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子育てエッセイ

新しい仕事に再びチャレンジ

2000年9月号

『新しい仕事に再びチャレンジ』 中舘 慈子

目覚めると、2年前にも訪れたフィレンツェの中心街の部屋にいた。2年前と変わったことといえば、古い木製の窓の外に藤がやわらかい曲線を描いていること。蒼い翳りが、扇風機が無くても過ごせるほどのさわやかで乾いた風を送り込む。
成田空港を出て直ぐに出された機内食の途中で眠り込み、気づいたときにはデザートごと無かった。それから約20時間の旅を続け、娘に連れられてこの部屋にたどり着くと共に眠り込んでしまったのだ。時がゆっくりと流れている。緑に包まれた窓辺で、私はほっと自分を取り戻している。
忙しい日々だった。走り続けてきた。ベビーシッタ-会社を設立して7年目、年商も目標値を超えた。多くのよいスタッフに恵まれ、毎日の仕事を誠実に続けてきた成果だと思う。(社)全国ベビーシッタ-協会理事の一人として活動する中で業界としての「ベビーシッタ-」認定資格制度の確立、「ベビーシッタ-」の本の出版の夢も叶った。
「3歳までの子育ては母親が家庭で行うべき」という考え方が一般的な時代、私も末娘が小学6年になるまで専業主婦として3人の年子を家庭で育てた。しかも転勤族の妻であった。そのとき実感したことでもあるが、「母親」の無償の愛情だけでできるほど「人を育むこと(子育て)」は生易しいものではないと思う。赤ちゃんとの会話だけで一日が終わり、社会からぽつんと取り残されたような閉塞感、焦燥感にさいなまれることもあった。
『1997年の経済企画庁の調査によると第一子が小学校入学前の女性のうち、子育てに自信がなくなることが「良くある」「時々ある」と答えたものの割合が、有職者で半数、専業主婦では7割にも達している。』と「平成10年版厚生白書」に述べられており、『育児不安や育児ノイローゼは、専業主婦に多く見られる』とある。
今、日本はかつてない少子高齢化社会を迎え、少年による残酷な犯罪などが起きている。乳幼児期の子育てを「母親」だけに任せておいて良いのだろうか。私は働く両親の子育て支援はもとより、家庭で子育てをしている母親も含め、すべての家族に対する心理的な子育て支援が必要だと思う。従来の日本の保育制度は認可保育所を中心とした施設型保育によるものであった。たとえば0歳児1人、1ヶ月あたり数十万円の公的補助が国と地方自治体から行われていることをどれほどの方がご存じだろうか?この恩恵を受けられるのは一部の家庭だけである。在宅保育サービスは、あらゆる子育て中の家庭がいつ
でも利用できる。このようなサービスを、利用しやすい料金で提供できるように、これからも保育バウチャー制度や育児保険制度を提言していきたい。
2000年夏、再び新しい仕事にチャレンジする。「カーサデルバンビーノ」という名前の「子どもの家」の設立である。場所は、自宅の最寄駅小田急線の新百合ヶ丘。季節の花に囲まれた美しいカーサにしたい。子どもたちにとっては寛げる楽しい場所、大人達には子育てに夢の持てる場所となればよいと考えている。

具体的には次の3つのコースを考えている。

  1. 2~3歳児対象のプレスクール
  2. 幼稚園・小学校の放課後のためのスクール
  3. 子どものための文化教室

(日本文化の伝承をするための能教室・華道教室 英会話教室 等)
この他に、カウンセリングルームも設けたい。一時的に預けたい人のためのコースも設けたい。今回のイタリアへの旅は、トスカーナの小さな町、レッジョ エミリアの幼児教育について取材をするためのものである。「自己責任の国」イタリアと日本とは幼児教育の手法や考え方は自ずと異なってくるだろう。けれども、世界中で注目されているレッジョ エミリアの幼児教育のように、自分で考えて工夫する力を育む環境を与えること、心行くまで自分のしたいことに熱中できる場を与えること、教師は子どもの活動を後ろから見守り助ける存在であることが今の日本の幼児教育にも必要なのではないかと考えている。私の新しいチャレンジと模索はこれから始まる。

神奈川銀杏会会報8号(2000年8月発行)掲載

少年と老人

2000年8月号

『少年と老人』 中舘 慈子

2000年春、17歳の少年が60代の女性を惨殺した事件が、続いて起きました。いずれの女性も第2次世界大戦を経て、激動の時代を60数年生き抜いて支えてきた貴重な方々でした。一人は元小学校教諭で幼児教室を開き、「事件を起こす少年たちの心を受け入れてあげたい」と、尽力されてきた方ということです。

昔、東洋では「老人」は賢者として尊敬されました。知恵と知識の宝庫だったからです。若者は老人から、生きるための知恵や昔から伝わる知識を学びました。今、日本の若者は老人から知恵も知識も学びません。特に、知恵よりも知識の尊重される時代です。

知識は、情報化社会の中で、様々なメディア、テレビ・インターネット・雑誌などを通じて日々新たなものが伝わってきます。多くの知識や情報は横文字が並び、メディアを使いこなすには器械の操作が必要です。老人は横文字も器械の操作もなれるのに時間がかかります。こうして、若者のほうが老人よりも知識が豊かになり、さらに新しい情報を得ていきます。

今、若者は老人から学びません。老人も若者に伝えません。世代の断絶が深く暗い淵となって存在する時代のような気がします。従って、若者は老人を尊敬しません。老人は自信を喪失します。これは子育てにも言えるのではないでしょうか。少年は親を尊敬しない、親は少年に対して自信がない。少年は、上の世代は不要のものであるという錯覚に陥ってしまいます。

17歳にとって老女から学ぶものも無いし、すでに若い日々が過ぎ去った存在というゆがんだ思いを抱き、だから殺してもよいというとんでもない発想に至ってしまったのではないでしょうか。

もちろん、これだけが連続した殺人事件の原因ではありません。少年の気質、環境など様々な要素が複雑に絡み合ってのことだと思いますが。

ここで、「年長者を敬わなければならない」というような「べき論」の修身や道徳教育を持ち出すことは全く考えていません。むしろ老人、親・・・上の世代が後に続く世代に(少年になる前子供時代がいいですね)多くを伝えていくことが必要なのではないでしょうか。それは、「知識」ではなくて「知恵」です。世代の違う第三者、シッターさんとの深いかかわりもよいチャンスだと思います。

最新の知識よりも大切なもの、生きる上の知恵を、上の世代から後に続く世代に伝えていきたいものです。

17歳で手が離れる

2000年7月号

『17歳で手が離れる』 中舘 慈子

シッターさんの面接をしていて、はっとしたことがあります。それは、40代の志望者に、シッター志望の動機を聞くと「子どもの手が離れ
たので、もう一度自分の力を発揮したいから。」という答えが跳ね返ってくることです。「お子さんの年齢は?」と聞くと、ちょうど14歳から17歳くらい。
もうひとつ共通な言葉は「子育てが楽しかった。」ということです。幼稚園や保育園の経験者に「園でのお仕事と子育てとを比べるとどうでしたか?」と質問すると、今度は異口同音に「それは・・・子育てのほうが大変でした・・・・」以上から40代のシッターさんの平均像をまとめてみますと、

  1. 子育ては、大変だったが楽しかった。
  2. 十分に手をかけて子育てをして、14歳から17歳で子どもから手が離れた。
  3. そこで、今までの経験を生かして子どもとかかわり、保護者の方のサポートをしたい。

ということが言えそうですね。
一方17歳になって、反社会的な行動、犯罪を行い、手が離れるどころか、ますます社会の手を煩わせなければならない少年たちがいます。
子育てはその子どもの持つ気質的なものやその他の環境によって左右される事が多く、育て方だけでは論じることはできません。けれども17歳の異常な犯罪が多発する状況は子育て中のご両親に不安の影を投げかけていると思います。
少なくとも、シッターさんは、子育ての大変さを知りつつ楽しんできた人たちです。子育てに対する深い知恵を持っている人たちです。メディアに流れる子育ての最新情報よりも、経験豊かなシッターさんから得る知恵のほうから、大切なものをたくさん吸収できるはずです。こんなシッターさんたちは「安心感」という何者にも替えがたい気持ちを与えてくれることでしょう。17歳になって手が離れる子育ての極意、ぜひシッターさんに教えてもらってください。

バギーの中の赤ちゃん

2000 年6 月号

『バギーの中の赤ちゃん』  中舘 慈子

友人が目をくるくるさせながら言いました。
「レストランに行ったらね、バギーに赤ちゃんを乗せたお母さんたちが大勢で食事をしていたのよ。そこでびっくりしたんだけれど、赤ちゃんたちがおとなしいのよね。みんな黙って座っているの!!」

「へえー・・・。うちの子たちなんかバギーの上に立ったり、何とか逃げ出そうとしたり、危ないし目が離せなかったわ。(みんな女の子です)」
「そうでしょう?うちもそうだったから、とても一緒に連れて行ってゆっくり食事なんかできなかったわ。でも、どうしてこんなにおとなしくてお行儀よくなったのかしらね?」
「・・・・・・・?車でもチャイルドシートに一人で座っておとなしくしているのでしょうね。」

電車の中でも、バギーに乗っておとなしくしている赤ちゃんの姿をよく見ます。でも、ただおとなしくしているだけなのでしょうか。

関西の私鉄に乗ったときです。6ヶ月くらいの男の子がバギーにおとなしく座っていました。ママはお友達と話に夢中。男の子はじっとつり革を見つめ始めました。じっとじっと見ています。目がらんらんと光っています。・・・突然、面白いことが始まりました。男の子が急に首を降り始めたのです。ゆれているつり革に合わせて・・・。にこにこしながら、男の子は左右に首を振り続けます。ふりこのように・・・。ママは、ずっとこの様子に気づかずに、お友達とお話をしていました。

東京の地下鉄に乗ったときです。8ヶ月くらいの女の子がバギーに乗ってもぞもぞ動いています。何かしたくてたまらない様子です。よく見ると小さな手にバギーの前についているベルトを握っています。口を尖らせてはめようとしているのです。なかなかうまくいきません。あまりもぞもぞしている様子に、ママが抱っこしようとするとそっくり返って「いやいや」。仕方なくバギーに乗せるとご機嫌が直って、また、ベルトはめに挑戦を始めます。ママは、やはりお友達との話がはずんでいて、女の子が何に夢中になっているのかということには、気づいていないようでした。

おとなしすぎるバギーの中の赤ちゃんの一団。ちょっと気になる光景です。今の赤ちゃんたちが急にお行儀がよくなったとは思えません。ママに呼びかけても答えてもらえないと、あきらめているとしたら問題です。この時期は、赤ちゃんの呼びかけに答えてあげることが大切な時期ですから。

一度出会ってみたいものです。赤ちゃんたちが実はひそかに何かに夢中になって遊んでいてくれればよいと願いながら・・・。

そして、赤ちゃんと二人だけのときは、ママがしっかりと赤ちゃんと遊んであげているからこそ、バギーの中では赤ちゃんがおとなしいのではないかということを期待しながら。

しつける

2000年5月号

『しつける』  中舘 慈子

しつけは「仕付け」または「躾」と書きます。
広辞苑(第4版)を試しに引いてみると①作りつけること②礼儀作法を身につけさせること。また、身についた礼儀作法。③嫁入り。奉公。④縫い目を正しく整えるために仮にざっと縫い付けておくこと。⑤田植え。となっていました。

なんと、今失われたものの多いことでしょう!!①の使い方をすることは少なく、既製品を買うことが主流になった今、④をすることも無い。⑤は、一部の地域の方がかかわっていることです。③の「嫁入り」「奉公」も死語となり、姑の嫁いびりとか使用人の奉公人いじめなどがなくなって、だれもが平等に生きられる時代になったことは、幸せだと思います。

「しつけ」ということばから、私たちがまず思い浮かべるのは「子どもをしつける」という意味の「しつけ」ですが、これは強いて言えば②に入るのでしょうか。「礼儀作法」を、人として生きていくために必要なマナー、人間関係を円滑に行うためのルール、と拡大解釈すれば、当てはまる気がします。

文部省が1999年12月、日本韓国アメリカイギリスドイツの小学校5年生、中学2年生を対象に行った調査によると「日本の親は海外の親に比べてしつけをしない」という結果が出たそうです。

たとえば、父親・母親から「うそをつかないように」と言われない子どもが約80%。これが韓国アメリカイギリスでは20%から30%、ドイツでは少し高くて約40%です。逆によく言われる子どもは日本では10%代だということです。「弱いものいじめをしてはいけない」「友達と仲良くしなさい」についても同じような結果だそうです。

また、家事の手伝いも日本の子どもはほとんどしておらず、「いつも手伝う」子どもは、洗濯が6%、買い物7%、掃除が9%。なんとも寂しい現状です。
どこの国でも日本に比べれば、自分の子どもに責任を持って行っている「しつけ」が、日本では失われてきているのです。かつてあったはずの「身を美しくする」しつけが・・・。

唐突な発想かもしれませんが、日本イタリアドイツの出生率が低くなってきていることとも関連して、第二次世界大戦の敗戦による大人世代の自信喪失が、子ども、孫に引き継がれているのではないかとふと考えました。

大人が、子どもに「人として生きていくために必要なマナー」「人間関係を円滑に行うためのルール」である「礼儀作法(しつけ)」を教えることのできる「自信」を回復することが、まず必要なのではないかとつくづく思うのです。

「父性」が必要な時代

2000年4月号

『「父性」が必要な時代』  中舘 慈子

すべてを包み込み受け入れる「母性」は、子どもが自分自身を受け入れ、自信を持って生きる上でとても大切なことです。日本人の心の中では「母なるもの」に、信仰にも似たあこがれ、絶対的なものがあるような気もします。

一方、「父性」とは何でしょうか?あの厚生省の『子育てをしない男を父親とは呼ばない』というポスターの効果なのか、田園都市線などで、本当にスマートに子どもを抱いた「父親」の姿を多く目にするようになったのは、とてもほほえましい情景です。子どもを抱いて、ぬくもりや重みを感じることから、「父親」になっていくのでしょう。

しかし、臨床心理学者の河合隼雄氏は「父親だから『父性』があるとは言い切れない。女性が『父性』を持つ場合もある」と、述べています。河合氏の言う「父性」とは、「包み込む『母性』」と対峙する「切り捨てる『父性』」です。

『現代』5月号「日本人よ、いまこそ『父性』を創造せよ」の中で、河合氏は父親が家庭で「絶対にやらなければならないこと」「絶対にやってはいけないこと」を厳しく教えて、守らないときは怒ることが必要だと述べています。
子どもを育てる上で、なんでも自由はよくない。『我が家ではこれは絶対にダメ』というルールが必要で、そのルールはちょっとくらい変なほうがよい、そのほうが、ある年齢に達したときに子どもが反発できて、親子の関係が昇華されていく、というのです。

そして次の例が挙げられていました。吉本ばななさんの家では、なにをしても自由だったが、夜、寝るときに雨戸を閉める、ということに関しては父親が怖いほど厳格だったそうです。高校生になって、ふとこのことに疑問をもったばななさんが、疑問を口にすると父親は激怒して、毎晩、親子の間で激論が戦わされたということです。

お父様が3歳の男の子に「テレビは30分しか見てはいけない。音楽はクラシックしか聴いてはいけない」というルールを決めていらっしゃるご家庭があったそうです。そのときシッターは「3歳児には少し無理かもしれないな」と思いながら、母性を発揮して子どもの心を受け入れ、ほかに楽しいことを見つけて遊び、ルールは守るようにしたそうです。

とはいうものの、急にどの家でも父親が少し変なルールを決めて、守らなければ怒鳴り散らせばよいということではありません。父親が心から守ってほしいと信じているからこそ怒れるのです。守ってほしいことがたまたま少し変だったというだけのことです。

何でも受け入れる「母性」が独走するあまり、家庭でのしつけの厳しさに欠けた子どもや、電車の中で平気でお化粧をするような社会のルールを守らない中高生を生み出しているような気がします。先に述べたように、母親でも「父性」を発揮できます。「父性」を通して、「世の中には絶対に守らなければならないことがある」ということを、子どもが小さいときに潜在意識の中に植え付けることは、やはりとても大切なことなのかもしれません。

「母性」と「父性」が自然に奏でるハーモニーの中で、子どもたちは自信を持ち、かつ社会性を持って育っていくのではないでしょうか。

留守番電話の声の主

2000年3月号

『留守番電話の声の主』 ベビーシッター 中島 昌子

先日、とてもうれしいことがありましたので、聴いていただきたくてペンを取りました。

シッティングを終えて帰宅する途中、自宅の留守番電話を聞いてみると、女の子の声で私宛のメッセージが入っていました。しかし、何度聴いても聴き取れません。自宅に戻ってからも何回も再生してみましたが、やっぱりわからず考え込んでいたちょうどそのとき、電話が鳴りました。出てみると、なんとその声の主。それは、私が5年ほど前にレギュラーで伺っていたお宅の女の子からのものでした。当時彼女は小学1~2年生。1年近くのシッティングの後、事情でほかの方に代わってもらうことになったのでした。

その後も何度か年賀状や暑中見舞いのやり取りをしていたのですが、お互いに引っ越したりした事情もあって、連絡が途絶えていたのです。時折、「どうしているのかな」と、思い出しはするものの、連絡もつかずそのままになっていました。

ただ、住所は変わっても自宅の電話番号は変わっていなかったので、彼女が勇気を出して電話をしてくれ、再びつながることができたというわけです。

それだけでもとてもうれしかったのですが、その後お手紙が届き、「中島さんは、いつまでも仲良しです。」「お返事をください」というメッセージも受け取りました。本当に心からうれしくて、早速私もお手紙を書きました。これからも、彼女とはいい関係で接していけたら幸せです。

ファミリー・サポートのシッターさんは心温かい人ばかりなので、きっと皆さん、同じようにすばらしい体験をたくさんお持ちだと思います。新しくベビーシッターになられる方にもこのような幸せな機会がいっぱいあることを祈ります。

また、私たちシッターとお客様とをつないでくださるスタッフの皆様に、いつもいつも感謝しています。おかげで私は、いつでもどこでも「ファミリー・サポート」を自信を持ってアピールできます。そのためにも、私自身、質の高いシッティング、愛情深いシッターを目指して、今後も努力していきたいと思います。

なんだかまとまりのない文になってしまいましたが、うれしさのあまりどうしても報告したかったので書かずにいられませんでした。風邪が流行している季節ですので、皆様も健康に気をつけられますように。

※20代後半になったシッターと、今はもう小学校6年か中学生になろうとしている一人っ子の女の子とのうれしい再会のお知らせでした。人間関係がぎくしゃくしている中で、「いつまでも心を開いて話せるお姉さん」と女の子の心の交流、読んだ私も思わずうれしくなってしまいました。(中舘)

ヤマンバと母性

2000年2月号

『ヤマンバと母性』 中舘 慈子

初めてヤマンバに逢ったときはちょっとびっくりしました。
ヤマンバ、もちろん後ろから見ると年齢不祥の白髪、前に回ると茶色の顔にキラキラメイク、おいらんのように高い靴をはいたあのお嬢さんたちのことです。

最近、東京女子大学教授林道義先生の「母性の復権」という本を読みました。
「1999年6月26日にテレビ朝日で放映された『放置!餓死!コギャルママ育児放棄』では、子どもを餓死させた20歳になるかならないかの母親数人にインタビューしていたが、全員が異口同音に『子どもの頃可愛いがられなかったので、どうして可愛がったらいいか分からない』『母としてよりも女として生きたい』と言っていたのが印象的であった。」
と、その中で述べています。

ヤマンバギャルが白髪をぼさぼさふりたてて、長いとがったつめで、泣き喚く赤ちゃんを扱いかねている様子を、いつかテレビで見た、パンダの母親が足元に寄ってくる毛の生えていない新生児を気味の悪い物体のように放置して立ち去った姿とダブらせて想像しました。

林先生は続けて、「母がおかしい。母が母でなくなっている。子どもを優しい気持ちでかわいがり,子どもの状態に気を配り無条件で守ると言う母の姿が、どんどん少なくなっている」「もっと深刻なのが、子どもを『分からない』と感じる母親である」と述べて、これらの現象を「母性が壊れている」という言葉で表しています。
ここまでくると、ヤマンバでなくても、恐らくかなりの母親の「母性が壊れている」ことになってしまうのではないでしょうか。

私は、初めて生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたとき、やはり不安でした。「分からない」と思いました。悲しげに泣く我が子が何を訴えているのか分からなくて、悲しくさえなりました。

こんなとき、横でシッターさんや父親や母親の母が、「それは、おなかがすいているのだと思うから、お乳をあげて御覧なさい。」と、アドバイスすることで、母親はお乳を飲ませ、赤ちゃんを泣き止ませることができます。「おむつがぬれている」「暑すぎる」「かゆい」「ねむい」「甘えたい」……色々な原因があると思います。

人間の「母性」は本能として備わっていると言うよりも、形作られていくものだと思います。初めは「分からない」と思っても「分かろう」と努力を続けていけば良いのだと思います。シッターさんや、保育士さんだって研修や実習をするではありませんか。母親は「母性」が備わっているから、赤ちゃんの心がすぐに「分かる」はずというのは、少々乱暴な考え方だと思います。言葉なきメッセージを読み取るのに、学習や経験が必要なのが人間の子育てだと思います。それには、シッターさんや祖母の出番が必要なのです。

さて、さきほどのヤマンバギャル達ですが、「おちちをのませるなんてえ、かっこうわるくてえ、できないよねおむつとかあ、きたないしい…」「やっぱりい、おんなとしていきたいとかあ、おもうからあ…」

母親に可愛がられなかったと思っている彼女達は、母親のアドバイスに傾ける耳も持たないでしょう。シッターさんに頼もうという気持ちや条件がそろえば良いのですが…。

ヤマンバの「瀕死状態の母性」を「子どもって本当にかわいくて面白くて…」「ヤマンバよりもやさしいママになりたい」と、よみがえらせるのには、思い切ったこころの大手術が必要となりそうです。

バイリンガルベビー

2000年1月号

『バイリンガルベビー』  中舘 慈子

「5ヶ月の子どもに、1週間に1時間、英語を教えてくださる方はいませんか?
それも、ネイティブイングリッシュで話せる方を。教材もあるのですが、私がうまく使いこなせないので…。」
ある日、こんなお申し込みがありました。

まず、大人が怖い顔をして、「CAT!CAT!」と、ネイティブイングリッシュで赤ちゃんに教えている姿を想像しました。
…これでは、赤ちゃんは、「大きな顔が不愉快な声と怖い顔で迫ってくる。なんだか知らないけれど、悲しくなってきた…」と、泣き出すにちがいありません。

5ヶ月の赤ちゃんを思い浮かべてみてください。ほっぺたがふっくらとしてきて、ちょっとあやすとコロコロ笑うようになり、手足をパタパタ動かしながらわけのわからない声を出します。

「ウックンウックン」とか「ウーウーアーアーマーマー」「キャー…」といったように。これが、言葉にならない赤ちゃんの声、喃語です。英語ともフランス語とも中国語ともわからない不思議な発音ですね。
「よし、ここでバイリンガルベビーにしよう!」というお母様の張り切り様もわかるのですが…。
語学の力を伸ばすために一番大切なことは何だと思いますか?
それは、「人と話したい」「人と知り合いたい」「人とコミュニケーションをとることが楽しい」という気持ちそのものなのです。
この時期にそんなお子様の可能性をつぶさないようにしたいと思います。
子どもは笑顔で話しかけられたり、優しい歌声を聞いたりすることで、人の声を「快い」と感じるでしょう。働きかける大人自身が「赤ちゃんといることが楽しい。幸せだ。」と、思っているかどうか、赤ちゃんにはよくわかるかもしれません。こういう素地さえできていれば、20歳を過ぎて「どうしてもフランスに行きたい!!」と思えばフランス語を、短い期間に流暢に話すことができるようにさえなるのです。そのまま子どもがフランスに行ってしまい、寂しい思いをしている人を知っていますが…。
先ほどのお母様には「お子様が語学を習得するのにプラスになるような環境をご用意することならできますが、どういたしましょうか。」とご相談しました。
もちろん、お母様は快くこの条件を理解してくださいました。