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子育てエッセイ

親になること

2007 年 11月号
『親になること』 中舘  慈子

天文学的な確率で生命は誕生します。こうして子どもが胎内に宿り成長する過程を実感しながら、人はだんだん親であるという意識を持ち始めます。もともと親だった人はありません。初めて親になったとき、人は今までとは違う自分を見出すことでしょう。わが子はかつての自分の投影であったりします。母親に抱かれて満足そうに乳を飲む姿は、赤ちゃんだったころの幸せな自分かもしれません。

子どもを持つことで、子ども時代が思い返され、親の思いに気づいたりします。 親になったことで「育てる営み」が始まります。しかし前述のような親子の一体感はいつまでも続くわけではありません。2歳ぐらいになると子どもには自我が芽生え、親とは違う意思を持つ一個の主体であることを自覚します。

子どもは親の願いや夢を実現するためにあるのではありません。親が子どものために良いだろうと思うことを押し付けているだけでは子どもは主体として育つことができません。また、完璧な子育てを目指すあまり、完璧でないことで育児不安に陥るケースもあります。果たして完璧な子育てというのがあるのか、完璧な親というものがあるのか?  実は親が自分の物差しで完璧であることを目指すこと自体が、子どもの主体性を押しつぶしているような気がします。

親と子どもは共に生きていく存在です。しかし、親は子どもの人生をいつまでも見届けることはできません。子どもの気持ちを受け入れ、理解していることを示し、しかし自分や他者を傷つけたり社会規範から外れたりすることをいさめながら、子どもの主体性を育む柔軟な営みが親になることだと思います。 様々なかたちの親子、家族がこれからの日本には生まれてくることでしょう。どのような形の親子、家族であれ、親になることとは、子どもを一個の主体として受け止め、子ども自身の人生を主体的に生き抜いていく環境や力を与える営みだと思います。
          
(株式会社  ファミリー・サポート代表取締役  目白大学・上智社会福祉専門学校  講師)

自己肯定感を育む

2007 年 10月号

『自己肯定感を育む』 中舘  慈子

汐見稔幸先生の「親子ストレス」少子社会の「育ちと育て」を考える(平凡社新書)を読みました。その中に、次のような内容がありました。   
 
ある民間の教育研究所の調査で東京、中国のハルビン、アメリカ西海岸のサクラメント、スウェーデンのストックホルムの11歳の子ども3400人にアンケートをした。その結果、「あなたは勉強ができる子ですか?」「あなたは人気のある子ですか?」「あなたは正直な子ですか?」「あなたは親切な子ですか?」「あなたはよく働く子ですか?」「あなたはスポーツのうまい子ですか?」「あなたは勇気のある子ですか?」  というすべての項目で日本は最低の%を示した。 これは、自己評価、自尊心が極端に低いということ、予想以上に日本の子どもが自分に自信を持っていないことにつながる。

また、将来の見通しについて、次の項目で「きっとそうなれる」と答えた%も最低であった。「幸せな家庭を作る」「よい父(母)になる」「仕事で成功する」「みんなから好かれる人になる」「有名人になる」 現在にも将来に対しても悲観的であり、夢がないといえる。

これらの結果から、日本の子どもの自己評価の低さは、ある何かができないから私はだめだというような、対象が限定された感情ではもはやないと考えられる。もっと一般的に、日常的に、かつ何に対してもつい自己を卑下してしまうような心の構えができてしまっていると考えたほうが合理的であろう。 自己評価が低い  ということは、「ありのままの自分を受け入れられない」ことに結びつく。ありのままの、弱点も持ち味もいっぱい持っている、隠すことのない自分をそのままでいい、と感じる感情を自己肯定感というが、それが極めて低いと考えられるのである。

・・・・
要するに、ありのままの自分をそれでいいとあまり感じていない、というような心の状態である。
 
保護者は「こうあってほしい」という要求を子どもに抱きます。子どもは親や周囲の期待を敏感に感じて、それにそいたいと思います。「現代の日本の育児が、子どもの自然な感情や意欲の発現を上手にうながすのでなく、親の期待する行動の枠組みを先に示して、そこに子どもの行動を押し込んでいこうとする発想が強すぎる」と汐見先生は述べています。

自己肯定感の高い子どもを育むために、保護者はどんなことができるでしょうか。目の前にいるお子様を見つめ、それ以上を求めたり足りない部分を見つけたりするのではなく、ありのままに肯定的に受け入れることも、自己肯定感の高いお子様を育むことにつながるような気がします。自己肯定感の高いお子様こそ、将来伸びていく大きな能力を備えることができるのではないでしょうか。

はじめての大病をへて

2007 年 10月号

『はじめての大病をへて』        

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

1歳9ヶ月になる娘の「病気知らず」の記録は、先週、とうとうピリオドを打った。前日からの微熱が、翌朝には7度5分にあがり、はじめて病気で病院に連れて行った。のどが腫れていて、風邪と診断される。「多分、これから熱はあがるけど、けいれんや激しい嘔吐がなければ大丈夫です。熱冷ましは6時間の間隔を空けて、1日2回まで。食欲がなくても無理じいせずに、とにかくまめに水分補給するように」という先生の予想通り、それから娘は3日間、ほとんどなにも食べずに、9度前後の熱を出しつづけた。

幼子が9度の熱で苦しむ姿は、心臓が痛くなるほどつらい。おでこはもちろん、手足もびっくりするほど熱くなり、授乳のさいには、娘の口の中の熱さに、私が「あっち!」と言ってしまうほどである。つい、熱冷ましを与えたくなるが、医師の指示は守らねばならない。少しでも娘が楽になればと、アイスノンをあてて、夜通しだっこしつづける。

熱が下がり始めた4日めからは、なんと全身に赤い発疹が出はじめた。ピークのときは「ギャ~!!」と叫びたくなるほどだったが、「たぶん、2~3日でひく」という医師の言葉を信じて、処方されたぬり薬をぬりつづける。幸い、医師の予想どおり3日で消えて、昨日、8日めにして娘はようやく完治した。朝、久しぶりの笑顔で、娘が私を揺り起こしたときのうれしさといったら...。カーテンから差し込む朝日をバックに、発疹がひいた娘は天使のようにいとおしかった。
 
大変な一週間だったが、おかげで私も少し成長した気がする。あの、真っ赤な顔をして泣く娘の熱い体を抱いて、必死で神様に祈った心境を思い出せば、今、襖の落書きを発見しても、仕事カバンを荒らされても、以前のように激しく怒る気にはならない。「元気でいてくれるだけで、まぁ、いいか」と思える。日頃、娘を叱る私の声に辟易している夫は、「子どもも、たまには病気するもんだねぇ」といたくご満悦である。
 

ずっと赤ちゃんのままでいて?

『ずっと赤ちゃんのままでいて?』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

夫が毎年、個展を開催する福島県の郡山市に泊りがけで行ってきた。昨年の夏は、まだ6ヶ月だった娘を連れていったのだが、そのときの娘を知っている方々と再会するたびに、「まぁまぁ、すっかりお姉ちゃんになって!」と感嘆の声を浴びる。

親は、その成長を実感できないものだが、1年前に娘と撮った写真を持ってきてくださった方もいて、その写真の中の娘と比べると、娘は「赤ちゃん」から「幼児」へと劇的に成長したことを実感する。「赤ちゃんの時期ってあっという間に終わっちゃうのよねぇ」といった言葉をかけられるたびに、うれしいような淋しいような、なんとも複雑な心境になった。

母として、もちろん我が子の成長はうれしいが、いっぽうで、いつまでも赤ちゃんでいてほしい気持ちもあるのだ。私は自他ともに認める「赤ちゃんフェチ」で、我が子に限らず、すべての赤ちゃんがかわいくてしょうがない。輪ゴムをはめているようなムチムチあんよといい、もみじまんじゅうのようなお手てといい、とにかくもう、たまりませんワ。

けれど、多くの赤ちゃんは1歳を過ぎる頃から、身長も手足も伸びて、運動量も増えるため、ある程度スリムになっていく。スーパーなどで、「かわいいわねぇ」と見知らぬ人々から声をかけられる頻度が減っていくのは、やはり淋しいものである。

でも、ずっと赤ちゃんのままだったら、今のように、わたしにむかって満面の笑顔で走って抱きついてくることもないし、音楽にあわせて、ノリノリで踊る姿を見ることもない。たとえ、ぬいぐるみのようなかわいさは薄まっても、それを上回る喜びが、子どもの成長にはあるのだと、自分に言い聞かせている今日この頃である。

小さな夏休み

2007 年 9月号

『小さな夏休み』 中舘  慈子

今年の夏は南国のような厳しい厳しい暑さでした。そんな夏の一日、孫を「青山 こどもの城」に連れて行きました。月に何回かは仕事の関係で訪れるのですが、遊びに行くのは初めて。ほんの少しワクワクした気分でした。

パンフレットをながめていた孫は、さっそく
「ボールプールに入りたい!」
屋上まで行くと、係りの方にこう言われました。
「暑いので、ボールプールは閉鎖しているんですよ。」
「じゃあ  プールに入る!」
小さなプールにしか入れませんでしたが、水の中は快適な様子。いつまでもいつまでも遊んでいます。つきそいの身にとっては相当暑いのですが。  

灼熱の都心のビルの屋上の  子どもプールに風過ぎていく
 
音楽広場では一日中楽しいイベントが次々に行われていました。生演奏は、子どもたちの心に響くのでしょう。思い思いの楽器を手にした子どもたちの肩が、足が、リズミカルに揺れます。
 
○パーカッション 3 歳の肩弾んでる  奏でる曲は「聖者の行進」

「トルコ行進曲」になると座り込み、ドラムをたたく手の動きが緩やかになってきました。かなり疲れたようです・・・・。 アート、だまし絵、紙コップを使っての製作・・・  まだまだ楽しみは続きます。 小さな夏休み。3歳児とのふれあいに癒されました。

レッツ、震災対策!

2007 年 8月号

『レッツ、震災対策!』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

就学前の小さな子どもを持つ母親を対象にした地震対策本の執筆が、先週、ようやく終わった。あちこちに取材して半年がかりであったが、書きながら、これまでの我が家の震災対策がどれほどゆるかったか、そして大震災発生後のひと月を乗り切るための知識と情報を、いかに持ち合わせていなかったかを、切実に痛感した。

この本の製作にあたって、就学前の子どもがいるママ百人にアンケートをとったのだが、実は6割近いママが、たいした震災対策をしていないことがわかった。「起きたら起きたで、そのときは、しょうがない」「すぐそばに避難所もあるし、なんとかなるだろう」と、半ばひらきなおっているのだ。私自身、それほど本格的にやっていなかったのでエラそうなことは言えないが、そのひらきなおりが命とりであること、そして、たとえ無事でも、各家庭での最低限の用意・備蓄がないと、非常に苦しむことを知ってほしい。食料も水も、配給が始まるまでには相当の時間がかかるし、配られる量だって少ないのだ。

せめて、最低限の「安全な家づくり」だけは、やってもらいたいので、ここで簡潔に紹介する。まず、ホームセンターなどで、①家具固定グッズ、②扉開き防止ストッパー、③ガラス飛散防止シートを購入し、要所にとりつける。家具固定グッズは、L字型金具・前倒れストッパー・天井つっぱり型・床密着ラバーなど、さまざまな種類があるので、適切なものを選ぶ。。

そして、グラッ!と来たときに、家族がとっさにもぐりこむシェルターとして、頑丈なつくりのダイニングテーブルをひとつ、食堂に置いてほしい。テーブル板の裏中央にとりつけて補強する、いわば5本目の脚「シェルターポール」をとりつけるのもおすすめである。子どもに「グラッときたら、すぐにテーブルの下にもぐって、この『つかまりん棒』にしっかり捕まるのよ」と日頃から教えておくのだ。夜の地震で停電というケースを考えて、懐中電灯をテーブルの脚などに結びつけておくといい。

これだけで、生き残れる確立は各段に上がり、ケガの確立は各段に下がる。それだけではない。地震が起きる起きないにかかわらず、日頃からの震災対策は、日常のなかで子どもに、親がどれだけ子どものことを考えているか、想っているかを実感させることができる、愛情表現を兼ねた取組なのだ。さぁ、レッツ震災対策!

約束

2007 年 8月号
『約束』 中舘  慈子

もうすぐ3歳の誕生日を迎える孫のプレゼントを何にしようかと悩んでいた。子どもには「ほしいな」「こうだったらいいな」という夢をもってほしい。「すぐに手に入らないけれどほしいものがある」という思いが子どもを成長させると思う。ともかくまだ2歳の孫に聞いてみることにした。

「もうすぐ3歳のお誕生日よね。プレゼントは何がほしい?」
孫は、じっと考えていた。そしてはっきりした口調で言った。
「ひこーきかへりこぷたーがほしいな。おっきいのぉ~~」
「わかった。“お約束”する!!」

仕事をしていると買い物の時間は限られている。誕生日まで2週間足らずのある日、やっとデパートに行くことができて、ミニカーの入る飛行機のおもちゃを見つけて孫の誕生日に届くように配達を依頼した。 プレゼントをあけた孫は、 「わ~い。おっきいひこーきだあ~。おばあちゃんと“おやくそく”したんだぁ~」と、大喜びして叫び、その夜は飛行機のおもちゃをしっかりと抱いて寝たという。

その後、遊びにきたとき、しばらく使わなかった粘土が固くなってしまっていた。「固くなってしまったわねえ。今度来るまでに買っておくからね。」しかし、忙しい毎日、粘土を買うことをすっかり忘れていた。 次に遊びに来たとき孫が真っ先にとんでいったのは粘土のコーナーだった。「ごめんね。まだ買ってなかった。」
「“約束”はちゃんと守らなくちゃだめでしょ!!」

ママにちょっぴりしかられた。
今日孫が来る。この2・3日粘土を買う時間がなかった。大人は子どもへの“約束”を守らなければならない。孫の来る前に粘土を買いに出かけなくては・・・・。

個室が子どもをダメにする?

2007 年 7月号

『個室が子どもをダメにする?』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今月も埼玉郊外の中古の一戸建て物件をいくつか見にいった。東北本線、埼京線、京浜東北線などのJR沿線は高いので、大宮を通る私鉄の野田線沿線ねらいで行ったのだが、やはり私達の、恥ずかしくてここには書けない予算内では、なかなかいい物件は見つからない。

今、住んでいるのは3LDKである。夫のアトリエ兼、額装済みの絵画の倉庫でひと部屋、私の仕事部屋兼、書庫でひと部屋、家族の寝室でひと部屋使っている。リビングは、デザイナーや印刷所などとの仕事の打ち合わせ場所を兼ねているので、正直、これより狭いところはつらい。その上、娘だってそのうち個室をほしがるだろう。

実家の母に電話でこぼしたら、「なに贅沢なこと言ってるのっ。昔はね、6畳2間で家族が暮らしてたのよっ」と激怒された。「それは、自宅が仕事場を兼ねてないからでしょ」という私の言葉には耳をかさず、母はつづけてまくしたてる。「だいたいね、個室文化がすすんだから、日本はダメになったのよ。子どもが加害者の犯罪が増えたのも個室育ちのせいね。あなたもね、教育関係のライターなら、「個室が子どもをダメにする!」って記事書きなさいっ」。

...母にも一理あるとは思う。子どもに個室をあたえることのデメリットを、これまでのシッター体験からも少なからず感じている。①まず、親子の会話や、居間で家族と共に過ごす時間が激減する。②親は知らない、子どもの秘密が増える。(中には、子どもの机の引出しや鞄などをこっそりチェックする親もいるが、私はそれはしたくない)。③子どもが今、なにをしているのか、なにを考えているのか、わかりにくくなり、親の目が行き届かない。④子どもが「自分の世界」を持ちすぎて、社交性や協調性がなくなる、などなど、マイナス面をあげたら、きりがない。

でも、それでも私は、子どもに個室をあたえてあげたい。なぜなら、私の本好きも、工作や手芸など、ものづくりの作業に熱中する集中力も、ひとりでいても退屈せず、けっこう楽しく過ごせる性格も、やはり個室がある環境で育ったからこそだと思うからだ。自分ひとりの時間と空間を愛せるということは、広い意味で「孤独にたいする強さ」にも、つながっていると思う。それは、長い人生を生きていくなかで、なにより貴重な、ありがたい能力ではないだろうか。

4000 時間効果

2007 年 7月号

『4000 時間効果』    中舘  慈子

あるシッターさんがこんなことを言っていました。

「この仕事をしていてうれしいことは、お子様の育ちをずっと見ることができることです。初めてうかがったときにはおむつを当てていた赤ちゃんが、保育所に行き、もう小学 4 年生。ときどき私の悩みを聞いて、慰めてくれることだってあるんですよ。」

クラブ  デル  バンビーノのご利用者は永く続けて利用されることが多く、いつの間にかお子様が中学生、さらに高校生になったという例さえあります。 1 名のシッターさんが月曜日から金曜日まで、週 5 日  1 日 2 時間  9 年間  うかがった例があります。さて全部で何時間になるでしょう?  と計算機をたたいてみると、なんと 4320 時間になりました。4000 時間効果にはどんなものがあるでしょうか。1 対 1 でやさしいシッターさんにしっかりと気持を受け止めてもらうだけでも、子どもの育ちにとってかけがえのない時間です。実の親でも、1 日2時間子どもと本当に向かい合うことは難しいものですから。

お子様とシッターが向き合う時間、これがプラスのものになるように、シッターにはいつもプラス思考をするようにすすめています。たとえば、4000 時間「心配だ」「あまり良くない」「失敗するかもしれない」「だめだ」「できないのね」「つらいことばかりでかわいそう」「無駄だった」などということばを繰り返していては、お子様の人格形成に悪影響を与えてしまいます。「良かったね」「大丈夫」「失敗しても今度は必ずできる」「すばらしいね」「がんばっているね」「楽しいね」というプラスのことばかけを繰り返すことがまさにプラスの 4000 時間効果をもたらすと思うのです。

そして、自分に対してプラスのことばかけをするようにシッターさんにすすめています。実は、私自身にも・・・・。

家がほしい!

2007 年 6月号

『家がほしい!』 浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

今、私達が住んでいるのは賃貸住宅である。ふりかえれば、大学生の頃から約17年に渡って、家賃を払いつづけてきているわけで、これまでに払いつづけた家賃を、ざっと計算すると信じられないほどの額になった。な、な、なんと、1300 万円である...。 これに、家賃以外の礼金や敷金(ほどんど戻らなかった)、更新料、不動産屋への手数料などをプラスしたら、と思うと、ぞっとして計算する気が失せた。「これだけ払ってきて、なにひとつ自分のものになってないんだから、家賃ほど無駄なものってないよねぇ...」。夫と二人、深いため息をついてしまった。

そして、とうとう私達も不動産の購入を考えるようになった。予算は恥ずかしいのでここには書けないが、もちろん中古ねらいである。最寄駅から徒歩30分以内、都心まで在来線で片道1時間半以内と、かなり条件はゆるいのだが、なかなか予算内で希望条件を満たすものに出会えない。やはり、群馬か栃木までくだるしかないのだろうか。だが、あまりくだると、早朝に東京駅や羽田空港を発つ地方取材にさしつかえてしまう。

先週、遊びに来た田舎の母に、この話をしたら、34年前に神奈川県の横須賀に家を買ったときのことを話してくれた。「小さな建売住宅だったけど、ちゃんと庭もあって、縁側もあってねぇ。それまではずっと社宅住まいだったから、二階のベランダで布団を干しながら、庭で子供達が遊ぶ様子に見とれてしまうこともあったわ」。

そうなのだ。わたしもやはり、家事をしながら、娘を太陽の下で遊ばせられる「土のある庭」がほしいのだ。そのためには、やはり予算をあげて、夫婦でもっと仕事を増やさなくては!
 
...でも、私はこれまで、家のローン返済のために夫婦共働きでがんばる家庭をたくさん見てきた。どこの親も、子ども達のために家を買っているのに、当の子どもたちは親と家で過ごす時間が少なすぎることが淋しそうだった。わたしも自宅仕事とは言え、パソコンに向かっている間は娘の相手をしてやれず、かわいそうな思いをさせている。夫と話しあったところ、当分はこれ以上仕事は増やさずに、上手に節約する方向で、貯蓄を増やすことにした。もうすぐスーパーのタイムセールの時間である。行かなければ!