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子育てエッセイ

赤ちゃんがやってきた

2004年7月号

『赤ちゃんがやってきた』 中舘慈子

いよいよ陣痛が始まったという娘からの電話を受けた。明日香医院の大野先生の指示通り臨月になっても毎日2・3時間の散歩を続けており、体重も数キロしか増えていないとはいえ、出産は命がけのこと。大きな期待とかすかな不安を抱きながら時の経つのを待った。アジサイの花の色鮮やかな初夏の日のことである。熟睡できぬまま白々とした明け方を迎えたころ、娘から元気な声で「産まれたよ!」という電話がかかってきた。「いつ?赤ちゃん元気なの?」「10分前。」まさか、本人からこんなに元気な電話があるとは思っても見なかった。男の子で2780グラムだったということを聞いたのは、安産の喜びに浸ったあとだった。男女の別については事前に知らせることなく出産後両親が直接確認するというのもいかにも大野先生らしい。

病院の分娩台ではなく翠の木漏れ日の入る部屋で、先生や助産婦さん、夫の援助の中で赤ちゃんは「自分の生まれたいときに自分の力で」自然に生まれてきた。会陰切開をすることもなく、出産後十数時間の新米ママはにこにこと元気な赤ちゃんを抱いてリビングに歩いてきた。病室というよりもふつうの家の一部屋での「母子同室」で、4日目には自宅に帰った。

「母乳が出すぎる!!」と新米ママは悲鳴を上げている。赤ちゃんがアレルギーにならないために母親の食事制限は厳しい。「たまご」「牛乳」「小麦粉」「肉」を含む一切の食べ物を排除することとなった。しかし、これらを除いたメニューがなんと豊かにあること!!ご飯魚野菜を中心とした食事は、さらさらの質の良い豊かな母乳に変化するようだ。

「粉ミルク」が普及する前、自宅でお産婆さんが赤ちゃんを取り上げてきた時代にふつうに行われてきた子育てをしているのかもしれない。おむつだけは紙おむつにして、ただし赤ちゃんが不愉快そうな顔をして「取り替えてちょうだい」と泣いたときには即替えるようにしている。

人生の最初の時期、生後1~2ヶ月は、赤ちゃんにとっても画期的な時期だと思う。快適な胎内から光音やざわめきにおいいろいろな人の顔や声・・・の聞こえる世界にきて、自分で呼吸をして自分でお乳を飲まなければならず、服を着
せられるのだから。この時期は思い切り抱きしめ、限りない愛情を注いであげたい。「ようこそ!赤ちゃん」という感謝の気持ちをこめて。感動した瞬間があった。赤ちゃんが「知ってるよ!!」という顔をしたのである。それは、胎内で聞いていた音楽を聞かせたときのことである。自然な出産とあふれるような母乳のおかげかもしれない。赤ちゃんは機嫌がよく、よく眠りよくのみ、よくおむつを汚してくれ、ときどきかわいらしく微笑んでいる。

「お産の家」明日香医院

わすれたうた(童謡)を思い出す

2004年5月第2号

『わすれたうた(童謡)を思い出す』 中舘慈子

5月の連休にウィーン少年合唱団の演奏を聴きました。23人と小編成でしたが、天使の歌声に癒されました。特に印象に残ったのはアンコールで歌われた「赤とんぼ」(作詞三木露風作曲山田耕筰)。ソロはあくまでも透き通っていて、日本人の忘れ去った童心を抒情的に歌い上げ、思わず涙ぐむ聴衆もいました。

その数日後に、テレビで「うたをわすれたカナリア」のうたが、西条八十によって日本で最初の童謡として作られたことが放映されました。『現在世間に流行している俗悪な子どもの読み物と貧弱低劣なる子どもの謡と音楽を排除して、彼らの真純な感情を保全開発するために、現代第一流の作家詩人、作曲家の誠実な努力を集める』ことをモットーに「赤い鳥」を発刊した鈴木三重
吉の依頼によるものです。90過ぎた方たちがこの唄を初めて歌ったことを懐かしそうに語っていました。

『赤い鳥の謡は、いづれもわれわれの第一流の作家が、最近の詩壇に一境地を区劃した傑作のみで、そのあるものの如きは直ちに、優れたる古典として永久の生命に輝くべき絶唱とさへいはれている。その作曲も悉く、1人の年若き天才の代表的作篇として推服された名作である』

と、三重吉は当時の広告文で述べています。国境を越えた童謡が戻ってきて、日本人の心に「わすれたうた」を思い出させてくれたような気がします。北原白秋・西条八十・三木露風などによって、古典としての永久の命を吹き込まれた優れた童謡を歌っていると、自然や動物がそーっと心に忍び込んで優しい気持ちになれるような気がします。お子様を抱いて、静かにゆったりとした気持ちでわすれていたうた(童謡)を歌ってみませんか?

「ゆりかごの唄」

1 ゆりかごのうたをカナリアがうたうよねんねこねんねこねんねこよ

2 ゆりかごのうえにびわの実がゆれるよねんねこねんねこねんねこよ

3 ゆりかごのつなを木ねずみがゆするよねんねこねんねこねんねこよ

4 ゆりかごの夢に黄色い月がかかるよねんねこねんねこねんねこよ

大正10年8月(1921年)『小学女生』作詞北原白秋作曲草川信
(著作権切れの作品)

本当の自由って?

2004年5月第1号

『本当の自由って?』 中舘慈子

こんなことがありました。

シッティングにうかがっていたときのことです。小学生の妹さんがお手伝いをしてお味噌汁を運んでいたところ、お兄さんが突然ふりかえりぶつかってしまい、妹さんの手にお味噌汁がかかってやけどをしてしまったのです。シッターはあわてて妹さんの手を冷やし、幸い痕は残りませんでした。シッターから緊急連絡を受けたので、お母様にお詫びの電話をしました。するとお母様は「これは子どもたちの問題です。前後を通る時には必ず声をかけるように話していたのを守らなかったからです。以前兄が遊具で大怪我をしたときにも、誘った友達の責任や先生の責任ではなく、乗った本人の責任だとしかりました。それが我が家のルールです。」ときっぱりおっしゃいました。もちろんシッティング中の事故はお子様の安全をお預かりしているシッターと会社の責任です。しかし、お子様にこのような自己責任の教育をしているご家庭の姿勢に感動しました。またこのような教育を通じて危機管理能力も培われていくのだと思います。危機管理能力は人に本能としてあるものではありません。特に親や大人の庇護の元にある時期にしっかりと子どもたちに植え付けていきたい力です。

日本の高校生は、米国、中国、韓国の高校生に比べて、自分中心に物事を考える一方で、責任を負うことには消極的な傾向が著しいことが、文部科学省所管の財団法人、日本青少年研究所と一ツ橋文芸教育振興会が、日米中韓の四カ国の高校生に行った生活・意識調査で分かりました。

たとえば、「親に反抗すること」は「本人の自由」(55%)。「悪いことではない」(22%)
とともに突出して高く、逆に「良くないこと」は5人に1人のみで、四カ国で唯一、過半数を割り込みました。「偉くなると責任が大きくなるからいやだ」という問いに、「そう思う」と答えたのは日本が55.6%で、唯一、過半数を上回りました。「スーパーやコンビニでの万引」「覚醒剤や麻薬の使用」「売春など性の売り買い」といった設問も、「本人の自由」としたのは米国に続き、他の二カ国を大きく引き離しました。

反抗はするけれど責任は負わない、自由に行動するけれども責任転嫁する、大切な自分の体を守る危機管理能力のない日本の高校生を育ててしまったのは、その親や社会による教育の結果ではないでしょうか。

ご家庭と連携しながら、年齢の低いころからお子様に対して「自由」には必ず自己責任が伴うことを教え、自分を守る危機管理能力を養うことが、私たち保育や教育に関わる大人の責任であるような気がします。

代表取締役中舘慈子(教育心理学会会員)

はじめて出会う「育児の百科」小学館

2004年4月号

『はじめて出会う「育児の百科」小学館』 中舘慈子

二冊の育児書の間で悩みながら子育てをした経験がある。初めての出産と子育てをした夫の赴任地の小さな町には、親しい知人も育児のアドバイスをしてくれる人もなく、頼れるのは育児書だけだった。二冊の育児書には対照的な育児の手法が書かれていて母親初心者の私は、授乳の間隔、抱くタイミングにすら戸惑っていた。目の前の赤ちゃんの要求を読み取るのではなくて、「正しい育児の手法」に従わなければならないと思い込んでいたのだ。三十年ほど前のことである。今でも、育児書のマニュアルどおりに子育てができないと悩み、かえって育児不安に陥る母親も多い。

「はじめて出会う育児の百科」を手に取ったとき、心が躍った。常に新しい視点で現代の子育て支援の研究を続けてこられた教育研究家、汐見稔幸先生、多数の病気の子どもと健康な子どもを実際に温かく診ておられる小児科医の榊原洋一先生、そして幼児の言葉の相談・指導を通じて熱心に子どもの発達に関わる活動を続けていらっしゃる言語聴覚士の中川信子先生、この三人の執筆、監修による「育児書」だったからである。

「からだ」「ことば」「こころ」三つの分野の専門家が最新のデータをもとに執筆した初めての育児書、と帯に謳ってある。従来の育児書が身体の発達に目を向けがちだったのと大きく異なる点である。開いてみると、豊富なイラストがあり、読みやすい印象を受ける。しかし、内容は非常に充実している。各月齢、年齢の発達が「からだ」「ことば」「こころ」の三つの視点から関連性を持って述べられ、発達を総合的に把握できる。

何よりも親にとってうれしいことは、子育てに自信の出る言葉が随所にちりばめられていることである。たとえば「自分のなかにある子育ての力を信じて」という文字が目に飛び込む。

次に感動することは赤ちゃんからのメッセージが直接響いてくることである。「赤ちゃんのこころ」が赤ちゃん自身のことばで分かりやすく語られている。さらに心強いことは、育児サポートシステムにも言及されていることである。また、具体的な遊び方、ことばのかけ方なども楽しいイラストと共に学べる。

この本は、マニュアル書ではなく子育てを力強く応援してくれる読む育児書である。妊娠を知ったすべてのご両親にこの一冊の育児書をぜひお薦めしたい。*社団法人日本家族計画協会発行「家族と健康」の新刊紹介に寄稿した文です。

げんちゃん

2004年3月号
『げんちゃん』 中舘慈子

爽やかな少年に育っていた。涼しい目元、すっとした鼻筋、手足もすらりと伸びて背はママを追い抜いていた。雨のディズニーランドにママと二人で行ってきたという。ある日、ディスニーランドのちらしをげんちゃんが自分で家に持ち帰ってきた。「行ってくれば」というパパの熱心な応援で、春休みを利用しての北海道からの二人旅となった。電車が大好きで、喜んで乗りこんだのに、東京駅で降りたがらず、鶯谷に着いて、初めて見たことのないあたりの様子に「降りたい」という気持ちを示した。このままだとまた東京駅を過ぎてしまうかもしれないと危惧したママは、ディズニーランドのちらしに「東京」という文字を書いて、「ディズニーランド」を指差し、「げんちゃんはここいきたいのでしょう?それなら、東京というところで降りるのよ。」と「東京」という文字を指差した。今度は駅の「東京」という文字を見てすっと降りたという。

久しぶりの再開に、ちょっと照れてそれでもうれしそうな顔をして出迎えてくれた。私たちの尽きることのない話を聞きながら、いつかげんちゃんはすやすや寝息を立てて眠っていた。私の存在を気にせず心穏やかに受け容れてくれたのだと胸がいっぱいになった。

げんちゃんは12歳の自閉症の少年である。4月から養護学校の中学に進む。いよいよ思春期の入り口から大人へと育っていく。これからの6年間が正念場、ただ技能訓練をするばかりでなくて、社会の中で生きる力を学校教育の中で培ってもらいたいと、ママは熱く語った。

ママとは30年前、北海道の病室で初めて出会った。お母さんを毎日見舞いに来る制服姿のかわいい高校生だった。そのとき私は凍った坂道で転倒して骨折、同じ部屋に入院していたのである。その後互いに本当にさまざまなことがあったが、交流はずっと続いていた。げんちゃんが2歳になったころ、ママから電話があった。それはげんちゃんが自閉症ではないかという電話だった。十分にその可能性のある特徴だった。

ママは早速専門家を捜し求め、げんちゃんの発達に必要なさまざまな試みを実践した。私もなんどかげんちゃんと会った。げんちゃんを連れて電車に乗っていると「しつけが悪い!」と怒鳴られた話もきいた。初めて訪れた我が家に入れずに近所をぐるぐる散歩したこともあった。私の娘の個展会場に家族4人でにぎやかに訪れてくれたこともあった・・・。

げんちゃんはこれから自立への道を歩んでいく。ママやパパや本当に心豊かに育った1歳違いのおねえちゃんの温かい愛情に包まれた家庭から、社会に参加していくことになる。ノーマライゼーションとひとことで言うことはできるが、実際には乗り越えなければならない壁がこれからもたくさん出てくるだろう。

「でも、大丈夫。ママは運がよいから、そんなときには必ずすっと助けてくれる手が差し伸べられるから。」

いつもいつも前向きなママの明るい笑顔にそう話しかけて、げんちゃんの穏やかな寝顔にエールを送り、深夜に近いホテルを出た。三分咲きの桜の花が外灯に照らされて淡く揺れていた。

マイナス10ヶ月からの子育て

2004年2月号

『マイナス10ヶ月からの子育て』 中舘慈子

ひとつの命が子宮内に宿る確率は、何億もの精子と数十万個の卵子の中からたったひとつの出会いによるもの。天文学的な確率になります。まさに「天から授かったもの」としか言えないほどの偶然でひとりの命が生まれるのです。

子宮の中にいる赤ちゃんは「ここにいるんだよ!」というメッセージをお母さんに送ります。つわりは、赤ちゃんの発育によくない食べ物をお母さんが摂らない様にするメッセージ。おなかが張るのは「ママ少し休んで」というメッセージ。そして、赤ちゃんが元気に動いて胎動として感じられたときに、本当に胎内に新しい命が育っているのだなあ、と実感できます。

子育てはいつ始まるのでしょう?受胎したときから子育ちはすでに始まっています。今は超音波で赤ちゃんの姿を見ることもできます。初めはたった2セン
チくらい、魚のようにしっぽがあって、次に足らしきものが見えてきて、だんだん指や顔も映ってきて・・・・。最高に居心地のよい子宮の中でくるんと宙返りをしたり指しゃぶりをしたりしながら、自分の生まれる日を待っている赤ちゃん。かわいいですね!!パパママは、赤ちゃんと会える日を心待ちにします。そう、天から授かった子どもです。「こう育てたい」「こうあるべきだ」などという親の希望よりも、もっと大きな私たちの手の届かない世界から子どもは生まれてくるのです。マイナス10ヶ月から、子育ちそして子育ても始まっているような気がします。

聴くこと受け入れること

2004年1月号

『聴くこと受け入れること』 中舘慈子

ファミリー・サポートではサポートをするときに「聴くこと受け入れること」を大切にしています。直営施設カーサデルバンビーノで採り入れているレッジョエミリアの教育も「聴くことの教育学」であると言われています。

“子どもには100とおりある。
子どもには100のことば100の手100の考え遊び方や話し方(がある)
歌ったり理解したりするのに100の喜び発見するのに100の世界夢見るのに100の世界がある。
けれどもわたしたちはその99を奪ってしまう。そして子どもに言う。
遊びと仕事現実と空想科学と想像空と大地道理と夢はいっしょにはならないものだと。・・・“

と、レッジョエミリア教育を確立した学者ローリス・マラグッツィは述べています。それは私たちが子どものこころの一部しか捉えていないということです。100のことばを聴くには、私たち大人は子どもが黙っている時間も含めて、耳だけでなく五感で子どものこころを理解しなければなりません。子どもも含め、他者のこころに耳を傾けるということは、自分の判断や価値観を通して聴くのではなく、お互いにこころを開き、価値観の違う他者の視点を理解することです。

つい大人は小さな子どもに上から指示をしがちです。子どもが「いやだ。したくないよ。」と言ったとき、「どうしてそんなことを言うの!」「言うことを聞きなさい!」と言いがちです。おそらく子どもはさらに反抗し、ついには泣き叫ぶかもしれません。こんなとき「あなたはそのことをしたくないのね。」「本当はどうしたいの?」と、弊社のスタッフはお子様のことばを静かに聴くように心がけています。お子様は分の気持ちを受け入れられたと感じ、ただ反抗しているのかほかにしたいことがあるのかも自分で考えることができるでしょう。

より難しいのが大人同士のコミュニケーションです。在宅保育はそれぞれのご家庭のご要望をお聴きし、教育方針を理解し、それにそった保育を行います。ご家庭の価値観にあわせた保育を行うために、サポーターはご家族のこころを聴く努力をいたします。しかし時にはお子様のことについてシッターの考えをご家族に聴いていただきたいこともあるでしょう。第三者だから見えるお子様のこころもあるかもしれません。

今年もご家族とサポーターが尊重しあうことから、温かい信頼関係が築かれ、お子様のこころを聴きながら、お子様の健やかな育ちをサポートさせていただけることを心から願っています。

子育てに優しい社会を

2003年12月号

『子育てに優しい社会を』中舘慈子

留まることのない出生率の低下が進む中で、今年は「次世代育成支援対策推進法」が立法されました。10年という期限を設けて国が、市区町村が、そして企業が、1すべての働きながら子育てをしている人のために2子育てをしているすべての家庭のために3次世代を育む親となるためにという3本柱に基づいた取り組みを行うこととなりました。「保育所の増設」一辺倒だった日本の児童福祉が大きな曲がり角に来て、「仕事と子育ての両立支援」から「子どもを持つすべての家庭支援」へと転換したのです。
日ごろ感じることは、子育てにあまり優しくない日本の社会です。たとえば、バギーに赤ちゃんを乗せたお母さんが、周りに気を使いながら電車に乗ると、迷惑そうな乗客の目が冷ややかに注がれます。優先席では、足を大きく開いた若い男性が眠ったふりをしています。ヨーロッパではお母さんがバギーを持って階段をあがっていると、紳士がさっと手を伸べてバギーを持ってくれる光景が良く見られるといいます。
一方、少しマナーの良くない親子を公共の場所で見ることがあります。まるでリビングの中のよう。新幹線で「お子様が席を離れて騒がないようにしてください。」というアナウンスを聞いたことがあります。新幹線の中は睡眠不足のカバーや書類作成の貴重な場所です。騒がしいお子様がいたら、「静かに座っていましょうね。」とみんなで声をかけ、保護者の方もそれを受け入れてくださると良いのですが・・・。
社会性を培うのもおとなの「優しさ」だと思います。今後様々な取り組みがなされていくことでしょう。弊社としてもさまざまなサポートの方向性を探りたいと思っています。子育て中のご家族が孤独にならないような「子育てに優しい社会」が来ることを心から願いながら。

妊婦マーク

2003年11月号

『妊婦マーク』中舘慈子

妊娠初期の彼女が、目を潤ませながら言いました。
「今日、すごく良いことがあったんですよ。いつものように妊婦マークをつけて優先席の前に立っていたら、30歳半ばくらいの女の人が、にっこりしながら『どうぞ』って譲ってくれたんです。もう涙が出るほど嬉しくて何度も『ありがとうございます』って言ってしまいました。すごくきれいな笑顔が忘れられなくて、思わずその人に良いことがありますようにって祈っちゃったんです。」
聞けば、妊娠3か月なのでもちろんおなかは目立たず、つわりの真っ最中。満員電車で立ちっぱなしで通う毎日で、会社に着く頃はいつもくたくただそうです。「妊婦マーク」をつけて優先席の前に立っても、足を大きく開いて漫画を読んでいる男子学生、ちらりと見ても酒くさい息をしながら目をつぶってしまう男性など、今まで誰一人席を譲ってくれなかったそうです。
「妊婦マーク」を見せてもらいました。ネットで手に入れたというマークは、丸くて白地に赤で女性のおなかの中に赤ちゃんのいるイラストが描かれ、“BABYinME”と書いてありました。
妊娠初期は特にからだが不安定で、妊婦にとってつらいときです。つわりも「身体を大切に」という赤ちゃんからのメッセージかもしれません。このような時期だから、社会で妊婦をサポートしなければならないのではないでしょうか。次世代育成支援の最初のステップは、妊娠初期の妊婦の保護ではないかと思いました。
それにしても「妊婦マーク」、私も実は初めて見ました。まだまだ一般に知られていないと思うので、もっと「妊婦マーク」の存在をアピールする必要がありそうです。
これから優先席の前で「妊婦マーク」の人を見たら、ぜひ席を譲ってあげてください。

卒乳~おっぱいミルクからの卒業~

2003年10月号

『卒乳~おっぱいミルクからの卒業~』中舘慈子

10~12カ月:15%1歳ごろまで:45%2歳まで:30%いつまでも:10%

これはあるサイトで100人のママに「おっぱいやミルクをいつまでにやめたいですか?」ときいたアンケートの結果です。
昔は「断乳」と言われ、1歳になったり下の子どもができたりすると、お乳に怖い顔を描いて乳離れをさせたこともありました。今では無理やりにお乳から離す必要は無いということから「卒乳」という優しい言葉も使われ、母子手帳からも「断乳」の言葉が消えました。
でも、子どもが欲しがればいつまでもあげたいと思うお母様が10%ほどいらっしゃるのが少し気になります。何がなんでも1歳までに卒乳しなければならないことはありません。けれども、少なくとも2歳になるまでに、卒乳の準備をしましょう。たとえばお子様の気に入りそうな新しいコップを用意して、「おっぱいや哺乳ビンはバイバイね。」とほめてあげると「コップで飲むってすごいな!!」と、すんなりおっぱいや哺乳ビンから卒業できるかもしれません。計画的に、段階を追って卒乳するケースもあります。お子様の個性にあった方法で、お子様の気持ちを汲み取りながら、自然に幼児食になり、コップでミルクを飲めるようになるとよいですね。
いずれにせよ、大切なのは日々の赤ちゃんとの生活。あまり「卒乳」にとらわれずに、2度と訪れない小さな我が子との1日1日を楽しく過ごしてください。