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子育てエッセイ

ママだけの夏休み(3日間)

ときめきエッセイ 第104回

ママだけの夏休み(3日間)

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター・詩人)

 

9月の頭から、主人が十日間、地方の百貨店での個展開催で留守することになり、その期間中、2泊3日で子ども達を主人の両親に預かってもらうことにした。約7年ぶりの「ママだけの夏休み」である。

これまでも、数日間子ども達を親に預かってもらったことはあるが、それは私も仕事で外泊するためなので、休息とはほど遠いものである。

だが、今回は違う。ひとりで3日間、自宅で過ごせるのだ。たっぷりある時間を自分のためだけに使えるという幸福…。こんな素敵な3日間、次は何年先になるかわからない。だからこそ、少しでも悔いのないよう過ごしたい。気をつけないと、デジカメの写真のプリントや、子ども服のゴムの入れ替えなど、日頃やらねばと思いつつ、できずにたまっている雑務を片付けているうちに終わってしまう。そうならぬよう、私は3つの規則を自分に課した。

①家事は最小限。料理はしない。

②「雑務」と「仕事」はせずに、「創作活動」に時間をかける。

③読書は夜、布団に入ってから。

かくして、現在、2日目の夜11時である。昨日の初日は朝10時に子ども達を義母に託したのち、家事は洗濯だけにして、文学賞に応募する随筆の執筆に費やした。朝食はトースト、バナナ、コーヒー、昼食は「ラ王」とトマト、夕食はカレー(レトルト)とハムときゅうりだった。夜12時半に布団に入り、約10年ぶりに坪田譲二の「善太と三平」を深夜2時まで読みふけった。読書でこんなに泣いたのは何年ぶりだろう。

今朝は8時半起床。朝食はグラノラとバナナ、コーヒー。掃除機だけかけて、食堂にミシンと洋裁箱を出す。昨年夏に買った涼しげな綿の生地で、ママ用のスカートを縫う。ウエストがゴムで、しごく簡単なつくりなので、約3時間でできた。うれしい…。

昼食はメロンパンとシュウマイ(冷凍食品)。その後、来月、八重洲BCで開催する詩の朗読会の構成を考え、プログラムを作成し、アンプ&スピーカーを出して、詩の朗読の練習。そして昨日、書き始めた随筆のつづきにとりかかる。夕飯は、お茶漬と卵焼き。このまま12時まで執筆して、その後は布団の中で、お楽しみの読書タイムが待っている。

ママ(だけ)の夏休みは、つましいけれど、最高だ。

 

いろいろな顔 みんな本当の気持ち

いろいろな顔 みんな本当の気持ち

代表取締役 中舘慈子

 

夏が通り過ぎていきます。子どものころの夏の思い出は感覚的にいつまでも残っているような気がします。線香花火の残り香、日焼けした肌のぴりぴりした感じ、眠くなるような油蝉の声・・・。

この夏、ふだんとは違う体験をされたお子様もいらっしゃるとでしょう。ご家族そろっての旅、ご家族のふるさとで自然に囲まれて過ごした体験、先生やお友達と塾で過ごされた日々、そして普段より長い時間シッターと一対一であそんだ夏の午後・・・。

小さなお子様でも、パパやママとご一緒のとき、先生といらっしゃるとき、おじいさまやおばあさまと過ごされるとき、シッターとお留守番されるときなど、はっとするほどいろいろな顔をしています。くつろいだお顔、緊張したお顔、寂しそうなお顔、一生懸命よい子にしているお顔・・・ いろいろな顔のすべてがお子様のそのときの本当の気持ち。

いろいろな人とふれあい、愛され、しかられて、この夏お子様たちはまた一回り大きくなられたことでしょう。

祖父母の本音

ときめきエッセイ 第103回 

祖父母の本音

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター・詩人)

 

お盆は、伊豆の私の実家に子連れで帰省した。昨年のお盆は1週間ほど滞在していたが、今回は2泊3日で早々に戻ってきた。70半ばを過ぎた老親にとって、孫達の滞在は心身共に疲れるものであることを、最近は帰省のたびに、ひしひしと感じるからである。

親は孫達のことが決して嫌いなわけではない。かわいく思う気持ちも無論ある。けれど、そのにぎやかさ(とにかくうるさい…)、聞き分けのなさ(特に次女)、孫達がおもちゃをとりあって、家中をかけずりまわってギャーギャー騒いでいる状況が耐えがたいようで、しょっちゅう深いため息をついている。このうるささが日常である私とは異なり、普段、夫婦二人だけで(しかも山奥で)、静かな田舎暮らしを送っているぶんつらいようで、目をぎゅっと閉じて、両耳をふさいでいたりする…。

かつては、親のそういう態度に腹をたてた時期もあった。普段は遠く離れている孫達との、久しぶりのひとときなのだから、もう少し孫の滞在を楽しむ姿勢を持ってくれてもいいのにと、親と口論になったこともあった。けれど、私も40を過ぎて自身の「老い」を感じるようになり、そのぶん、親の老いを受け止められるようになってきたのだ。

若かった頃の私は、「老い」は体力の衰えをさすもので、「身体」にくるものと思っていた。でも、実際はそうじゃない。老いは精神面にも、ずっしりとくるのである。人生の晩年を迎えている親にとって、まだまだ人生はじまったばかりの孫達は、まぶしいのと同時に、どこか遠い存在でもある。知識の内容も、思考回路も、スピードやリズム(テンポ)も、興味の対象も、なにもかもが違う孫達の相手をしつづけるのは身体的にきついだけでなく、心と脳が疲労困憊してしまうのだろう。

「孫が来るとうれしい。帰ると、もっとうれしい」。この名文句は、私の親に限らず、多くの祖父母の本音なのかもしれない。少し淋しい気もするけど、親には親の生活があるのだから仕方がない。そう思えるようになったことが、この数年における「ママの成長」なのである。

 

ママだって子ども

ときめきエッセイ第102回 

ママだって子ども

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

9月に、第三詩集「線路沿いの詩」を主人の絵との共著で上梓するので、今月は、その編集作業に追われている。収録する詩を選ぶため、この数年の間に書きためた作品を読み返しながら、改めて思った。子どもの視点での「母と子の情景」を描いたものが、圧倒的に多い。

母になって以降、一時期は「母の視点」にたっての「母と子の詩」を書くようになり、育児雑誌で連載していたが、まだ、母親歴が短いからか、心から納得のいくものは、あまり書けなかった。結果、いい歳をして、今もなお、子どもの視点での「母と子」の詩を書いている。

先月、田舎の母が数日間我が家に滞在した。きれい好きな母は、「毎日、掃除機だけじゃなく、ぞうきんがけもしなさいよ」と小言を言い、「忙しいんだってば」と口をとがらせる私に、6歳の娘がぽつりと言った。

「ママ、子どもみたい。変なの…」 

「だって、(母の)子どもだもん」と言い返したら、「ちがうよ。ママは子どもじゃないよ。大人だよ」と神妙な表情で、訂正してきた。その瞬間、思いだした。子どもの頃、少女だった頃の母の、モノクロの古い写真を見て、衝撃を受けたことを。

母に子ども時代が、私の母ではない時代があったことが、ただただ、信じられなかった。そして、なぜか無性に、淋しくて哀しかった。私にとって専業主婦の母は、母以外の何者でもなかったから。

娘も、かつての私とおなじまなざしで、私を見ているのだろうか。ママ(私)は生まれたときからママであり、私にも子どもの頃があったという事実は、信じがたいことで、しかも、娘を哀しくさせるのだろうか。

「ママ」としての自分は、私というひとりの人間の一部である。私はママであると同時に、いくつになっても(母の)子どもであり、女であり、読書とひとり旅をこよなく愛する一個人だ。でも娘には、それは認めたくないことなのだろうか。私が、かつてそうだったように。

ここまで書いて、はっとする。もしかしたら、私の前では、常に母の顔を保ちつづけている母も、若かりし頃は、内心では今の私と同じような、「一個人」としての自分を持っていたのだろうか。いや、70を過ぎた今も、持っているのかも…。そう思うだけで、胸がすぅっと凍りつくような感覚がよぎる。つまるところ、40を過ぎてなお、私は子どものままであり、母に母しか求めていないのである。

 

ラストラン(6年生リレー)

ときめきエッセイ 第101回

ラストラン(6年生リレー)

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

今月はじめ、小学1年の長女の初運動会があった。これまでの、保育園の園庭で開催されるアットホームなものとは異なり、6学年(約800人)が、「紅組」「白組」の二つに分かれて真剣に勝ち負けを競い合う、大規模なものである。

紅組、白組の応援団長&応援団による「応援合戦」で幕を開けたが、まず、これがよかった。団長はじめ、応援団全員が声をはりあげ、手を振り、味方、そして敵チームにもエールを送るという、その厳かで神聖な儀式に「伝統ってやっぱりいいな」と思う。

午前から午後にかけては、各学年ごとの徒競走、団体表現、団体競技、そしてリレーがある。1年~3年生までの「低学年」は、まだ小さな体で一生懸命がんばる姿が、とにかくかわいらしく、ほほえましい。

いっぽう、4年~6年生の高学年は、その「かっこよさ」にぐっとくる。団体表現では、そろいのはっぴを着ての粋なヨサコイや、組体操などが披露されたが、そのレベルの高さに驚かされた(人間ピラミッドなんて4段あって、頂点の子は立つのである…)。

そして、最後を締めくくるのは「ラストラン」(6年生リレー)だ。久しぶりに生のリレーを見て、少なからず胸を打たれた。特に、バトンの受け渡し地点で、最下位でようやくバトンを受け取った子達が、みな、「俺(私)がぬいてやる」とばかりに、鉄砲玉のように走り出す姿に。

これまでは、街中の小学5、6年生を見るたびに、シッター先の「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」に会うたびに、「自分達の頃とは、全然ちがうな…」という思いを常に抱いていた。お洒落にやたらと関心が高く、DSなどのゲーム機を携帯し、ヒップホップやゴルフを習い、女子にいたっては、かつて私達が夢中になった「りぼん」などの少女漫画ではなく、ローティーン向けのファッション雑誌をめくっていたりする。こちらが話しかけても、けっこうクールな彼(彼女)達には、「一生懸命」という言葉は似合わない気がしていた。

でも、最下位でバトンを受け取るやいなや、歯をくいしばってがむしゃらに走り出す彼らは、クールでもお洒落でもなかった。ただただ、ひたむきで懸命だった。我が子の写真撮影に必死になっている自分がなんだか恥ずかしく、人の子ががんばる姿にこれほど胸を打たれたのは、はじめての経験だった。

 

一芸にひいでる

一芸にひいでる 

保育スタッフ M.S.

 

自分にとって一芸にひいでているものは? と考えたとき、趣味の陶芸は趣味にとどまって、一芸にひいでるほどでないし、誰にも負けずこれだけは自信ある! と言えるもの、それは育児―子育て―です。

学生のころに学んだ幼児教育の理論を自分の子育てに実践したこと、これが私の自慢できる一芸です。

胎教のためにいい音楽を聴き、お腹の子に語り掛けました。夫も毎日大きくなっていくお腹に口をつけてなにやら語りかけていました。誕生したあとは母乳で育て、育児日誌をつけ、お散歩したり、ご近所さんと意識的に交流したり、食事のバランスを考えて食べさせたり、語りかけは正しい言葉遣いで、あそびに集中しているときは邪魔せず、見守り。楽しい体験(キャンプ、スキー、お祭り、お泊り~etc.)をできる限り採り入れ、公園めぐりにいそしみ~と、生活そのものが子どもの成長に影響してくるので、子ども中心に生活し、楽しみ、子どもと共に生きた子育てでありました。

育児日誌は2人の子どもたち3歳までつけ、その後は2人の子どもの新聞を作り楽しみました。

この育児は、多分、私の人生の大きな宝物となっています。その子どもたちもおかげさまですくすく育ってくれ、2人とも父の母校のW大学卒業後、総務省、大学職員となり、ただいま社会人として貢献しています。そしておのおのが人生の伴侶と出会い、また、親に楽しいプレゼントを施してくれています。

楽しかった! わが子達の育児、これは誰にも負けない自分自身の大きい自身となっています。

育児が一芸とはいえないかもしれませんが、この育児は自分の誇りとなっています。

「楽しい子育て」への架け橋

「楽しい子育て」への架け橋 

保育スタッフ 今井 友子

 

テレビや新聞でしばしば「虐待」のニュースを目にします。目を背けたくなるような内容のンユースばかりですが、私には決して人事とは思えません。

不妊治療の末、双子を授かり、「子育てを楽しもう」と決心したものの、現実派甘くはありませんでした。親や夫の協力は少なく、常に睡眠不足で、体のあちこちが痛み出し、外出もままならない状況で、自分の精神のバランスを保つことは本当にたいへんでした。

しかし、そんな中でもいくつもの救いがありました。「本当にがんばってますね」といってくれた保健所の方、「2歳になればラクになりますよ」と教えてくれた保育園の先生、愚痴を言い合えるママ友達、そして初めてベビーシッターさんに双子を預けてひとりでランチに行けたときには、涙が出てきました。皆さんの助けの中で子どもの成長と共にいつしか「子育ては楽しい」と感じることができました。

ベビーシッターにはお母様の「たいへんな子育て」を「楽しい子育て」に変える力があると思います。子どもにとっては、お母さんが一番です。お母様の気持ちに寄り添い、慰め、共感したいです。

お子様の成長に気づき、よい行動や素晴らしい個性やかわいらしさをお母様にお伝えしたいです。それによってお母様のこころの余裕ができれば「たいへんな子育て」は「楽しい子育て」に変わり、お子様によりたくさんの愛情を注いでもらえると思います。そんな「楽しい子育て」への架け橋となるようなベビーシッターになりたいです 。

 

「お世話になった人たち」

「お世話になった人たち」 

保育スタッフ森田公子

 

3月に嬉しいことがありましたので、報告いたします。

中学卒業間近なA君がクラス文集を見せてくれました。 

A君が「将来豪邸に住みそうな人」ランキング第1位になっていたのも嬉しかったのですが、作文を読んでいくと、部活動、体育祭、合唱コンクールなどの思い出が多い中、A君は「お世話になった人たち」という素敵なタイトルです。

~略~

僕がお世話になったのは、先生、友達、知り合いの人たちです。 

~略~

知り合いの人とは森田さんと北海道の人たちです。森田さんは僕が小学一年生のときから(ベビーシッターとして)来てくれていて、晩御飯を作ってくれたり、一緒に出かけたりしました。

~略~

不安でいっぱいで大きなランドセルを背負って小学校入学したA君も高校生になります。 当時、弟君のシッティングでうかがうようになって、珍事件、思い出がいっぱいのご家庭です。

今ではご兄弟そろって大の仲良し。私にとって初レギュラーのお客様です。弟君もお誕生日を迎えると11歳になります。

もう少しお世話させていただけるかしら?

 

忙しい=幸せ?

ときめきエッセイ 第100回

忙しい=幸せ?

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

とうとう、このエッセイも記念すべき「100回目」を迎えた。連載がスタートした7年前、私は絵を志す夫と結婚し、新しい人生に踏み出した頃だった。翌年には長女、3年後には次女が生まれ、子育て、家事、仕事をするなかで、日々感じるさまざまな思いを、このエッセイにつづってきた。今、過去のエッセイを読み返しながら、改めて思う。過去の私と、2児の母になった今の私は、ずいぶん変わったなと。

かつての私は、いつも何かを追い求め、「現状に満足する」ということを知らず、走り続けているようなところがあった。漠然と、忙しいほうが幸せで、充実していてかっこよく、暇であることは淋しくみっともないような気がしていた。家で過ごす休日が嫌で、疲れていても、無理して予定をいれることも多かった。その根本には、「(忙しく充実していて)幸せな人と周囲から思われたい」といった、見栄や願望があったように思う。そのくせ、なにが自分にとっての本当の幸福なのか、真摯に考えることはなかった。

今の私にとっての最大の幸福は、「家族が心身共に健康で、穏やかな生活がずっと続くこと」、これに尽きる。昨年、姉を癌で失ってから、その思いはいっそう深まり、強くなっている。独身時代は健康なんて「当然」すぎて、あえて求める幸福ではなかった。「穏やか」はむしろ「退屈」で、それよりも「わくわくする何か」や、「成功」や「評価」を求めていた。「健康で穏やかな暮らし」に感謝し、幸せを感じたことなんてなかった気がする。きっとそれは、かつての私には「守るもの」がなにもなかったからだろう。

今思えば、独身の頃は身軽で気楽だった。時間もお金も自分のためだけに使い、自分のことだけしていたあの頃を、懐かしく思うことはしょっちゅうある。特に子ども達の病気の看病で、寝不足と不安の日々が続いたりすると、切実に思う。けれど、あの頃に戻りたいとは思わない。子どもの病気が治って、笑顔が戻ったときの、涙がこぼれるほどの幸福を知らない、あの頃の自分には。

今の私は、忙しいのが「心底イヤ」だ。多忙な日が続くと、目先にせまった「しなければならないこと」に追われて慢性的にイライラし、まず、家族に対する態度が悪くなる。家の中が汚れ、食生活も乱れ、睡眠不足になる。そしてなにより、日常の中で、物事を深く見つめたり、ふりかえったり、季節ごとに移り変わる風景の美しさや、子ども達の仕草に見とれたりする「ゆとり」が奪われていく。結果、心が痩せていき、私自身がスカスカになっていくのがわかる。

「一日じゅう家にいられて、のんびり過ごす日」を、なによりもこよなく愛する今の私を、かつての私が見たら「あぁ、みっともない。すっかりおばさんになっちゃって…」とため息まじりに嘆くのだろうか。

 

長女の巣立ち

ときめきエッセイ 第99回 

長女の巣立ち

浅田志津子(教育・福祉関係のルポライター)

 

4月9日から、我が家は「新生活」が始まった。長女が小学校に入学したのだ。これまでは朝、八時半頃に家を出て、長女と次女を車で保育園に連れていく生活だったが、今はちがう。小学校は通学班ごとの集団登校で、長女は「7時20分」に家を出ることになり、「大変」である。 

毎朝、通学班の集合場所である家の前の公園まで、娘と手をつないでいく(3歳の次女も連れていく…)。上級生の女の子達といっしょに、5人で縦一列になって、小学校まで約25分の道のりを歩くのだ。 

長女は新しい人間関係に慣れるまで、かなり時間がかかるタイプで、通学班でも、クラスでも、まだほとんど話せていないようだ。朝、公園で整列して歩きはじめるさいに、必ず、不安げな表情で私を見あげる。いっしょについていってやりたい気持ちを抑えて、満面の笑顔で「いってらっしゃい!気をつけてね~」とちぎれんばかりに手を振り、列が見えなくなるまで、次女と手をつないで見送る。 

入学式から早2週間、まだ授業がほとんど「遊び」に近いこともあるせいか、娘はけっこう楽しそうに学校に通っている。隣の席の男の子の名前や、前後の席の女の子の名前が、ようやく最近になって、娘の口からぽつりぽつり、出るようになってきた。 

今朝、公園で整列して小学校へと出発するさい、初めて娘は、私を一度も見なかった。もう、通学班のお姉ちゃん達にも慣れ、心が学校に向いている表れかもしれない。親として喜ばしいような、どこか淋しいような、複雑な思いにかられながら、歩き始めた娘の小さな背中に大きく手を振った。 

「いってらっしゃい!気をつけてね~」。

 私の声を背中で聞きながら、ふりかえることなく歩いていく娘を、列が見えなくなるまで見送った後、しばらくその場に立っていた。はじめて味わう感傷だった。つないだ次女の手のぬくみが、ありがたかった。