ホーム>子育てエッセイ

子育てエッセイ

はしか

2007 年6月号

『はしか』 中舘  慈子

「大学ではしかが大流行して、大学が閉鎖になった」ときいてびっくりした。上智大学に続いて早稲田大学も閉鎖だと言う。こんなことは前代未聞なのではないだろうか?
 
昔、はしかは怖い病気だった。はしかで亡くなる子どももいたから、私がはしかにかかったときも親は本当に心配しながら看病してくれた。今でも感染者の1000人に1人が脳炎を併発し、うち15%が死亡するという。 私が子育てをしていたころははしかのワクチンがあった。子どもたちには早速接種したから、はしかの看病をした経験はない。

それが今、なぜ大学生のはしかの大流行なのだろう?  おそらく今の大学生は、はしかの予防接種を受けていないからだと思われる。もちろん子どもの時にはしかにかかったことがないのだと思う。 大人になってからのはしかは、子どものころより重症になるといわれている。私も子どもたちが次々にかかった風疹が 35 歳にしてうつったとき、娘たちよりもはるかに重症だった。高い熱が出て体中がバンバンに腫れて動けなくなり、小学生の娘に病院まで薬を取りに行ってもらった。

同じように子どものときに体験していれば軽いことが、大人になってから体験すると重いことが色々あると思う。施設では子どもがけんかをするとすぐにとめる。けがをしてはいけないからだ。そして子どもはけんかの体験を知らずに育つ。叱られた経験、失敗した経験などもそうだ。子どものときに経験しておいたほうがよいことは何なのだろうか?  大学生のはしか大流行のニュースから、そんなことを考えた。

認知症の高齢者と子ども

2007 年 6月号

『認知症の高齢者と子ども』     

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先週、夫と1歳4ヶ月の娘と、一泊旅行したときのことだ。私達は、とある民宿に泊まったのだが、食堂で夕飯を食べているときに、この民宿の家族であろう、おばあちゃんがやってきて、いろいろと話しはじめた。はじめは、私達も笑顔でうんうんとうなづきながら聞いていたが、十分もするうちに「どうやら、このおばあちゃんは認知症だ」と感じ始めた。

しばらくすると、民宿のおかみさんがやってきて、「あらぁ、すみませんねぇ。うちのおばあちゃん、ボケちゃってから、赤ちゃん連れのお客さんが来ると、いてもたってもいられなくなって、いつのまにかお客さんのところ、いっちゃうんですよ」と言う。

「おばあちゃん、子ども好きなんですね」。私がそう言うと、おかみさんが淡々と言った。「20年間、保母をやってましたから、ボケても、そのときの感情が今も残ってるんですかねぇ」。

結局、「私達も助かりますから」とおかみさんに言って、食事中、そのおばあちゃんに娘の相手をしてもらうことになった。娘をだっこしてほおずりしたり、ボールをころがしっこしたり、手をつないで歩いたりするおばあちゃんの目は、とてもいきいきとしてうれしそうだ。娘も、きゃっきゃと声をあげて笑っている。子どもをあやす技は、さすが元プロと思わせる。

これまで、福祉雑誌の取材で、グループホームやデイサービスなど、認知症の高齢者を対象とする施設をたくさん訪れてきたが、そのたびに「どんなに年をとっても、なにかしら役割を持つことが、生きるはりあいになる」事実を実感してきた。一度、「軽度の認知症の高齢者施設内に、保育士付きの託児所を設け、有志の高齢者に幼児と遊んでもらったら、保育士も助かるし、子どもも楽しいし、高齢者もはりあいが持てるから、一石3鳥では」という考えを口にしたが、「危険すぎる」という理由であっさり却下されたことがある。だが、今回の旅行での、あのおばあちゃんと娘の幸福そうな笑顔、あの仲良しぶりを思い出すたびに、私はまだ、この考えをあきらめきれずにいる。この高齢化時代に、認知症の高齢者が地域の子育て支援に有効にかかわれる方法が、なにかないものだろうか。

在宅ワークママの決心

2007 年5月号

『在宅ワークママの決心』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

1歳3か月の娘がとうとう歩き始めた。ぽてぽてと二足歩行する娘は太っちょペンギンそのものである。生まれたときは、顔にかかったタオルを払うこともできずに泣き叫んでいたのに、子どもって確実に成長していくんだなぁ...としみじみしたのは、歩き始めた最初の数時間だけであった。自由になった両手で、あらゆるものをつかんでは投げ、また、別の場所に移動し、つかんでは投げ、の繰り返しである。数日前から、台所や戸棚の扉を開けられるようになってしまい、事態はより深刻になってきた。

夫も私も、それぞれの仕事部屋は、大切な書類や資料、画材などが山積みなので、これまで娘はいれないようにしてきた。だが、最近はさすがに目が離せないので、私の仕事部屋に娘をいれて仕事することになった。恐れていたとおり、30分で大地震の後のような状態になる。

先日、いつものごとく「なに、やってるのっ!」という私の怒声と、手にしたボイスレコーダーをとりあげられて、「ギャア~!!」と泣き叫ぶ娘の声に、とうとう夫が私の仕事部屋にやってきて「うるさすぎて、絵が描けない...」とため息まじりに言った。

「さっちゃんに言って」と口をとがらせると、「さっちゃんより、君の声のほうがうるさい...」と夫。その言葉に私が深くキズつき、それ以上にムッとしたのは言うまでもない。「だったら、パパが見てよっ」という言葉をなんとか飲みこんだのは、もし娘が夫の部屋で水さしをひっくりかえして絵を汚しでもしたら、大損害になるからだ。私達のシリアスな雰囲気を敏感に察してか、娘が「ひっく、ひっく」と泣き始める。結局、私がため息と共に仕事を中断し、夜、娘が寝てから、深夜3時まで仕事した。

在宅ワークは、ともするとダラダラと慢性的に「仕事モード」になってしまう。子どもにしてみたら、親はそばにいるのに、いつも相手をしてもらえないわけで、ストレスや不満が募るとも言える。でも、まだ保育園へ預ける気にはなれない。いろいろ考えた結果、ダラダラ仕事モードを防ぐために「夜、娘が寝た後の4時間と、お昼寝中の2時間を「お仕事タイム」として集中し、それ以外は極力パソコンに向かわない」と紙に書いて壁に貼った。まずは、娘を夜9時には寝かしつけることから、はじめることにしよう。

子どもを預けること

2007 年5月号

『子どもを預けること』 中舘  慈子

もうすぐ 3 歳になる孫がやってきた。大人たちを前に、ご機嫌なAくんは、大きな声で言った。
「乳児集会をしま~~す。」
「ええつ!?  乳児?」
「そう。0・1・2 歳児さんは乳児なの。」と、ママの声。
4 月に 2 歳だったAくんは、あと 1 年間は乳児さんということらしい。
エプロンシアターが始まった。
「先生のほうを見てくださ~~い。」
エプロン代わりのポケットから、トーマスやらゴードンを切り抜いたものを後ろ向きにしたもの(真っ黒な影絵のようになっている)・・・・が、次々と出てきて、それが何であるかを当てていくのである。ああ・・・!  私には全然わからない。Aくんは、あきらめたのか、 「これはマードック  これはスペンサー  これは・・・だよ~。」と説明してくれた。

Aくんは0歳のときから保育園に通っている。母乳で育てられた甘えん坊さんは、最初の 1 ヶ月くらいは誰よりも大きな声で一日中泣いていたようだ。そんなときに先生が電車の見えるところまで連れて行くと、ふっと泣き止んだそうだ。最初のことばが「デンチャ」であり、今でも電車が大好きである。 うずらぐみさんからあひるぐみさんに進級して、
「今は  何組さん?」
「えっとね~~。ぺんぎんぐみさんだよ~~。」
お友達もいっぱい。名前も次々に出てくる。休日には家族ぐるみでお食事に、テーマパークにお出かけをしているようだ。

パパとママが、「ちょっとお仕事に行ってくるね。」と出かけた。 「パパとママは、会社に行ってお仕事をするんだよ。お仕事に行くと、ちょっとさみしいなあ。でも、Aくんは、パパとママ  いちばん  だ~~~いすき!」 おばあちゃんは、パパやママにとうていかなわない。 子どもを預けることにはいろいろな考えがあると思う。 私の母は、「子どもはお母さんが家庭で育てるのがいちばん。0 歳から集団に預けるのはかわいそう。」と考えている。

専業母親で、サポートしてくれる人のいない地方で 3 人の年子の子育てをした私は、 「0 歳から保育所やベビーシッターに預けながら、両親が仕事を続けていくことに賛成!  ほどよく仕事をしながら人に預けることも必要。」という考え方である。 親子の絆はいつも一緒にいることだけではないと思う。十分に配慮することで 0歳から保育所やベビーシッターに預けたとしても、親子のアタッチメントの形成は十分にできると思う。 それぞれの家庭が、さまざまな考え方や要因によって、子育ての方法を考えていると思う。どんな方法であっても、子どもが「両親に愛されている」「人に愛されている」ことを実感し、「両親を信頼する」「人を信頼する」ことに結びつくことが、人格の形成に最も大切なことなのではないかと思う。

小学1年生

2007 年4月号

『小学1年生』 中舘  慈子

今から、半世紀以上昔のこと、今の保護者の皆様のお父さん、お母さんの小学校時代の話です。私は、疎開先の三重県で育ったので、幼児教育を受けることもなく、小学校に入りました。一人っ子だった私には、初めての小学校での体験の印象は強く、こんな出来事を覚えています。

一年A組の担任は谷内先生でした。セピア色になった昔の写真を見ると、若くて目の大きいキリッと美しい先生でしたがごつごつ硬い感じがしました。隣のB組の後藤先生はふわふわとやわらかい感じがして、なんだか優しそうでした。  

ある日「よくできました」「もうすこしがんばりましょう」と桜の花の中に書いてあるはんこが先生の机の上に出しっぱなしになっていたので、休み時間にみんなで手に押して遊んでいました。授業が始まりあわてて席に着くと、先生はいきなり怖い顔をして「はんこをいたずらしていた人は前に出なさい」と言いました。正直に前に出た子もいたし、出ない子もいました。私は手を挙げて前に出ました。  「はんこを押した手を上げなさい」と言われ、ほかの子たちは片手を上げたのに、私ひとり両手を上げました。右にも左にもはんこを押して遊んでいたのです。

先生は一人一人の頭を黒板にぶつけて怒りました。いやな気がしがしました。正直に前に出た子だけが辱められていたからです。しかもそれだけで済まず、あやまりかたが悪いと先生は鬼のような顔になって三人を廊下に追い出しました。京都から来ていたはつこちゃん、せつこちゃん。そして東京から来ていた私でした。  「そうや  なきまねしよ」   せつこちゃんが言いました。廊下にうつぶして泣きまねしているうちに、悔しくて悔しくて涙が出てきて、廊下に黒い染みをつけました。  

「立たされとんのやな」 「この子  ほんまに泣いてはるわ」   上級生が顔を覗いて通り過ぎていきました。  

「そうや  後藤せんせのとこ、いこ」?
「A組やから  ええくみや」と言っていた私たちですが、後藤先生のB組ならどんなによかったかと内心思っていました。私たち三人は後藤先生の教室にすたすた入っていきました。 不条理というものを初めて知った1年生の思い出です。

生殖ビジネスのゆくすえ

2007 年 4月号

『生殖ビジネスのゆくすえ』

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

先日、タレントのMさんが米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児について、最高裁がMさん夫妻の実子と認めない判決を出した。けれども、「立法による速やかな対応が強く望まれる」と、認める法律の整備を促しているところが興味深い。

代理出産の是非については、ケースごとに理由も異なるので、なんとも言えない。子宮を摘出した女性にとっては、遺伝子をひきつぐ子どもを持つにはこれしか手段がないわけだから、禁止するのも酷である。けれども、米国では「体型をくずしたくないから」、「仕事を中断したくないから」「高齢出産なので、障害児が産まれたら困るから」といった理由で代理出産を依頼する女性のケースもあるというから驚きである。もっとも恐れるのは、米国を中心とする、民間業者が介入しての「生殖ビジネス」が、坂道を転がる勢いで世界に普及していることだ。

多くの人々が米国を嫌う理由のひとつに、生命誕生の神秘や倫理を無視して、どこまでも合理性を追求するお国柄があると思う。その最たるものが精子バンクではないだろうか。実際に見たことがある人の話によると、精子カタログには提供者である男性の最終学歴や、体格、瞳の色、なかには顔写真まで掲載されているそうだ。もちろん、精子を提供した男性はビジネスとして報酬を得ている。シングルマザーが珍しくない米国において、子どもは「夫婦の愛の結晶」ではなく、女性がひとりで「選んで買えるもの」といっても過言ではない。

いっぽうで、代理出産は、女性が「子宮で胎児を育てる機能」を使って多額の報酬を得るというビジネスになっている。経済的に苦しい状況の女性が、お金のために何度も代理出産を引きうける事態にだってなりかねない。もっとも懸念するのは、もし、代理出産で産まれた子どもに障害があった場合、依頼者は「立派に育てよう」という確固たる意志が持てるのだろうか。

最近は韓国や東南アジアなどでも、民間業者が米国よりも遥かに低価格での代理出産をあっせんしているという。このまま、民間業者による生殖ビジネスがエスカレートしつづけたら、10年後には、女性は子どもが欲しいと思ったら、精子カタログで好みの男性の精子を購入し、仕事のブランクをつくりたくないので、自分の卵子を提供してお金さえ払えばOKの民間業者による代理出産で別の女性に産んでもらうということが珍しくなくなっているかもしれない。

人間は簡単に手に入るものほど、その価値を見失うものである。せめて、不妊に悩む夫婦のみを対象にした、政府が管理する「非営利」の生殖補助医療機関ができることを願う。

水辺の光景

2007 年 3 月号

『水辺の光景』   中舘  慈子

蓮の枯れた茎の折れ曲がった直線が、池の面に無数に突き刺さっている。その下をさまざまな種類のかもが、あるものは水面下にもぐり、あるものは仲間同士ふざけあい、春の初めの温かくなってきた水の感触を楽しんでいる。一羽のキンクロハジロが、つと潜ると、長い長い潜水を始めた。潜っている水面には小さな波紋が広がり、隠れているつもりなのかもしれないが、居場所はすぐにわかる。

数分とは経っていなかっただろうが、かなり長い時間の潜水のあと、キンクロハジロは頭をぶるぶるっとふるわせて、果敢に水面に上半身を現した。「うまい  うまい」と手をたたくとこちらを一瞥して、また長い潜水を始めた。なんとなく、人間の視線を意識しているようだ。暫くして水面に顔を出すと、きょろきょろとあたりを見回している様子が、なんとも愛らしかった。

さまざまな鴨の仲間、ユリカモメなどが集まっている一角があった。近づいてみると父親と幼い女の子がパンをちぎって池に投げていた。二人とも言葉を交わすわけでもなく黙々とパンを投げ続けている。女の子の顔は真剣である。パンはあまり遠くに飛ばずに足元の水に落ちることもあるし、うまくちぎれずに大きなまま池の中に落ちて、強そうなユリカモメ1羽がそれをくわえていくこともある。女の子は何を考えていたのだろうか。穏やかな優しい時が流れていた。

また少し歩くと、「・・・しなくちゃだめだよ!  わかってんの?」という金切り声が聞こえてきた。母親が二人の子どもを怒鳴りつけながら歩いているところだった。子どもたちは特に悪いことをしているわけでもなく、黙って母親に従っていた。いらいらした空気があたりを震わせていた。

次は2歳くらいの子どもが大泣きをして、父親に抱かれて歩いている光景と出合った。その横で母親が子どもに怒っている。2歳児は、眠いか、疲れたか、おなかがすいたか、のどが渇いたか・・・いずれかのときに、わけのわからないことを言って大泣きする。そんなときに怒って、ぴりぴりした気持ちにさせても逆効果である。それがわかっていても、母親だって疲れていることもいらいらすることもあり、あとで反省したりするのだろう。

肩車をしている父親と、二人乗りのベビーカーを押している父親の横を談笑しながら歩く二人の母親ともすれちがった。幸せそうだった。

どちらにしても、家族で休日を楽しもう、子どもを喜ばせようと水辺に来た人たちには違いない。親にも子どもにも良い思い出がたくさん残っているようにと祈らずにはいられなかった。 学生時代の友人たちと束の間のおしゃべりの時間を楽しみにきた水辺だったが、どうしても子ども連れの家族の光景に目が行ってしまった。少し気になったのは、いらいらしている家族が日本人の家族だったことである。

在宅ワークママのシッター活用

2007 年3月号

『在宅ワークママのシッター活用』
     
浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

このところ、「教育と愛国心」をテーマにした長編ルポにかかりきりになっている。1歳の娘の相手をしながらの執筆で、なかなか仕事がはかどらずにイライラしがちな私を見かねてか、とうとう夫が「たまにならベビーシッターを頼んだら」と言った。その瞬間は「私が家にいるのに、もったいない」と感じもしたが、「それで仕事の質も効率もあがって、娘と私の精神状態も落ち着くのなら」と、トライしてみることに決めた。

もっとも集中したい日時を決め、クラブ  デル  バンビーノにシッターを依頼する。早速、幼稚園や保育ルームでの勤務経験がある 50 代のシッター、Sさんを紹介された。承諾後、前日の夜、Sさんから確認の電話を頂く。丁寧な話し方と、やさしげな声にほっとし、電話による第一印象ってこんなに大きいんだなぁと実感した。私は、かつてシッターをしていた頃、はじめて伺うシッター先に、こんなに感じよく電話をかけていただろうか。

当日、最寄のバス停までSさんを迎えに行ったら、50代とは思えない上品なマダムが立っていてびっくりした。歩きながら、おしゃべりもはずむ。家に到着すると、Sさんはソックスをはきかえ、エプロンをつけて手を洗うと、早速、娘と遊びはじめた。はじめはもじもじしていた娘だが、5分もしないうちに遊びはじめ、私はお茶をいれて簡単な説明をすませると、即、仕事部屋にこもり、仕事を開始する。ときおり、「さっちゃん、すごぉい!」とほめられて、きゃっきゃと笑う娘の声が聞こえるたびに、「さすがプロだわ~」と、にんまりしてしまう。

だが、1時間を過ぎた頃から、娘が泣き出した。心配で様子を見にいき、授乳する。それでも泣きやまないので、夜の離乳食をちょっと早いけどチンして、Sさんに食べさせてもらうことにする。仕事部屋に戻ってからも何度か泣き声が聞こえたが、ここでまた出ていっては、シッターを頼んでいる意味がない。心を鬼にして耳栓をし、一心不乱に仕事をつづける。たったの3時間でも、集中すれば、こんなに進むものなのだと我ながら驚くほど、はかどった。

終了10分前にリビングに戻り、お茶を飲みながら、最近、受けようか迷っていた水疱瘡の予防接種などについて相談する。育児の先輩でもあり、保育士や幼稚園教諭の免許を持つSさんのアドバイスは、とても心強い。帰りもバス停まで送るという私にSさんは恐縮したが、私がもう少しSさんと話したかったのだ。夜道をおしゃべりしつつ歩きながら、シッターには、育児中の母親の孤独感や閉塞感を癒す要素もあるなぁと思った。まだまだ、日本ではシッターの利用は経済的に余裕のある家庭に限られているけれど、企業だけでなく、自治体からの補助などでシッター利用がもっと普及すれば、母親の育児ノイローゼや虐待も確実に減るだろう。
 
帰宅後、Sさんが記入したサービス実施確認表を読む。私が仕事に没頭している間、娘とどう過ごしたかが詳しく書かれていて、「もうそんなことができるんだ」など、私が知らなかった、または気づかなかった娘の側面も知ることができておもしろい。おむつチェックもまめにしてくれている。娘は久しぶりにじっくりと遊んでもらったせいか、しごくご機嫌でお風呂の後はすぐに寝ついてくれ、久しぶりにゆったりとした夕食後のひとときを過ごした。Sさん、ありがとう。

在宅ワークと育児の両立

2007 年 2月号

『在宅ワークと育児の両立』
 
浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

新年早々、長編ルポを3本執筆することになり、この十日間というもの、一日平均して計8時間は仕事部屋にこもり、パソコンに向かっている。私が仕事部屋でパソコンに向かっている間、娘は隣の和室(出られないよう柵をしてある)で遊ばせるか、または、歩行器に乗せてリビングで遊ばせている。仕事部屋は大切な書類や資料が山積みなので、極力いれないことにしているのだ。でも、当然ながら、娘がごきげんに遊んでいてくれるひとときはそう長くつづかず、しばらくすると、泣くかぐずるかしはじめる。放っておくと大泣きに発展するので、そのたびにあやしにいき、積み木や絵本でしばらく相手をし、機嫌が戻ったところで、また仕事部屋に戻る。これを30分ごとに繰り返しながら、私の原稿はしあがっていく。

相手をしつづけないと、どうしてもダメときは「おんぶ」である。不思議なもので、娘はおんぶされるとおとなしくなる。ママの背中のぬくもりに安心するのだろうか。ぎゃんぎゃん泣かれたり、仕事部屋で遊ばせるリスクを考えたら、たとえ重くても背負っているほうがいい。

9.5 キロの娘をおんぶひもで背中にくくりつけ、私はもくもくと原稿を書く。途中、何度も書棚のファイルや資料を見るために立ちあがるのだが、娘をおんぶしていることを忘れて立とうとして、あまりの重みにバランスをくずし、後ろにひっくりかえりそうになったこともある。月に一度のご褒美で、近所の整骨院にマッサージに行くたびに、「肩も腰も、石みたいに凝ってますよ」と言われ、そのたびに、今後も増え続ける娘の体重を思い、ため息が出てしまう。

夕暮れの西日が差しこむ琥珀色の仕事部屋で、娘を背負いながら本棚の前に立ち、ファイルをめくっていると、窓から夕焼けが見えることがある。しばし手を休めて、ベランダ越しの美しい夕焼けを見つめていると、なんとも言えず感傷的な気持ちになる。正直、保育所の利用を考えたことがないわけではないが、娘のぬくもりを背に感じながら夕焼けを見つめていると、娘と半日離れていることがたまらなく淋しく感じられる。毎月の保育料だってかなりの額である。

昨晩、とうとう夫が「俺がいないときで、本当に仕事が大変なときは、シッターさんに来てもらったら?たまになら、いいよ」と言ってくれた。たぶん、私が仕事がはかどらずに、相当不機嫌だったからだろう。夫の気が変わらないうちに、早速申しこむことにする。次回は、シッター初活用について、元シッターの視点も含めて書こうと思っている。

子どもが学校に行きたくないというとき

2007 年 1月号
 
『子どもが学校に行きたくないというとき』
            
中舘  慈子

お子様はいろいろな形で心のメッセージを伝えようとします。たとえば、小学 1年生が涙をためて「学校に行きたくないの。」と言った時にどう対応されますか?    「何言っているの。早く学校に行きなさい。」「またさぼろうとしているのね。怠けていてはだめよ。」「そんなにいやならやめちゃいなさい。」などとつい言ってしまうことはないでしょうか?  お子様は「ママも自分の気持ちをわかってくれない。」と思って口を閉ざしてしまうかもしれません。
 
「そう。何か行きたくないわけがあるのね。ママに話してみてくれる?」と優しく聞いてみたり「そう。何かいやなことがあるの?」と直接的に聞いてみたりする方法もあるでしょう。そうすれば、お子様は「ママは自分の行きたくない気持ちをわかってくれた。」と感じ、心を開いてくれるのではないでしょうか。「実はいじめっこがいるの。」というかもしれません。あるいは「先生が授業中無視して、手を挙げてもさしてくれないの。」と言うかもしれません。なかなか答えてくれないお子様もいるかもしれませんけれども・・・。  

どんな場合にも、親は子どもの味方で子どもを信じているというメッセージを伝えてください。たった一人でも本当に信じてくれる人、本当の味方がいれば、子どもは自分自身を大切にしようと思うに違いありません。少し時間がかかるにしても・・・。