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子育てエッセイ

「飴玉ひとつ」の苦悩

2001年5月号

『「飴玉ひとつ」の苦悩』  H.H

これまでに幾度か、別のシッターさんが、散歩の途中でお菓子を買ってくれることがあったようですが、今回は、新しいシッターさんがおもちゃやさんでおもちゃを買ってくださいました。私が帰宅すると、子どもは自分が欲しかったおもちゃを手にし、満面の笑みをうかべておりました。それもそのはず。うちでは、おもちゃはあふれているので、もう、できるだけ買わないように、なんとか子ど
もをいいくるめているのですから。
子どもは、絵本やテレビにでているおもちゃ、友だちが持っているおもちゃを際限なく欲しいといいます。最近も、テレビで流行し、多くの小学生がもっているおもちゃを欲しい欲しいとねだっていました。友だちがもっているからといって、すぐに買い与えず、少しは我慢させようと、あえて買いにいかず、うちにある材料でいっしょに作りました。絵本にでているおもちゃも、すぐに欲しいといいま
すので、作れば?と幾度も言っているうちに、材料はないかな?と聞いてくるように、やっとなってきました。子どもと一緒に工作をするのは、時間もかかるし、面倒ですが、あえて、買いにいかないために、つきあっています。何でもすぐに買ってもらえるのではなく、がまんをさせ、自分でつくる工夫をさせるために、どれだけ、親が子どもをなだめすかし、時には叱り、エネルギーを使っていることか。おもちゃを買ってやることや、子どもが欲しいといったお菓子を買ってあげることは、どれだけ簡単なことか。
こんな苦労を日々重ねているのに、シッターさんがある日、いとも簡単に子どもがねだるもの、あるいはねだりもしないのに買いに行こうというのは、あんまりです。親の日ごろの苦労を踏みにじるものです。その場限りで、子どもにいい顔をしていただくと、その後の修正に数倍の苦労を要します。シッターさんは、子どもがあんまりかわいいので・・・とおっしゃりますが、かわいければ、かわいいだけ、その場限りでないエネルギーを使って、子育てのお手伝いをしていただきたいと思います。それが、親のやろうとしていることですから。
シッターさんの役割は、親が見られない時間、モザイクを埋めていただく仕事なのではないでしょうか。モザイクは、その日一日、体調はどうなのか、その週、新学期始めての午後までの幼稚園で疲れていないか、その月、幼稚園の先生、シッターさんが代わって緊張していないか、その年、親は子どもに何をしつけているのか、数年間、どういう家庭教育をしているのか、などなど、モザイク一つ一つが独立しているわけではありません。たったひとつのモザイクの色が違いすぎては、子どもは戸惑うばかりですし、親は元の色にそめるのに、手間がかかります。もちろん、少しは違った色目もいいと思ってシッターさんに御願いするのですが、違いすぎては困ります。
シッターさんは、子どもにその場限りのいい顔する前に、永く親に気に入られたいと、考えてくださらないのでしょうか。それに、親は、子どもをしつけ、日々苦労しているのに、おいしいところだけ、シッターさんにとられては、あんまりではありませんか?こんな自分の本音にも気づき、少々愕然としております。
シッターさんにおもちゃを買っていただいた後、これは困ったことだと子どもには内緒でそっと人に相談しておりましたら、子どもなりに、親の困惑を察し、寝るときには、シッターさんが買ってくれたおもちゃはきちんと片付け、親が以前与えた別のおもちゃをわざわざ取り出して、抱いて寝ました。こんな子どもの気遣いに胸が痛みます。
私のようないじの悪い親は少数派でしょう。しかし、私の考えに同感だと思われる親御さんも、数は少なくとも、いらっしゃることと想像しております。
くれぐれも、上記は、我が家の特定のシッターさんに読んで欲しいものではなく、中舘社長あるいは、シッターさん一般に知っていただきたい私の気持ちです。
今後とも貴社のさらなるご発展をお祈りしておりますゆえ、あえて口うるさいクライアントになります。よろしくお願いいたします。

中舘:率直なご意見、いつもありがとうございます。
今回のようなことは二度と起こらないように、スタッフ全員に注意しました。保護者の皆様が日々苦労されていることをそのままサポートすることが、シッターの役割なのだと改めて思いました。保護者の方と繰り返し意思を疎通しながら、より近いモザイクの色になっていけるように努めて参りたいと思います。

秘密の顔

2001 年4 月号

『秘密の顔』 中舘 慈子

「ぜったいママやパパにないしょだよ。」
お子様とこんなひみつを持つとき、シッターさんは悩みます。たとえば、ママやパパの誕生日にプレゼントを作るとか、庭のすみにちょうちょのお墓を作ったというようなかわいいひみつなら悩みません。
帰り道に、ママやパパに言われた道と違う道をとおってみたいというとき、暑い日にいつもだめと言われているアイスクリームを食べたいと言われたとき、これはそっとママやパパに相談してみれば良いことですね。
ちょっと悩んでしまうのは、シッターに見せる「良い子ではない」顔を絶対にママやパパに内緒にしてほしいと言われるときです。
「もし、話したらあばれちゃうぞ。」「話したらこれからシッターさんのいうことなんか 絶対に聞かないからね。」これが生命の危険に関わるほどのことでしたら、お子様になんと言われてもご両親に話さなければいけません。
たとえば、道を歩くときにシッターと手をつなぎたがらないお子さんがいたとします。歩道のない道、トラックもビュンビュン走っています。「ご両親から手をつなぐように話していただけますか?」と言われたご両親、くれぐれも「シッターさんに言われたけども、手をつながなければだめじゃないか!」と怒鳴ったりしないでくださいね。「あなたの命に関わることだから、あなたが大事だから、道を歩くときはシッターさんと手をつなぎましょうね。」とやさしく話してください。
これが、たとえば次のようなことだともっと悩むのです。シッターに対して傷つける言葉を言う、シッターを使用人としてあしらう、制止を聞かずにわざと悪さをする など。そしてそのことを絶対にママやパパに言わないでね、といわれたとき。
ケースによるでしょう。ひみつのまま、お子様の心が癒され、そんな顔が消えればそれも良いと思います。もしも、シッターが思い余ってご両親にそっとご相談したときは、どうかお子様を頭ごなしにしからないでください。
子どもには「良い子ではない」顔を、大好きなご両親に見せたくないと言う気持ちがあるのです。だから、そんなひみつの顔をご両親に知られたくないと思うのですね。
ひみつの顔を知ったとき、まず、「良い子ではない」行動の裏にある気持ち、不安・寂しさ・疲労などを察してあげるようにしてください。下のお子様にかかりっきりではありませんか? ご家族の関係がぎくしゃくしていませんか? ご両親がいそがしすぎませんか?集団生活が長すぎませんか? 学校・幼稚園など新しい環境に入る不安はありませんか?
ひみつの顔は、こんな気持ちを表すお子様のメッセージかもしれません。そして、いつも「良い子」ではなくてもお子様の存在そのものがすべてご両親に受け止められ、信じられていることをぜひお子様に伝えてください。
大きくなって少し道を外れそうになったときも「母は 父は 自分のことを無条件に信じて待っていてくれている」と思うことが、人生の軌道を直す上で計り知れないほど大きな力になるでしょうから。
 

三人目を産む!

2001年3月号

『三人目を産む!』

木戸道子(医師・ファミリー・サポートご利用者)

平成9年からファミリーサポートにお世話になり、当時1歳と4歳の子がいて、夫が救急の多忙な病院へ異動になり途方にくれていた私にとって大きな支えとなりました。
それまでは夕方からのミーティングや会議、勉強会などもなかなか参加できず、でかけられても心が落ち着かず、早く帰ることばかり考えざるをえなかったのですが、優しいシッターさんにお願いして家を空けられることを体験し、ああ、こんな時期でも外出しても大丈夫なんだ、と解放感にひたったのを今も覚えています。
予定が急に入ったり、子どもが熱を出したりしても、どちらが休みをとるか夫とけんかしたり、誰に頼もうか、実家の母にきてもらうか、などと余計な気をつかうことなく、電話1本で、安心して預けられるシッターさんがきてくれるようになりました。
職場の組織再編など取り巻く状況の変化のなかで、3人目を産む決意ができたのも、まさにファミリー・サポートの「サポート」があったからこそと思います。本当にありがとうございます。
今回、つわりがこれまでより辛く、帰宅後は起き上がることができないほどの日もありました。こどもたちが皿洗いや洗濯物かたづけ、掃除などいそいそと手伝ってくれて、その成長にたくましさを感じたとともに、心優しさも育んでいただいている多くの方々へ感謝いたしました。
最近気づいたのですが、産後のサポートということで上の子の世話だけでなく家事サポートもお願いできるとのこと。妊娠中の体調の悪い時期も利用できます、と書いてあります。
なかなか気づきにくいので、もしよろしければ、つわり、腰痛などで出産後でなくても利用できることをぜひ宣伝してくださると嬉しく存じます。

~ファミリー・サポートのお客様の声から~

2001年2月号

~ファミリー・サポートのお客様の声から~

『根づいてほしい、シッター制度』 M.S

私のシッターさんとのおつきあいは、早くも2 年半になりました。子どもが0歳児のときは、保育ママさんのご都合がつかないときにお願いしており、1歳になり保育園に入ってからは、毎日のお迎えでお願いしています。今まで述べ10人くらいの方々にお世話になりました。ベテランの方、若いお姉さんのような方、さまざまです。これまでの方々を見て、勝手な私見を述べさせていただくと、若手の方は、子どもに対して「ベビーシッター」として向き合うような傾向が強く、ベテランの方は、どちらかというと親に対しサポート的に接している方が多いように感じます。それぞれが長所であり、またこちらも勉強になります。

私の不満は、ベビーシッターさんの認知度が一般的にとても低いことです。自分の社内、社外を見渡しても、ほとんどの方は(しかもお母さん側がほとんどですが)定時に無理して退社して、保育園の迎えに行くようです。東京都の保育園などは(住んでいる区や市によってもさまざまでしょうが)ほとんどが6 時で終わり。終業が5 時半の私などはとてもとても行けません。
しかしながら、いつもメディアが問題点として取り上げるのは、保育園の延長時間のことばかり。確かに、延長保育は親にとってありがたいことなのですが、そのメリットは親の都合であることを忘れてはいけないと思います。子どもにとっては家は自分の城。毎日お迎えに行ってもらえることはもちろんのこと、家庭で夕食を食べられること、シッターさんと二人であそんでもらえること、さまざまなメリットもあると思うのですが・・・。
早くベビーシッター制度が文化として根づき、利用者が特別な感じをもたなくても済むような日が来ればいいな、と思っています。

~ファミリー・サポートのシッターさんの声から~

『シッターの器(うつわ)』 真貝 美江子

わが社のモットーの一つに、まずは"受容してください"というのがあります。"受容"とは―辞書に「受け入れて取り組むこと」とあります。目の前の子どもを受容する―長所はもちろん受け入れやすいですが、短所も受け入れなければなりません。いろいろなタイプの子どもがいます。やさしい、おっとり、丸い人間としての子ども、逆にトゲトゲがたくさんあってデコボコの器の持ち主もいるでしょう。
いろんな形の器を持った子どもたち、その子どもたちの器は、もって生まれたものに、身近な父、母の性格、育った環境にも大きく影響されて作られてくるのです。またさらに、祖父、祖母の影響も直接・間接的にかかわってきます。
そういう様々のものを背負った子どもの器を丸ごと受け入れるには、こちらの器もいろんな形になって対応できるよう柔軟にしておかなければなりません。子どもにとって、初めて出会うどこの馬の骨とも分からないシッターとの出会い。まず、この大人は私(ボク)のことを受け入れてくれるのか、何をしても抱えこんでくれるのか、本能で見極めてしまいます。シッターの器を"私はこうだ"と形の決まったものにしておくと、いろんなタイプの子どもの器を取り込めないでしょう。だからシッターの器は"ない"方がよいのかもしれません。なければ、子どもの器に合わせていろいろな器をつくることができるから…。
いろんな器をもった子どもたちに対応できる"透明な器"をもったシッターを目指して頑張りたいものです。あともう一つ忘れてはならないことは、子どもの器はいくらでも変わり得るということ。だから可能性が大きいのだと思います。その柔軟な器に、1つでもよい影響を与えられるような器をもったシッターでありたいと思うのです。

(日本小児医事出版社「ベビーシッター」より引用)

21世紀 どんな夢がありますか?

2001年1月号

『21世紀 どんな夢がありますか?』 中舘 慈子

20世紀は、激動の時代でした。前半は大戦がいくつもあって、国と国とが人を殺し合い、大地を汚染しあいました。後半は科学技術,情報、医学などの大きな進歩がありました。今の日本は清潔で便利、世界中のおいしいものが食べられ、美しいものもあふれ、物質的に豊かな国です。
でも、どうしてでしょうか。「21世紀にかける夢は?」と、自問自答したときに、ふと立ち止まってしますのです。医学の進歩により、寿命が延び、クローン人間の出現や超高齢出産が可能になるかもしれない。IT革命による情報化がさらに進み、シッティングの状況がリアルタイムで手元の携帯電話で見られる日も間近いかもしれない。
でも、本当に望んでいる「夢」とは何なのでしょうか?夢を持てるほど 夢が多いほど幸せだとしたら、100年前の人たちの方がひょっとして幸せだったかもしれない、もう少し貧しかったころの日本人の方がひょっとしたら幸せだったのかもしれないと思います。空を飛びたい、便利に暮らしたい、情報を知りたい、おいしいものを食べたい、暖かい家に住みたい…たくさん具体的な夢がありましたから。
人生は自分の外…社会的名声 豊かな生活など… にもあり、自分の心のうちにもあると思います。21世紀に探す「夢」「幸せ」は心の内にあるものかもしれない。

2001年21世紀の最初の年、子育て中の皆様、ファミリー・サポートのスタッフやシッターさん達と一緒に「21世紀の夢」を探し続けていきたいと思っています。
子育てやホームページに対するご意見をどんどんお寄せください。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ときめきエッセイ 子ども達は今

2000 年12月号

『ときめきエッセイ 子ども達は今』  中舘 慈子

20世紀最後もあと3日。12月は「帯状疱疹」に悩まされ、ただでも短い師走が飛ぶように過ぎてしまいました。遅すぎるご挨拶、お許しください。

ファミリー・サポートの2000年3大ニュースは次のとおりです。

  1. 1月1日 ホームページの開設
  2. 10月1日 カーサ デル バンビーノの開設
  3. 12月20日 (社)ベビーシッター協会 認定ベビーシッター 11人誕生

ホームページは、アクセス数がもうすぐ6000になります。2001年は、もっと充実したものに改装したいと思っています。カーサデルバンビーノ(イタリア語で「子どもの家」)を、小田急線新百合ヶ丘駅から5分の場所に開設しました。「21世紀に羽ばたく国際人を育む」ことを目標に2・3歳児対象のプレスクール、国際理解教育としての楽しい英会話、能やいけばなの教室もあります。また、さまざまなイベントを通じてご家族のコミュニケーションの場、子育て中のご家族への情報提供の場などにもしていきたいと思っています。また朝7時から夜8時までの託児コースも有ります。2001年はさらに充実した施設にしたいと思っています。

待望のベビーシッターの資格ができました。ファミリー・サポートでも11人の認定シッターさんが誕生しました。2001年にはもっと多くの認定シッターさんが誕生することでしょう。

本年も皆様のご愛顧ありがとうございました。
21世紀子どもにも大人にも夢と希望に溢れた世紀になりますように!!

ベビーシッターの資格

2000年11月号
『ベビーシッターの資格』 中舘 慈子

「ベビーシッターの資格」があるのをご存知ですか?
おそらく知らない方が多いと思うのです。これから誕生する資格ですから。
今年11月23日に第1回のベビーシッター認定資格試験が行われます。待ちに待った「ベビーシッターの資格」です。
保育士の資格幼稚園教諭の資格看護婦の資格などはあるのに在宅保育にかかわる「ベビーシッターの資格」はありませんでした。

家庭に入る保育者だから、家庭の大切なお子様の命と鍵を預かる仕事だからプロフェッショナルである必要があるのではないでしょうか?

バイト気分ボランティアではなくて、責任ある仕事として、ご家庭にも子ども達にも安心と満足を与える保育の専門家として時にはご家族の子育ての頼りになる相談相手としてカウンセラーの役割も持った人として。残念ながら今年試験に挑戦しなかったベテランシッターさんも、来年はきっと資格に挑戦することでしょう。

さあ、あなたのご家庭では「ベビーシッターの資格」として何を求めていらっしゃいますか?

時間を守ること。子ども好きなこと。いろいろな遊びを知っていること。しつけをきちんとできること。ご家庭の育児方針を守れること。育児のアドバイスをしてくれること。育児に関する正確な知識を持っていること。そして、一人一人のお子様の心を受け入れ、一つ一つのご家庭の子育てを温かくサポートすることが「ベビーシッターの資格」の基本にあるのかもしれませんね。

カーサのプレスクールから

2000年10月号

『カーサのプレスクールから』 中舘 慈子

新百合ヶ丘に「カーサデルバンビーノ」を開いて3週間がたちました。今のところプレスクールのご入会に目ざましいものがあります。このコースは2歳、3歳の幼稚園に入る前のお子様のコースです。さらに、保育園に通っていないお子様、家庭で育ってきたお子様のコースということになります。初めてママから離れて、1回目は泣いてしまうお子様もいました。でもすぐに泣き顔は笑顔に、2回目は「風邪気だからお休みしましょう。」とママが言うと「いや。チェンチェイのとこいく。」とべそをかいたお子様もいました。「言葉が多くなりました。通わせてよかったと思います」というお母様の声、少しずつトイレにいけるようになってきたお子様、家庭からほんの2時間はなれてお友達と過ごす時間は、発達に少しずつ効果をもたらしています。何よりも始めは不安げにお子様につきっきりだったお母様たちが「ちょっと美容院に行きます。」などと、にこやかに預けて出かけられる姿はうれしいものです。ちょっと一人でコーヒーを飲んでいただいてもよいし、ご自分に似合う服を探していただいてもよいし。2年、3年・・・家庭で子育てに専念してきたお母様方に自分のための時間をほんの少しプレゼントできることも喜びです。プレスクールから帰る時のママとお子様の笑顔!それから始まる時間の心豊かさを予感させてくれます。

幼児教育タイムは、月曜:造形火曜:英会話水曜:ことば木曜:音楽金曜:体操土曜:自然となっています。今のところ1番人気があるのは「英会話」。「ことば」は国語の力、コミュニケーションの力、「自然」は科学の芽、算数や理科の力の基礎となるものですが、入会者が少なくなっています。もちろんどの日もアトリエを使った造形活動、歌やリズムの時間、などさまざまな活動の時間が含まれているのですが・・・。

まだ1ヶ月にも満たない生まれたばかりの「カーサデルバンビーノ」。大きな可能性に向かって歩きつづけたいと思っています。
10月29日はハローウィンパーティ!!どんなお化けがカーサに現れるでしょうか?

思いっきり楽しいイベントを企画しています。

新しい仕事に再びチャレンジ

2000年9月号

『新しい仕事に再びチャレンジ』 中舘 慈子

目覚めると、2年前にも訪れたフィレンツェの中心街の部屋にいた。2年前と変わったことといえば、古い木製の窓の外に藤がやわらかい曲線を描いていること。蒼い翳りが、扇風機が無くても過ごせるほどのさわやかで乾いた風を送り込む。
成田空港を出て直ぐに出された機内食の途中で眠り込み、気づいたときにはデザートごと無かった。それから約20時間の旅を続け、娘に連れられてこの部屋にたどり着くと共に眠り込んでしまったのだ。時がゆっくりと流れている。緑に包まれた窓辺で、私はほっと自分を取り戻している。
忙しい日々だった。走り続けてきた。ベビーシッタ-会社を設立して7年目、年商も目標値を超えた。多くのよいスタッフに恵まれ、毎日の仕事を誠実に続けてきた成果だと思う。(社)全国ベビーシッタ-協会理事の一人として活動する中で業界としての「ベビーシッタ-」認定資格制度の確立、「ベビーシッタ-」の本の出版の夢も叶った。
「3歳までの子育ては母親が家庭で行うべき」という考え方が一般的な時代、私も末娘が小学6年になるまで専業主婦として3人の年子を家庭で育てた。しかも転勤族の妻であった。そのとき実感したことでもあるが、「母親」の無償の愛情だけでできるほど「人を育むこと(子育て)」は生易しいものではないと思う。赤ちゃんとの会話だけで一日が終わり、社会からぽつんと取り残されたような閉塞感、焦燥感にさいなまれることもあった。
『1997年の経済企画庁の調査によると第一子が小学校入学前の女性のうち、子育てに自信がなくなることが「良くある」「時々ある」と答えたものの割合が、有職者で半数、専業主婦では7割にも達している。』と「平成10年版厚生白書」に述べられており、『育児不安や育児ノイローゼは、専業主婦に多く見られる』とある。
今、日本はかつてない少子高齢化社会を迎え、少年による残酷な犯罪などが起きている。乳幼児期の子育てを「母親」だけに任せておいて良いのだろうか。私は働く両親の子育て支援はもとより、家庭で子育てをしている母親も含め、すべての家族に対する心理的な子育て支援が必要だと思う。従来の日本の保育制度は認可保育所を中心とした施設型保育によるものであった。たとえば0歳児1人、1ヶ月あたり数十万円の公的補助が国と地方自治体から行われていることをどれほどの方がご存じだろうか?この恩恵を受けられるのは一部の家庭だけである。在宅保育サービスは、あらゆる子育て中の家庭がいつ
でも利用できる。このようなサービスを、利用しやすい料金で提供できるように、これからも保育バウチャー制度や育児保険制度を提言していきたい。
2000年夏、再び新しい仕事にチャレンジする。「カーサデルバンビーノ」という名前の「子どもの家」の設立である。場所は、自宅の最寄駅小田急線の新百合ヶ丘。季節の花に囲まれた美しいカーサにしたい。子どもたちにとっては寛げる楽しい場所、大人達には子育てに夢の持てる場所となればよいと考えている。

具体的には次の3つのコースを考えている。

  1. 2~3歳児対象のプレスクール
  2. 幼稚園・小学校の放課後のためのスクール
  3. 子どものための文化教室

(日本文化の伝承をするための能教室・華道教室 英会話教室 等)
この他に、カウンセリングルームも設けたい。一時的に預けたい人のためのコースも設けたい。今回のイタリアへの旅は、トスカーナの小さな町、レッジョ エミリアの幼児教育について取材をするためのものである。「自己責任の国」イタリアと日本とは幼児教育の手法や考え方は自ずと異なってくるだろう。けれども、世界中で注目されているレッジョ エミリアの幼児教育のように、自分で考えて工夫する力を育む環境を与えること、心行くまで自分のしたいことに熱中できる場を与えること、教師は子どもの活動を後ろから見守り助ける存在であることが今の日本の幼児教育にも必要なのではないかと考えている。私の新しいチャレンジと模索はこれから始まる。

神奈川銀杏会会報8号(2000年8月発行)掲載

少年と老人

2000年8月号

『少年と老人』 中舘 慈子

2000年春、17歳の少年が60代の女性を惨殺した事件が、続いて起きました。いずれの女性も第2次世界大戦を経て、激動の時代を60数年生き抜いて支えてきた貴重な方々でした。一人は元小学校教諭で幼児教室を開き、「事件を起こす少年たちの心を受け入れてあげたい」と、尽力されてきた方ということです。

昔、東洋では「老人」は賢者として尊敬されました。知恵と知識の宝庫だったからです。若者は老人から、生きるための知恵や昔から伝わる知識を学びました。今、日本の若者は老人から知恵も知識も学びません。特に、知恵よりも知識の尊重される時代です。

知識は、情報化社会の中で、様々なメディア、テレビ・インターネット・雑誌などを通じて日々新たなものが伝わってきます。多くの知識や情報は横文字が並び、メディアを使いこなすには器械の操作が必要です。老人は横文字も器械の操作もなれるのに時間がかかります。こうして、若者のほうが老人よりも知識が豊かになり、さらに新しい情報を得ていきます。

今、若者は老人から学びません。老人も若者に伝えません。世代の断絶が深く暗い淵となって存在する時代のような気がします。従って、若者は老人を尊敬しません。老人は自信を喪失します。これは子育てにも言えるのではないでしょうか。少年は親を尊敬しない、親は少年に対して自信がない。少年は、上の世代は不要のものであるという錯覚に陥ってしまいます。

17歳にとって老女から学ぶものも無いし、すでに若い日々が過ぎ去った存在というゆがんだ思いを抱き、だから殺してもよいというとんでもない発想に至ってしまったのではないでしょうか。

もちろん、これだけが連続した殺人事件の原因ではありません。少年の気質、環境など様々な要素が複雑に絡み合ってのことだと思いますが。

ここで、「年長者を敬わなければならない」というような「べき論」の修身や道徳教育を持ち出すことは全く考えていません。むしろ老人、親・・・上の世代が後に続く世代に(少年になる前子供時代がいいですね)多くを伝えていくことが必要なのではないでしょうか。それは、「知識」ではなくて「知恵」です。世代の違う第三者、シッターさんとの深いかかわりもよいチャンスだと思います。

最新の知識よりも大切なもの、生きる上の知恵を、上の世代から後に続く世代に伝えていきたいものです。