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子育てエッセイ

『伯父の自叙伝』

2008年6月号

『伯父の自叙伝』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

先月、岩手に住む、八十五歳になる伯父から自叙伝が届いた。「大東亜戦争生き残りの記」(深沢正著)と記されたその本を、ひと晩で一気に読んだ。伯父は物静かで、いつも微笑んでいる優しい人で、私は会うたびに、自然豊かで人情あふれる、あたたかい環境のなかで生きていると、こんな穏やかな人柄になれるのかなと思ったものだ。

だが、伯父の外地での壮絶な戦争体験を読み進むうちに、私は自身の甚だしい勘違いに気づかされる。極限下では、助け合いの精神も崩壊せざるをえない状況を伯父は簡潔な文章で淡々とつづっていた。フィリピンの山中で、大勢の仲間が自決、餓死していくなか、野草を食べながら必死で生き延びた伯父は、精神的にあたたかいどころか病んでもおかしくない環境を生きぬいた人だったのだ。

「野山別け聚る(あつむる)兵士十余万還りて成れよ国の柱と」これは、処刑された山下奉文大将の辞世歌だ。終戦後、フィリピンの米軍基地にある捕虜収容所で生きていたときに回覧され、伯父はそれを手帳に書き記した。今は大きな書になって、伯父宅の床の間に飾ってある。

この言葉どおり、伯父は復員後、教員に復職し、地域の4つの小学校の校長を勤め、定年後も公民館長や教育委員会の立場から地域の教育に尽力してきた。伯父は優しい以上に、何倍も強い人だったのだと思う。

「つらい思いをした人ほど、他人に優しくなれる」と言った言葉を、私は心から信じてはいない。それによって屈折してしまう人だって大勢いるし、私自身そういう部分がある。それよりも恵まれた環境でつらい思いもせずに、すくすくと育つほうが自然といい人柄になり、幸福な人生を歩みやすい気がする。娘にも、生まれてくる子どもにも、できるかぎりつらい思いはさせたくない。

でも、そう思ってしまうのは、私の弱さゆえかもしれない。あの優しい伯父が背負ってきた壮絶な過去にふれ、今、少しだけそう感じている。

 

『ママ、ビデオに負ける』

2008年5月号

『ママ、ビデオに負ける』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

3月の半ばから悪阻がはじまり、もうすぐ5ヶ月めに入るというのに、いまだおさまる気配がない。体重も5キロ減った。普段の私なら狂喜乱舞の事態なのに、鏡にうつるボロボロにやつれた自分の顔を見て涙ぐむ。家事も育児もままならず、家族に申し訳ない思いでいっぱいでいる。

これまで、娘にはなるべくテレビ・ビデオを見せない方針だったが、私が少しでも横になって休めるようにと、夫がアンパンマンのビデオを買ってきて一度見せたら、娘は完全にハマってしまった。ビデオを見ながら歌い、踊り、終わると「終わったった~」と寝ている私の元にかけてきて、巻き戻しをせがむ。最近は、朝、起きるやいなや、ビデオのカセットを持ってきて、「いれて~」とせがむほどだ。私もついつい、自分が休みたい一心で、また見せてしまうという悪循環…。

しかし、これまで知らなかったが、ビデオほどママを必要なときに自由にしてくれるグッズはないことを実感している。どこの家にも子供用ビデオがいっぱいあるわけだ。見せている間は、子供もテレビの前を離れないから危険もないし、教育的要素が高いものも多い。内容を吟味して、限られた時間のみ見せるぶんには、ビデオもいいかも…などと、私のビデオ肯定度もどんどん高くなっている。

昨晩、少し体調が良かったので、娘に絵本を読んであげていたら、娘は途中で立ち上がり、テレビの前でしつこくビデオをせがみはじめた。「ママといっしょに絵本」より、「ひとりでビデオ」のほうがいいのかと、驚きを持って、しばし娘を見つめていた。はじめて、娘に傷つけられた瞬間だった。夜、夫に話したら、「今まで『ママべったり』で大変だったから、いいじゃない」と笑っていた。…それはそうだけど、でもジイジでもバアバでもなく、ビデオに負けるとは、母として少し情けないような気もする。

 

『階段からの花見』

2008年4月号

『階段からの花見』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

このひと月は、いろいろあった。まず、先月半ばに浦和から大宮に引っ越した。1年程前から中古の一戸建てを浦和周辺で探しはじめたのだが、半年たつ頃には私達の予算では相当古くて狭い物件になることを深く理解し、結局、中古マンションに落ち着いた。

新居は安かっただけあって、5階建の5階でエレベーター無し。2歳の娘の手をひき、毎回ふうふう言いながらのぼっている。後ろから、ベビーカーと買い物袋を抱えた夫が、「毎日のことだから、こりゃ最高のメタボ予防になるなぁ」と笑いながら言う。

途中、3階の踊り場で休憩しながら、中庭の満開の桜を見る。太い幹は5階のベランダまで枝を伸ばし、リビングと和室の窓からの眺めを、はかない薄桃色に染めてくれる。ベランダに椅子を出して、ビールを飲みながら桜をめでるのが、今の私達の何よりの楽しみだ。

来年の今頃は、この階段を4人でのぼっている。わたしは、赤ちゃんをだっこして。夫は、娘の手をひいて。そして、やはり3階の踊り場で休憩しながら、家族で満開の桜を見るだろう。3歳になった娘は、桜を見て、なにを話すのだろう。2か月になるお腹をさすりながら、そんなことをぼんやりと思う。

第2子懐妊に気づいたのは購入の契約をしてからだ。正直、そのときはかなりブルーになった。赤ちゃんをおんぶして、娘の手をひき、買い物袋を持って5階までの階段をのぼるなんて考えただけで疲れる。けれど最近の娘は、手すりにつかまりながら、ひとりで階段をのぼり降りするようになってきた。母親の不安を少しでも和らげようと、娘もがんばっているのかもしれない。

「毎年、桜が咲くたびに、俺はここを買ってよかったと思えるよ」。そう笑う夫に「そうだね」と答える。そして、「さぁ、もうひとがんばり」と、残りの階段をのぼりはじめる。

 

 

 

『先輩指南役』

2008年4月号

『先輩指南役』

森田公子(ベビーシッター)

 

今春、息子が大学を卒業し、保育園勤務する運びとなりました。私が子育てしながら保育士として働いていたことをどのように見ていたのか分かりませんが、楽しそうな母の姿として目に焼きついているようです。子育ても一段落、故郷の先輩、後輩と当時の苦労話を楽しむような年になってきた私です。

保育料が手集金だったこと、通園バスに乗り遅れそうになったこともありました。七夕には雁皮紙で縒って作ったこよりを使いました。夏の暑い日、午睡時に鮮やかな指さばきで教えてくれた先輩のこよりは見事なものでした。また、毎月の皆勤賞に手づくりのご褒美をあげることを先輩が提案し、私は製作物をできる限り小さくして3センチ角ほどの折り紙で風物詩を表現し、連絡帳に貼りました。今ならシールですね。おかげで欠席児童が少なくなり、こちらは悲鳴を上げたことさえありました。

あの先輩が自分を率いてくれ、それに応え、覚えることがうれしかったのは『若さ』のせいだったのでしょうか。

老婆心ながら息子も保育園に勤務する中でそんな先輩指南役の存在に気づき、素直に学んでほしいものだと願わずにいられません。

 

『全社イベントに行ってきた』

2008年3月号

『全社イベントに行ってきた』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

去る2月24日、あの突風の日に2008年度のファミリーサポート全社イベントに出席した。駅に着いたら、なんと電車が止まっている。最寄の地下鉄の駅までタクシーを飛ばし、埼玉から地下鉄を3本乗り継いで、会場である「青山こどもの城」にようやく辿り着いた。

まず、中舘社長による各部門の活動報告がはじまった。聞きながら、ファミリーサポートという会社は私が漠然と思っていたよりもずっと「スゴイ」会社なんだなぁと改めて感じた。事業の規模も、めざす質の高さも。現在、304人ものシッターを抱えていることも、ひとりで月に20件以上のシッティングに対応しているシッターがか大勢いることも、はじめて知った。いったい、どれほどの数の子ども達が、ファミサポのシッターと共に成長して行ったのだろう。日本一の子育て支援会社の一員であることが誇らしくもある。

2時から、「サービス業に従事する者として」というテーマでのパネルディスカッションがはじまる。皆、同じようなことに不安や疑問、喜びを感じているんだとわかり、うれしかった。シッターのような「基本ひとり」の仕事にこそ、こういう場が必要だと思う。

帰り道、スタバの前を通りながら、数年前、まだひとりで生きていた頃、夜間シッティングの帰りに、よくスタバで珈琲を飲んでいたことを思い出した。三十過ぎて、よその家のお風呂を洗い、子どもを入浴させながらシャワーを向けられ、ずぶぬれになって怒りまくる自分を、滑稽かつ哀しく感じることもあった。でも、あのシッティング経験、そしてたくさんの子ども達との出逢いがあったからこそ、わたしは今、自分の育児や子ども全体に対する「客観性」を多少は身につけている。すべての女性が母親になる前にシッター経験を持てたら、と切実に思う。

子どもの手が離れたら、いつかまた、シッターにカムバックしたい。ある程度の収入と、私自身の成長と、精神的な幸福を得るために。

 

『誰かのそばで本を読む幸せ』

2008年2月号

『誰かのそばで本を読む幸せ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

2歳の娘を連れて、最寄の図書館に、よく絵本を借りにいく。行くたびに、わたしは図書館という場所が本当に好きだと思う。たくさんの人々が、たいていはひとりで、静かに新聞や書籍を読んだり、探したりしている空間は、わたしにはたまらなく居心地がいい。

図書館からの帰り道、ふと懐かしく思い出す場所がある。神奈川県の横須賀市に住んでいた小学生の頃、歩いて10分くらいの距離に、自宅のひと部屋を文庫にして、毎週土曜日に近隣住民に本を無料で貸しだしている家があったのだ。子供がいない家だったけど、児童書もいっぱいあった。その家の「おばちゃん」は、私の母よりずっと年上だったから、当時50代くらいだろうか。子どもが行くと歓迎してくれるので、よく行っていた。ふだんは、借りた本を返して、新しい本を借りてすぐに帰るのだが、その日は母親が出かけていて、すぐに帰宅する気になれず、子どもならではのあつかましさで、おばちゃんに「ここで、本を読んでいてもいい?」と聞いたのだ。

「お母さん、心配しない?」と聞かれ、「ママは6時に帰ってくる」と答えたら、「あら、じゃぁ、それまでここで読んでなさい」とにっこり言ってくれた。そして、わたしはその書庫のような部屋で、座ってもくもくと本を読み、その間、おばちゃんも窓際の机でなにか読んでいた。

たぶん、2~3時間くらいのことだが、あのとき、あの部屋に流れていた優しい空気を、今もぼんやりと覚えている。読書はひとりの、ある意味孤独な趣味だけど、同じ空間の中で、それぞれが本を読むひとときのあたたかさを、わたしはあのとき知った気がする。

我が家では、寝る前のひととき、和室にしきつめた布団の上で、夫が鉄道雑誌を読み、娘が絵本をめくり、わたしは小説を読んでいる。3人とも、それぞれの世界にいるため会話は無いが、わたしがもっとも好きな時間帯でもある。

 

『母が縫う服』

2008年1月号

『母が縫う服』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

今月、娘は満2歳の誕生日を迎えた。誕生日に、田舎の母から宅急便が届いた。中を開けると、庭の畑でとれた野菜と、娘にと縫ってくれた洋服が入っている。手にとりながら、母の縫った服を着ていた小学生の頃を思い出した。そして、母を傷つけたことも。

当時、わたしは母が縫ってくれる服が、あまり好きではなかった。どれもちょっと時代遅れというか、いわば少女趣味で、ミニのキュロットやトレーナーなど、カジュアルでおしゃれな既製服を着た同級生の女の子のなかで、わたしの服装はかなり浮いていた。ただでさえ、外国から帰国した転校生だったので、服装でさらに浮くのは嫌だった。

だから、母に12歳の誕生日プレゼントになにがほしいか聞かれたときは、即座に「服」と答えた。縫うつもりで「ワンピース?」と笑顔で聞く母に、「ママが縫ったのじゃないよ。売ってるのがいいのっ」と、キツイ口調で言ったことを覚えている。

かくして、さいか屋(神奈川県のデパート)で、私はロゴ入りのトレーナーと当時はやっていた7分丈のズボンを買ってもらい、しばらくの間、それはお気に入りの服になった。母はそんなわたしを見て、少しずつ既製服を買うようになり、中学生の頃には、母の縫った服はほとんど着なくなった。母が「この生地の色、しづちゃんにすごく似合うと思って買っちゃった。なに、縫ってほしい?」と聞かれても、「いいよぉ。それよりジージャン買って」と言った。

今、孫娘の服を縫う母は70歳になる。送ってくれた服は、やはり時代遅れというか、昭和の雰囲気が漂っている。でも、いいのだ。この服を着た娘の写真とビデオを、すぐに母に送ってあげよう。春に実家に帰省するときは、この服を持っていこう。それによって、かつて、母を傷つけていた罪ほろぼしが、少しでもできる気がする。

 

北上市の「おかあさんの詩」コンクール

2007 年 12 月号

『北上市の「おかあさんの詩」コンクール』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先月末、田舎の母と、もうすぐ2歳の娘との3人で、2泊3日で岩手に行ってきた。北上市が主催する、サトウハチロー記念「おかあさんの詩」全国コンクールの表彰式に出席するためである。

当コンクールでの数回の受賞を機に、平成 14 年に詩集「最後のだっこ」を上梓した。その巻末に収録した受賞作を、当時、福島県に住む男性が読み、その詩にあわせた絵を描いて贈ってくれた。それが今、隣の部屋で、締切間近の絵を描いている夫である。このコンクールがなかったら、夫とも娘とも出会えず、今もひとりで生きていたのではなかろうか。そう思うと、毎年、この大規模なコンクールの開催に尽力されている関係者の方々への感謝の想いでいっぱいになる。

さくらホールでの盛大な表彰式には、全国各地から招待された約40人の受賞者が出席した。小学生の小さな詩人達は、みな背広やワンピースの正装で、そのかわいらしさと言ったらない。そして、付添の母親達の表情は、みな、誇らしさ、晴れがましさが満ちあふれている。我が子が母の詩で受賞するなんて、子育て中の母親にとっては、たぶん最高の喜びだろう。

リハーサルをへて、驚くほどの観客を前に本番の表彰式がはじまった。舞台上でスポットライトを浴びて、賞状と副賞を受け取る子ども達ひとりひとりの、緊張気味の横顔を見ながら、「一生の思い出になる親孝行をしたね」と、心の中でそっとつぶやく。今後、中高生くらいになると、親子の関係が悪化して、悩むこともあるかもしれない。そんなときこそ、この受賞の思い出が親子の絆や情愛を支える、核としたものになったらいい。表彰式の最中、客席から我が子の晴姿をハラハラしながら見守っている、たくさんの母親たちを見ながら、そんなことを思った。
 
帰りに母が言った一言もすごかった。「子育て中は毎日が戦争で、なんで3人も産んじゃったんだろうって泣けてきたこともあったけど、3番目が4度も母の詩で受賞するなんて、とにかく産んどくもんだわねぇ」。

赤ちゃんと仲良くなるコツ

2007 年 12月号

『赤ちゃんと仲良くなるコツ』 中舘  慈子

11月27日にNHK総合テレビ「生活ほっとモーニング」に少しだけ出演しました。

「68歳と62歳のAさんご夫婦が娘さんの社会復帰に伴い、お孫さんを預かることになった。けれども、Aさんの奥様は専業主婦として子育てを終えて今は趣味や地域活動に忙しい毎日。Aさんは元企業戦士で、わが子を抱いた経験もあまりない。赤ちゃんをどうしてだっこしたらよいか、泣かれたらどうしたらよいかわからない。そのAさんに赤ちゃんとの接し方を教えてほしい」というものでした。

現場については専門家というほどではありませんが、3人の子育て経験がありときどき孫の世話をしている現役、直営施設では子どもたちと触れ合っているし、何よりも同世代の悩みです。お引き受けすることにしました。 孫がかわいくてたまらないのに、どう接したらよいかわからないと心から悩んでいるAさん。確かに目を合わせないし、こわごわと後ろむきに抱っこしています。寝かそうとすれば頭を床にごつんとぶつけ、赤ちゃんはうわ~~んと泣き出します。
途方にくれるAさん。 そこで、3つのアドバイスをしました。

1  アイコンタクト  赤ちゃんは人の顔、特に目が大好きです。にっこりとしながら赤ちゃんと目を合わせましょう。

  ことばかけ  赤ちゃんに話しかけましょう。赤ちゃんが何を言いたいのか読み取ってみましょう。こうしてお互いにコミュニケーションをとります。赤ちゃんは大人が思う以上にことばが分かっています。   

3  スキンシップ  赤ちゃんを抱きしめてあげてください。赤ちゃんのほうもぬくもりを感じ、心が安定します。 そして、泣いたときには、おろおろしたり「どうしよう・・・困ったなあ」と思ったりすると心配な気持が伝わってしまうので、「悲しいの?」と気持を受け止めてから「だいじょうぶ」とゆったりした気持で赤ちゃんが安心するように働きかけてほしいとお伝えしました。

Aさん、本当に真剣にアドバイスを聞いてくださいました。そして、一生懸命な気持が伝わったのか、お孫さんも上機嫌でだっこされ、Aさんと大の仲良しになったようです。

お古はあったかい!

2007 年 11月号

『お古はあったかい!』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今朝、友人から宅急便が届いた。娘より9カ月ほど年上のお嬢さんの、もう小さくなった洋服を、まとめて十着ほど送ってくれたのだ。お古とは言え、どれもこれもきれいで、さっそくお礼状に図書カードを添えて出したら、「みんな思い出のある服だから、捨てるのはもちろん、リサイクルショップに二束三文で売る気にもなれない。着てもらえるのがなによりうれしい」という返事がきて、心がぽっとあったかくなった。

哀しいことだが、現実にはお古やリサイクル品をまったく受けつけないママもいる。理由は「気持ち悪い」「貧乏くさい」などさまざまだ。だから、差し上げたくても「迷惑かな」「気を悪くしないかな」と躊躇してしまうのは私だけではないだろう。でも、あえて言わせて頂くと、リサイクル文化は決して貧しさから来たものではない。「いいものを大切に長く使う」をコンセプトにした、知的かつエコロジーな文化であり、「新品だけど、長持ちしない安物を使い捨てる」文化よりも、遥かにモダンで崇高なのである。

田舎の母いわく、昔は年に数回しか着ないよそゆきの子ども服が、必ず近所の年下の子にゆずられ、その家がまたほかの子にゆずったりしたから、知らない子どもが我が子の思い出の服を着ていることもよくあったという。そういえば、私が5年生のときに作文の表彰式で来た服は、お手製のベルベットの紺のワンピースだった。近所の洋裁が上手なおばさんが、娘に縫ったものを譲ってくれたのだが、おでぶちゃんな私が着てみたら、ウエストまわりが少しきつかった。そうしたら、その場でウエストのダーツをほどき、ちょうどいい具合にダーツをしつけして持って帰り、わざわざ縫い直してくれた。

ビジネスライクなリサイクルショップもいいけど、やはりこうした、人と人との直接のやりとりはあったかい。「3丁目の夕陽」じゃないけど、いい時代だったんだなと思う。 夜、さっそく娘の「お古ファッションショー」をした。親バカだが、あまりのかわいさに写真もいっぱい撮った。明日、お古を贈ってくれた友人にメールで送ってあげよう。