~8人の30~50歳くらいの優しそうな女性が順番を待っていた。履歴・稼働時間・地域などを聞いている様子は、私たちが日ごろ行っている面接風景となんら異ならなかった。

驚くほどの騒音と活気に満ち溢れた街、上海。古今東西、各国の文化が交錯しスパークする国際都市上海。しかし一歩裏町に入るとタイムマシーンでさかのぼったかと思われるような貧困の光景があった。急激な変化が日本の第二次世界大
戦以後の変化の10倍の速度で起こっている。急激な変化によるひずみも日本の10倍の大きさで起こるのかもしれないが、上海の子どもたちは、さまざまな子育てサポートシステムや教育施設を通じて元気に育っていくのかもしれない。帰途、空港に向かう高速道路から、今度は特大の真紅の太陽がゆらりゆらりと昇っていくのを見た。

家族と保育者のコラボレーションを目指して

2004年9月号

『家族と保育者のコラボレーションを目指して』 中舘慈子

ひと言子育てをめぐるさまざまな問題が起きている今だからこそ、保育士・幼稚園教諭・ベビーシッターなどと保護者がコミュニケーションをとり信頼関係に結ばれ、共に子どもを育む姿勢が必要だと思います。在宅保育サービスや民間保育サービスについても会員の皆さまにご理解をいただきたいと思っています。

1 在宅保育サービス

「単に子どもを一時的に預かるベビーシッター会社ではなく、子育てを行う親や家族を支援したい」という熱い思いで株式会社ファミリー・サポートを設立したのは1994年のことだった。子どもに対しては良質な保育、教育を提供し、働く両親はもちろん、家庭で子育てに専念する母親も心理的物理的にサポートしたいと考えた。この場合最も大切なことは「保育者」と「保護者」がよりよい連携を取り、信頼しあって「子どもの育ち」を共に援助していくことである。

弊社の在宅保育サービスには産後サポート(産褥期の母親の心と生活のサポート、新生児の沐浴を含むケア)育児サポート(0歳から未就学児を対象とした在宅送迎病後児保育など)学童サポート(小学生を対象とし、心と生活の支援のほか学習指導なども含む保育)ポーテージサポート(障害を持つ子どものケア)などの分野がある。選考を経て採用された子育て経験者、保育士や幼稚園教諭、音楽大学や美術大学出身者などはカウンセリングマインドを重視した研修を受講した後、各家庭を訪れて子どもに個別保育を行い親をサポートする。日本の保育は保育所を中心とした施設型保育が主流となっている。しかし0歳児保育は母性的養育環境である家庭で行われるのが望ましい。病児、深夜保育は子どもがくつろぐことのできる在宅保育が適していると思う。産後のサポートは出産後の女性が母性を形成する重要な時期の在宅のサポートである。在宅保育サービスには、1時間1500円前後という料金の壁があるし、自宅に保育者が入ることに抵抗を感じる場合もあるだろう。しかし、すべての子育て家庭に対する支援が必要な今、さまざまな保育サービスのひとつの選択肢として「在宅保育サービス」はさらにニーズが高まると思われる。弊社のサービスの90%はこの在宅保育サービスの分野である。

2 複合型幼児教育施設運営事業

2歳前後になると子どもたちは集団で過ごす時間を楽しむようになる。2000年「カーサデルバンビーノ」(イタリア語で「子どもの家」)という複合型幼児教育施設を創った。幼稚園に入る前の幼児対象に社会性・コミュニケーションの力を養うと共に造形・音楽・体操・英会話・ことばなどの「幼児教育タイム」を設けたプレスクール、月極保育臨時託児教室なども併設している。2004年には商業施設内に施設利用者の臨時託児も含めた2つ目の園を開設した。働く両親ばかりでなく、家庭で子育てをしている女性にとって、たとえ週1回2時間この施設に子どもを託すことであっても、保育者と話すことが心の支えとなり、保護者同士のかかわりもでき、自分自身を見つめる大切な時間となる。

3 その他の企業・大学内の臨時託児室の企画運営、幼稚園・保育所などの教諭・保育士・補助職員の業務請負などを行っている。また、大学、文化センターなどで「子育て講座」「キッズアート講座」「読み聞かせ講座」などの企画運営を行っている。

4 研究事業

2002年より東京大学大学院博士課程のスタッフを中心に「保育と家庭とのよりよい連携」をテーマとして、保育所・幼稚園・ベビーシッターとその利用者を対象とした研究を行っている。日本発達心理学会では2002年に「こどもの育ちをめぐる保育と家庭のコラボレーション」、2003年には「保育と家庭の『信頼関係』」に関する研究発表を行い、今後もさらにこのテーマを掘り下げた研究を続けたいと考えている。

研究事業の成果を生かし、子育て家庭を支えるという信念の元に、弊社は今後も公的な保育制度ではカバーしきれない保育サービス事業をさらに展開していきたい。

2004年発達心理学会ニューズレター掲載記事

赤ちゃんがやってきた

2004年7月号

『赤ちゃんがやってきた』 中舘慈子

いよいよ陣痛が始まったという娘からの電話を受けた。明日香医院の大野先生の指示通り臨月になっても毎日2・3時間の散歩を続けており、体重も数キロしか増えていないとはいえ、出産は命がけのこと。大きな期待とかすかな不安を抱きながら時の経つのを待った。アジサイの花の色鮮やかな初夏の日のことである。熟睡できぬまま白々とした明け方を迎えたころ、娘から元気な声で「産まれたよ!」という電話がかかってきた。「いつ?赤ちゃん元気なの?」「10分前。」まさか、本人からこんなに元気な電話があるとは思っても見なかった。男の子で2780グラムだったということを聞いたのは、安産の喜びに浸ったあとだった。男女の別については事前に知らせることなく出産後両親が直接確認するというのもいかにも大野先生らしい。

病院の分娩台ではなく翠の木漏れ日の入る部屋で、先生や助産婦さん、夫の援助の中で赤ちゃんは「自分の生まれたいときに自分の力で」自然に生まれてきた。会陰切開をすることもなく、出産後十数時間の新米ママはにこにこと元気な赤ちゃんを抱いてリビングに歩いてきた。病室というよりもふつうの家の一部屋での「母子同室」で、4日目には自宅に帰った。

「母乳が出すぎる!!」と新米ママは悲鳴を上げている。赤ちゃんがアレルギーにならないために母親の食事制限は厳しい。「たまご」「牛乳」「小麦粉」「肉」を含む一切の食べ物を排除することとなった。しかし、これらを除いたメニューがなんと豊かにあること!!ご飯魚野菜を中心とした食事は、さらさらの質の良い豊かな母乳に変化するようだ。

「粉ミルク」が普及する前、自宅でお産婆さんが赤ちゃんを取り上げてきた時代にふつうに行われてきた子育てをしているのかもしれない。おむつだけは紙おむつにして、ただし赤ちゃんが不愉快そうな顔をして「取り替えてちょうだい」と泣いたときには即替えるようにしている。

人生の最初の時期、生後1~2ヶ月は、赤ちゃんにとっても画期的な時期だと思う。快適な胎内から光音やざわめきにおいいろいろな人の顔や声・・・の聞こえる世界にきて、自分で呼吸をして自分でお乳を飲まなければならず、服を着
せられるのだから。この時期は思い切り抱きしめ、限りない愛情を注いであげたい。「ようこそ!赤ちゃん」という感謝の気持ちをこめて。感動した瞬間があった。赤ちゃんが「知ってるよ!!」という顔をしたのである。それは、胎内で聞いていた音楽を聞かせたときのことである。自然な出産とあふれるような母乳のおかげかもしれない。赤ちゃんは機嫌がよく、よく眠りよくのみ、よくおむつを汚してくれ、ときどきかわいらしく微笑んでいる。

「お産の家」明日香医院