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子育てエッセイ

『あとどれくらい』

2009年8月号

『あとどれくらい』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

毎年、夏は子連れで伊豆の実家に帰省する。特急の「踊り子」を使えば、埼玉の大宮から伊豆の下田まで、乗り換えなしで3時間ちょっとで着くのだが、我が家はいつも約5時間かけて、在来線を乗り継いでいく。浮かせた特急代で、親へのお土産とお弁当とお菓子を買う(飲み物は持参)。東海道線と伊豆急行線のボックス席を陣取り、のんびりと車窓を味わいながらいくのだ。車窓から海が見える熱海あたりから、ママとして生きる日頃の自分が少しずつ遠ざかり、娘の顔になって、遠い日の情景を思い出す。小学生の頃の私は、長い髪を三つ編みにして、母が縫うワンピースを着た、海沿いの町に住む、日に焼けた少女だった。あの頃は商店街がまだまだ元気で、百円の御駄賃がうれしくて、しょっちゅう肉屋や八百屋にお使いに行った。そして、お店のおじちゃん、おばちゃんも、子どもひとりのお客には、「お使い、えらいねぇ」と飴やキャラメルをくれた。

実家に着くと、母が満開の笑顔で迎えてくれる。七十を過ぎてから、母はずいぶんと老けてしまった。太っていた50代の頃より10キロ近く痩せたこともあり、なんだか年々、小さくなっているような気がする。ひざベルトや虫眼鏡を愛用する母は、元気だけれど、もう、完全に老人なんだと思う。

お茶を飲んだあと、私は二階に上がって少し休む。夕寝から覚めて下に降りていくと、縁側で、母と娘が笑いながら、野菜の皮をむいている。

二人の背を見つめながら、母が孫娘と過ごす夕暮れは、あとどれくらいあるだろうと思う。わたしがこうして、ママから娘に戻れるひとときは、あとどれくらいあるのだろうと、思いながら母の背を見ている。

「あぁ、お腹すいた。お夕飯なぁに」

三つ編みの頃と変わらない口調で、縁側の母の背に声をかける。

「しづちゃんが好きなグラタンよ」

母が、皮をむきながら言う。

 

『小学校時代の宝物』

2009年7月号

『小学校時代の宝物』

中舘慈子

 

7月の週末、小学校のクラス会がありました。2年おきに延々と続けられてきたのは、超几帳面な幹事が、計画を立て、案内の往復はがきを出し、その返信の内容と住所録をパソコンで打ち、クラス会の写真を数枚同封し、クラス全員に配布するという涙ぐましい努力を続けているおかげです。60人以上いたクラスメイトの中で住所不明者は数名しかいません。

もうひとつ忘れてならないのは、先生の魅力です。給食の時間に「ビルマの竪琴」を読んでくださったときに、「オレ泣いちゃうから後ろで読むよ」とおっしゃったことを私が話すと「覚えているよ。後ろ向いたら、読むのやめちゃうよ」と言ったよね、と先生。秋になると先生の家の庭にみんなで柿を取りに行ったこともありました。小学4年から6年の担任でしたが、生徒に本気で向かい合ってくださったことをしっかりと覚えています。今回は深夜まで話が弾み、先生自身が胸に秘めていたいろいろな経験談、授業についていけない生徒を放課後に残して個人指導をしたら上司に叱られた話など・・・、をうかがうことができました。傘寿の先生と還暦を過ぎた生徒。大人同士として共感しあうことができました。

今はクラス替えも多いとのこと。それはそれで多くの出会いが経験できるでしょうが、持ち上がりのクラスの先生と生徒の親密なふれあいは、かけがえのない宝物のように思えます。

 

『姉妹というもの』

2009年7月号

『姉妹というもの』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

3歳半の長女と8か月の次女が、いっしょにたわむれて遊ぶようになってきた。といっても、次女はおでぶちゃんすぎて、まだお座りもできないので、長女が次女のむっちり手足をもって揺らしたりしている。次女がきゃっきゃっと笑うと、「ママ~、おりちゃん、笑ってるよ」と、長女もはしゃぐ。そんな姉妹の情景に家事をする手を休めて、しばし見とれてしまう。そして、私と姉にもこんな時があったのだろうかと思う。

姉とは5歳離れていて、しかも間には私と年子の兄がいる。子どもの頃は、いつも兄と遊んでいて、姉とは少し遠かった。6年生頃から姉と同じ部屋になり、親しくなったかというとそうでもない。末っ子の私に両親が甘かったのが気にいらなかったのだろうか、当時の姉は、今、思いだしても、ずいぶん露骨に私を疎んじていたと思う。「うるさいから、あっちいってよ」と、何百回言われたことか…。私も私で、そんな姉にたいして憎まれ口ばかり聞いていた。

そんな、決して仲がいいとは言えない姉妹だったのに、大人になった今、姉とときどき会うとけっこう楽しい。友人とはちがい、どこまでもリラックスしている自分がいる。姉も、かつては子ども扱いしてバカにしていた私に愚痴をこぼしたり、相談してくる。ご飯を食べながら、しゃべりまくっているうちに、あっという間に数時間が過ぎてしまう。

かつては同じ家の同じ部屋に帰っていた姉と私だが、今は電車で4時間の離れた場所に住み、それぞれの家族が待つ家へと帰る。新宿駅で「じゃぁね、バイバイ」とあっさり言って、異なるホームへと歩きはじめ、階段付近で姉の行ったほうをなにげなく見ると、姉も雑踏のなかで、私のほうを見ていたりする。そんなときは、姉へのいとおしさがこみあげて、一瞬、視界がぼやけたりする。「今、私は妻でも母でもなく、妹の顔をしている」と思いながら手をふる。そして手をふる姉も、姉の顔をしている。

 

『子どもの友達』

2009年6月号

『子どもの友達』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

長女が保育園に通い始めてからのこの2か月は、咳がなかなか完治しなかったり、突然、発熱したりで、結局、月の半分は休んだ。「集団生活がはじまったら、最初の1年はウイルスとの戦い」とは聞いていたが、これほどとは思わず、病気以外にもストレスなどの精神的な負担が強いのではと、私もずいぶん悩んだ。思い切って、ひと月ほど休園させようかとも思ったが、長女は保育園を嫌がっておらず、むしろ行きたがっているので、もうしばらく、様子を見ることにしている。

帰宅後、「今日は保育園でなにしたの?」と娘に聞くと、「おすなば~」「おもちゃ~」、「ちゅべりだい」など、うれしそうに答える。マイペースかつ家の外では内弁慶な娘なので、ひとり遊びの時間が多いようだ。早く、お友達の名前が出ないかなぁと思っていたら、ようやく先月末、「○○ちゃんと遊んだ~」という言葉が、ぽろりと娘の小さな口から出た。そのときの私のうれしさといったら…。娘の送り迎えは主人がしているので、○○ちゃんがどんな子かわからないけれど、きっと面倒見のいい子なんだろうなぁと思った。

それからも、その○○ちゃんの名前が、しょっちゅう娘の口から出るようになり、「○○ちゃん、だいしゅき~かわいい~やさし~」と、のろけている。先日、主人に代わってお迎えにいったときに、「○○ちゃん、どこ?」と娘に聞いたら、娘が私の手をもって、○○ちゃんのところに連れていってくれた。そして、はじめて、○○ちゃんがダウン症であることを知った。

「○○ちゃん、いつもさっちゃんと遊んでくれてありがとうね。さっちゃんはね、○○ちゃんのことが大好きだって」ひざをついて、ゆっくりとそうつたえたら、メガネの奥から、なんともいえない優しいまなざしで見つめられ、思わず両手で抱きしめてしまった。こんなにも強く、人の子を愛おしく感じたのは初めてで、娘をつうじて、私も成長していくんだなぁと思った。

 

『娘の集団生活デビュー』

2009年5月号

『娘の集団生活デビュー』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

私は、自他共に認めるマイペース人間である。といっても人づきあいが嫌いというわけではなく、1対1の人間関係は、むしろ好きなほうだ。だから、さまざまな人に個別に会って話を聴くライター業は天職だと思っている。けれど、集団で群れるのは好きじゃない。「人間5人集まれば、必ずなにかしらもめる」と思ってしまう悲観的なところがある。

私もふくめて、多くの女性には「集団のなかでは必ずどこかのグループに属さなければ」「ひとりでいるのはみっともない」といった強い思いこみがある。ゆえに、学生時代は女子特有のグループごとの対立や派閥関係のなかで、けっこう嫌な思いもしてきている。だから、社会に出てからは、できるだけ集団に身を置かずにすむ生き方を選んできた。

いっぽう、夫は小・中・高校は野球三昧で、大学時代は応援団、大企業に勤務と、こてこての「集団OK人間」だ。気配りと協調性にたけ、チームスポーツが大好きである。迷わず結婚を決めたのには、「夫婦そろって『おひとりさま』では、子どもの教育にもよくない。この人とならバランスがとれる」という思いもあったからだ。

先月から3歳半の長女が保育園に通うことになったのだが、これも夫の強い説得があって実現にいたった。まだ、通い始めてまもないが、今のところ、娘は保育園通いを嫌がっていない。園庭の遊具やおもちゃで遊ぶのが楽しいようで、先生いわく、全然、泣くこともないそうだ。

ほっと安心したのもつかの間、園で写ったのか、2週目にひどい風邪を引いた。3日休んで治り、また通いはじめたら、今度は熱がつづき、結局、一週間休んだ。新しい環境に慣れるのには、やはり時間がかかりそうである。あせらずにゆっくりと、娘の集団生活デビューを見守っていきたい。そして、どんなに家の外でつらいことがあっても、帰宅すれば明るい気持ちになれるような、楽しい家庭を築いていきたい。

 

『ありふれた奇跡』

2009年4月号

『ありふれた奇跡』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

「ふぞろいの林檎たち」などの名作で知られる、脚本家・山田太一氏の最後の連ドラ「ありふれた奇跡」が、先月、終わってしまった。私にとって、これほど「いいドラマ」はこの10年なかった。

ドラマの主人公、加奈(29歳)は、かつて外国で安易に行った中絶が原因で、子どもが産めない身体になってしまった女性である。家族にも言えず、ひとりでその傷を抱え、自分を責めて死のうとしたこともある。ドラマの中で、赤ちゃんや子どもを連れた女性を見つめる加奈の、なんともいえない表情を見るたびに、「母親」という立場が「なりたいけどなれない」女性にとって、どれほど執着せざるをえない幸福であるかをリアルに感じた。そしてそれは、育児にかなり疲れている今の私にとって、なによりの薬だった。

もちろん、子どもはかわいい。けれど、毎日毎日、3度の食事のたびに怒り、部屋を片づけるそばから散らかされ、あちこち汚され、大切なものをおもちゃにされたり、壊されたり…。全然言うことを聞かず、叱られた長女が泣きわめいていると、眠っていた5か月の次女まで泣き出してしまう。そんなときは、うるさくてうるさくて気が狂いそうで、「あぁ、もう嫌っ!ひとりになりたい!」と、切実に心の底から思う。たぶん、次女の深夜の夜泣きと授乳による慢性的寝不足もあるのだろうが、最近の私は、本当に育児に疲れている。これを書いている今も、パソコンで遊びたがる長女と格闘している…。

ドラマはいつもビデオ録画して、長女が夕寝するつかのまの静寂なひとときに、次女をだっこしながら観た。観終わると、しばらくその余韻にひたりながら、次女のずっしりとした重みとぬくもりを味わう。そっと襖をあけて和室で眠る長女を見つめると、普段はただただ、うるさくて手がかかる存在なのに、たまらなくいとおしい。DVDが絶賛発売中なので、ひとりでも多くのママに、ぜひ観てもらいたい。

 

『上の子のいとしさ』

2009年3月号

『上の子のいとしさ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

3歳の長女が家のなかで騒いだり、叫んだりするたびに、「おりちゃん(次女の愛称)が起きちゃうでしょっ」と、一日に何度も叱りつける日々である。長女は怒られるとさらにムキになって、「キーッ」と高音の奇声を発する。そのせいで眠っていた次女は泣きだすし、激怒する私に長女も泣きだすという、このどうしようもない悪循環…。

まだ赤ちゃんだった長女が寝ていたときは、夫も私も物音ひとつたてなかったというのに、次女はこの騒音に耐え、私が長女とお風呂に入っているときは泣き叫んでもほっとかれ、つくづくかわいそうである。写真やビデオを撮ろうとしても、長女が「(自分が)やる、やる」といってとことん邪魔するので、ちっとも撮れない。そんな思いがつのって、教育に悪いと思いつつ、長女を叱ってばかりいる。

先日の夜中のこと。次女の夜泣きがひどく、授乳しても、だっこしてもなかなか泣きやまない。隣で眠る長女が起きてしまったら、大変なことになると思うと気が気でなく、だっこしながら、「ほらほら、よしよし、泣いてると、眠ってるお姉ちゃんが起きちゃうよ~」と、普段とは逆の言葉を何遍も繰り返しながら、必死で寝かしつけていたときのことだ。暗闇の中から、眠たげな長女の声が聴こえた。

「ママァ、おりちゃん、泣いててもいいよ。さっちゃん、平気だよ」

いつもとは反対のことを言っている私の言葉が、聴こえていたのだろうか。ちょっとびっくりして、長女をまじまじと見つめてしまった。起きださないよう、布団をかけなおうそうとすると、「おりちゃん、おっぱい…」と、半分眠りながら私に言う。「うん、あげるから」と答えながら、長女の、そのお姉ちゃんぶりに少し泣きそうになった。約1時間後、ようやく眠った次女をそっと布団に戻してから、隣の長女が眠る布団に入り、久しぶりに長女を抱きかかえて眠った。次女よりもずっと大きいぶん、あったかかった。

 

『薬を出さない小児科』

『薬を出さない小児科』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

…風邪をひいた。4日前の夜、3歳の長女がときどき乾いた咳をしたので嫌~な予感がしたのだが、翌日の午後には、もう大量の鼻水、涙目で、小児科に連れていった。帰り道では、既に私ののどに不快感がある。幼子二人を抱えてダウンするわけにはいかないので、薬局に寄って市販の風邪薬を買った。だが説明書を読んだら、授乳中の人は飲むのをひかえるようにとの注意書きがあり、飲むのを断念。その日の夜には、私が涙目、鼻水となり、翌日には主人が感染した。かくして我が家は「鼻がみ家の一族」となり、家中にティッシュの箱が転がっている。

おとといの夕方、長女が8度の熱を出した。小児科でもらったのは風邪の症状を緩和する薬だけだったので、熱冷ましの処方箋も出してもらおうと再度小児科に行ったら、先生が渋い顔をして言った。

「解熱剤は、あまり出したくないんだよねぇ…」

いわく、解熱剤は上がった体温を無理やり薬の力で下げるものだから、子どもの体には負担が強いし副作用もある。9度を超える熱がつづくようなら飲ませたほうがいいけれど、8度ほどなら、まだ飲ませないでいいのでは、とのことだった。不安気な私の心中をくんでか、「9度を超えたら出すから」と言ってくれ、結局、そのまま帰宅した。

夕飯のとき、夫と話しながら、たしかに私を含め、今の母親は子どもにすぐに薬をあたえがちかなと思った。少しでも早く楽にしてあげたい、そして自分も安心したい、というのが一番の理由だろうが、仕事を休めないといった親側の事情もあるだろう。朝、熱がある子どもに解熱剤を飲ませて、なにも言わずに子どもを保育園に預けていく親が多い話もよく聞く。親も胸を痛めながら、やむなくそうしているのだろうが…。

幸い、娘の熱は9度を超えることはなく、私も高熱にはいたらず、快復にむかっている。あのとき先生が薬を出さなかったおかげで、すぐに薬に頼るこれまでの習慣を改めるきっかけができ、感謝している。

 

子どもがことばを話し始める時

2009年2月号

子どもがことばを話し始める時

カーサクラブ英会話講師市橋理恵子

 

「ねえ、わらってのど渇いたっていうことでしょう?」

アメリカに引っ越しをして、現地の幼稚園に通い始めて6ヶ月ほど。ようやく泣かずに通園できるようになった矢先、5歳の娘が突然私に聞いてきた。

「んんん、わらを食べたらのど渇くかな…」とあいまいな返事をすると、

「違うよ、英語のワラだよ!」と娘。そこでやっと「ワラ」は”water”のことと気がついた。

「みんな、『アイワラ』って言って水飲みに行くんだよ。」

と得意げに説明してくれた。日本の保育園での「先生、のど乾いた!」の状況がアメリカでは“I want water!”だったのだろう。辞書をいくら引いても出てこない翻訳だ。

分からないことばの洪水の中から、娘はようやく少しずつ英語のことばを拾って、状況から自分なりに意味を対応させ始めたのだ。先生からも娘がしゃべり始めたと報告があったばかりだ。

そうだ、こうやって子どもはことばと出会い、いろんな場面でいろいろな組み合わせでことばを浴びるうちにことばの概念を練り上げ、理解していくのだ。そしてそれがある程度蓄積してきて初めてことばをしゃべり始めるのだということを、改めて認識した。ヘレン・ケラーが初めて学んだことばも“water”だったっけ。私はあえて、「“water”は『水』のことだよ」とは言わずに、

「そうなんだ、のどが乾いた時は“I want water”っていうんだ。」と答えた。

小さな子どもたちに英語を教えるとき、私はできるだけ自然な英語の中から子どもたちが自分なりにことばを拾い、理解していく過程を大切にするように心がけている。柔らかい脳を持つ子どもたちだからこそできる学習方法だと思うからだし、ぐちゃぐちゃとしたことばのパズルがすっきりとはまって「わかった!」という時の、子どもたちの目の輝きを見るのが何よりの楽しみだからだ。

あれから十数年、バイリンガルに育った娘は今、英語の試験の和文英訳で意訳をしすぎて減点をされては「こんな変な言い回しはしない」と憤慨している。

 

『子どもとの旅』

『子どもとの旅』

中舘 慈子

 

お子様連れで列車、飛行機での遠距離旅行をすることもあると思います。大きな荷物とじっとしていない子どもたち、ご両親はたいへんです。以下はちょっと気づいたことです。

着替えなどの荷物は宅配便を利用してできるかぎり送ってしまいましょう。飲み物、おやつを含めた最低限の荷物にします。

母乳の場合はミルクが要らなくて、荷物が少なくてすみますが、授乳の場所に困るもの。胸を隠す大きなスカーフなどあるとよいようです。ミルクの場合は小分けになった粉ミルク、哺乳瓶に使い捨てのパックをセットした「洗う手間なしの哺乳瓶」もあります。

忘れてはならないのが道中お子様の楽しめる物。幼児は長時間ただ座っていることは苦手です。かさばらない小さな絵本を何冊か持って行くことをお勧めします。仕掛け絵本、シールをはれる絵本、塗り絵なども喜びます。少し重いのですが、飛行機の旅を度々するある家族では、ポータブルDVDプレイヤーを愛用しています。これで長時間の飛行機の中でも万全!

もちろん、列車の車窓から見える景色は最高のドラマですね。赤ちゃんやお子様連れでも、楽しい家族旅行の思い出を作ってください。