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子育てエッセイ

ぼくのひみつ

2003年8月号
『ぼくのひみつ』 中舘慈子

ぼくは、きりの中を走った。山のふもとでおそば屋さんをしているおばあちゃんのところへ早く行きたかったからだ。
お店に着くと、お客はだれもいなくて、おばあちゃんがひとり、いねむりをしていた。
「おばあちゃん!今日は!」
「おやっ!かんたかい。ひさしぶりだね。」
「うん。先生に、おじいさんや、おばあさんの子供のころの話をきいてきなさい、っていう宿題を出されてね。おばあちゃんの顔を見たくなったんだ。」
ぼくは、おばあちゃんの作ったそばを食べた。しるがたっぷり。わらびやなめこや、いろんなきのこが入っていて、大根おろしもそえてある。天ぷらのあげ玉がういているのが、たまらなくおいしいんだ。
「ねえ、ぼくのおじいちゃんの子供のころのことをききたいんだけど・・・・・・。」おじいちゃんは、お父さんが生まれてすぐに死んだということしか知らない。おばあちゃんは、ちょっとびっくりした顔をした。だって、ぼくは、今まで一度も、おじいちゃんについてきいたことがなかったから。おばあちゃんは、話すのをためらっている様だったが、思い切ったように、言った。
「びっくりしちゃいけないよ。おじいちゃんはね、本当は、たぬきだったんだよ。」
おばあちゃんは、じょうだんを言ってるんだ。ぼくは、チロッとおばあちゃんの顔を見た。おばあちゃんは、なみだをうかべている。ひょっとすると、おばあちゃんは、ぼけてきたのかもしれないぞ。ぼくは、心配になった。その時、大学生みたいな男の人と女の人が四人ほど、お店に入ってきた。「かんた、もし、本当かどうか知りたかったら、あしたの晩、六時にお店へきなさい。」
もちろん、次の晩、ぼくは、おばあちゃんのお店へ急いで行った。おばあちゃんは、店の外に、もう、『今日は、りんじ休業させていただきます。』というはり紙をはって、いつもよりきれいな服を着て、すわっていた。
東の空には、びっくりするほど明るい満月が、オレンジ色に光っている。おばあちゃんは、スタスタと山道を登り始めた。ぼくは、石につまづいたり、木の枝にひっかかったりしながら、やっとこさっとこ、おばあちゃんの後をついて行った。そんなふうにして、どれくらい歩いただろうか。
そこは、広場になっていた。広場の真ん中に、高いすぎの木が一本ある。そして、そのまわりを、たくさんのものが動いている。犬かな?きつねかな?いや、たぬきだ!広場に、たぬきが何百、何千と集っているのだ。こんなにたくさんのたぬきを見たのは、初めてだ。
ぼくが、話しかけようとすると、おばあちゃんは、口に指をあてて、かた目をつぶった。だまっていなさい、という合図だ。
やがて、ぼくは、もっと思いがけないものを見た。林先生が・・・・・・たしかに、ぼくのクラスのたん任の、わかい女の先生が、広場に現れたのだ。しかも、真っ白いウェディングドレスを着て・・・・・・。
満月は、空高く上がり、すぎの木のてっぺんにかかろうとしていた。その時、
一ぴきのたぬきが、林先生の方へ歩いて行った。
次のしゅん間、満月が落っこちてきたかと思うくらい、まぶしくなり、すぎの木が大きくゆれて、金色に光った。そして、ふしぎな音が、辺り一面にひびいた。ポンポコポンポコポコポンポンポン
はらつづみの音だ。
林先生のとなりには、たぬきではなく、ちょっとずんぐりしているけれど、目の大きなハンサムな青年が、タキシードを着て、すましている。
ポンポコポンポコポコポンポンポン
はらつづみの音は、どんどん大きくなって山にこだました。
おばあちゃんは・・・・・・いつの間にか、すぎの木の下にいる。しゃがみこんで、一ぴきのたぬきの頭に手を乗せて・・・・・・おばあちゃんとたぬきは、じっと見つめ合って、いつまでもそうしていたいみたいだった。
満月は、ずい分西の方へかたむいてしまった。はらつづみの音が消え、たぬきたちのすがたも、林先生のすがたも見えない。
「見ただろう?おばあちゃんといたたぬきが、かんたのおじいちゃんだよ。」かんたのすぐ横で、おばあちゃんの声がした。
「人間とたぬきが、本当にすきになることもあるんだよ。結婚してからも、おばあちゃんは、とても幸せだった。二人で始めたおそば屋さんも、なかなかはやったしね。」
「でも、どうして、おじいちゃんは、たぬきにもどってしまったの?」
「わからない。かんたのお父さんが生まれて1か月めの満月のばん、おじいちゃんは、いなくなっちゃったのさ。きっと、たぬきの方が楽しかったんだろうね。」
おばあちゃんは、ちょっとさみしそうに、わらった。
「今夜のことは、ひみつだよ。だれにも言っちゃいけないよ。」
「うん。」
ぼくは、大きくうなずいた。ひみつをおなかの中にかかえることは、つらいことだけど、つらくなったら、おばあちゃんの所へおいで、とおばあちゃんは、言ってくれた。
学校へ行くと、林先生は結婚して、急にやめることになったという話でもちきりだった。
ぼくは、ひみつをゴクンとのみこんだ。そして、もう一つのひみつ。ぼくのおじいちゃんは、たぬきなんだ。いや、ひょっとするとクラスにも何人か、たぬきの子や、たぬきのまごがいるかも知れない。そう思うと、楽しくなってくる。ただ、たった一つ心配なことがある。しっぽが生えてきたら、どうしよう。

出典
タヌキ百話(二集)
平成二年十二月発行
編集峰浜村おまつり実行委員会
発行峰浜村
通産省のイベント支援事業の一環として実施された企画平成元年の秋田県峰浜
村(ポンポコ山タヌキ共和国)の「タヌキ童話大募集」からの発行。
応募作品の中から特に内容のある優秀な作品を選出して発刊された童話集。
今から14年ほど前平成元年に私の書いた作品です。秋田県峰浜村に「タヌキ共和国」というものができて「たぬき」に関する童話を募集していました。1700ほどの作品が集まり、その中から100編が選ばれて「たぬき百話」とういう本にまとめられたもののひとつです。

珠玉の日々~第2回レッジョエミリア教育の試み~

2003年7月号

『珠玉の日々~第2回レッジョエミリア教育の試み~』 中舘慈子

珠玉のような5日間でした。軽い興奮が私の中にまだ渦巻いています。レッジョエミリア教育の試み、それはストーリーのないドラマに参加することでした。

4歳児のKちゃんKくんTくん3歳児のSくんが今年の参加者でした。4人ともカーサの卒園児。うち2人は幼稚園に通いながら、カーサのアトリエに通っています。先生たちは昨年と同じ梅沢礼子先生金子久美子先生豊田章江先生のチーム。今年は美術大学出身でイタリア人の血をひく竹本伊都美先生もアトリエリスタ役として加わりました。
初日は「表現する喜び」を味わう活動、2日目は昨年と同じプロジェクトテーマ「馬」について考える活動、3日目は実際に「馬」をみて触れて乗って感動する体験活動、4日目・5日目は体験に基づいて「馬」を表現する活動が行われました。この内容については、改めてドキュメンテーションをホームページで公開したいと思っています。
私の心の中で昨年と比べて年齢の低い子どもたちでどのような活動が行われるのか、興味と不安の混じる気持ちでした。しかし不安は初日に吹き飛びました。

なんと個性的な4人!言葉は少ないけれど顔の表情で胸いっぱいの気持ちを表すKちゃん、こつこつとゆっくりですが自分の感じた世界を現していきます。入園のころよりすっかり落ち着いたKくんは観察力が鋭く、集中力もあり、かなり的確に形を表現します。あふれる感性をもっているTくんは豊かな言葉や自信に満ちた態度で大人の発想を飛び越えた自由な表現をします。Sくんは、なかなか活動は長続きしませんが、ぽつりぽつりとはっとするような言葉で心の中のひらめきを伝えます。いちばん集中した活動は、立体の「馬」を作る活動でした。アトリエにあるダンボールやさまざまな廃品を組み合わせられて、思い思いの「馬」ができていきます。技術的に難しい部分については、たとえばダンボールに切込みを入れてつなげる技術など援助をしました。考えが止まってしまったと思われるときは「どうしたいの?」と質問を投げかけました。「本当の馬はどうなっていたかな?」「写真を見てみる?」「ダンボールに乗って、馬に乗ったときどんなだったか思い出してみようよ」。胴体だけで首や頭をつけることに思いつかないときは、こんな言葉の援助をしました。活動の主体はあくまでも子どもたち。保育者の役割は、「子どもたちが投げたボールを受け取る」ことですから。
私たちは気づきました。子どもたちは「本当に乗れる馬」「動かせる馬」を作りたかったのです。3日目に怖くて実際に乗れなかったKちゃんが、自分で作った特大の馬「トトロ」に乗ったときのこぼれるばかりの笑顔は忘れられません。Kくんの「マリ」ちゃんは、首を動かすことができて4本の足には蹄鉄もついていて、鞍は虹色になりました。Tくんの「あさこ」ちゃんは、本当に個性的な馬。左の耳は細長い筒、右の耳はプラスティックのコップでその中にはにんじんが入っているのです。4日目に自分の馬「トトロ」をつくったSくんは「いちばんうれしかったことは、Sくんのお馬さんをつくったこと」とご機嫌でした。

先生たちは活動の前後に必ずミーティングを行いました。もうひとつの「レッジョエミリアの活動」です。先生の言葉と子どもの言葉をメモしたドキュメンテーションに基づいて働きかけが果たしてそれでよかったのか、子どもはどう感じてその言葉を言ったのだろうかなどその日の振り返りと、どうしたら子どもたちの気持ちを引き出して表現につなげられるのかという次の活動への予定を熱く語りました。まだ、耳に子どもたちの歓声が響いています。「幸せな子どもたちだと思った」とアトリエリスタ役の先生が言いました。ひとつひとつの言葉に耳を傾けてもらえ、生き生きと創造活動に熱中する彼らの顔は、喜びや満足感に満ちていましたから。
しかし実は参加した子どもの2人は、保育所や幼稚園に一度入園して登園拒否などになり、カーサデルバンビーノを訪れた子どもたちなのです。3歳という自我が確立していく貴重なときをカーサではていねいに対応しました。保護者の方で、カーサの先生のかかわりをみながら少しずつ自分の子どもに対する対応を変えた方もいます。そして、今は全員はつらつとした幼稚園生。カーサとの出会いが彼らのすばらしい可能性を引き出せたのではないかと思っています。

脚本のないドラマに主演した私たちにとっても、珠玉の日々でした。「終わるのがあっという間、子どもたちの集中力に驚いた。子どもの笑顔が見られてよかった。先生同士の保育前後のディスカッションなど日常の活動に生かしたい。」「子どもたちが『受け入れてもらう』ことで満足していることを感じた。卒園児の成長した姿を見て涙が出るほどうれしかった。自分自身の保育へのたくわえが枯渇する中でリフレッシュできた。」「実践することでレッジョエミリア教育の意味はこういうことかな?と少しずつ分かってくる。言葉のあまり出ない子が造形絵画を通じて表現することも実際に体験した。」「『待つ』こと子どもにちょっと問いかけることで子どもから答えが返ってきて、教わることが多かった。創造活動から感動が伝わってきて楽しかった。」「ひとりひとりの子どもと『意識をもって接する』ことが必要だと思った。」

最後のミーティングで先生たちからあふれた言葉です。先生たちもレッジョエミリア教育を実践し、感動してその中で何かが変わっていきます。先生が変わることで、多くの子ども達も変わっていくことでしょう。

幼稚園?保育所?

2003年6月号

『幼稚園?保育所?』中舘慈子


ご存知のように「幼稚園」は、文部科学省の管轄で「幼児教育」を目的とした施設で、「幼稚園教諭」の資格を持った先生が幼児教育をします。「保育所」は、厚生労働省の管轄で両親が働く家庭などを対象とした「保育に欠ける子どもを預かる施設」で、「保育士」の資格を持った先生が保育をします。けれども、最近、幼稚園に通わせているお子様の保護者が「もっと長時間預かって欲しい」というニーズを持つようになりました。また、保育所にお子様を預けている保護者が「幼稚園のような幼児教育を採り入れて欲しい」という願いを持つようになりました。
そこで、幼稚園では夕方5時ごろまで「預かり保育」をしているところが増えています。新しく「幼保園」という形での園も設立されます。たとえば、NPO「子育て品川」によって設立される品川西五反田の園は0歳から2歳は「認可保育所」、3歳から学齢までは「幼稚園」のように年齢で分けて保育、幼児教育を行うときいています。保護者にとっては、まさに夢のような選択肢ができたのではないでしょうか。
新百合ヶ丘のカーサデルバンビーノ(1歳~3歳)は、7時から10時14時から20時は託児、10時から14時は幼稚園教諭による「プレスクール」を受けられるようなカリキュラムになっています。
このところ様々な研究会に出ていて、幼稚園や保育所の先生と話す機会があります。そこで感じることは、長年培ってきた「幼児教育」「保育」に対するプライドや熱意です。そんなに簡単に融合することはできないだろうと感じられるような強さを感じます。既成の幼稚園と保育所が一体化することはなかなか難しそうです。
保護者の方は、大切なお子様の乳幼児期を「幼稚園」「保育所」それとも「幼保園」のいずれに託すか悩まれることでしょう。施設の立派であること、幼児教育の内容、先生の資質、保育料、保育時間など、園を選ぶ条件はたくさんあると思います。
ただ、忘れてはいけないことは、どんな園にせよ「預けっぱなしにしないこと」
だと思います。「預けているから安心」「しつけも教育も園にお願いする」のではなくて、家庭が子育ての基礎であること、保護者が子育ての責任者であることを忘れてはいけないと思うのです。
子どもにとっては、立派な園舎よりも自宅の居間のほうがくつろげて居心地の良い場所なのです。子どもは幼児教育や保育の専門家である「先生」よりも、保護者の影響を強く受けて育つものなのです。

ルールを破るのは難しい

2003 年4 月号

『ルールを破るのは難しい』  中舘 慈子

小学3年生のA くんはシッターのB さんが学校の近くの駅まで迎えに来て、あるときは塾へ、あるときは家まで電車を乗り継いで帰ります。A くんの家にはいくつかのルールがあります。その中に「寄り道をしてはいけない」「家では絶対に漫画を買わないし読ませない」というものがありました。

学校の休み時間は漫画の話題で盛りあがります。そんなときにA くんは取り残されたような寂しい気持ちなります。「友達みたいに漫画を読みたいなあ。でも、家では絶対に買ってくれないし。」と悩むA くんは、B さんとの帰り道に本屋の店先に友達が話題にしている漫画の本があるのを見つけました。「ねえ、3分だけって決めるから、立ち読みしていい? 絶対にそれ以上は読まないから。それからこのことはパパとママには内緒にしておいてね。」さあ、B さんはどう対応したら良いのでしょうか?

もしB さんが、『友達だって漫画を読んでいるのだから、絶対禁止なんてかわいそう。遠い学校に通っていて、それに塾にまで行って、さぞストレスも溜まることでしょう。漫画くらい読んでもいいじゃない。』と考えて「いいわよ。パパやママに内緒にしておくから。ただし3分だけね。」と安直に許したらどうなるでしょうか? A くんはルールを破ることになります。3分の立ち読みが許されることからもっと大きなルール違反をして良いという気持ちにつながりかねません。B さんはこのようにA くんに話してみました。

「A くん、ルールがあるのは何か理由があるからよね。じゃあ、どうして寄り道してはいけないのかな? どうして漫画を立ち読みしてはいけないのかな?」いろいろな答えがかえってきました。「寄り道すると次の場所に遅れるから。」「漫画はおもしろいから、文字ばかりの本を読まなくなるから。」「漫画はよくないことばや内容があるってパパやママが言っているから。」「本屋さんで売っている本を読むと汚くなって後で買う人がいやだから。」「お金を払わないで読むことはいけないことだから。」「それでも、ルールを破りたいのかな?」「なぜ、ルールを破っても漫画の立ち読みをしたいのかな?」「B さんにはね。パパやママに信頼されて、ご両親の教育方針に添ってA くんのお世話をしなければいけないというルールがあるのよ。もし、漫画の立ち読みをAくんがすることを許すとB さんもそのルールを破ることになってしまうの。」ルールを破ることはなかなか難しいことですね。幼児期から小学校にかけて、ルールには意味があること、ルールを破ることが難しいということを知ることがまず大切なのではないでしょうか。その原則を知りながら、時にはルールを破り、子どもは大人になっていくのでしょう。

A くんとB さんの話は実際にあった話ではありません。でも、もしこれに似たことがあったとしたら、ご両親ならどうしてほしいでしょうか。B さんはどうしたらよいでしょうか。

「次世代育成支援」と「育児保険」への願い

2003年3月号

『「次世代育成支援」と「育児保険」への願い』  中舘 慈子

1 日本の社会保障は高齢者に偏っている

「育児保険」という保険を聞いたことはありますか? ほとんどの方がまだ聞いたことがないと思います。今の時代を築いてきてくださった高齢者の方々に対する「介護保険」はあっても、次の時代を作っていく子どもたちに対する保険はまだ存在しませんから。実は日本ほど社会保障が高齢者に偏った国は珍しいのです。例えば、平成11年度の社会保障給付を見ると、高齢者に対する年金は33.6兆円 育児など家族に対する給付(児童手当・児童扶養手当など・児童福祉サービス・育児休業給付・出産関係費)は2.0兆円、%でみると44.8%:2.7%です。また、対象者別に見ると高齢者関係対児童関係は50.4兆円:2.5兆円、社会保障給付費に占める%は67.1%:2.5%となります。一方、児童・家庭関係給付費はスエーデンでは10.5%、ドイツでは9.0%となっています。

2 今、次世代育成支援が必要である

このように日本は、子育て家庭が支援されているとは言えない社会です。さらに、認可保育所利用者と在宅育児世帯の公費の恩恵の差については、近年まで表面化しませんでした。たとえば0歳から2歳の子どもを家庭だけで育てているお母さんは数多いのですが、組織や団体に属さないので声があげにくく、また子育てで手一杯のため、矛盾を感じながらも声をあげる余裕さえなかったのです。父親だけの給与の中で、公費の恩恵を受けることもなく、やりくりをしながら家庭で子育てをしてきたお母さんがたくさんいました。今、少子社会に歯止めをかけるためには、発想の転換が必要です。それには社会全体で未来を担う次世代を支援していく必要があります。次世代を育むのは、すべての子育て家庭です。母親が就労している家庭も母親が子育てに専念している家庭も社会が支援をする必要があると思います。子育ては母親のみ、一つの家庭のみで全責任を負うことができるほど生易しいものではありません。すべての家庭の子育てを社会全体で支援していくことが必要なのです。たとえば、ベビーシッターはすべての子育て中の家庭に必要なサービスです。けれども原則として一対一で行なう保育ですから、他の保育に比べて「料金が高い」という現実があります。0歳児を認可保育所に預ける場合、月に数十万円の公費の補助があります。しかし、ベビーシッターを利用する場合は、1日1回1500円の割引券があるだけで、割引券を利用できる人も限られています。

3 育児保険制度試案

ここで一つの提案があります。それが「育児保険制度」なのです。山崎泰彦先生、鈴木眞理子先生等を中心とした厚生科学推進研究事業「社会保障制度の枠内での少子化対策に効果的育児支援」研究事業(通称「育児保険研究会」)に私も平成12年度から2年間、研究協力者として関わりました。今育児保険制度のイメージとして次の3つのモデルが考えられています。

① サービス中心の地域保険モデル:保育等のサービスを中心に、かつ地域特性に十分に配慮した支援を進める観点から考えられる介護保険のような市町村を保険者とする地域保険型の制度。

② 現金給付中心の国民保険モデル:出産関連費用や児童養育費の軽減のための現金給付に重点を置き、かつ全国一律の支援を進める観点から考えられる年金保険のような国を保険者とする国民保険型の制度。

③ 綜合保険モデル:育児支援を一元的に進めるという観点から考えられる、両者の要素を一体化し各種のサービスと現金給付を包括的に提供する綜合保険型の制度。
この場合、財源としては、現役世代が「保険料(育児支援負担金)」を納め、それに租税負担や事業主負担を加える必要があります。
一方、国民の新たな保険料負担はなく、現在の国と地方自治体の財源などをもとにして、次のような育児保険給付が可能であると試算できます。対象は日本中のすべての子ども達です。

0~1歳児 月5万円
2~3歳児 月3万円
4~5歳児 月2万円 の育児支援クーポンが給付されます。

このクーポンは、保育所 幼稚園 ベビーシッターなど都道府県が

北国幼稚園開設の記

2003年2月号

『北国幼稚園開設の記』 中舘慈子

これは今から27年前、転勤先の釧路で3人の子どもを育てていたときの手記です。時代は大きく変わり、娘達もこれを書いたときの私の年齢に近くなりました。今見ると、未熟な母親だった自分、子どもの心をすべて受け入れられなかった自分に気づきます。ただ、時代を経ても変わらない子育てへの思いはあるでしょうし、家庭での子育ての何かのヒントにもなるかと思い、古い記録を取り出してみました。少し長文ですが、ご一読いただければ幸いです。

~園まで片道50分、これでは・・・・~

釧路の4月は、桜のない、残雪さえ見られる茶褐色の春である。私たち一家5人は、転勤で前の年の9月に岐阜から引っ越してきた。新しい土地で子ども達のためにまず探したのが病院と幼稚園だった。4月に長女は4歳11カ月、次女は3歳3ヵ月になる。集団の喜びを知り始めた二人を適当な園があればぜひ入園させたいと意気込んでいた私は、大きな団地であるにもかかわらず、近くの子ども達の通っている園が、子どもの足で片道50分、しかも徒歩に頼るしかないということをきいて驚いた。次女の下に1歳になったばかりの三女がいる。冬は雪に埋もれた、凍てついた道を歩くのである。迷った私は園を訪れ、園長先生の「子ども達だけの世界があればそれでよいのではないでしょうか。特に同性で年齢が近いのですから」という言葉に励まされ,通園を1年延ばすことに決めた。夜は零下20度まで、昼も最高気温零下5度という試練の冬が来た。
4歳3歳1歳の幼児が1日中室内にいる。たいくつすればけんかもする。適当な年齢の友達もいない。家事も忙しいので、親のほうもついいらいらする。この状態があと1年半続くとしたら貴重な幼児期に決してプラスとは言えないだろう。どうせ育児に専念するとしたら、なんとか有意義な期間にできないものであろうか。
ここで私は、私設幼稚園開設を思い立った。園舎は自宅。園児は3名。先生は私。月謝は教材費のみ。園の方針は、カリキュラムを軸として、幼稚園で行なうと思われるいろいろな活動をし、特に家庭でなければできない細やかな配慮を一人ずつに与え、自然に触れる機会を多く持ち、豊かな経験を得させたい、ということになった。ちょうど幼児教育に携わっている母のアドバイスもあり、4月開園に向けてカリキュラム作成にとりかかった。まず、年間指導計画が組まれた。3人の年齢に合わせて、保育所保育指針、幼稚園教育要領等を参考にしながら「基本的生活習慣」「運動・安全」「情緒」「社会的生活」「知的生活(言語・自然・社会・音楽・造形)の領域毎に12カ月に分けたものである。

~家庭でなければできない幼稚園に~

長女は5月で5歳になる。5歳は運動能力のおおいに発達する時期であるという。体力作りも兼ねて、好天の日は必ず戸外で、ぞんぶん身体を動かすように計画した。また知的興味も旺盛になり、『小さいモモちゃん』などを黙読でむさぼり読み始めたので、図書館などを利用して多くの本と親しませようと思った。音楽は、1月から私がバイエルを教えていた。この年齢には基礎的な技術と、ピアノを弾く喜びを知ればよいのではないかと思っていたからである。むろん、知的な面は二義的なもので、まず友達や妹達と楽しく遊べる子であって欲しいと願った。いっぽう、次女は3歳という年齢や3姉妹の真中ということもあろうが、どちらかというと、口の重い、すぐ泣く、気難しい面のある子だった。めったに声を出して笑うことがなく、積極的で明るい長女や楽天的で甘えを素直に出せる三女と比べて「あつかいにくい子」というのが、家族の共に感じるところであった。
やってみる前に「できないのォ」、いやになると「つかれたァ」というのが口ぐせで、この言葉のきらいな私は、それを聞くたびに腹を立ててしかった。しかられると萎縮する。それがまた自信のない態度を生む。こんな悪循環をなんとかして絶ち切らなければならない、開園を期になんとか次女に自信をつけてやりたい、と私は決心した。特にケガをしやすい子なので、「運動・安全」に重点をおき、「情緒」を安定させる一方、3歳相応の知的興味をのばしたいと思った。4月で1歳4カ月の三女は、排泄の習慣ができていなかった。冬の訪れる前になんとかオムツを取ることが、第一目標となった。外で歩く機会もほとんどなかったので、歩き方もぎごちない。「基本的生活習慣」と「運動」に重きを置くことになるだろう。そこで、毎月の「指導記録及び子どもの姿」と次の月の「指導計画」が、各領域に沿って組まれた。これは毎月3組コピーして、2組は遠くにいる両方の祖父母の元に送ることにした。岐阜にそのままいたら、桜の中を仲良しの友達10人あまりとおそろいの制服を着て、胸を張って通園していただろう。その姿を想像すると胸が痛んだ。よし!家庭でなければできない幼稚園にしよう。北国の豊かな思い出でいっぱいになる1年間にしよう。こうして、桜のない4月の釧路に「北国幼稚園」が開設されたのである。

~自然の中で―春そして夏~

4月のねらいとしては「生活のリズムを整える」ことがあげられた。これは、私の家事計画も含めて行なわれた。4月末にはいちおうオムツをまめに替えることで、三女はオムツが濡れると「チーデタ」と言いに来るようになった。「音楽」は長女が簡単な歌の旋律を2.3曲弾けるようになった。次女が自分から進んでそれに合わせてタンバリンをたたき、三女も回らぬ舌で、声を張り上げて歌う。「造形」では古ワイシャツを縫い合わせてマジックで色を塗らせ、三姉妹の軒先にこいのぼりを翻させたり、紙で絞り染めをして祖母へのバースデーカードを作ったりした。5月になると、北国にも遅い春が訪れた。それはさまざまな野草の開花によって知らされる。一家で海岸へ、山へ、湿原へとピクニックに出かけた。待ちわびた春だけに、この月は野外保育が中心となった。また、長女の誕生会を開き、そのために紙芝居作りをした。長女は「三匹の子豚」を、次女も二つほど作りあげ、たどたどしいながらもうれしそうに、みんなの前で発表した。6月も山菜採りなどに出かけた。わらびを両手いっぱいに採り、「たのちいなあ」と跳ね回っている次女を、こんな活発な面もあったのかと見なおした。また時の記念日を機会に、時間の概念や数字への興味を持たせた。次女も数字が読めるようになり、親子でババ抜き、一並べなど簡単なトランプを楽しんだ。曜日カード、数字カード、時計も作ってみた。この月は創作紙芝居を作らせた。長女には物語も自分の字で書かせた。次女の「うさこちゃんのハイキング」と共に、画面いっぱいにスズラン、エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメなど描かれているのにびっくりした。
7月は竹がないので手作りの竹らしきものを作り七夕飾りをしたり、プラネタリウムを見に行ったりしたが、ほんとうの星空を見るには夜風がひんやりしていた。この月の第一の収穫は、三女のオムツがとれたことである。6年間、長女の生まれたときから洗いつづけていたオムツから解放された喜びは、たとえようがない。酷使に耐えかねたのか、結婚以来、日に何度も働いてくれた洗濯機がこわれたのもちょうどこのころである。8月に入ると、ようやく夏らしい陽射しになった。それでも最高気温26度ほど。汚れていない海や川があっても、水温が低くて泳げない。しかし、海には数知れぬウミネコ、カモメなどが飛び交い、着水し、魚をついばんでいた。渓流にむかって、いつもママべったりの三女は何十分も無心に石を投げ続けた。すべてが、初めて味わう「本物の自然」だったのではないか。港町・釧路の夏は「港祭り」で最高潮になる。屋台でトウキビやジャガイモやイカを味わい、町内の提灯行列や盆踊りにそろいの浴衣で加わった。長女は自転車にも乗れるようになった。春には三輪車もおぼつかなかった次女も、ブランコを立ってこげるようになり、大いに気をよくしている。また、次女が「びんのふたに"あく""しまる"って書いてあるよォ」などと、ひらがなを拾い読みし始めた。春に親子共に生まれて初めてまいた菜っ葉やエンドウも食べた。

~手作りの教育への自信~

カリキュラムの存在は、私の育児態度にも大いに影響したといえる。開園以来、私は感情的に怒ることがほとんどなくなった。また、細かくカリキュラムをたてることで、毎月の子ども達の成長する姿がよくわかって反省の材料となった。次女も明るい性格に向かっているようだ。年下の子にも、はっとするほどやさしい思いやりを示せるようになってきた。「できないのォ」と言わなくなった。絵や紙芝居を作り上げた喜び、野外活動の楽しさ、自分が認められているのだという自信の反映だろうか。長女と三女が発熱してアイスクリームを欲しがっているのを、「私買ってきてあげる。一人で行けるもン」と自分から買い物かごを下げて出かけたときは、思わず涙ぐんでしまった。むろん、北国幼稚園は欠陥だらけである。保育時間はせいぜい1日2時間。集団というにはあまりに小さすぎるし、年齢も異なる。思いきった活動は不可能だし、私は3人の子どもにとって先生ではなく、まず母親でなければならない。しかし「保育園」「幼稚園」と施設に頼りすぎ、子どもの教育に熱心な母親を"教
育ママ"とさげすむ風潮のある今、私たち平凡な母親がもっと自信を持って、それぞれの環境に応じて、子どものために手作りの教育をしてもよいのではないかと感じた。11月を過ぎると気温はまたぐんぐん下がる。雪が降ると私たち一家の"ボブス
レイコース"を滑る楽しみがある。曲がりくねった急な坂道をプラスティックの小さいそりで滑り降りるのである。そして、4月までのほんとうの入園式までの長い冬ごもりを、なんとか充実したものにしようと、北国幼稚園はたくさんの行事や創作活動を計画して張り切っている。

1976年「幼児と保育5月号」小学館掲載
第2回「おかあさんの教育記録」優秀賞を受賞した手記です。

雪の日のお迎え

2003年1月号

『雪の日のお迎え』

チーフサポーター 菊地美智子


しんしんと前夜から降り続いた大雪の日、辺り一面真っ白な銀世界。しかし心底寒く、それだけに保育が終わって園から飛び出してきた子ども達には、ママの顔が一段と温かい暖炉のように見えたと思います。そんな中で「Y ちゃん、おかえりなさい」5歳になったばかりのY ちゃんといつものように手をつないで駅に向かい、2つほど電車に乗っていえのすぐ近くまで戻ってきたとき、突然、大きな大きな雪のかたまりの上に、Y ちゃんが座り込みました。「私はママがいいの。ママにお迎えに来てもらいたいの。ママじゃなければだめなの。」

お友達と一緒のときはこらえにこらえていた大粒の涙をぼろぼろこぼしながら、Yちゃんが言いました。こんな時、私はなんと答えたらよいのでしょう。いくつもの言葉が出かかりました。

『仕方ないでしょう。ママはお仕事なのだから。おりこうにママが帰っていらっしゃるまでおうちで一緒に待っていましょうね。』『第一そんなところに座っていたら、お洋服もみなビチャビチャになるし……。かぜひいてしまうわよ。』

しかし実際には、本当に悲しそうな涙顔でドッシリと雪の上に座り込んだY ちゃんを見つめていると、しばらくは何も言えませんでした。手を引っ張って立ち上がらせることもできませんでした。そして……「分かったわ。ママが一番! 本当にそうだ! おばちゃまにはY ちゃんの気持ち よく分かるわ。そうだ! 一緒にママがここを通るまで、待つことにしましょう!」

私も一緒に雪の上に座り込みました。ほんの10分間程度だったと思います。おしりも手も体も、冷え切ってきました。「Y ちゃん、寒いねー。やっぱりおうちでママを待つことにする?」「うん」(おうちに帰って、)冷え切ったY ちゃんの体を温まってくるまでさすり続けました。そして…… 大好物のカレーでお昼ご飯にしたのです。この頃にはもういつもの明るいY ちゃんに戻っていました。

Y ちゃんにとって、ママは世界にただひとり。私のように代わりになる人はいても、ママはママ、どこを探してもたったひとりなのです。私がもしY ちゃんだったら、寒い雪の日に一番会いたいのはやっぱりママだったろう……と、つくづく思いました。しかし、私はママの代わりだけれど、Y ちゃんを愛し、守り、一緒にいたいと雪の上に座っていたときに心から思っていたのです。そしてその気持ちはY ちゃんに伝わったと確信しています。そしてその心のつながりがその後Y ちゃんとの日々を自然に温かくしてくれたのです。

※シッターさんの体験談です。「雪の日」にお子様の一番会いたい人は……? やはり「ママ」なのです。そんな気持ちをそのまま受けとめて、「ママじゃないけれど、お子様を愛し、守り、一緒にいたい…」と心から思えるシッターを目指していきたいと思います。

ファミリー・サポート5大ニュース

2002年12月号

『ファミリー・サポート5大ニュース』  中舘 慈子

おかげさまで2002年は、ファミリー・サポートにとって、前進の年でした。5大ニュースを挙げながら振り返ってみます。

  1. 目白大学エクステンションセンターで「育児サポート講座」を開講
    できたばかりの全国ベビーシッター協会編「ベビーシッター講座」を教科書に使いました。さらに、コープ東京、NPOなどでも「子育てサポート」について講演を行いました。来年度も引き続き、目白大学エクステンションセンターで講座を開講する予定です。
     
  2. レッジョ エミリア教育の実践とイタリア レッジョ エミリア視察への参加
    8月に直営施設「カーサ デル バンビーノ」で、「馬」をプロジェクトのテーマにしたレッジョ エミリア教育の実践を行いました。詳しくは、ホームページをご覧下さい。
    また、11月に、永い夢だったイタリアのレッジョ エミリアの体験に参加することができました。150人の参加者は私と娘を除いてすべてイタリア人、全土から集まった幼稚園経営者・幼稚園教諭・教育学者・心理学者・芸術家などでした。分刻みで企画されたプログラムは、充実したもので、黄色く色づいた木立に囲まれた1つの幼児園と2つの乳児園を見学することもできました。レッジョ エミリアについては改めて詳しく述べたいと思います。
     
  3. 東京大学大学院と連携 研究活動の開始
    弊社のベビーシッターをしている東京大学大学院生と弊社が連携して「子どもの育ちをめぐる保育と家庭のコラボレーション」-保育者の視点から-というテーマで研究活動を始めました。子ども達が健やかに育つためには、サポートする保育者(保育園・幼稚園・ベビーシッター)と家庭との連携が必要です。より効果的な保護者と保育者の連携の採り方を探るために、まず、保育者を対象としたアンケートを7月に実施しました。
    今後、アンケート結果やヒアリングなどを元に分析・研究を進めて、保育学会、発達心理学会など様々な学会で発表を重ね、よりよい保育に反映させていきたいと考えています。
     
  4.  「ファミリー・サポート」および ロゴマーク 商標登録 第4626706 号 取得
    永い道のりでした。取得するまでに何年もかかりました。1994年に「こころ温かい育児のサポーター 子育て中の家族を支援する会社」という気持ちをこめて社名としましたが、その後類似した名前の会社が次々にできていました。やっと「ファミリー・サポート」の社名もロゴマークの小人も、弊社独自の商号として認められました。
     
  5. 様々な取材や執筆取材にご協力いただいたご家族とお子様に心から感謝申し上げます。

    1月 日本テレビ プラス1「魔法のミルクで赤ちゃんを寝かせる達人」金子久美子シッター登場!
    4月からCSデジタル「ベルメゾンテレビ」 毎週金曜日「ママのベストチョイス」中舘出演 「資格を取ろう2002 秋・冬版」川合美奈子シッター取材
    9月 TBS「ベビーシッター! 大都会・東京の子育て事情」荒川朋子シッター出演!
    11月「児童心理」「親の育ちと子育てを支援する ベビーシッターと協力する」中舘執筆
    「サリダ」お仕事ZOOM UP 中村祐美子シッター取材
     

さらに2003年1月 主婦の友社「プレモ」「ベビモ」両誌にも採り上げられます。このほか、月ご利用件数が2000件を突破、グループ保育も飛躍的に伸び、幼稚園の補助職員の 派遣も行っています。振り返れば地道で忙しい毎日でした。お子様を相手にした仕事、一瞬も気を抜くことができません。来る年はさらにサービスの向上を目指 したいと思っています。

みなさま、ご家族そろってよい年を迎えられますように。
2002年のご愛顧を心から感謝致します。

2002-10-01

2002年10月号

『完璧な親 完璧な子ども』  中舘 慈子

「最近の親は未熟だ」「親らしくない親が増えている」「親が親になりきれないのでは?」こんな言葉を最近よく聞くようになりました。確かに、パチンコに夢中になって車の中に放置された子どもが命を落とす事例、ささいなことで切れて虐待に走る事例など痛ましいニュースがあとを絶ちません。
一方、ベビーシッターの現場では、むしろ「完璧な親」を目指すお母様たちの様子をよく聴きます。「完璧な親業」をこなそうと思うあまり、ささいな専門家のことばに傷ついて、子育てに自信を無くしてしまう方もあるということを。子どもがたくさんいたころの子育ては、もっとおおらかなものだったような気がします。だれも「完璧な親」になれないことを知っていたと思いますし、たとえ「完璧」でなくても、複数の大人達が子どもと関わることが、人と人との間で生きていく力を育んでいったのではないかと思います。気になるのは「完璧な親」が「完璧なよい子」を育てようとすることです。ひょっとすると「完璧なよい子」を期待されて育って来た世代が「完璧な親」を目指しているのかもしれません。
子育てに一つの答えはありません。きょうだいでも同じ出来事に対する反応は違うものです。一人一人の子どもによって、対応する方法も様々です。もちろんマニュアルどおりに「完璧に」育つ子供はいません。大切なことは自分の前にいる子どもが今、何を考えて何を望んでいるのかを両親でしっかりと見つめることではないでしょうか。とはいうものの、目の前にいる自分の子どものメッセージや気持ちを見つめ、ありのままに受け入れるということは、なんとむずかしいことでしょう。私自身も、幼稚園の先生の一言にはっとさせられた経験があります。自分の子どもに対する夢・期待があるでしょうし、自分の分身のように同化して考えることもあるでしょう。自分以外の子どもには理性的に接することができても、我が子には感情的になってしまう経験を親になった方は体験していることでしょう。それも当たり前のことです。親というものは「親ばか」で、時には「感情的に怒ってしまう」こともあるのです。ここでもあまり「完璧」を目指さずに自然体でよいのではないでしょうか。乳幼児期に親に愛情豊かに育まれた経験、温かくありのままに受け止めてもらえた経験が豊かにあれば、少しくらい怒られた記憶は消えてしまいます。
もちろん、子育てをするときに、子どもの発達や食生活・病気等に関する基本的な知識や子どもとの上手な接し方などの子育ての智恵があったほうがよいと思います。昔からの「子育ての智恵」にはなかなか核心を突いたものや、心休まるものがあります。
ベビーシッターは、知識と智恵を備えた家庭での子育てのサポーターです。もちろん「完璧なベビーシッター」を目指すというよりも、それぞれのご家庭、それぞれのお子様の気持ちを受け止めることを大切に考えています。ひょっとすると自分自身が子育てに悩んだり育児不安に陥ったりした経験も持っているかもしれません。子育てに悩みや不安があるときには、ぜひ気軽にご相談下さい。
ご両親には、完璧を目指さず、もっと肩の力を抜いて楽しく子どもと関わって欲しいと思います。積極的に大勢の人のサポートを受けながら・・・。 子ども達は、大勢の大人達、様々な文化や価値観を持つ大人達の中で、人と人とのかかわりをたくましく学んでいくことができるでしょう。

※「児童心理」11 月号 特集「親の成熟 子どもの育ち」金子書房 は、ご両親にも保育者にもお薦めしたい本です。私も「親の育ちと子育てを支援する ベビーシッターと協力する」を執筆しています。

認定ベビーシッターと今後の課題

2002年9月号

『認定ベビーシッターと今後の課題』  中舘 慈子

1 認定ベビーシッター

2000年、悲願とも言えた「ベビーシッター」の資格ができた。厚生労働省認可 社団法人 全国ベビーシッター協会(以下「協会」とする)の認定する「ベビーシッター」の資格制度が発足したのである。これは、協会の主催する「新任研修」および実務経験を経て受講できる「現任1研修」を終了し、「認定試験」に合格したベビーシッターに与えられる資格である。施設型保育は「保育士」の資格を必要としながら、個別保育は、ボランティアで十分であるという価値観、バイト感覚でなされるものという先入観は依然として払拭されていない。現場においても、施設の保育者は「先生」と呼ばれ、ベビーシッターが子守り扱い・使用人扱いをされて、その社会的地位の低さに寂しい思いをする現実もある。弊社で実働しているベビーシッターは、保育所・幼稚園・学校の先生の経験者、子育て経験者などが多く、ひとりひとりの子どもの個性を温かく受容し、きめ細やかな個別保育を行っている。私のここで述べる「ベビーシッター」は協会の目指す「認定ベビーシッター」であり、個別保育のプロフェッショナルである。

2 あらゆる保育ニーズに応えられる

① 送迎を伴う在宅保育

日が暮れると鳥は巣に帰る。「からすと いっしょに」子どもたちが家に帰ったのは、もう過去の出来事なのだろうか。日が暮れるころに保護者に代わって保育所の迎えに行き、子どもを家につれて帰ってケアをする・・・ ベビーシッターは送迎を伴う在宅保育を行う。「葉っぱを取ったり、お散歩中のおじいさんと握手したり、ゆっくりと帰りました。」保育園の迎えから子どもの家に向かうベビーシッターの記録である。時がゆっくりと流れている。集団では味わえなかった個と個とのふれあいをベビーシッターと握った手のぬくもりといっしょに子どもは感じる。「シッターさんなんて、大嫌いだ! ママとでなくちゃ、帰らないよ。」ベビーシッターを困らせる子どももいる。私たちは「困らせる言動」を子どものメッセージと受け取っている。子どもは集団や家庭ではいわゆる「よい子」であっても、何か満たされない思いを内に秘めていることがある。このような思いが先生でも親でもないシッターに向けられる。「そうかあ。ママがいいのね。でも、私はK君のことが大好きよ。」いつか、K君もシッターとしっかり手を握って帰るようになる。自分ひとりのために迎えに来てくれる人、どんなに駄々をこねてもすべて受け入れてくれる人,こんな存在であるシッターとの間に信頼関係が築かれ、K 君の心が開かれたのである。家は子どものお城である。子どもは、自分の食器で食事をして、家のお風呂に入って、自分のベッドで休む。途中で揺り起こされて寒い道を帰る必要もない。保護者にとってもこれ以上の安心はないのではないだろうか。一方、さまざまな理由で、施設での延長保育を望む家族もいるだろう。ベビーシッターを望む家族、施設での延長保育を望む家族が、同じ条件でいずれかを自由に選択できるようにならないものだろうか。

② 在宅健康支援サービス

子どもが熱を出す。「さあ、大切な仕事を任されて、がんばろう!」と張り切った矢先に。回復期も、まだ保育園に登園させることができない。夫も仕事を休めない。・・・働く母親なら、子どもの病気で仕事を休まなければならない経験をしたことがあると思う。こんな時トレーニングを受けたシッターが家庭に行って、回復期の子どものケアをすることができる。こうすれば、はるばる「病後児のための保育所」まで病気の子どもを連れていく必要がないだろう。協会および協会会員は新任・現任1研修受講者を対象とした「実践研修」で在宅健康支援サービスに関する研修を行い、専門性の向上に努めている。ベビーシッターサービスは、自宅待機をしているベビーシッターに連絡を行い、情報を伝えて保育現場に派遣するシステムである。したがってあらゆる保育ニーズに最も柔軟に対応できる。たとえ、数時間以内に派遣して欲しいと言うニーズでも、休日の早朝から深夜まで保育して欲しいと言うニーズにもできるかぎり対応できるような人材の確保と手配を行っている。

3 育児不安、虐待を未然に防ぐことができる

① 産褥期のサポート

産褥期にはマタニティーブルーと言われる状態、すなわち育児ノイローゼ、育児放棄、さらに乳児虐待などの状態になる可能性がある。また、母性の基礎が培われる大切な期間でもある。シッターは、家庭を訪問して、新生児の沐浴、必要であれば家事の援助を行う。援助者がいることそのものが母親にとって大きな精神的なサポートになる。

② 保護者のリフレッシュのための保育

子育てには少し息ぬきが必要である。育児の責任を一手に引き受ける専業主婦も、仕事と育児を両立させるワーキング ウーマンも、時にはリフレッシュのために子どもや仕事から離れた自分のための時間を持つことが必要だと思う。子どものためにも、子育ては夢のある楽しいものであってほしい。育児に直接関わる母親が、不安にかられ、虐待をしないまでもいらいらしているとしたら、子どもの人生も不安に満ち、殺伐としたものになりかねない。夢があり楽しく子育てをするには、保護者がゆとりのある気持ちを持つことが必要であろう。シッターが訪問したことで育児不安を解消し、虐待を未然に防いだ例は多い。第2子出産後母親が強い育児不安に陥り、赤ちゃんの泣き声を聞くとパニックになったが、毎日数時間シッターが赤ちゃんを外に連れ出すことで、母親の精神的負担を軽くした。半年も経つと母親の状況は快方に向かい、3年経った今では、明るい声でリフレッシュのための依頼をしてくるといった例もある。

3 今後の課題

ここまで、ベビーシッターが、あらゆるニーズに柔軟に対応できる保育の形態であること、育児不安、虐待などを防ぐためにこれからの子育てになくてはならないシステムであるということを述べてきた。次に、今後の課題について触れてみたい。
ベビーシッターの一定以上の資質を確保するという課題については「認定ベビーシッター」の資格ができたことで、可能になった。さらに個別保育ならではの専門的な保育分野での研修も行われて、資質の向上への努力が続けられている。大きな課題は「ベビーシッター料金が高い」ということであろう。1時間1500円。これが協会会員会社の最多価格である。以下、料金の壁を破るいくつかの手法を考えてみた。

① 在宅保育サービス援助事業等の拡大

協会と協定を結んだ企業に勤める従業員が、就労のために1日1回1500円の在宅保育サービス割引券を利用できるシステムである。現在、一企業あたり利用できる枚数が,年間1200枚以内であるなどの様々な制約がある。今後、利用枚数の見直し、利用目的の多様化、利用手続きの簡便化、などの問題点を検討する必要がある。この制度が一種のバウチャー クーポン券として、より利用しやすいものになることを期待している。その他、2000年に開始された「双生児家庭へのベビーシッター訪問事業」は、双生児家庭のリフレッシュのために公的補助が出るという画期的な試みである。さらに、より多くの家庭がリフレッシュのためにベビーシッターを利用できることを目指したい。

② 公的補助のより公平な配分

すべての児童が、未来の日本を支える可能性を持っている。それにもかかわらず、家庭で育てられている児童には月5000 円から1万円の「児童手当」が満6歳になるまで与えられるのみである。所得制限を越える家庭では、児童手当を受けることすらできない。児童手当の金額そのものも、ドイツ・イギリス・フランス等と比較して、半額に過ぎなく、受給期間も短い。一方、施設型保育を利用すれば、1カ月に数万から数十万円の公費補助の還元を受けることができ、なおかつ児童手当を受けられる。海外と比較してみると、待機児童対策という観点から行われる日本の公的補助が施設型保育、すなわち保育所における保育に偏重した形で行われていると言える。限りある財源の中から公的補助がすべての児童に対してより公平に行われる方法を検討する時期がきたのではないだろうか。