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子育てエッセイ

げんちゃん

2004年3月号
『げんちゃん』 中舘慈子

爽やかな少年に育っていた。涼しい目元、すっとした鼻筋、手足もすらりと伸びて背はママを追い抜いていた。雨のディズニーランドにママと二人で行ってきたという。ある日、ディスニーランドのちらしをげんちゃんが自分で家に持ち帰ってきた。「行ってくれば」というパパの熱心な応援で、春休みを利用しての北海道からの二人旅となった。電車が大好きで、喜んで乗りこんだのに、東京駅で降りたがらず、鶯谷に着いて、初めて見たことのないあたりの様子に「降りたい」という気持ちを示した。このままだとまた東京駅を過ぎてしまうかもしれないと危惧したママは、ディズニーランドのちらしに「東京」という文字を書いて、「ディズニーランド」を指差し、「げんちゃんはここいきたいのでしょう?それなら、東京というところで降りるのよ。」と「東京」という文字を指差した。今度は駅の「東京」という文字を見てすっと降りたという。

久しぶりの再開に、ちょっと照れてそれでもうれしそうな顔をして出迎えてくれた。私たちの尽きることのない話を聞きながら、いつかげんちゃんはすやすや寝息を立てて眠っていた。私の存在を気にせず心穏やかに受け容れてくれたのだと胸がいっぱいになった。

げんちゃんは12歳の自閉症の少年である。4月から養護学校の中学に進む。いよいよ思春期の入り口から大人へと育っていく。これからの6年間が正念場、ただ技能訓練をするばかりでなくて、社会の中で生きる力を学校教育の中で培ってもらいたいと、ママは熱く語った。

ママとは30年前、北海道の病室で初めて出会った。お母さんを毎日見舞いに来る制服姿のかわいい高校生だった。そのとき私は凍った坂道で転倒して骨折、同じ部屋に入院していたのである。その後互いに本当にさまざまなことがあったが、交流はずっと続いていた。げんちゃんが2歳になったころ、ママから電話があった。それはげんちゃんが自閉症ではないかという電話だった。十分にその可能性のある特徴だった。

ママは早速専門家を捜し求め、げんちゃんの発達に必要なさまざまな試みを実践した。私もなんどかげんちゃんと会った。げんちゃんを連れて電車に乗っていると「しつけが悪い!」と怒鳴られた話もきいた。初めて訪れた我が家に入れずに近所をぐるぐる散歩したこともあった。私の娘の個展会場に家族4人でにぎやかに訪れてくれたこともあった・・・。

げんちゃんはこれから自立への道を歩んでいく。ママやパパや本当に心豊かに育った1歳違いのおねえちゃんの温かい愛情に包まれた家庭から、社会に参加していくことになる。ノーマライゼーションとひとことで言うことはできるが、実際には乗り越えなければならない壁がこれからもたくさん出てくるだろう。

「でも、大丈夫。ママは運がよいから、そんなときには必ずすっと助けてくれる手が差し伸べられるから。」

いつもいつも前向きなママの明るい笑顔にそう話しかけて、げんちゃんの穏やかな寝顔にエールを送り、深夜に近いホテルを出た。三分咲きの桜の花が外灯に照らされて淡く揺れていた。

マイナス10ヶ月からの子育て

2004年2月号

『マイナス10ヶ月からの子育て』 中舘慈子

ひとつの命が子宮内に宿る確率は、何億もの精子と数十万個の卵子の中からたったひとつの出会いによるもの。天文学的な確率になります。まさに「天から授かったもの」としか言えないほどの偶然でひとりの命が生まれるのです。

子宮の中にいる赤ちゃんは「ここにいるんだよ!」というメッセージをお母さんに送ります。つわりは、赤ちゃんの発育によくない食べ物をお母さんが摂らない様にするメッセージ。おなかが張るのは「ママ少し休んで」というメッセージ。そして、赤ちゃんが元気に動いて胎動として感じられたときに、本当に胎内に新しい命が育っているのだなあ、と実感できます。

子育てはいつ始まるのでしょう?受胎したときから子育ちはすでに始まっています。今は超音波で赤ちゃんの姿を見ることもできます。初めはたった2セン
チくらい、魚のようにしっぽがあって、次に足らしきものが見えてきて、だんだん指や顔も映ってきて・・・・。最高に居心地のよい子宮の中でくるんと宙返りをしたり指しゃぶりをしたりしながら、自分の生まれる日を待っている赤ちゃん。かわいいですね!!パパママは、赤ちゃんと会える日を心待ちにします。そう、天から授かった子どもです。「こう育てたい」「こうあるべきだ」などという親の希望よりも、もっと大きな私たちの手の届かない世界から子どもは生まれてくるのです。マイナス10ヶ月から、子育ちそして子育ても始まっているような気がします。

聴くこと受け入れること

2004年1月号

『聴くこと受け入れること』 中舘慈子

ファミリー・サポートではサポートをするときに「聴くこと受け入れること」を大切にしています。直営施設カーサデルバンビーノで採り入れているレッジョエミリアの教育も「聴くことの教育学」であると言われています。

“子どもには100とおりある。
子どもには100のことば100の手100の考え遊び方や話し方(がある)
歌ったり理解したりするのに100の喜び発見するのに100の世界夢見るのに100の世界がある。
けれどもわたしたちはその99を奪ってしまう。そして子どもに言う。
遊びと仕事現実と空想科学と想像空と大地道理と夢はいっしょにはならないものだと。・・・“

と、レッジョエミリア教育を確立した学者ローリス・マラグッツィは述べています。それは私たちが子どものこころの一部しか捉えていないということです。100のことばを聴くには、私たち大人は子どもが黙っている時間も含めて、耳だけでなく五感で子どものこころを理解しなければなりません。子どもも含め、他者のこころに耳を傾けるということは、自分の判断や価値観を通して聴くのではなく、お互いにこころを開き、価値観の違う他者の視点を理解することです。

つい大人は小さな子どもに上から指示をしがちです。子どもが「いやだ。したくないよ。」と言ったとき、「どうしてそんなことを言うの!」「言うことを聞きなさい!」と言いがちです。おそらく子どもはさらに反抗し、ついには泣き叫ぶかもしれません。こんなとき「あなたはそのことをしたくないのね。」「本当はどうしたいの?」と、弊社のスタッフはお子様のことばを静かに聴くように心がけています。お子様は分の気持ちを受け入れられたと感じ、ただ反抗しているのかほかにしたいことがあるのかも自分で考えることができるでしょう。

より難しいのが大人同士のコミュニケーションです。在宅保育はそれぞれのご家庭のご要望をお聴きし、教育方針を理解し、それにそった保育を行います。ご家庭の価値観にあわせた保育を行うために、サポーターはご家族のこころを聴く努力をいたします。しかし時にはお子様のことについてシッターの考えをご家族に聴いていただきたいこともあるでしょう。第三者だから見えるお子様のこころもあるかもしれません。

今年もご家族とサポーターが尊重しあうことから、温かい信頼関係が築かれ、お子様のこころを聴きながら、お子様の健やかな育ちをサポートさせていただけることを心から願っています。

子育てに優しい社会を

2003年12月号

『子育てに優しい社会を』中舘慈子

留まることのない出生率の低下が進む中で、今年は「次世代育成支援対策推進法」が立法されました。10年という期限を設けて国が、市区町村が、そして企業が、1すべての働きながら子育てをしている人のために2子育てをしているすべての家庭のために3次世代を育む親となるためにという3本柱に基づいた取り組みを行うこととなりました。「保育所の増設」一辺倒だった日本の児童福祉が大きな曲がり角に来て、「仕事と子育ての両立支援」から「子どもを持つすべての家庭支援」へと転換したのです。
日ごろ感じることは、子育てにあまり優しくない日本の社会です。たとえば、バギーに赤ちゃんを乗せたお母さんが、周りに気を使いながら電車に乗ると、迷惑そうな乗客の目が冷ややかに注がれます。優先席では、足を大きく開いた若い男性が眠ったふりをしています。ヨーロッパではお母さんがバギーを持って階段をあがっていると、紳士がさっと手を伸べてバギーを持ってくれる光景が良く見られるといいます。
一方、少しマナーの良くない親子を公共の場所で見ることがあります。まるでリビングの中のよう。新幹線で「お子様が席を離れて騒がないようにしてください。」というアナウンスを聞いたことがあります。新幹線の中は睡眠不足のカバーや書類作成の貴重な場所です。騒がしいお子様がいたら、「静かに座っていましょうね。」とみんなで声をかけ、保護者の方もそれを受け入れてくださると良いのですが・・・。
社会性を培うのもおとなの「優しさ」だと思います。今後様々な取り組みがなされていくことでしょう。弊社としてもさまざまなサポートの方向性を探りたいと思っています。子育て中のご家族が孤独にならないような「子育てに優しい社会」が来ることを心から願いながら。

妊婦マーク

2003年11月号

『妊婦マーク』中舘慈子

妊娠初期の彼女が、目を潤ませながら言いました。
「今日、すごく良いことがあったんですよ。いつものように妊婦マークをつけて優先席の前に立っていたら、30歳半ばくらいの女の人が、にっこりしながら『どうぞ』って譲ってくれたんです。もう涙が出るほど嬉しくて何度も『ありがとうございます』って言ってしまいました。すごくきれいな笑顔が忘れられなくて、思わずその人に良いことがありますようにって祈っちゃったんです。」
聞けば、妊娠3か月なのでもちろんおなかは目立たず、つわりの真っ最中。満員電車で立ちっぱなしで通う毎日で、会社に着く頃はいつもくたくただそうです。「妊婦マーク」をつけて優先席の前に立っても、足を大きく開いて漫画を読んでいる男子学生、ちらりと見ても酒くさい息をしながら目をつぶってしまう男性など、今まで誰一人席を譲ってくれなかったそうです。
「妊婦マーク」を見せてもらいました。ネットで手に入れたというマークは、丸くて白地に赤で女性のおなかの中に赤ちゃんのいるイラストが描かれ、“BABYinME”と書いてありました。
妊娠初期は特にからだが不安定で、妊婦にとってつらいときです。つわりも「身体を大切に」という赤ちゃんからのメッセージかもしれません。このような時期だから、社会で妊婦をサポートしなければならないのではないでしょうか。次世代育成支援の最初のステップは、妊娠初期の妊婦の保護ではないかと思いました。
それにしても「妊婦マーク」、私も実は初めて見ました。まだまだ一般に知られていないと思うので、もっと「妊婦マーク」の存在をアピールする必要がありそうです。
これから優先席の前で「妊婦マーク」の人を見たら、ぜひ席を譲ってあげてください。

卒乳~おっぱいミルクからの卒業~

2003年10月号

『卒乳~おっぱいミルクからの卒業~』中舘慈子

10~12カ月:15%1歳ごろまで:45%2歳まで:30%いつまでも:10%

これはあるサイトで100人のママに「おっぱいやミルクをいつまでにやめたいですか?」ときいたアンケートの結果です。
昔は「断乳」と言われ、1歳になったり下の子どもができたりすると、お乳に怖い顔を描いて乳離れをさせたこともありました。今では無理やりにお乳から離す必要は無いということから「卒乳」という優しい言葉も使われ、母子手帳からも「断乳」の言葉が消えました。
でも、子どもが欲しがればいつまでもあげたいと思うお母様が10%ほどいらっしゃるのが少し気になります。何がなんでも1歳までに卒乳しなければならないことはありません。けれども、少なくとも2歳になるまでに、卒乳の準備をしましょう。たとえばお子様の気に入りそうな新しいコップを用意して、「おっぱいや哺乳ビンはバイバイね。」とほめてあげると「コップで飲むってすごいな!!」と、すんなりおっぱいや哺乳ビンから卒業できるかもしれません。計画的に、段階を追って卒乳するケースもあります。お子様の個性にあった方法で、お子様の気持ちを汲み取りながら、自然に幼児食になり、コップでミルクを飲めるようになるとよいですね。
いずれにせよ、大切なのは日々の赤ちゃんとの生活。あまり「卒乳」にとらわれずに、2度と訪れない小さな我が子との1日1日を楽しく過ごしてください。

子ども達に伝えたい3つの約束

2003年9月号

子ども達に伝えたい3つの約束 中舘慈子

ベビーシッターは、基本的にご家庭の方針に基づいて保育をします。時に、「絶対に子どもをしからないでください。」「決して子どもに『ダメ』という否定的な言葉を使わないでください。」という方針のご家庭もあります。
けれども、そういう育児方針であっても、お子様のために伝えなければいけない「絶対にしてはいけないこと」があると思います。9月に350人のシッターに、子ども達に伝えなければならない「絶対にしてはいけないこと」は何ですか?とアンケートを取ってみました。次は、アンケート結果も含めてファミリー・サポートで考えた「子ども達に伝えたい3つの約束」です。

1 命に関わるようなことをしてはいけません

事故につながるような危険な行動をしてはいけない。たとえば、道路に飛び出す・熱い物や危険なものを触ろうとする・火遊びや家事につながるような行為をするなど。

2 他者(動物・品物も含む)を傷つけてはいけません

他者に暴力をふるってはいけない。叩いたり蹴ったり噛みついたりする・物をぶつけたりするなど。
他者の心を傷つけてはいけない。「ぶっ殺してやる」「死ね」等の言葉や差別的な言葉をつかうなど。
動物を傷つけたり、虐待したりしてはいけない。
わざと大切な品物を壊したり書類を破ったりしてはいけない。

3 社会のルールを守らなくてはいけません

公共の場で騒いではいけない。
公共の場を汚してはいけない。電車の中にゴミを捨てる・つばをはく・など。
人のものを盗んではいけない。
2歳くらいのお子様には、たとえばいつもより大きな声で注意したり、熱いものはやけどしない程度のものを触らせたりして「あつい!!」と教えます。
3歳を過ぎた頃からは、少しずつ「絶対にしてはならないことがあること」「社会にはルールがあること」を理由も含めて伝えるようにします。
もちろん、体罰は決してしないようにします。「ダメ」という言葉も使わないようにします。
そして、お子様のために大人が「本気」で向かい合っている気持ち、本当にお子様に愛情を持っているので「約束すること」を伝えたいと思います。
2歳くらいのときから心に刻み込まれた「約束」が、子ども達が成長したときにも心の中に生き続けてくれることを心から願っています。

ぼくのひみつ

2003年8月号
『ぼくのひみつ』 中舘慈子

ぼくは、きりの中を走った。山のふもとでおそば屋さんをしているおばあちゃんのところへ早く行きたかったからだ。
お店に着くと、お客はだれもいなくて、おばあちゃんがひとり、いねむりをしていた。
「おばあちゃん!今日は!」
「おやっ!かんたかい。ひさしぶりだね。」
「うん。先生に、おじいさんや、おばあさんの子供のころの話をきいてきなさい、っていう宿題を出されてね。おばあちゃんの顔を見たくなったんだ。」
ぼくは、おばあちゃんの作ったそばを食べた。しるがたっぷり。わらびやなめこや、いろんなきのこが入っていて、大根おろしもそえてある。天ぷらのあげ玉がういているのが、たまらなくおいしいんだ。
「ねえ、ぼくのおじいちゃんの子供のころのことをききたいんだけど・・・・・・。」おじいちゃんは、お父さんが生まれてすぐに死んだということしか知らない。おばあちゃんは、ちょっとびっくりした顔をした。だって、ぼくは、今まで一度も、おじいちゃんについてきいたことがなかったから。おばあちゃんは、話すのをためらっている様だったが、思い切ったように、言った。
「びっくりしちゃいけないよ。おじいちゃんはね、本当は、たぬきだったんだよ。」
おばあちゃんは、じょうだんを言ってるんだ。ぼくは、チロッとおばあちゃんの顔を見た。おばあちゃんは、なみだをうかべている。ひょっとすると、おばあちゃんは、ぼけてきたのかもしれないぞ。ぼくは、心配になった。その時、大学生みたいな男の人と女の人が四人ほど、お店に入ってきた。「かんた、もし、本当かどうか知りたかったら、あしたの晩、六時にお店へきなさい。」
もちろん、次の晩、ぼくは、おばあちゃんのお店へ急いで行った。おばあちゃんは、店の外に、もう、『今日は、りんじ休業させていただきます。』というはり紙をはって、いつもよりきれいな服を着て、すわっていた。
東の空には、びっくりするほど明るい満月が、オレンジ色に光っている。おばあちゃんは、スタスタと山道を登り始めた。ぼくは、石につまづいたり、木の枝にひっかかったりしながら、やっとこさっとこ、おばあちゃんの後をついて行った。そんなふうにして、どれくらい歩いただろうか。
そこは、広場になっていた。広場の真ん中に、高いすぎの木が一本ある。そして、そのまわりを、たくさんのものが動いている。犬かな?きつねかな?いや、たぬきだ!広場に、たぬきが何百、何千と集っているのだ。こんなにたくさんのたぬきを見たのは、初めてだ。
ぼくが、話しかけようとすると、おばあちゃんは、口に指をあてて、かた目をつぶった。だまっていなさい、という合図だ。
やがて、ぼくは、もっと思いがけないものを見た。林先生が・・・・・・たしかに、ぼくのクラスのたん任の、わかい女の先生が、広場に現れたのだ。しかも、真っ白いウェディングドレスを着て・・・・・・。
満月は、空高く上がり、すぎの木のてっぺんにかかろうとしていた。その時、
一ぴきのたぬきが、林先生の方へ歩いて行った。
次のしゅん間、満月が落っこちてきたかと思うくらい、まぶしくなり、すぎの木が大きくゆれて、金色に光った。そして、ふしぎな音が、辺り一面にひびいた。ポンポコポンポコポコポンポンポン
はらつづみの音だ。
林先生のとなりには、たぬきではなく、ちょっとずんぐりしているけれど、目の大きなハンサムな青年が、タキシードを着て、すましている。
ポンポコポンポコポコポンポンポン
はらつづみの音は、どんどん大きくなって山にこだました。
おばあちゃんは・・・・・・いつの間にか、すぎの木の下にいる。しゃがみこんで、一ぴきのたぬきの頭に手を乗せて・・・・・・おばあちゃんとたぬきは、じっと見つめ合って、いつまでもそうしていたいみたいだった。
満月は、ずい分西の方へかたむいてしまった。はらつづみの音が消え、たぬきたちのすがたも、林先生のすがたも見えない。
「見ただろう?おばあちゃんといたたぬきが、かんたのおじいちゃんだよ。」かんたのすぐ横で、おばあちゃんの声がした。
「人間とたぬきが、本当にすきになることもあるんだよ。結婚してからも、おばあちゃんは、とても幸せだった。二人で始めたおそば屋さんも、なかなかはやったしね。」
「でも、どうして、おじいちゃんは、たぬきにもどってしまったの?」
「わからない。かんたのお父さんが生まれて1か月めの満月のばん、おじいちゃんは、いなくなっちゃったのさ。きっと、たぬきの方が楽しかったんだろうね。」
おばあちゃんは、ちょっとさみしそうに、わらった。
「今夜のことは、ひみつだよ。だれにも言っちゃいけないよ。」
「うん。」
ぼくは、大きくうなずいた。ひみつをおなかの中にかかえることは、つらいことだけど、つらくなったら、おばあちゃんの所へおいで、とおばあちゃんは、言ってくれた。
学校へ行くと、林先生は結婚して、急にやめることになったという話でもちきりだった。
ぼくは、ひみつをゴクンとのみこんだ。そして、もう一つのひみつ。ぼくのおじいちゃんは、たぬきなんだ。いや、ひょっとするとクラスにも何人か、たぬきの子や、たぬきのまごがいるかも知れない。そう思うと、楽しくなってくる。ただ、たった一つ心配なことがある。しっぽが生えてきたら、どうしよう。

出典
タヌキ百話(二集)
平成二年十二月発行
編集峰浜村おまつり実行委員会
発行峰浜村
通産省のイベント支援事業の一環として実施された企画平成元年の秋田県峰浜
村(ポンポコ山タヌキ共和国)の「タヌキ童話大募集」からの発行。
応募作品の中から特に内容のある優秀な作品を選出して発刊された童話集。
今から14年ほど前平成元年に私の書いた作品です。秋田県峰浜村に「タヌキ共和国」というものができて「たぬき」に関する童話を募集していました。1700ほどの作品が集まり、その中から100編が選ばれて「たぬき百話」とういう本にまとめられたもののひとつです。

珠玉の日々~第2回レッジョエミリア教育の試み~

2003年7月号

『珠玉の日々~第2回レッジョエミリア教育の試み~』 中舘慈子

珠玉のような5日間でした。軽い興奮が私の中にまだ渦巻いています。レッジョエミリア教育の試み、それはストーリーのないドラマに参加することでした。

4歳児のKちゃんKくんTくん3歳児のSくんが今年の参加者でした。4人ともカーサの卒園児。うち2人は幼稚園に通いながら、カーサのアトリエに通っています。先生たちは昨年と同じ梅沢礼子先生金子久美子先生豊田章江先生のチーム。今年は美術大学出身でイタリア人の血をひく竹本伊都美先生もアトリエリスタ役として加わりました。
初日は「表現する喜び」を味わう活動、2日目は昨年と同じプロジェクトテーマ「馬」について考える活動、3日目は実際に「馬」をみて触れて乗って感動する体験活動、4日目・5日目は体験に基づいて「馬」を表現する活動が行われました。この内容については、改めてドキュメンテーションをホームページで公開したいと思っています。
私の心の中で昨年と比べて年齢の低い子どもたちでどのような活動が行われるのか、興味と不安の混じる気持ちでした。しかし不安は初日に吹き飛びました。

なんと個性的な4人!言葉は少ないけれど顔の表情で胸いっぱいの気持ちを表すKちゃん、こつこつとゆっくりですが自分の感じた世界を現していきます。入園のころよりすっかり落ち着いたKくんは観察力が鋭く、集中力もあり、かなり的確に形を表現します。あふれる感性をもっているTくんは豊かな言葉や自信に満ちた態度で大人の発想を飛び越えた自由な表現をします。Sくんは、なかなか活動は長続きしませんが、ぽつりぽつりとはっとするような言葉で心の中のひらめきを伝えます。いちばん集中した活動は、立体の「馬」を作る活動でした。アトリエにあるダンボールやさまざまな廃品を組み合わせられて、思い思いの「馬」ができていきます。技術的に難しい部分については、たとえばダンボールに切込みを入れてつなげる技術など援助をしました。考えが止まってしまったと思われるときは「どうしたいの?」と質問を投げかけました。「本当の馬はどうなっていたかな?」「写真を見てみる?」「ダンボールに乗って、馬に乗ったときどんなだったか思い出してみようよ」。胴体だけで首や頭をつけることに思いつかないときは、こんな言葉の援助をしました。活動の主体はあくまでも子どもたち。保育者の役割は、「子どもたちが投げたボールを受け取る」ことですから。
私たちは気づきました。子どもたちは「本当に乗れる馬」「動かせる馬」を作りたかったのです。3日目に怖くて実際に乗れなかったKちゃんが、自分で作った特大の馬「トトロ」に乗ったときのこぼれるばかりの笑顔は忘れられません。Kくんの「マリ」ちゃんは、首を動かすことができて4本の足には蹄鉄もついていて、鞍は虹色になりました。Tくんの「あさこ」ちゃんは、本当に個性的な馬。左の耳は細長い筒、右の耳はプラスティックのコップでその中にはにんじんが入っているのです。4日目に自分の馬「トトロ」をつくったSくんは「いちばんうれしかったことは、Sくんのお馬さんをつくったこと」とご機嫌でした。

先生たちは活動の前後に必ずミーティングを行いました。もうひとつの「レッジョエミリアの活動」です。先生の言葉と子どもの言葉をメモしたドキュメンテーションに基づいて働きかけが果たしてそれでよかったのか、子どもはどう感じてその言葉を言ったのだろうかなどその日の振り返りと、どうしたら子どもたちの気持ちを引き出して表現につなげられるのかという次の活動への予定を熱く語りました。まだ、耳に子どもたちの歓声が響いています。「幸せな子どもたちだと思った」とアトリエリスタ役の先生が言いました。ひとつひとつの言葉に耳を傾けてもらえ、生き生きと創造活動に熱中する彼らの顔は、喜びや満足感に満ちていましたから。
しかし実は参加した子どもの2人は、保育所や幼稚園に一度入園して登園拒否などになり、カーサデルバンビーノを訪れた子どもたちなのです。3歳という自我が確立していく貴重なときをカーサではていねいに対応しました。保護者の方で、カーサの先生のかかわりをみながら少しずつ自分の子どもに対する対応を変えた方もいます。そして、今は全員はつらつとした幼稚園生。カーサとの出会いが彼らのすばらしい可能性を引き出せたのではないかと思っています。

脚本のないドラマに主演した私たちにとっても、珠玉の日々でした。「終わるのがあっという間、子どもたちの集中力に驚いた。子どもの笑顔が見られてよかった。先生同士の保育前後のディスカッションなど日常の活動に生かしたい。」「子どもたちが『受け入れてもらう』ことで満足していることを感じた。卒園児の成長した姿を見て涙が出るほどうれしかった。自分自身の保育へのたくわえが枯渇する中でリフレッシュできた。」「実践することでレッジョエミリア教育の意味はこういうことかな?と少しずつ分かってくる。言葉のあまり出ない子が造形絵画を通じて表現することも実際に体験した。」「『待つ』こと子どもにちょっと問いかけることで子どもから答えが返ってきて、教わることが多かった。創造活動から感動が伝わってきて楽しかった。」「ひとりひとりの子どもと『意識をもって接する』ことが必要だと思った。」

最後のミーティングで先生たちからあふれた言葉です。先生たちもレッジョエミリア教育を実践し、感動してその中で何かが変わっていきます。先生が変わることで、多くの子ども達も変わっていくことでしょう。

幼稚園?保育所?

2003年6月号

『幼稚園?保育所?』中舘慈子


ご存知のように「幼稚園」は、文部科学省の管轄で「幼児教育」を目的とした施設で、「幼稚園教諭」の資格を持った先生が幼児教育をします。「保育所」は、厚生労働省の管轄で両親が働く家庭などを対象とした「保育に欠ける子どもを預かる施設」で、「保育士」の資格を持った先生が保育をします。けれども、最近、幼稚園に通わせているお子様の保護者が「もっと長時間預かって欲しい」というニーズを持つようになりました。また、保育所にお子様を預けている保護者が「幼稚園のような幼児教育を採り入れて欲しい」という願いを持つようになりました。
そこで、幼稚園では夕方5時ごろまで「預かり保育」をしているところが増えています。新しく「幼保園」という形での園も設立されます。たとえば、NPO「子育て品川」によって設立される品川西五反田の園は0歳から2歳は「認可保育所」、3歳から学齢までは「幼稚園」のように年齢で分けて保育、幼児教育を行うときいています。保護者にとっては、まさに夢のような選択肢ができたのではないでしょうか。
新百合ヶ丘のカーサデルバンビーノ(1歳~3歳)は、7時から10時14時から20時は託児、10時から14時は幼稚園教諭による「プレスクール」を受けられるようなカリキュラムになっています。
このところ様々な研究会に出ていて、幼稚園や保育所の先生と話す機会があります。そこで感じることは、長年培ってきた「幼児教育」「保育」に対するプライドや熱意です。そんなに簡単に融合することはできないだろうと感じられるような強さを感じます。既成の幼稚園と保育所が一体化することはなかなか難しそうです。
保護者の方は、大切なお子様の乳幼児期を「幼稚園」「保育所」それとも「幼保園」のいずれに託すか悩まれることでしょう。施設の立派であること、幼児教育の内容、先生の資質、保育料、保育時間など、園を選ぶ条件はたくさんあると思います。
ただ、忘れてはいけないことは、どんな園にせよ「預けっぱなしにしないこと」
だと思います。「預けているから安心」「しつけも教育も園にお願いする」のではなくて、家庭が子育ての基礎であること、保護者が子育ての責任者であることを忘れてはいけないと思うのです。
子どもにとっては、立派な園舎よりも自宅の居間のほうがくつろげて居心地の良い場所なのです。子どもは幼児教育や保育の専門家である「先生」よりも、保護者の影響を強く受けて育つものなのです。