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子育てエッセイ

21世紀 どんな夢がありますか?

2001年1月号

『21世紀 どんな夢がありますか?』 中舘 慈子

20世紀は、激動の時代でした。前半は大戦がいくつもあって、国と国とが人を殺し合い、大地を汚染しあいました。後半は科学技術,情報、医学などの大きな進歩がありました。今の日本は清潔で便利、世界中のおいしいものが食べられ、美しいものもあふれ、物質的に豊かな国です。
でも、どうしてでしょうか。「21世紀にかける夢は?」と、自問自答したときに、ふと立ち止まってしますのです。医学の進歩により、寿命が延び、クローン人間の出現や超高齢出産が可能になるかもしれない。IT革命による情報化がさらに進み、シッティングの状況がリアルタイムで手元の携帯電話で見られる日も間近いかもしれない。
でも、本当に望んでいる「夢」とは何なのでしょうか?夢を持てるほど 夢が多いほど幸せだとしたら、100年前の人たちの方がひょっとして幸せだったかもしれない、もう少し貧しかったころの日本人の方がひょっとしたら幸せだったのかもしれないと思います。空を飛びたい、便利に暮らしたい、情報を知りたい、おいしいものを食べたい、暖かい家に住みたい…たくさん具体的な夢がありましたから。
人生は自分の外…社会的名声 豊かな生活など… にもあり、自分の心のうちにもあると思います。21世紀に探す「夢」「幸せ」は心の内にあるものかもしれない。

2001年21世紀の最初の年、子育て中の皆様、ファミリー・サポートのスタッフやシッターさん達と一緒に「21世紀の夢」を探し続けていきたいと思っています。
子育てやホームページに対するご意見をどんどんお寄せください。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ときめきエッセイ 子ども達は今

2000 年12月号

『ときめきエッセイ 子ども達は今』  中舘 慈子

20世紀最後もあと3日。12月は「帯状疱疹」に悩まされ、ただでも短い師走が飛ぶように過ぎてしまいました。遅すぎるご挨拶、お許しください。

ファミリー・サポートの2000年3大ニュースは次のとおりです。

  1. 1月1日 ホームページの開設
  2. 10月1日 カーサ デル バンビーノの開設
  3. 12月20日 (社)ベビーシッター協会 認定ベビーシッター 11人誕生

ホームページは、アクセス数がもうすぐ6000になります。2001年は、もっと充実したものに改装したいと思っています。カーサデルバンビーノ(イタリア語で「子どもの家」)を、小田急線新百合ヶ丘駅から5分の場所に開設しました。「21世紀に羽ばたく国際人を育む」ことを目標に2・3歳児対象のプレスクール、国際理解教育としての楽しい英会話、能やいけばなの教室もあります。また、さまざまなイベントを通じてご家族のコミュニケーションの場、子育て中のご家族への情報提供の場などにもしていきたいと思っています。また朝7時から夜8時までの託児コースも有ります。2001年はさらに充実した施設にしたいと思っています。

待望のベビーシッターの資格ができました。ファミリー・サポートでも11人の認定シッターさんが誕生しました。2001年にはもっと多くの認定シッターさんが誕生することでしょう。

本年も皆様のご愛顧ありがとうございました。
21世紀子どもにも大人にも夢と希望に溢れた世紀になりますように!!

ベビーシッターの資格

2000年11月号
『ベビーシッターの資格』 中舘 慈子

「ベビーシッターの資格」があるのをご存知ですか?
おそらく知らない方が多いと思うのです。これから誕生する資格ですから。
今年11月23日に第1回のベビーシッター認定資格試験が行われます。待ちに待った「ベビーシッターの資格」です。
保育士の資格幼稚園教諭の資格看護婦の資格などはあるのに在宅保育にかかわる「ベビーシッターの資格」はありませんでした。

家庭に入る保育者だから、家庭の大切なお子様の命と鍵を預かる仕事だからプロフェッショナルである必要があるのではないでしょうか?

バイト気分ボランティアではなくて、責任ある仕事として、ご家庭にも子ども達にも安心と満足を与える保育の専門家として時にはご家族の子育ての頼りになる相談相手としてカウンセラーの役割も持った人として。残念ながら今年試験に挑戦しなかったベテランシッターさんも、来年はきっと資格に挑戦することでしょう。

さあ、あなたのご家庭では「ベビーシッターの資格」として何を求めていらっしゃいますか?

時間を守ること。子ども好きなこと。いろいろな遊びを知っていること。しつけをきちんとできること。ご家庭の育児方針を守れること。育児のアドバイスをしてくれること。育児に関する正確な知識を持っていること。そして、一人一人のお子様の心を受け入れ、一つ一つのご家庭の子育てを温かくサポートすることが「ベビーシッターの資格」の基本にあるのかもしれませんね。

カーサのプレスクールから

2000年10月号

『カーサのプレスクールから』 中舘 慈子

新百合ヶ丘に「カーサデルバンビーノ」を開いて3週間がたちました。今のところプレスクールのご入会に目ざましいものがあります。このコースは2歳、3歳の幼稚園に入る前のお子様のコースです。さらに、保育園に通っていないお子様、家庭で育ってきたお子様のコースということになります。初めてママから離れて、1回目は泣いてしまうお子様もいました。でもすぐに泣き顔は笑顔に、2回目は「風邪気だからお休みしましょう。」とママが言うと「いや。チェンチェイのとこいく。」とべそをかいたお子様もいました。「言葉が多くなりました。通わせてよかったと思います」というお母様の声、少しずつトイレにいけるようになってきたお子様、家庭からほんの2時間はなれてお友達と過ごす時間は、発達に少しずつ効果をもたらしています。何よりも始めは不安げにお子様につきっきりだったお母様たちが「ちょっと美容院に行きます。」などと、にこやかに預けて出かけられる姿はうれしいものです。ちょっと一人でコーヒーを飲んでいただいてもよいし、ご自分に似合う服を探していただいてもよいし。2年、3年・・・家庭で子育てに専念してきたお母様方に自分のための時間をほんの少しプレゼントできることも喜びです。プレスクールから帰る時のママとお子様の笑顔!それから始まる時間の心豊かさを予感させてくれます。

幼児教育タイムは、月曜:造形火曜:英会話水曜:ことば木曜:音楽金曜:体操土曜:自然となっています。今のところ1番人気があるのは「英会話」。「ことば」は国語の力、コミュニケーションの力、「自然」は科学の芽、算数や理科の力の基礎となるものですが、入会者が少なくなっています。もちろんどの日もアトリエを使った造形活動、歌やリズムの時間、などさまざまな活動の時間が含まれているのですが・・・。

まだ1ヶ月にも満たない生まれたばかりの「カーサデルバンビーノ」。大きな可能性に向かって歩きつづけたいと思っています。
10月29日はハローウィンパーティ!!どんなお化けがカーサに現れるでしょうか?

思いっきり楽しいイベントを企画しています。

新しい仕事に再びチャレンジ

2000年9月号

『新しい仕事に再びチャレンジ』 中舘 慈子

目覚めると、2年前にも訪れたフィレンツェの中心街の部屋にいた。2年前と変わったことといえば、古い木製の窓の外に藤がやわらかい曲線を描いていること。蒼い翳りが、扇風機が無くても過ごせるほどのさわやかで乾いた風を送り込む。
成田空港を出て直ぐに出された機内食の途中で眠り込み、気づいたときにはデザートごと無かった。それから約20時間の旅を続け、娘に連れられてこの部屋にたどり着くと共に眠り込んでしまったのだ。時がゆっくりと流れている。緑に包まれた窓辺で、私はほっと自分を取り戻している。
忙しい日々だった。走り続けてきた。ベビーシッタ-会社を設立して7年目、年商も目標値を超えた。多くのよいスタッフに恵まれ、毎日の仕事を誠実に続けてきた成果だと思う。(社)全国ベビーシッタ-協会理事の一人として活動する中で業界としての「ベビーシッタ-」認定資格制度の確立、「ベビーシッタ-」の本の出版の夢も叶った。
「3歳までの子育ては母親が家庭で行うべき」という考え方が一般的な時代、私も末娘が小学6年になるまで専業主婦として3人の年子を家庭で育てた。しかも転勤族の妻であった。そのとき実感したことでもあるが、「母親」の無償の愛情だけでできるほど「人を育むこと(子育て)」は生易しいものではないと思う。赤ちゃんとの会話だけで一日が終わり、社会からぽつんと取り残されたような閉塞感、焦燥感にさいなまれることもあった。
『1997年の経済企画庁の調査によると第一子が小学校入学前の女性のうち、子育てに自信がなくなることが「良くある」「時々ある」と答えたものの割合が、有職者で半数、専業主婦では7割にも達している。』と「平成10年版厚生白書」に述べられており、『育児不安や育児ノイローゼは、専業主婦に多く見られる』とある。
今、日本はかつてない少子高齢化社会を迎え、少年による残酷な犯罪などが起きている。乳幼児期の子育てを「母親」だけに任せておいて良いのだろうか。私は働く両親の子育て支援はもとより、家庭で子育てをしている母親も含め、すべての家族に対する心理的な子育て支援が必要だと思う。従来の日本の保育制度は認可保育所を中心とした施設型保育によるものであった。たとえば0歳児1人、1ヶ月あたり数十万円の公的補助が国と地方自治体から行われていることをどれほどの方がご存じだろうか?この恩恵を受けられるのは一部の家庭だけである。在宅保育サービスは、あらゆる子育て中の家庭がいつ
でも利用できる。このようなサービスを、利用しやすい料金で提供できるように、これからも保育バウチャー制度や育児保険制度を提言していきたい。
2000年夏、再び新しい仕事にチャレンジする。「カーサデルバンビーノ」という名前の「子どもの家」の設立である。場所は、自宅の最寄駅小田急線の新百合ヶ丘。季節の花に囲まれた美しいカーサにしたい。子どもたちにとっては寛げる楽しい場所、大人達には子育てに夢の持てる場所となればよいと考えている。

具体的には次の3つのコースを考えている。

  1. 2~3歳児対象のプレスクール
  2. 幼稚園・小学校の放課後のためのスクール
  3. 子どものための文化教室

(日本文化の伝承をするための能教室・華道教室 英会話教室 等)
この他に、カウンセリングルームも設けたい。一時的に預けたい人のためのコースも設けたい。今回のイタリアへの旅は、トスカーナの小さな町、レッジョ エミリアの幼児教育について取材をするためのものである。「自己責任の国」イタリアと日本とは幼児教育の手法や考え方は自ずと異なってくるだろう。けれども、世界中で注目されているレッジョ エミリアの幼児教育のように、自分で考えて工夫する力を育む環境を与えること、心行くまで自分のしたいことに熱中できる場を与えること、教師は子どもの活動を後ろから見守り助ける存在であることが今の日本の幼児教育にも必要なのではないかと考えている。私の新しいチャレンジと模索はこれから始まる。

神奈川銀杏会会報8号(2000年8月発行)掲載

少年と老人

2000年8月号

『少年と老人』 中舘 慈子

2000年春、17歳の少年が60代の女性を惨殺した事件が、続いて起きました。いずれの女性も第2次世界大戦を経て、激動の時代を60数年生き抜いて支えてきた貴重な方々でした。一人は元小学校教諭で幼児教室を開き、「事件を起こす少年たちの心を受け入れてあげたい」と、尽力されてきた方ということです。

昔、東洋では「老人」は賢者として尊敬されました。知恵と知識の宝庫だったからです。若者は老人から、生きるための知恵や昔から伝わる知識を学びました。今、日本の若者は老人から知恵も知識も学びません。特に、知恵よりも知識の尊重される時代です。

知識は、情報化社会の中で、様々なメディア、テレビ・インターネット・雑誌などを通じて日々新たなものが伝わってきます。多くの知識や情報は横文字が並び、メディアを使いこなすには器械の操作が必要です。老人は横文字も器械の操作もなれるのに時間がかかります。こうして、若者のほうが老人よりも知識が豊かになり、さらに新しい情報を得ていきます。

今、若者は老人から学びません。老人も若者に伝えません。世代の断絶が深く暗い淵となって存在する時代のような気がします。従って、若者は老人を尊敬しません。老人は自信を喪失します。これは子育てにも言えるのではないでしょうか。少年は親を尊敬しない、親は少年に対して自信がない。少年は、上の世代は不要のものであるという錯覚に陥ってしまいます。

17歳にとって老女から学ぶものも無いし、すでに若い日々が過ぎ去った存在というゆがんだ思いを抱き、だから殺してもよいというとんでもない発想に至ってしまったのではないでしょうか。

もちろん、これだけが連続した殺人事件の原因ではありません。少年の気質、環境など様々な要素が複雑に絡み合ってのことだと思いますが。

ここで、「年長者を敬わなければならない」というような「べき論」の修身や道徳教育を持ち出すことは全く考えていません。むしろ老人、親・・・上の世代が後に続く世代に(少年になる前子供時代がいいですね)多くを伝えていくことが必要なのではないでしょうか。それは、「知識」ではなくて「知恵」です。世代の違う第三者、シッターさんとの深いかかわりもよいチャンスだと思います。

最新の知識よりも大切なもの、生きる上の知恵を、上の世代から後に続く世代に伝えていきたいものです。

17歳で手が離れる

2000年7月号

『17歳で手が離れる』 中舘 慈子

シッターさんの面接をしていて、はっとしたことがあります。それは、40代の志望者に、シッター志望の動機を聞くと「子どもの手が離れ
たので、もう一度自分の力を発揮したいから。」という答えが跳ね返ってくることです。「お子さんの年齢は?」と聞くと、ちょうど14歳から17歳くらい。
もうひとつ共通な言葉は「子育てが楽しかった。」ということです。幼稚園や保育園の経験者に「園でのお仕事と子育てとを比べるとどうでしたか?」と質問すると、今度は異口同音に「それは・・・子育てのほうが大変でした・・・・」以上から40代のシッターさんの平均像をまとめてみますと、

  1. 子育ては、大変だったが楽しかった。
  2. 十分に手をかけて子育てをして、14歳から17歳で子どもから手が離れた。
  3. そこで、今までの経験を生かして子どもとかかわり、保護者の方のサポートをしたい。

ということが言えそうですね。
一方17歳になって、反社会的な行動、犯罪を行い、手が離れるどころか、ますます社会の手を煩わせなければならない少年たちがいます。
子育てはその子どもの持つ気質的なものやその他の環境によって左右される事が多く、育て方だけでは論じることはできません。けれども17歳の異常な犯罪が多発する状況は子育て中のご両親に不安の影を投げかけていると思います。
少なくとも、シッターさんは、子育ての大変さを知りつつ楽しんできた人たちです。子育てに対する深い知恵を持っている人たちです。メディアに流れる子育ての最新情報よりも、経験豊かなシッターさんから得る知恵のほうから、大切なものをたくさん吸収できるはずです。こんなシッターさんたちは「安心感」という何者にも替えがたい気持ちを与えてくれることでしょう。17歳になって手が離れる子育ての極意、ぜひシッターさんに教えてもらってください。

バギーの中の赤ちゃん

2000 年6 月号

『バギーの中の赤ちゃん』  中舘 慈子

友人が目をくるくるさせながら言いました。
「レストランに行ったらね、バギーに赤ちゃんを乗せたお母さんたちが大勢で食事をしていたのよ。そこでびっくりしたんだけれど、赤ちゃんたちがおとなしいのよね。みんな黙って座っているの!!」

「へえー・・・。うちの子たちなんかバギーの上に立ったり、何とか逃げ出そうとしたり、危ないし目が離せなかったわ。(みんな女の子です)」
「そうでしょう?うちもそうだったから、とても一緒に連れて行ってゆっくり食事なんかできなかったわ。でも、どうしてこんなにおとなしくてお行儀よくなったのかしらね?」
「・・・・・・・?車でもチャイルドシートに一人で座っておとなしくしているのでしょうね。」

電車の中でも、バギーに乗っておとなしくしている赤ちゃんの姿をよく見ます。でも、ただおとなしくしているだけなのでしょうか。

関西の私鉄に乗ったときです。6ヶ月くらいの男の子がバギーにおとなしく座っていました。ママはお友達と話に夢中。男の子はじっとつり革を見つめ始めました。じっとじっと見ています。目がらんらんと光っています。・・・突然、面白いことが始まりました。男の子が急に首を降り始めたのです。ゆれているつり革に合わせて・・・。にこにこしながら、男の子は左右に首を振り続けます。ふりこのように・・・。ママは、ずっとこの様子に気づかずに、お友達とお話をしていました。

東京の地下鉄に乗ったときです。8ヶ月くらいの女の子がバギーに乗ってもぞもぞ動いています。何かしたくてたまらない様子です。よく見ると小さな手にバギーの前についているベルトを握っています。口を尖らせてはめようとしているのです。なかなかうまくいきません。あまりもぞもぞしている様子に、ママが抱っこしようとするとそっくり返って「いやいや」。仕方なくバギーに乗せるとご機嫌が直って、また、ベルトはめに挑戦を始めます。ママは、やはりお友達との話がはずんでいて、女の子が何に夢中になっているのかということには、気づいていないようでした。

おとなしすぎるバギーの中の赤ちゃんの一団。ちょっと気になる光景です。今の赤ちゃんたちが急にお行儀がよくなったとは思えません。ママに呼びかけても答えてもらえないと、あきらめているとしたら問題です。この時期は、赤ちゃんの呼びかけに答えてあげることが大切な時期ですから。

一度出会ってみたいものです。赤ちゃんたちが実はひそかに何かに夢中になって遊んでいてくれればよいと願いながら・・・。

そして、赤ちゃんと二人だけのときは、ママがしっかりと赤ちゃんと遊んであげているからこそ、バギーの中では赤ちゃんがおとなしいのではないかということを期待しながら。

しつける

2000年5月号

『しつける』  中舘 慈子

しつけは「仕付け」または「躾」と書きます。
広辞苑(第4版)を試しに引いてみると①作りつけること②礼儀作法を身につけさせること。また、身についた礼儀作法。③嫁入り。奉公。④縫い目を正しく整えるために仮にざっと縫い付けておくこと。⑤田植え。となっていました。

なんと、今失われたものの多いことでしょう!!①の使い方をすることは少なく、既製品を買うことが主流になった今、④をすることも無い。⑤は、一部の地域の方がかかわっていることです。③の「嫁入り」「奉公」も死語となり、姑の嫁いびりとか使用人の奉公人いじめなどがなくなって、だれもが平等に生きられる時代になったことは、幸せだと思います。

「しつけ」ということばから、私たちがまず思い浮かべるのは「子どもをしつける」という意味の「しつけ」ですが、これは強いて言えば②に入るのでしょうか。「礼儀作法」を、人として生きていくために必要なマナー、人間関係を円滑に行うためのルール、と拡大解釈すれば、当てはまる気がします。

文部省が1999年12月、日本韓国アメリカイギリスドイツの小学校5年生、中学2年生を対象に行った調査によると「日本の親は海外の親に比べてしつけをしない」という結果が出たそうです。

たとえば、父親・母親から「うそをつかないように」と言われない子どもが約80%。これが韓国アメリカイギリスでは20%から30%、ドイツでは少し高くて約40%です。逆によく言われる子どもは日本では10%代だということです。「弱いものいじめをしてはいけない」「友達と仲良くしなさい」についても同じような結果だそうです。

また、家事の手伝いも日本の子どもはほとんどしておらず、「いつも手伝う」子どもは、洗濯が6%、買い物7%、掃除が9%。なんとも寂しい現状です。
どこの国でも日本に比べれば、自分の子どもに責任を持って行っている「しつけ」が、日本では失われてきているのです。かつてあったはずの「身を美しくする」しつけが・・・。

唐突な発想かもしれませんが、日本イタリアドイツの出生率が低くなってきていることとも関連して、第二次世界大戦の敗戦による大人世代の自信喪失が、子ども、孫に引き継がれているのではないかとふと考えました。

大人が、子どもに「人として生きていくために必要なマナー」「人間関係を円滑に行うためのルール」である「礼儀作法(しつけ)」を教えることのできる「自信」を回復することが、まず必要なのではないかとつくづく思うのです。

「父性」が必要な時代

2000年4月号

『「父性」が必要な時代』  中舘 慈子

すべてを包み込み受け入れる「母性」は、子どもが自分自身を受け入れ、自信を持って生きる上でとても大切なことです。日本人の心の中では「母なるもの」に、信仰にも似たあこがれ、絶対的なものがあるような気もします。

一方、「父性」とは何でしょうか?あの厚生省の『子育てをしない男を父親とは呼ばない』というポスターの効果なのか、田園都市線などで、本当にスマートに子どもを抱いた「父親」の姿を多く目にするようになったのは、とてもほほえましい情景です。子どもを抱いて、ぬくもりや重みを感じることから、「父親」になっていくのでしょう。

しかし、臨床心理学者の河合隼雄氏は「父親だから『父性』があるとは言い切れない。女性が『父性』を持つ場合もある」と、述べています。河合氏の言う「父性」とは、「包み込む『母性』」と対峙する「切り捨てる『父性』」です。

『現代』5月号「日本人よ、いまこそ『父性』を創造せよ」の中で、河合氏は父親が家庭で「絶対にやらなければならないこと」「絶対にやってはいけないこと」を厳しく教えて、守らないときは怒ることが必要だと述べています。
子どもを育てる上で、なんでも自由はよくない。『我が家ではこれは絶対にダメ』というルールが必要で、そのルールはちょっとくらい変なほうがよい、そのほうが、ある年齢に達したときに子どもが反発できて、親子の関係が昇華されていく、というのです。

そして次の例が挙げられていました。吉本ばななさんの家では、なにをしても自由だったが、夜、寝るときに雨戸を閉める、ということに関しては父親が怖いほど厳格だったそうです。高校生になって、ふとこのことに疑問をもったばななさんが、疑問を口にすると父親は激怒して、毎晩、親子の間で激論が戦わされたということです。

お父様が3歳の男の子に「テレビは30分しか見てはいけない。音楽はクラシックしか聴いてはいけない」というルールを決めていらっしゃるご家庭があったそうです。そのときシッターは「3歳児には少し無理かもしれないな」と思いながら、母性を発揮して子どもの心を受け入れ、ほかに楽しいことを見つけて遊び、ルールは守るようにしたそうです。

とはいうものの、急にどの家でも父親が少し変なルールを決めて、守らなければ怒鳴り散らせばよいということではありません。父親が心から守ってほしいと信じているからこそ怒れるのです。守ってほしいことがたまたま少し変だったというだけのことです。

何でも受け入れる「母性」が独走するあまり、家庭でのしつけの厳しさに欠けた子どもや、電車の中で平気でお化粧をするような社会のルールを守らない中高生を生み出しているような気がします。先に述べたように、母親でも「父性」を発揮できます。「父性」を通して、「世の中には絶対に守らなければならないことがある」ということを、子どもが小さいときに潜在意識の中に植え付けることは、やはりとても大切なことなのかもしれません。

「母性」と「父性」が自然に奏でるハーモニーの中で、子どもたちは自信を持ち、かつ社会性を持って育っていくのではないでしょうか。